誘われて

写真と文でつづる旅の思い出

 

 

風と雲に誘われてはれのくにおかやま遍路歩き旅東海道歩き旅海外の旅伝統こけしを訪ねる度バスの助手席

 

 

国内の旅行・春

 

国内の旅行・夏

 

 

 

国内の旅行・秋

 

国内の旅行・冬

 

 

 

 

 

春、花の香りに思い立ち

 

 

■ ■ 紀勢本線・熊野灘に沿って ■ ■

 

熊野灘に沿って

 

紀勢本線は三重県の亀山駅から和歌山県の和歌山市駅に至る、全長384.2Kmにも及ぶ長大な路線である。

途中の新宮駅がJR東海とJR西日本の会社境界に成る。

 

全線を通す特急の運行は無く、名古屋方面からは関西本線と伊勢鉄道をショートカットする

「特急・ワイドビュー南紀」が新宮を経由して紀伊勝浦まで行く。一方関西圏は京都や大阪から、「特急・くろしお」が電化区間の新宮や、途中の白浜まで運行していて、こちらの方が本数は格段に多く便利が良い。

当然のことながら、全線を通して運行する長距離の普通列車の便は一本も無く、沿線の多くは海沿いを走る、長閑なローカル線の風情を醸している。

 

この路線は紀伊半島の海岸に沿って半島をほぼ半周するので、車窓の所々で、雄大な太平洋の眺望が楽しめる。

熊野灘に面した典型的なリアス式海岸が続き、各地に良港も多く、漁業も盛んなだけに沿線各地ではマグロなどが豊富に水揚げされ、魚介類の美味しさが売りの観光地も多い。

また世界遺産「熊野古道」にも近くウオーキングの最寄り駅や、幾つかの温泉もあり、楽しみの尽きない路線でもある。

 

 

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 → 曲がりくねった街道の道筋には、木造瓦屋根の古い平入民家が幾つも残されていて 

 

 → 鳥居にも橋の欄干にも、床板にも式年遷宮を終えたばかりのまだ新しさが感じられ 

 

 → 漁業の町らしく、海に近づくと古い街並みが続き、そんな中に樹木が鬱蒼と茂った 

 

 → 船に拵えられた屋形に、渡海信者が入ると、外から釘で打ち付け出られないように 

 

 → 定番の刺身、丼、焼き物や、フライ、ステーキ、ハンバーグ、コロッケ、希少部位 

 

 → 折からの台風に煽られて、一艘の軍艦が岩礁に激突し座礁、機関部に浸水した艦は 

 

 → 多くのカップルや家族連れなどが、楽しそうにシティ駅で降りてしまうと、車内は 

 

 

 

 

■ ■ 川と渓谷美の山岳路線を行く ■ ■

 

奥飛騨の旅

 

高山本線は日本でも有数な山岳地帯を行く路線で、岐阜と富山を225.8キロで結んでいる。

 

出発の岐阜は織田信長ゆかりの地、濃尾平野の北端に位置する城下町である。

金華山が見下ろす街並みを抜けるとやがて飛騨山脈、所謂北アルプスの西側を、飛騨川や神通川に沿って走る。

途中には水峡、中山七里などの名所もあり、山と川と渓谷美に恵まれた見応えのある風景が車窓に展開する。

 

沿線には草津、有馬と並び「日本三名泉」の一つに数えられる下呂温泉や、奥飛騨温泉郷など、いで湯も豊富で多彩なお湯が楽しめる。

 

しっとりと落ち着いた雰囲気の町並が人気の「飛騨の小京都」と言われる高山、勇壮な「古川祭り・起し太鼓」で知られる飛騨古川、日本の原風景「合掌造り」の白川郷、更には哀調の音色を奏でる胡弓で有名な「おわら風の盆」の越中八尾など、観光処、見所も多い。

 

 

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 → 「これより飛騨路」 飛騨金山駅のホームの、改札脇にはこんな看板が掲げられて 

 

 → 薬師如来が傷ついた白鷺に姿を変え、川に浸かり傷を癒やし、源泉の所在を住民に 

 

 → 急峻な山々が迫る地で、僅かに開けた平地に田畑で有ろうか緑色に輝き、そんな中 

 

 → 高度が上がるにつれ、360度雪景色が広がり、正面には西穗高の山並みが、背後には 

 

 → 露天風呂のすぐ上には橋が架かっているので、湯船は橋の上からは丸見え、入るには 

 

 → 古い町並を抜け、宮川に架かる、赤い欄干の橋を渡ると、右手に名物を売る屋台が 

 

 → 飛騨の匠の伝統を生かした、彫り物や飾り物が至る所に施され、圧倒的な存在感を 

 

 

 

 

■ ■ 煌めきの北九州を巡る ■ ■

 

長崎・平戸 西九州

 

九州の玄関・門司港には、海峡を望む周辺地域に、貴重な建造物などが大切に残されていて、それらの歴史遺産は「門司港レトロ」として、また対岸の下関と合わせ「関門エリア」として、多くの観光客を集める人気のスポットとなっている。

 

湯量豊富な別府、女性の支持も高い湯布院や黒川、日本一の含鉄炭酸泉を誇る船小屋、歴史ある武雄や嬉野、夕陽の名所小浜など温泉地にも事欠かない。

 

自然豊かな雲仙、異国情緒溢れる長崎や平戸の教会や街並み、焼き物の故郷・有田、伊万里、唐津や大川内山、ハウステンボスや吉野ヶ里遺跡、有明海や玄界灘の景観・・・。

 

それらに育まれた豊富な海産物や野菜果物などなど、数え上げれば切りがない。

「北九州」には、豊富な観光資源が魅力的に煌めいて、観光客を待っている。

 

 

 

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 → 港は多くの出船入船で賑わい、町には洋風モダンな商社が立ち並び、繁華街には 

 

 → あれほど繁昌した商店街は、何時しか「犬や猫しか見ない」とも言われるほどに 

 

