指宿のたまて箱

 

 観光特急の入線を待つ指宿駅のホームは、既に賑わっていた。

指宿のゆるキャラ、たまらん三兄弟の内「らんらん」がホームに現れ、愛嬌を振りまいている。

 

「指宿のたまて箱(いぶたま)」は、ここ指宿と鹿児島中央の間を一日3往復する観光特急である。

車両は海側の側面と前半分が白色、反対の山側は黒色に塗り分けられたハーフ&ハーフの大胆な外観だ。

キハ47形2両編成の気動車は、ワンマン運転で車掌はいないが、変わりの女性客室乗務員が乗務する。

沿線案内や車内販売、記念撮影の手伝いなど、きめ細かなサービスで旅情を盛り上げてくれる。

 

指宿のたまて箱

指宿のたまて箱

指宿のたまて箱

 

指宿のたまて箱

指宿のたまて箱

指宿のたまて箱

 

指宿のたまて箱

指宿のたまて箱

指宿のたまて箱

 

指宿のたまて箱

指宿のたまて箱

指宿のたまて箱

 

列車の一号車はチーク材を、二号車は九州産の杉材をふんだんに使ってデザインされている。

一号車の6つの海側席と、二号車の11席は窓側に設けられたカウンターに向かう回転座席となっている。

大型テーブルの有る4人用コンパートメント席や、2人掛けの回転シート、子供用のキッズチェアまである。

又、指宿や海にまつわる本を集めた本棚の有るソファコーナーも用意されている。

たまて箱、のれん等の小物、記念撮影用のパネルなどもあり、乗務員が記念撮影を手伝ってくれる。

 

指宿のたまて箱

指宿のたまて箱

指宿のたまて箱

 

指宿のたまて箱

指宿のたまて箱

指宿のたまて箱

 

指宿のたまて箱

指宿のたまて箱

指宿のたまて箱

 

指宿のたまて箱

指宿のたまて箱

指宿のたまて箱

 

指宿のたまて箱

指宿のたまて箱

指宿のたまて箱

 

指宿のたまて箱

指宿のたまて箱

指宿のたまて箱

 

 車窓からの見所も多く、発車するとすぐに右手に碧い錦江湾が広がり、そこに浮かぶ知林ケ島が見える。

大潮の時は砂州が現れ、この無人島に歩いて渡る事が出来るらしい。

 

たった一つの停車駅・喜入では、巨大な石油基地を真直に見るが、残念ながら写真を取り損ねてしまった。

沿線は錦江湾に沿って走るので、湾越しには桜島が見え、その姿がより鮮明に見えだすと終着駅が近くなる。

車窓にビルやマンション、民家が増えると鹿児島中央駅で、50分程の乗車時間がアッと言う間に過ぎてしまった。

 

指宿のたまて箱

指宿のたまて箱

指宿のたまて箱

 

指宿のたまて箱

指宿のたまて箱

指宿のたまて箱

 

指宿のたまて箱

指宿のたまて箱

指宿のたまて箱

 

指宿のたまて箱

指宿のたまて箱

指宿のたまて箱

 

指宿のたまて箱

指宿のたまて箱

指宿のたまて箱

 

列車が鹿児島中央駅のホームに止りドアが開くと、突然上からシューッと煙が降りかかってくる。

薩摩半島南端の長崎鼻に伝わる浦島伝説に因み、たまて箱の白い煙をイメージしたものである。

この車輌のツートンカラーも、浦島太郎がたまて箱を開け、黒髪が白髪に変ったのをイメージしている。

玉手箱の白いけむりが乗客に贈られ、粋な演出で旅を締めくくってくれた。

 

 

日豊本線

 

 鹿児島中央駅から日豊本線で都城駅に向かう。

日豊本線は、福岡県の小倉駅と鹿児島県の鹿児島駅の間、462.6qを111の駅で結ぶ路線である

従って正確には、鹿児島中央駅から鹿児島本線で鹿児島に向かい、そこから日豊本線で都城に向かうことになる。

運行管理上、鹿児島中央が拠点駅で、日豊本線の列車は、終点の鹿児島を越え、その一つ先間まで運行されている。

 

