錦江湾に沿って

 

この日、鹿児島中央駅で新幹線を降りた時、僅かながらホーム全体に硫黄臭が感じられた。

駅前広場からビル街を見ると、その上に青空があるのに、ビルの隙間の向こう側が何となく灰色に霞んでいる。

極々薄いベールが掛ったようで、埃っぽい・・とも違う、目や鼻や喉が何か特別な鉱物的なものを感じていた。

 

駅前を行く人が、雨も降っていない、日差しがきついわけでもないのに、傘をさして歩いている。

寒くもないのにフードや帽子を被る人がいて、マスクを付けた人、口元にハンカチを当てる人も多く見た。

 

錦江湾

錦江湾

錦江湾

 

錦江湾

錦江湾

錦江湾

 

錦江湾

錦江湾

錦江湾

 

錦江湾

錦江湾

錦江湾

 

 バスがターミナルを走り抜けるたびに、後ろに灰塵が舞い上がり、時折吹き抜ける風で辺り一帯が白く霞む。

足元の歩道脇には細かな粒の降灰が溜まっていて、市街地では排水溝の灰を、道路清掃車が掃き集めている。

噴火による降灰は、日常生活にも深刻な影響を与えているそうだ。

 

灰は水に濡れると固まるらしく、「掃き集めるのが大変だ」と、バス停で知り合った地元の夫婦が言っていた。

室内や車の掃除、洗濯物管理には相当神経を使うらしく、度々起こる噴火で日常が振り回されると嘆いてもいた。

どうやら、桜島が前日、小さな噴火を起こしたらしい。

 

錦江湾

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錦江湾

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錦江湾

錦江湾

錦江湾

 

駅前のバスターミナルから、5分以上遅れて到着したバスに乗り、これから知覧に向かう。

バスは国道226号線・通称谷山街道を、左手に錦江湾を見ながら行く。

谷山まで連れ添ってきた電車の線路とも分かれ、平川で国道を外れると県道23号に入る。

 

すると周りの景色は一変し、海辺の道は九十九折りの急な登り道へと変わり、バスは喘ぐように登って行く。

所々木立の隙間から見える錦江湾は、何処までも碧く海面が朝日を受けてキラキラと輝いている。

頂上付近で指宿有料道路知覧ICを越えると、南九州市に入り左手にゴルフ場と「知覧テニスの森公園」を見る。

その先で手蓑峠を越えると車窓からは、名産の知覧茶の畑が目に付くように成る。

そこからバスは知覧の町を目指して、一気に山を駆け下りていく。

 

 

薩摩の小京都 知覧

 

 知覧町は、薩摩半島の南部、やや中央よりに位置した町である。

江戸時代には、島津氏の支配地であり、外敵への備えとして多くの武家屋敷が築かれた。

又昭和に入り陸軍の知覧飛行場が造られ、先の大戦末期では、本渡最南端に位置する出撃基地となった。

その沖縄戦では、特別攻撃隊の多くの若者が「お国のため」と飛び立ち、南の海で散華する事になる。

そんな悲しい過去を秘めた知覧の町も、今は「薩摩の小京都」と称えられ、観光の町として生きている。

 

知覧

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知覧

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知覧

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知覧

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知覧観光の入り口、「武家屋敷入口」でバスを降りる。

県道に沿って形の整った槇の木の街路樹が立ち並び、静かな箱庭のような街並みだ。

その足元には幅1メートル余りの疏水が流れ、透き通った清流には大小様々の鯉が身をくねって泳いでいる。

 

しばらく疏水べりを歩き、右折して県道を外れ麓川に架かる城山橋を渡る。

左手に中世の知覧城の出城・亀甲城跡に造られた「知覧亀甲城公園」の林が見えてくる。

 

 

知覧の武家屋敷

 

 知覧の武家屋敷群は、江戸時代薩摩島津家の分家である佐多氏が地頭として治めていた場所に有る。

数々の功績により領地の私用化と島津姓の使用を許された上級武士が築いたものだ。

自らの住居と、外敵を防ぐ砦を兼ね備えた屋敷を構えたもので、その時代のものが今日に残されている。

背後に聳える母が岳を借景に、国名勝に指定されている庭園をもつ屋敷も多く、そんな屋並みが続いている。

 

屋敷が建ち並ぶ本馬場通りは、車両の通行は規制されているので、安心して散策することが出来る。

入園料は500円で、全ての武家屋敷とその庭園を心行くまで鑑賞して廻る事が出来る。

 

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

 

通りの西麓にある「森重賢邸庭園」は、江戸時代は寛保年間に造られた庭という。

知覧領主に使えた重臣の屋敷で、その格式の高さは、門構えで解るそうだ。

武家屋敷独特の屋根付き門を「腕木門」と言うが、本家は両側に小屋根が付くが、分家には無いそうだ。

知覧の庭園では珍しい石組みの池に水を湛えた池泉式の庭園で、水は山からの湧き水である。

 

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

 

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

 

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

 

 屋敷から出て街並みの写真を撮っていたら、手押し車のおばあちゃんが通りかかった。

そこに立ち止まって、シャッターを押すまで待ってくれる。

お礼を言うと、「普通の町だよ〜う」と、独り言のような言葉を残し、車を押してとぼとぼと去って行った。

 