 → この狭く入り込んだ湾を、わずか二・三十トン程度の、小さな渡し船で渡るのだ 

 

 → 古くからの漁業や、山間部での林業が盛んで、江戸時代幕府の天領であった町は 

 

 → 船一艘がやっとと思う程の狭い堀や、幾つもの小さな角を巧みに曲がり、まるで 

 

 → 当時は生活用水、飲料水として使われ、水奉行を置いて厳重な管理が行われてい 

 

 → 山の狭間の切り通しの様な狭い通り、下り階段に石畳が敷かれ、両側の石垣には 

 

 → 当時の日本の磁器の中では、最も格調高く優れたものと言われ、将軍への献上や 

 

 → 周辺には、かつての炭鉱の「ぼた山」も残されているらしいが、車窓からはどれ 

 

 

 

 

■ ■ 懐かしい原風景のローカル線 ■ ■

 

原風景ローカル線の旅

 

静岡県内を走る私鉄の沿線駅には、山の懐深く入り込んで、秘境感溢れるところもある。

昭和の面影を残した駅舎やホームには、忘れかけた遠い昔の匂いがあり、懐かしい香りがする。

 

「天竜浜名湖鉄道」では、201012月、沿線11の駅舎や各地に残る橋梁・隧道・施設など、36ケ所が国の登録有形文化財に指定された。

 

江戸時代の東海道で、『越すに越されぬ・・・』と唄われた大井川に沿っ延びる「大井川鐵道」には、かつて全国で活躍した電車や機関車、SLが、今なお現役で頑張っていて、さながら「動く鉄道博物館」のようだ。

 

「南アルプスあぷとライン」と呼ばれる千頭から井川に至る急こう配の路線には、可愛らしい赤い色のトロッコ列車が運行し、風光明媚な沿線風景と共に人気を呼んでいる。

 

 

 

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 → 春はサクラや菜の花が、夏はむせ返るような若葉が、秋には彼岸花が咲く沿線に 

 

 → 物珍しさなのか、時には窓から顔を出し、風を受けて、煙りの匂いを感じながら 

 

 → 二人掛とは言え座席幅は随分と狭く、大人が座ると肩が触れ合うほどで、通路に 

 

 → 悲しい伝説の残る、山間の人家とて無い秘境の駅、ホームで観光客を迎えるのは 

 

 → 「男神」と「女神」の間を、8つの橋を越えて結ぶ事から、恋愛成就を祈願する 

 

 

 

 

■ ■ 花の寺から信玄公隠しの湯へ ■ ■

 

花の寺と信玄公隠しの湯

 

JR身延線は、日本列島を二分する大地の割れ目フォッサマグナに沿って延びている。

そんな地を行く路線は、その厳しい地形ゆえに複雑で変化に富んだ美しい景観を車窓に提供してくれる。

 

旅の初めは日本一の富士山が、右に左に、そして後ろにと雄大な裾野を広げて展開する。

その後は日本三大急流の一つ、富士川の流れが近づき美しい景観が心を洗い、車窓を慰めてくれる。

 

身延は日蓮宗総本山・身延山久遠寺の門前駅で、特にさくらの季節には参拝と桜を愛でる人々、それをカメラにおさめようとする人などでたいそう賑わうと言う。

 

「信玄公隠しの湯」として名高い下部温泉は、秘湯感あふれる湯で、下部川に沿って2キロ程のところに開けている。

 

 山梨県屈指の温泉郷、石和温泉。温泉街では、折しも「さくら祭り」が開催中、中でも最大の呼び物は・・。

 

 

 

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 → 日本列島を分断する中央構造線、所謂フォッサマグナ断層に沿って、甲府盆地の 

 

 → 境内には数え切れない程のしだれ桜、今まさに満開で、絢爛豪華に咲き誇る姿を 

 

 → 岩の間から自噴する浴槽で、広さ畳15畳分、深さ2mの混浴大岩風呂は、温度が 

 

 → 揃いに法被に捻り鉢巻きも凜々しく、中には片肌脱いだ綺麗どころが旅館の前で 

 

 

 

夏、ひと時の涼を求めて

 

 

■ ■ 川と山と温泉と鉄道と ■ ■

 

関西線沿線の旅

 

関西本線は名古屋と大阪を結ぶ174.9キロの路線である。

亀山が境界駅で、名古屋までをJR東海が、難波までをJR西日本が管轄している。

 

東海の路線は、桑名や四日市等と中京圏を結ぶ輸送手段として、ほぼ併走する近鉄名古屋線との競争が激しく、この間には快速が投入されている。

西日本の加茂や奈良からは、大阪環状線に向け大和路快速が本数も多く便利に運行されている。

しかし亀山と加茂の61キロの間は、凡そ1時間に一本のワンマン気動車が走るローカル線として取り残されている。

 

かつて関西本線は、東海道本線と互角に渡り合うほどの幹線として競い合った歴史が有る。

しかし現在では特急などの優等列車どころか、全区間を通しで運行する列車は皆無だ。

四日市、亀山、加茂、木津等での乗り換えを余儀なくされ、乗り継げばその接続時間を合わせると4時間余りを要する

 

しかし車窓を流れる景色は変化に富んでいる。

大阪や名古屋圏では大都会の喧騒を見られるが、そこを離れれば長閑な山間の地となる。

鈴鹿山脈をはじめとする山並みを眺め、柘植川や木津川に沿った沿線には、名所・旧跡・温泉など見どころ遊び処には事欠かない。

 

 

 

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→ この地には、激しく壮絶に繰返し続けられてきた、水との戦いの悲しくも力強い 

 

→ 子供から大人まで楽しめる園は、国内第二位の広さを誇り、数々の絶景マシンの 

 

→ 三滝川の渓流と緑に覆われた園の一画に、日本一大きいと言われる御影石が鎮座 

 

→ 通りの醤油の焦げる香ばしい良い匂いに誘われて店を訪ねると、高校生の孫娘が 

 

→ この峠越えは、昔から東海道を歩く旅人にも、鉄道が開通した後の機関車にも 

 

