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いけとの 戦で漁民 口封じ

 

藤戸のまち

 

 藤戸は、かつては海であったところ、江戸期以降の大規模な干拓工事で造成され、藤戸海峡と呼ばれた海が消え、海峡に浮かんでいた藤戸・天城の島々は山丘となり、そんな緑に囲まれた静かな町だ。

町中を南北に倉敷川が流れている。

元々この地は岡山城下から下津井などの「四国往来」の要衝として栄えたところで、昔から橋が架けられ、その周辺は川湊があり物資の集散地として大層な賑わいを見せていたと言う。

 

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 天領であった倉敷と、児島湾から瀬戸内海とを結ぶ物資の交流で、また明治に入り倉敷紡績が操業を始めると、原料となる原綿などを運ぶ運河としてこの川は利用されてきた。

しかし児島湾が締め切られ、児島湖になったことで運河としての機能は無くなってしまった。

 

 そんな川に架かる橋の中ほどに、武士の騎馬像が建っている。

その昔、藤戸の合戦で先陣の名声を挙げた源氏の武将・佐々木盛綱が、土地の漁師に教えられた浅瀬を騎馬で渡る様子を表したもので、橋は「盛綱橋」と呼ばれている。

この地にはそんな盛綱の、勇ましくも切なく哀しい物語が残されている。

 


 

源平藤戸合戦

 

 一の谷の合戦で源氏に敗れた平氏は、四国の屋島に逃れ、そこに本拠を構えた。大将の平資盛は備前の国の藤戸海峡の西岸粒江・種松山に陣を敷き源氏と対峙した。対する源範頼は兵数千騎を従え、海峡を挟んで藤戸・日間山で相対したのである。

しかし兵舟を持たない源氏は最も近いとされた僅かな海峡が越えられず、平氏から徴発されるも攻めあぐね苦戦を強いられていた。

そんなとき、盛綱が小袖や白鞘巻などの褒美と引き換えに、地元の漁師から騎馬でも渡れる浅瀬を聞き出すことに成功する。

 

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 ところが先陣の功名を焦る盛綱は、この事実が敵方に漏れるのを恐れ口封じのためこの漁師を殺害してしまう。

そして源氏の大将・範頼の制止を振切り、股肱の7騎を従えた盛綱は騎馬で教えられた浅瀬を渡り平氏を攻め立てた。

馬で渡れることを知った範頼は、全軍に進軍の命を出しここで激しい戦いが繰り広げられることになる。

結果破れた平氏は、舟で対岸の屋島に撤退を余儀なくされ、その後壇ノ浦で敗れ哀れ西海の藻屑となり滅亡した。

 


 

藤戸寺

 

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そんな哀しい伝説の地の、小高い丘の上に「藤戸寺」は建っている。

高野山真言宗のお寺で、その昔藤戸の海より浮かび出た千手観音を奉安し本尊としたのがこの寺の始まりだ。

天平年間の行基菩薩による創建だと言う。

 

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 平家滅亡後、先陣の功により佐々木盛綱はその恩賞として備前の国・児島の地頭職に就き、知行地を得た。

一族はこの児島に土着し権勢を奮うことに成り、結果備前地域がその後も東国武士との関わりが残るようになる。

 

盛綱は合戦で荒廃した藤戸寺の修復や、両軍の戦死者、自身が殺害した哀れな漁師たちの為に、供養の大法要を営むのである。

そして写経した経を、お寺の飛び境内であった対岸の島に埋めた。

この島は「経が島」と呼ばれ、頂上には漁師追福の宝篋印塔も建てられた。

 

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 藤戸の町には、盛綱が海に乗り出したとされる「乗出岩」、対岸に到着した場所「先陣庵」、漁師の死体が流れ着いたとされる「浮洲岩」などの言い伝えの場所が今も沢山ある。

また盛綱に殺された漁師の母は、嘆き悲しみ「佐々木憎けりゃ笹まで憎し」と、付近の山の笹を全部抜いてしまうと、以後その山には笹が生えなくなってしまったと言う笹無山伝説も残されている。

 

 

供養のまんじゅう

 

口封じとは言え漁師を殺し強い恨みをかってしまった盛綱ではあるが、その後漁師の無念を晴らし、成仏の供養のための大法要を営んだと伝えられている。

そんなことからか今では地元でも親しまれ、橋にその名を残し武勇を後世に伝えている。

 

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その橋の袂に、築100年以上と言う重厚な構えの店が建っている。

映画「ALWAYS三丁目の夕日」のロケにも使われたことが有ると言う「藤戸饅頭本舗」の建物だ。

その昔源平合戦が終わりその供養のおり、近くの民家から供えられた供養の饅頭を起源とする「藤戸饅頭」を売る店である。

甘酒と小麦粉を原料にした薄皮で、十勝産の小豆餡を包んだ小振りのまんじゅうだ。

無添加の素材大切にした素朴で飾らない味は、まさに天下一品「門前に美味いものあり」である。

 

 

■交通案内

 

 ■藤戸寺・藤戸饅頭本舗

   電車  JR宇野線 植松駅下車 北西に徒歩 約2.2Km

   バス  JR倉敷駅前より下電バス 天城線児島駅行で 藤戸寺下(約20分)下車すぐ

   車   瀬戸中央自動車道 水島IC下車 北東へ 県道21号など経由で 約3.6Km

 

 



 

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