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表紙写真の説明 国指定史跡万富 東大寺瓦窯跡」

 

 

岡山県岡山市東区(旧瀬戸町万富) 「万富 東大寺瓦窯跡」

 

 

 JR山陽本線を万富駅で降りる。

かつて昭和50年代、「万に富む」と言う駅名が人気を呼び、一大切符ブームに沸いた駅も落ち着きを取り戻し、今はひっそりとした無人駅となり静まり返っている。

 

駅舎を出て、南に立地するキリンビールの最新鋭工場を背に、駅前の道を北に向け150mほど行き、県道96号に出て右折、更に東に向けて300mほど歩き左に折れ裏道に入ると、そこには農業用水が流れ、古くからの民家と新しい住宅やアパートが並び立ち、そんな中所々に雑木林や野菜畑、特産の桃畑などが混在するのどかな集落が現れる。

昭和2年に国の史跡に指定された「万富 東大寺瓦窯跡(がようせき)」は、そんな地にひっそりと残されている。

 

 保元・平治の戦いを契機として勢力を強めた平清盛は、延暦寺や興福寺など反抗する反平氏勢力の打倒を平重衡に命じた。

命を受けた重衡は奈良に攻め入り方々に火を放ち、それにより東大寺も炎上し無残にも焼け落ちた。

しかしその後の朝廷の動きは早く、その半年後には東大寺の復興計画が興されている。

東大寺は聖武天皇の仏教興隆の発願により、総国分寺として建てられた背景が有ったからだ。

 

 その造営勧進聖として任官されたのが俊条坊重源で、重源は勧進によって再建の大事業を成し遂げようとした。

そんな中、備前国が東大寺造営料国となり、そこに含まれた吉岡郷(現在の万富地区)からの貢祖も再建の費用として使われるようになる。

 

 この地で瓦を焼くとされたのは、瓦の原料となる良好な白土が豊富にあったことや、土地相が窯の構築に向いていたこと、当時吉井川はこの付近で分流し、その一筋が近くを流れ舟輸送が可能などの条件が重なってのことだ。

ここでは凡そ10年間に50万枚にも上る平瓦や丸瓦・軒平瓦などが焼かれたと言う。

 

 南北に延びる二段に分かれた低い丘状の山の西側上段部分に、今日東窯と言われる十三の窯跡が確認されている。

文献によれば南都手向山八幡宮を勧請して建てた阿保田神社を中心に瓦工場が開かれ、この東窯のほかにも南窯、西窯が有りその数三十基あまりとされているが、西窯は今日に至っても未だ発見されていない。

ここで焼かれた瓦は小舟に積み込まれ本流まで曳航され、そこで積み変えられた舟で奈良まで運ばれたとされている。

 

かつて近辺の吉井川の川底からは、砂利採取船により多量の瓦片が揚げられたことが有った。

今でも地下には良質な白土層が眠っていて土木工事等で確認されることもあり、掘り起こせば瓦片が出土すると言う。

そんな土地柄ではあるが、周辺には住宅団地が建ち、既に畑や墓地となっていて往時を偲ばせるものは何も残されてはいない

何も残されてはいないこんな地だからこそ、歴史を知り、佇めば往時の賑わいを脳裏に想い受べることも出来る。

 

 

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■ 交通案内

 

 

 

 

車  山陽自動車道 山陽IC下車 県道37号から県道96号経由 約6.5Km

 

電車 JR山陽本線 万富駅下車 北東へ徒歩 約0.5Km

 

 

 

 


 

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