→ この車内には、いろいろの工夫が凝らされていて、手裏剣柄のカーテンや吊り手 

 

→ 駅舎は瓦葺屋根の、平屋建て民家を思わす構造で、内部に掲げられた駅名標識は 

 

 

 

 

■ ■ 上州に名湯・秘湯あり、ここは温泉天国 ■ ■

 

温泉天国・上州の旅

 

上州(群馬県)は、温泉天国だ。

全国的にその名を知られた草津や伊香保を始め、国民保養地に指定された四万や片品も有る。されに鹿沢、宝川、老神、法師、猿ヶ京など名湯・秘湯と呼ばれる温泉には事欠かない。

 

上越国境に近い三国峠の下には、今から1200年も前に弘法大師が発見したと伝わる「法師の湯」が有る。

国境まで残り一里ほどの標高800m余りの山の中で、周りには山と川の他民家すらない一軒宿である。

この秘湯を有名にしたのは、今から30年以上も前に発表された旧国鉄のフルムーンポスターで、宿には今でもそのポスターが貼られている。

 

大ヒットしたアニメ映画、「千と千尋の神隠し」のモデルとされる宿が有る。江戸は元禄の時代に開業した湯治宿は、300年の歴史を誇る、現存する日本では最古の湯宿でもある。

当時はその一階で家族が生活し、二階を湯治客が使っていたと言う。

そのため、客が外から直接二階に上がれるような階段が今でもそのまま残されている。

風呂の原型、「蒸湯」の現存する浴室は、大正ロマンの感じられるモダンの造りだ。

 

 

 

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→ 陽もすっかりと落ち、川面を渡る風も涼しくなる頃、天空に暗闇が広がり始めた 

 

→ 高度が上がり、周りの山々の素晴らしい眺望が開け、眼下の深い谷には時々糸を 

 

→ 総檜で造られた混浴の浴槽は、「田」の字型に四つに区分けされ、浴槽の中央には 

 

→ 赤い橋を渡った先の、古風な佇まいを見せる建物は、映画「千と千尋の神隠し」の 

 

→ 石段整備から始まった屋敷の区画整理は、我が国での都市計画の第一号と言われる 

 

→ 街を流れる川の岸辺の柳並木に、そぼ降る雨なら風情もあるが、この土砂降りで 

 

 

 

 

■ ■ 初夏の東北海道・鉄道乗り潰しの旅 ■ ■

 

初夏の東北海道の旅

 

全長53.85Km、海底部分23.3Kmは、海底トンネルとして世界一の長さを誇っている。継ぎ目のないスーパーロングレールの長さは52.57Kmで、これも世界一だ。

使われた鋼材が東京タワーの57基分、セメントの量はその袋を積み重ねると富士山の850倍、火薬に至っては2000発上がる花火大会なら数百年分に相当、従事した作業員は1400万人にも達すると言うから驚かされる。

 

青函トンネルは構想から半世紀、着工から24年もの歳月を費やして、昭和63313日に営業が開始された。

そんなトンネルを、今度は新幹線が駆け抜けようとしている。

 

北海道の玄関駅となる「木古内」は、歓迎ムード一色で、町を挙げて売り出しに躍起だ。

次の駅は、函館本線の渡島大野に出来る。当面の終着駅で、その名は紆余曲折を得て、「新函館北斗」駅に決定した。

函館からは20キロも離れた地である。そのせいか、この地では何故か冷めた空気も感じられる。

 

札幌までの早期の営業運転開始が望まれる一方、新幹線の開業は新たな廃線や廃駅、第三セクターへの移管を余儀なくされる路線も生み出し、沿線各地では、悲喜こもごもの様子も見せている。

 

 

 

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 → 「鉄まち」と言うだけあって町中には、鉄道に関するスポットも多く、駅には 

 

 → この地名も、「岬が海に突き出たところ」と言う意味があるらしく、二階建ての 

 

 → 早朝にも拘わらず沢山の観光客でごった返し、客を呼び込む店主の声に、品定め 

 

 → 手焼きした煎餅に、すこし硬くした水飴を挟み込み、割れやすいように切れ目を 

 

 → 内陸を堀上げたものでは無く、海岸を埋め立てて造成したために、緩やかに湾曲 

 

 → 稚内から戻り、この駅に再び降り立って、寝場所を探しながら市内を随分と歩き 

 

 → アイヌ語で「かもめの多いところ」は、毛も増えると、霊験が新たかな噂の高い 

 

 → 広大な花畑や緑豊かな牧場、チーズ工房やワイン工場、資料館や美術館、更には 

 

 → 町の歴史は、石炭の歩みそのもので、賑わいは石炭産業の繁栄によりもたらされ 

 

 → 過去には、マイナス35.8度を記録したこともある厳寒の地で、林業と酪農が盛ん 

 

 

 

 

■ ■ 奥津軽から下北を巡る旅 ■ ■

 

奥津軽の旅

 

青森は、本州北端、雪深い県である。

その北東部、北海道と対峙する津軽海峡に鉞のような形をして突き出ているのが下北半島だ。

 

その昔は陸の孤島と揶揄されたここは、かつて会津斗南藩の悲劇の地と言われたが、今では国道や縦貫道、フエリーなど交通網の整備も開発も進んでいる。

半島全体が国定公園に指定され、マグロで有名な大間崎、イタコで知られる恐山など景勝地や温泉も多い。

 

そんな半島の東、陸奥湾を隔てるのが津軽半島である。

この地を旅した太宰治は、厳しい難路の先の強風が吹きすさぶ竜飛岬を「本州の袋小路」と言った。

 

今そんな地は、青函トンネル開通に次ぐ変革の時を迎えようとしている。新幹線が北海道に向けトンネルを駆け抜け、その玄関口となる町には新駅もでき再びスポットライトが当てられている。

 

 

 

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→ その先は歩くより仕方なく、岩山をよじ登ったり、海中の洞穴をくぐり抜けと言う 

 