「旧高城家住宅」は、茅葺きの知覧型と言われる二棟が繋がった屋敷で、江戸末期頃のものらしい。

障子戸のある立派な男玄関の横に、間口がその三分の一ほどの女玄関が設けてあるのが特徴である。

当時の身分、男女の格差が厳しかったことが窺い知れる。

 

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

 

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

 

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

 

 現在では約700mの通に現存している武家屋敷群の内、7軒の屋敷との庭園が国の名勝に指定されている。

この7軒が有料で、庭園は残っていない「旧高城家住宅」は無料で、この8軒が一般に公開されている。

景観保持のため、個々の発券所は無く、通りの商店など5カ所の入園料取扱所を設けている。

そこで入園券を購入すれば、全ての庭園を見て回ることが出来る。

 

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

 

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

 

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

 

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

 

通りの生け垣は、見事なまでに刈り込まれている。

多くは犬槙の生け垣で、屋敷を隠すに充分な高さが保持されているが、屋敷からは外の様子が窺えるという。

又犬槙は燃え難い木で、柔らかいため敵がよじ登るのを防ぐことが出来るので武家屋敷に好んで用いられている。

聞けば生垣は、盆と正月前に刈り込みを行うそうで、その時期が一番の見頃だとも言われている。

 

ここだけでも無いが、「佐多直忠邸庭園」は、門を潜ると目の前に石垣が現われる。

「屏風岩」と言われるもので、敵の侵入を防備する武家屋敷独特のものだそうだ。

築山を背にした庭園は、背丈以上もある巨岩が二つそそり立ち、足元に小岩を配すのは滝をイメージしたものだ。

 

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

 

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

 

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

 

「佐多民子邸庭園」は、岩を多用した特徴の有る庭園である。

屋敷は、門構えから推察すると両側に小屋根がないので、分家のようだが、庭園は他家に引けを取ってはいない。

岩は、麓川上流の巨岩を小割にして運び牛馬の力を借り運んだものだそうだ。

巧みに配された、割石とは思えない大小の石が際立つ見事な庭園である。

 

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

 

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

 

「佐多美舟邸庭園」は、知覧庭園の中でも最も豪華で広いと言われる庭園である。

知覧領主の流れをくみ、最高の役職担った家柄で、それに相応しい庭園を有している。

巨岩の石組みで滝や築山を構成し、手前に敷き詰めた細かな白砂は、大海原を現しているのか。

多彩な植え込みで、起伏と奥行き、字路狩りのある庭を造り出している。

 

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

 

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

 

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

 

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

 

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

 

 知覧の武家屋敷の特徴は、二つの大棟の間を小棟で繫いだ建築様式である。

居住用のオモテと、台所のあるナカエが離れていて不便なため、その二つを合体させたものだ。

知覧大工の工夫らしく、「知覧型二つ家」と言うのだそうだ。

また、屋根も茅葺きの大屋根の下に、ベケ屋敷だけに許された瓦屋根を持つ二重構造が多い。

瓦屋根は、武家の家の象徴でもあったようだ。

 

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

 

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

 

 武家屋敷群は、生け垣だけでは無く、それを支える石垣にも特徴が見て取れる。

切石を規則正しく整層積みしたものが多いが、中には野石を乱積みしたものもあり、様々なものが見て取れる。

多くは琉球の影響を受けたものらしいが、これにも本家・分家の格式が関わっているらしい。

切石が規則正しく積み上げられている程格式が高く、野石が不揃いになるほど格式は低くなるそうだ。

 

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

 

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

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七つの庭園の中での変わり種は、「平山亮一邸庭園」である。

東麓に有る庭で、石組みが一つも無く、サツキと犬槙の大刈り込みだけで表現された珍しい庭園である。

右手に見える母が岳の山裾を借景とした、250年前からそのままの形で引き継がれている庭だ。

背後の山裾は、そのまま刈り込まれた犬槙に引き継がれ、一体となって大きな峯を表していると言う。

 

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

 

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

 

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

 

「平山克己邸庭園」も母ケ岳の優しい山容をそのまま借景に取り入れた庭園である。

刈り込みで起伏を表現し、その回りに巨岩を始め幾多の岩を配した姿は、優美な中にも力強さが感じられる。

 

 「西郷恵一郎邸庭園」も似たような様式の庭園であるが、「鶴亀の庭園」という別名を持っている。

庭園の中に亀の頭の形をした石がありそれに続く刈り込みが甲羅に見えるようだ。

築山の奥の方には、鶴の形をした刈り込みもあるらしいが、正直良く解らなかった。

 

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

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知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

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知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

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知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

 

 武家屋敷群の有る通りは、ここならではの工夫もされている。

道は緩くカーブしたり、鈍角に折れ曲がったりしていて、決して直線では無い。

これは容易に姿を隠すことが出来、万が一敵に背後を襲われても逃げ延びることが出来るからだ。

江戸時代街道筋の宿場内の通りも、曲尺手などと言われる曲がった道が造られていたが、それと同じようなものだ。

 

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

知覧の武家屋敷

 

 観光スポットと言われる通りは、電柱も地中化され、見事な景観が保持されている。

生け垣の刈り込みや、日常的な清掃も行き届いているらしく、周辺にはゴミ一つ落ちていない。

通りに小洒落たカフェやレストラン、土産物屋等が犇めいている訳でもないので、通りも静で落ち着いている。

「薩摩の小京都」の美しい町並は、一見の価値がある。

 



 

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