→ 左に折れると上り勾配はきつくなり、やがて民家が尽き、坂は階段に変わり、上に 

 

→ 夜の帳に包まれると明かりもなく、黒い塊となって佇むこの台地の下には、長大な 

 

→ その昔は「陸の孤島」という、有り難くないニックネームを付けられた地域らしい 

 

→ 見も知らぬ新天地に活路を求め、移住はしたものの、ここは風雪厳しい火山灰地の 

 

 

 

 

■ ■ 佐渡・弥彦国定公園を巡る旅 ■ ■

 

越後・佐渡島の旅

 

佐渡・弥彦は、1950年に国内で最初に指定された国定公園である。(その後81年には米山が含められた。)

 

佐渡島は日本海上に浮かぶ日本最大の島で、その大きさは東京23区の凡そ1.5倍の広さを誇っている。

外海府や、尖閣湾の荒々しい海岸線に代表される観光の島だ。

 

かつては放送時間ともなると、女風呂を空にしたという伝説のラジオドラマ「君の名は」の舞台としても知られたところだ。

 

その昔は金山で栄えたことが知られていて、島での採掘を支えたのは多くの流人であった。過酷な鉱山の歴史は島の歴史そのものである。

 

対岸の新潟県の弥彦は、弥彦山を中心とする古くから知られた信仰の地で、山上には越後の国の一宮・弥彦神社が鎮座している。

山麓は古くから参拝客を泊める温泉のある門前町・宿場として栄えたところだ。

 

 

 

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→ 10分程で川の両岸は遠ざかり、日本海に向けて大きく広がる中央部を外洋に向け 

 

→ 有名な「忘却とは忘れ去ること成り、忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」は 

 

→ 金穿大工達が、タガネを上田箸で挟み、鎚で打ち、採掘していた坑内は、すこし 

 

→ 松明が灯され、提灯や田楽灯篭に灯が入ると、祭りムードはいやが上にも盛り上が 

 

 

 

 

■ ■ 憧れのローカル線・五能線から花輪線へ ■ ■

 

五能線沿線の旅

 

JR五能線は紺碧に輝く日本海に限りなく近い海岸線をなぞるように走る。

沿線には世界遺産・白神山地が控えており、神秘に佇む青池や、手付かずの自然が残るブナ林、日本キャニオンや十二湖の景観など、絶景・美観の数々が訪れる者を魅了する。

 

またかつて北前船で繁栄した風情を残す港町や、海辺の秘湯・不老不死温泉などの温泉、泊まって遊べるリゾート施設・ウェスパ椿山・・・などなど観光やレジャースポットにも事欠かない。

 

重ねて車窓に彩りを添えるのは津軽の名峰・岩木山で、どこまで行ってもついてくる。

そのすそ野に広がるのは名産のリンゴ畑で、車窓からもたわわに実る赤いリンゴが眺められ、訪れる人々を楽しませてくれる。

 

この路線には、“クルージングトレイン”と銘打った観光列車「リゾートしらかみ」が投入され、車内では三味線ライブなども行われたりする。

まさに憧れのローカル線と言っても過言ではない。

 

 

 

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→ その昔この地方では、先祖の霊が迷わぬようにと、家々の門前に灯火を高く掲げ 

 

→ なんと言っても、限りなく海に近いところを走り、奇岩怪石の海岸線を心ゆくまで 

 

→ 静かな湖面は正に青インクを垂らしたようなコバルトブルーが美しく、自然林から 

 

→ 浴槽にどっぷり首まで浸かって海を見ると、目線の先に碧い海が広がり、岩に砕け 

 

→ 刻一刻と青みが深まり、空に浮かぶちぎれ雲も海岸も、鳥達も茜色に染まりながら 

 

→ 日本の歌舞伎や中国の三国志など、歴史上の人物やそれに因む動物などを、原色で 

 

→ 「ハイ、ジャンジャン」と、赤い前掛けをしたお姉さんの、軽快なかけ声とともに 

 

 

 

 

■ ■ 奥日光・戦場ヶ原を歩く ■ ■

 

奥日光の旅

 

 世界遺産「日光」の周辺には、華厳の滝や中禅寺湖など有名な地も数多く、バスやマイカーで訪れる観光客や、歩いて巡ろうというハイカーなど多くの人々を引き付けている。

 

その名前は、昔中禅寺湖を巡る領地争いで、アカギの神(赤城山)は大ムカデに、ニッコウの神(男体山)は大蛇に化けてここで戦ったとの言い伝えに由来する。

その勝負は弓の名手を味方につけた、ニッコウの神(男体山)が勝ったとされている。

そんな地にある「赤沼」は、大ムカデの血がたまった沼だ。

 

「菖蒲が浜」は、和戦会議で勝負を決めた場所と言われるように、この近辺には戦いの伝説に因む地名が数多く残されていて、その歴史を辿るのも興味深い。

 

古くからの言い伝えは血なまぐさい話ばかりだが、それとは裏腹に、ここは動物たちの天国、自然の宝庫、訪れるハイカーにとっても別天地である。

 

男体山のふもと、標高1400m辺りに広がるこの湿地帯を含む平坦地は、「奥日光・戦場ヶ原」と呼ばれている。

 

 

 

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 → 梁の下には多彩に色づけされた、ユーモラスな姿を見せる様々な彫刻が施されて 

 

 → 湯葉料理などの名物料理や、土産屋さんが軒を連なる店先には、一様に犬が繫がれ 

 

 → 途中の巨岩に妨げられ、二つに分かれた姿を正面から見ると、龍の頭に見えると 

 

 

 

秋、心を茜に染めに行く

 

 

■ ■ 世界遺産と鉄道遺産、そして温泉と  ■ ■

 

温泉と世界遺産 上州路

 

 世界遺産、無形文化遺産、世界記憶遺産の三つがユネスコの三大遺産事業である。

その内上州・群馬県には、世界遺産として「富岡製糸場と絹産業遺跡群」(2014年登録)と、世界記憶遺産として「上野三碑」(2017年登録)の二つがある。

ここでは、上信電鉄・上信線の電車に乗って、富岡製糸場を訪ねて見る。

 

 最大の難所と言われた碓氷峠の旧信越本線の廃線跡は、貴重な鉄道遺産として残るトンネルや橋梁などを巡る「アプトの道」として整備され、ハイカーなどの人気を集めている。

 

現信越本線の終着駅の近くには、横川駅の保線区であった施設を転用した「碓氷峠鉄道文化むら」も有り、子供達の歓声が終日絶え間なく聞こえている。

 

 又この地には、宿泊施設のある温泉地が百カ所以上も有り、その源泉数は何と455カ所を数えるという温泉天国でもある。

草津、万座、四方、川原湯、水上、猿ヶ京、老神、法師、磯部、霧積、伊香保などの有名処が犇めいている。

 

 

 

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→ 有力大名が支配する幕府の北の要として、また城下町として、陸運や舟運の要衝 

 

→ 東京と新潟を結ぶ幹線路として、期待を担った本線に、大きな難題が横たわって 

 

→ ホーム跡や、赤茶け錆びた上下2本の線路、架線や煤で黒く汚れた変電所の白い 

 

→ 機関室に白い蒸気が立込め、辺りが見えないなか、機関士は手探りで探し当てた 

 

→ 全国で募集するも中々集まらない。難航する理由は、「技師に生き血を吸い・・」 

 

→ この駅まで来られるお客様は「殆どいません、たまに見かけるのは鉄道好き・・」 

 

 

 

 

 

■ ■ 春を待つ 上高地  ■ ■

 

上高地

 

 中部山岳国立公園の一角を占める「上高地」は、国の特別名勝特別天然記念物にも指定された観光地だ。

 元来上高地は神が降臨した「神降地」と言われ、その神が祭られたところを意味する「神垣内」でもあり、明神地区は最後までこう呼ばれていた。穂高岳も元々は「立て穂の山」と呼ばれるなど、上高地は神聖な場所であったそうだ。

 

上高地は標高が、1,500m余りに位置する平地に開けた景勝地で、その観光の中心は、「河童橋」や「大正池」などである。

大正4年の焼岳の大噴火の際、火山泥流が梓川をせき止めたことで出来たのが大正池だ。その焼岳は、標高2,455mの活火山で粘性の強い溶岩によって盛り上げられた溶岩ドームからなる鐘状火山だ。朽ち木立つ、浪もない鏡のような湖面に、焼岳の姿そのままが映る様は神秘的である。

 

 河童橋は、明治の後半に架け替えられたようだが、何故このような名前が付けられたのか、今は謎だという。

周辺には大型の宿泊施設が幾つも立地し、それらは土産物店やレストラン、カフェを併設している。ケーキや洋菓子、ジェラート等は、ホテルのシェフが手掛けているところも多く、それぞれが定番の人気商品を持っていて、それが人を呼ぶ一因にもなっているらしく、最盛期には繁華街並みの人出でごった返すと言う。

 

 

 

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→ 古い観光写真では、池に枯木が立つ光景でお馴染みであるが、今ではその殆どが 

 

→ 人の接近を仲間に伝えでもしたのか、数十メートルほど先の木立には、何匹かの 

 

 

 

 

■ ■ 日本一 路線バスの旅  ■ ■

 

日本一路線バスの旅

 

奈良県の大和八木駅前から、和歌山県にあるJR紀勢本線の新宮駅前まで、その全長166.9Kmを、高速道路を使わないで走行する路線バスがある。

この間の停留所は何と167を数え、所要時間はおよそ6時間半も要し、これは走行距離、停留所の数、所要時間のどれをとっても日本一と言われている。

それが日本一の路線バスと言われる、奈良交通の運行する「八木新宮線」である。

 

バスは途中日本一大きな村、広さ672平方キロと言われる広大な地のほとんどが厳しい山間地の十津川村を駆け抜ける。

紀伊半島のど真ん中、奈良県の最南端に位置する十津川村は、人口3300人余り、人口密度で言えば一平方キロメートル当たり五人余りである。

日本一と言われる面積は、東京23区よりも広く、琵琶湖をも僅かに上回っている。

 

殆どが急峻な山地で平地が少なく農耕作業に適さない厳しい地勢で、村の真ん中を十津川が南に向けて流れている。

そのため主な産業は林業と川魚などの加工だと言う。

またこの地には、水害と闘う凄惨な歴史も秘められている。

 

 

 

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→ 車窓左手には丹生川が蛇行し、その流れに沿うように国道は幾つもカーブを重ね 

 

→ 時折、横から吹付ける強風に橋を揺らされ、身体をネット際に押され肝を冷やす 

 

→ ここは二津野ダム湖のほとりに開けた温泉地で、江戸は元禄年間に炭焼き人夫が 

 

→ 深い緑に包まれた静謐な空間は、千年の昔から祈りを捧げる人々の心を静に受け 

 

→ 以前は川原の野天で、後から周りを板戸で囲った広さ4畳半くらいの空間の壁の 

 

→ 庶民は歩き、貴人だけが舟運の恩恵に預かったが、小さな手こぎの舟では難儀も 

 

 

 

 

■ ■ 高千穂は神話の里・神楽の里  ■ ■

 

神話の郷・高千穂の旅

 

紀元節を祝っていた時代、天孫降臨の地は宮崎県の南部に聳える「高千穂の峰」と教えられていた。

しかし戦後になって比較的自由にものが言えるようになると、実は本当の「高千穂」は別にあると言う説が俄に囁かれるようになる。

 

もう一つの「高千穂」。

それが九州のほぼ中央、同県の北部に位置し、大分県と県境を接する高千穂町である。

 

かつてこの郷には500余りの神社が有り、あまたの神々がおわし、昔から神々の里と言われてきた。

町内にはアマテラスオオミカミが籠ったとされる天の岩戸をはじめ、多くの伝説の地が残されている。

 

数々の神社には神々にまつわる多くの神話も継承されていて、それらは「神楽」として700年余を経た今日まで、この地に代々連綿と受け継がれ残されてきた。

 

 そんな神楽は今、高千穂神社で観光客向けに公開されていて、神秘な舞を目の前で堪能することができる。

 

 

 

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→ 風を受け、濃い緑を感じ、小鳥たちの囀りを聞きながら、通りをゆっくりと歩く 

 

→ 何度も繰り返した噴火の噴出物が九州のほぼ半分を覆い、火砕流台地を形成した 

 

→ 小石を二つ三つ積み上げただけの簡素なものから、大きな岩の上に段々と小さな 

 

→ 舞台横に控えた大太鼓がドンと力強く打たれ、それを合図に笛や小太鼓の演奏が 

 

→ 高くなるほど急勾配になるあの優美な姿を誇る石垣は、直方体に切り出した石の 

 

 

 

 

■ ■ 鉄道を乗継ぎ 錦秋の奥会津を行く ■ ■

 

奥会津の旅

 

東京の新宿や浅草方面から、特急等が乗り入れる東武鉄道の鬼怒川線は、鬼怒川温泉駅の先の新藤原駅で野岩鉄道と接続している。

 

その野岩鉄道線は終点の会津高原尾瀬口駅で、その先会津若松まで延びる会津鉄道線とも繋がっていて、この間で列車は相互の乗り入れが行われているので、都心からは一本のレールで奥会津を訪れることが可能だ。

 

沿線には鬼怒川や川治、湯西川、芦ノ牧、湯の上などの温泉が点在し、ネコ駅長が人気の芦ノ牧温泉駅、郷愁を誘う湯野上温泉駅や、街道筋に茅葺屋根が建ち並ぶ大内宿、紅葉の名所として人気の塔のへつりなど観光名所にも事欠かない。

 

さらに会津若松まで足を延ばせば、会津のシンボル鶴ヶ城や、戊辰戦争の哀れを誘う白虎隊ゆかりの飯盛山、奥座敷と言われる東山温泉、会津磐梯山の眺望、青春時代を当地で過ごした野口英世の関連施設などなど、多彩な見どころが訪れる人々を魅了する。

 

 

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→ 吊り下げられた大提灯をバックに、写真を撮る人々でごった返していて、何本も 

 

→ 車窓は山また山で、丁度見頃を迎え、黄金色に染め上がった山並みだけがどこまで 

 

→ 危険を覚悟の帰城か、敵陣突入で玉砕かの激論を交わし、結果、帰るところが無い 

 

→ 「昼が終わるとスープは捨てる。これから三代目が2時間かけて夕方の仕込み・・」 

 

→ 「よってがさんしょ」、街道を歩いていると物売りのお姉さん、おばあちゃんの声が 

 

→ 誰もが一様に一度は立ち止まり、意を決すると、大きく一歩を踏み出し渡り始める 

 

→ 一族の女性が出産し、喜びで端午の節句に鯉のぼりを揚げたところ、それが目印と 

 

→ 「何とワイルドな」、がいきなりの印象で、雅な雰囲気の昨日見たものとは真逆な 

 

 

 

 

■ ■ 新幹線ブームに沸く南九州を行く ■ ■

 

南九州の旅

 

2011年3月12日、東日本大震災の翌日にひっそりと開業したのが九州新幹線・鹿児島ルートである。

その距離およそ600キロ、北部の博多と南部の鹿児島中央を結ぶ九州縦断の大動脈である。

 

新八代と鹿児島中央が、2004年3月に先行開業して以来待ちに待って7年、これで全線がようやく繋がった。

 

同時に山陽新幹線との直通運転も行われるようになり、、最速3時間45分の“みずほ”の運行も始まった。

 

開業1周年を迎えた2012年春のダイヤ改正では、新大阪との直通運転を15往復から23往復に増便し、更なる需要の掘り起こしを狙っている。

 

全線が開通し、山陽新幹線との直通運転も本格化し、関西・中国方面からの観光客の入込みも増えているようだ。

新たな幹線の運行は、南九州を中心にその恩恵を十分にもたらしている。

 

 

 

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→ 「一人で乗るのは侘しいけど・・・」と言うと。「大勢いらっしゃいますよ」と 

 

→ 駅前を行く人が、雨も降っていないのに傘を差して歩いている。日差しがキツい 

 

→ 一様に掲げられたパネルの文字を追いながら、口元にハンカチを当て、指先で目を 

 

→ 足を投げ出し横になる。すかさず持参したタオルで頭を覆われ、最初は身体の脇を 

 

→ 列車がホームに停まりドアが開くと、突然上からシューッと煙が降りかかってくる 

 

→ ここは縁起の良い駅名とされ、記念入場券は受験生や高校球児に人気があるという 

 

→ バックで発車した列車は、少し走った後一旦転向線で停車、今度は前進で直ぐ上の 

 

→ 見上げるような石垣の下に通じる、古びた石段を上がると、そこは小高い丘の上の 

 

→ カルデラを取巻く外輪山との僅かな隙間、そこは有明海に向かい流れる川によって 

 

 

 

 

■ ■ 超スロー、三江線・木次線を行く ■ ■

 

超スロー 三江線の旅

 

瀬戸内海に臨む山陽は、まず雪は降ることもなく、少雨で気候も温暖で過ごしやすい。

一方日本海に面した山陰は、雪や雨の日も多く、日照が少なく曇りがちで厳しい気候の地だ。

 

瀬戸内側には山陽新幹線・山陽本線が東西を貫いている。

一方日本海側は山陰本線が有るものの、名ばかり本線で、本数も少なく今ではローカル線に成り下がっている。

 

そんな山陽・山陰を連絡するJRの各線は、山陽近郊では都市間輸送を担うが、厳しい中国山地を超える中間部から山陰に至る間は山岳路線となり様相は厳しく一変する。

加えて山間の僻地で乗客は伸びずじり貧で、廃線の危機も迫っている。

 

複雑な地勢や川に沿って蛇行し、厳しい勾配に喘ぎ、幾つもトンネルを抜け、ゆっくりゆっくりと進む。

しかし、そんな地だからこそ車窓から見る眺めは素晴らしく、山や川、田や畑、僅かばかりの集落など、どれをとっても懐かしい日本の原風景を見るようだ。

 

 

 

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 → 「この辺りで1時間ほど時間を潰したいのだが・・」、「何もない」と素っ気ない 

 

 → 階段にも柱にもキャラクターが描かれ、妖気溢れる霊番線から発車する妖怪列車は 

 

 → ガラッパ、田の神、口裂け女、すねこすり・、勿論、ゲゲゲの鬼太郎、ネズミ男も 

 

 → 潜ると境内で、真っ直ぐに参道が延びているが、これは珍しい下り道になっている 

 

 

 

冬、厳寒に身を置いて

 

 

■ ■ フォッサマグナを行く JR大糸線  ■ ■

 

大糸線

 

 JR大糸線は、松本と糸魚川結ぶ路線で有る。

前半は、松本盆地を北上し「安曇野」と呼ばれる、日本の原風景とも言える地を長閑に駆け抜ける。

車窓には、北アルプスを構成する山々の、素晴らしい景観が展開する。

 

 途中の信濃大町を過ぎると、風景は厳しい山岳の様相に転換する。

山肌が間近に迫り、切り立った厳しい崖の下を、曲がりくねって流れ下る、ゴツゴツとした岩だらけの荒んだ川がみえてくる。

 

 普段その流れは穏やかで、優しい顔を見せているが、一度大雨でも降ろう物なら、大変な暴れ川に変貌する。

この地は、太古より地殻変動の影響を受け続けた豪雪地帯にあり、ほぼ日本を二分する中央地構帯上の厳しい地勢に位置している。

 

 沿線は、これまでに大きな災害に見舞われてきた。

車窓から目にする構造物の多くは、これまでに幾度となく繰り返されてきた、災害と復興を目指す人々との、壮絶な戦いの歴史を静かに物語っているようだ。

 

 

 

 

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→ 修行の場を山岳に求め、待望の槍ヶ岳に初登頂し、山頂に仏像を安置することに 

 

→ 雲は纏わり付くようにその山頂を隠し、風の流れ表情を変えるので、幾ら見て 

 

→ 白飯の上に鰹節、刻み海苔、白胡麻、ほろっこ漬けを乗せ、醤油を入れかき混ぜ 

 

→ 乾燥すると軽くなり、湿気を吸うと重くなり、トラブルも多く、蔵入りの前には 

 

→ 豪雪地帯らしく、駅にはラッセル車が配置され、ホームにも雪搔き用のスコップ 

 

→ 流石に冬場は温すぎて入れず、大浴場で充分に温もった後、この若干滑りのある 

 

→ 発電や防水の為のダムが幾重にも築かれ、長い雪よけのシェードを目にすること 

 

 

 

 

 

■ ■ JR飯田線 195.7q 鈍行列車の旅 ■ ■

 

飯田線

 

 飯田線は、愛知県豊橋市の豊橋駅と、長野県辰野町の辰野駅を195.7qで結ぶJR東海の路線である。

 

 その始まりは、明治301897)年に豊橋〜豊川間で開通した、豊川鉄道である。

その後開通した、鳳来寺鉄道(大海〜三河川合)、三信鉄道(天竜峡〜門島)、伊那電気鉄道(辰野〜伊那松島)の私鉄4社を国が買収し、統合整備の上、国有化して開通させたのが今日の路線である。

 

 元々地域の集落を結ぶ足として開通した鉄道だけに、同線には途中に92もの駅があり、単純に平均駅間距離を求めると2q余りとなる。

これは都会の市街地を走る鉄道並みで、人口集積の乏しい山間地域の足としては大変に珍しい存在だ。

 

沿線は愛知県側では豊川、静岡県から長野県にかけては天竜川の蛇行に沿うように進む。加えて木曽山脈と南アルプスに挟まれた地を行くので、車窓からは、山と川の織りなす秘境の趣が存分に楽しめる。

 

 同線の起点から終点の間を乗り換え無し、所要6.5時間をかけて通し運行する鈍行列車も設定されていて、鉄道ファンには根強く支持されている。

 

 

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→ 定番から、工夫を凝らし毎年新作も出ると言う個性豊かな変わり種まで、様々な 

 

→ 村では提灯行列を行った。そんな恋愛成就にあやかろうと、その頃は駅を訪れる 

 

→ 遙か先の抉られた段丘崖の底を流れているらしく、車窓から直接川の流れを目に 

 

→ 速度を落とし、鉄輪を軋ませ、右に左に細かく進路を変える急カーブ、急勾配の 

 

→ 平均速度で言えば、30qほどにしか成らない。しかしこんな長時間の運行なのに 

 

 

 

 

■ ■ 世界文化遺産の平泉から雪の蔵王温泉へ ■ ■

 

世界遺産・平泉の旅

 

平らな地に、豊かな泉が湧き出でるところ。

北上山脈と北上川を擁するこの地では、豊かな生活用水にも恵まれ、盛時にはその数五万とも、十万ともいわれる人々が住みついていたと言う。

また当時は国内でもここだけと言う1,000カ所にも及ぶ金山があり、近在の川では砂金や砂鉄を豊富に産したと言う。

 

黄金郷と例えられるほどの金の恵みを背景に、この地を支配する奥州藤原氏の財力は莫大で、その庇護を受けた寺院群は大いに栄えた。

平安時代も末期、清衡・基衡・秀衡三代に渡り築き上げてきた、中尊寺、毛越寺、観自在王院、無量光院の寺院群や、仏教の浄土思想の考えに基づいて造られたという浄土庭園は、中央政庁の権力の及ばない地に有って、政治・経済の中心であり、繁栄と潤沢な富の証でもあった。

 

しかしこんな栄耀栄華は長く続くこともなく、世を知らぬ藤原四代・泰衡の時代に、儚く灰塵に消えてしまい、急速にしかも劇的に没落・終息したことで、虚しさや儚さの象徴とも揶揄されることになる。

 

その後幾星霜数多の変遷を経て、残された寺院群や浄土庭園跡と、それらと深くかかわる金鶏山などが、平成23年「世界文化遺産」に登録された。それが奥州藤原氏三代・百年の夢の跡「平泉」である。

 

 

 

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→ 長年辛苦を共にした郎党たちに最期の別れを告げ、持仏堂に走り込み、火を放ち 

 

→ 黄金の小箱と形容された美しい小堂は、ため息が出るような煌びやかな美しさ 

 

→ 平安時代も末期、仏教の浄土思想の考えに基づいて、築き上げた寺院群や庭園は 

 

→ 蒸し上がりは非常に柔らかく、添加物は一切加えていないから時間の経過と共に 

 

→ こぶはやがて成長し巨大な雪の塊となり、群生し、隣り合った樹木と触れ合い 

 

 

 

 

2011311日午後246分頃、宮城県・牡鹿半島沖を震源とするマグニチュード9.0と言う未曽有の巨大地震が起き、

それに伴い発生した10メートルを超す巨大津波に襲われた太平洋沿岸の各地は、壊滅的な大被害を受けました。

巨大な津波は、あの景色も、あの笑顔も何もかも、一瞬の内に持ち去ってしまいました。

 

この旅行記はその前年と前々年、関東近郊から、仙台、石巻、釜石、宮古を経て八戸までの東北各地を、鉄道を乗り継いで

旅をした時のもので、元気だった当時の姿を今に伝え、復興への礎に成らん事を願う思いで発表をするものです。

微力ながらそんなお手伝いが出来ればと念じつつ、残念にも犠牲に成られた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げる次第です。

 

 

■ ■ 大利根に、江戸の面影を訪ねて ■ ■

 

大利根に江戸の面影を訪ねる旅

 

「坂東太郎」の異名を持つ利根川は、日本を代表する大河で、古くから暴れ川として流域地帯に幾度となく洪水の被害をもたらして来た。

 

しかしその洪水は、下流域では広大な低湿地と湖沼群を形成し、肥沃な土壌をもたらし農産物の生産に恩恵をもたらしてもいた。

 

その一方でそうした地勢を生かそうと、湖沼群を結ぶ水運の整備や、新田開発の機運を高めることとなり、その結果農地を増やし豊饒な実りが人々の生活の基盤を支えることとなった。

 

これにより江戸や東北などの物資が盛んに運ばれ、相互による交流が始まると、川岸には船問屋や船宿が並び、商人や船人足が集まるように成る。

 

こうして水運を中心とした町の形態が整うと、今度は物資を陸路運ぶ人足も集まり、それを目当てにした商店や小料理屋も増え、次第に機能の整った商業都市として栄えていった。

 

 

 

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 → お湯は、ヨウ素や臭素を含んだチョコレート色の食塩泉で、少し滑り気のある 

 

 → 隠居後、50歳を過ぎ江戸に出て天文学を学び、その集大成として55に成って 

 

 → 「今は何も咲いてはいませんよ・・」、怪訝な顔をしながら駅前から続く道を 

 

 → 母屋である隠居所は、華美な装飾は一切省かれており、とても元藩主のとは 

 

 

 

 

■ ■ 太平洋に沿って、三陸海岸を目指す ■ ■

 

三陸沿岸の旅

 

南下する千島海流(親潮)と、日本の南岸に沿って北上する日本海流(黒潮)がぶつかり合う「三陸沖」は、世界三大漁場の一つに数えられている。

 

その為昔からサンマやカツオなどの主要な漁場となり、この地域には全国的に見ても有力な漁港が数多く分布し、多くの水揚げを誇っている。

 

叉養殖漁業も盛んで、ホヤ・ホタテ・カキ・ウニやワカメなどの海藻類が市場を賑わせている。

そういった海の幸をお目当てに、当地を訪れる観光客は決して少なくはない。

 

一方、陸中海岸や南三陸・金華山などに代表される海岸線には複雑な地勢が作り上げた景勝地が多く、豊富な海産物と合せ、主要な観光資源と成っている。

 

しかし近年では漁業の衰退により、新たな発想による観光資源を模索する動きも出始め俄かに注目を集めている。

 

 

 

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 → この辺りの海岸線には、広野火力発電所や福島第一、福島第二原子力発電所が 

 

 → 「階段の青い線まで津波・・」、南米チリで発生した巨大地震は、丸一昼夜を 

 

 → 40qにも満たない路線に、走る列車は一日僅か三往復、これぞローカル線 

 

 

 

 

■ ■ 日本海に沿って、雪の「うえつ」から「角館」へ ■ ■

 

雪の羽越を訪ねる旅

 

冬の日本海沿岸には、大陸から容赦も無く冬将軍が身を切るような冷たい風と、時には途轍もない重く湿った大雪を伴ってやってくるため名うての豪雪地帯も多い。

 

何もかもが、白いベールに包まれ一面の銀世界・・・、などとい言うそんな生易しいものではない。時には人々の生活、生命さえ脅かしかねない大自然の猛威は、とてつもない恐怖であり驚異でもある。

 

そんな厳しい環境の中でも人びとは、それに負けることもなく、一日も休まず、忍耐強く、また粘り強く白い悪魔を克服し、当たり前のように淡々と日々の営みを繰り返す。

 

こんな過酷な自然にさらされるこの地には、それを乗り越える目には見えない力強い活力があるようだ。

雪国を旅することは、そんなパワーをもらう旅でもある。

 

 

 

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→ 町中には、武家屋敷や商家の建物が残り、曲がりくねった小路が如何にも城下町 

 

→ 黒瓦に黒い板張りの倉庫は、鋸様の屋根を連ね、規則正しく連続する様が何とも 

 

→ 樹齢200年を越える老樹など、400本のしだれさくらなどが華麗に咲き誇る様は 

 

 

 

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