日豊本線

日豊本線

日豊本線

 

日豊本線

日豊本線

日豊本線

 

日豊本線

日豊本線

日豊本線

 

 車窓からは、錦江湾に浮かぶ桜島が手に取るように眺められ、暫く車窓を楽しませてくれる。

鹿児島訪問の前日に小さな噴火を起こしたらしいが、今日のお山は僅かに煙が見える程度で穏やかである。

20分余り車窓に寄り添った桜島が見えなくなると、やがて隼人で、さらにその先の国分に停まる。

「花は霧島 煙草は国分・・」と「鹿児島おはら節」に謳われた国分は、嘗て煙草の生産が頻りに行われていた。

 

日豊本線

日豊本線

日豊本線

 

日豊本線

日豊本線

日豊本線

 

 日豊本線はここから山側に入り込み、所謂「霧島越え」と言われる難所を抜けることになる。

多くは2025‰の急坂とカーブの連続で、そのサミットを霧島神宮駅辺りで迎えると今度は下りとなる。

とは言え、この勾配も登りと変わりのない急勾配で、降りきった先の都城盆地を目指して進む。

時間さえ有れば、この区間は快走する特急では無く、各駅停車に乗って難所越えを味わってみたいものだ。

 

 

吉都線

 

都城で日豊本線を降り、ここからは「吉都線」に乗換え、吉松を目指す。

この路線は、都城と吉松の間61.6qを17の駅で結んでいる。

日豊本線の難所、「霧島越え」が開通する前は、都城と隼人の間は、ここが本線のルートであった。

同区間の開通により、「吉都線」と変更された。

今では、「肥薩線」の八代〜吉松を含めて、「えびの高原線」の愛称で呼ばれている。

 

吉都線

吉都線

吉都線

 

吉都線

吉都線

吉都線

 

吉都線

吉都線

吉都線

 

 人口17万人余りの都城を出ると、豊かな田園風景が広がる中、路線は緩やかに登って行く。

次第に山が近づくが、厳しい山岳路線と言う程の事もなく、開けた高原地帯を2両のジーゼルカーは快調に進む。

珍しいことにこの路線には、トンネルが一つも無い。

単調な車窓にあって、東高崎駅前の東霧島神社の赤い鳥居が、車窓に彩りを添える。

 

吉都線

吉都線

吉都線

 

吉都線

吉都線

吉都線

 

吉都線

吉都線

吉都線

 

高原駅のホームには、「天孫降臨の地 高原町」の看板が建っていた。

天孫降臨の神話が残る高千穂の峰の山頂はここ高原町に属し、そこには「天の逆鉾」が立てられているという。

車窓左手には、その霧島の連山がシルエットとなって見え隠れしている。

 

沿線では比較的人口の多い小林駅では、学生たちの乗り降りが多い。

宮崎県では珍しい温泉郷が駅近くに広がる、京町温泉駅を過ぎると、10分ほどで終点の吉松駅だ。

 

 

吉松の汽笛まんじゅう

 

 すっかり夜の帳が降りてしまった。

「肥薩線」との接続駅吉松は、2面の島式ホームに4線を有する大きな駅である。

 

嘗ての鹿児島本線は、八代から先は軍の戦力的な思惑から、海岸線回りを避け山側ルートを取られた。

その為、八代から、人吉、吉松を経て隼人に到るルートが「鹿児島本線」と呼ばれる時期があった。

そうした経緯もあり、山間の小さな町で有りながら、駅自体の規模は大きく、今でも委託ながら駅員がいる。

 

吉松の汽笛まんじゅう

吉松の汽笛まんじゅう

吉松の汽笛まんじゅう

 

吉松の汽笛まんじゅう

吉松の汽笛まんじゅう

吉松の汽笛まんじゅう

 

吉松駅からほど近い所に、名物菓子を製造販売する「宮下製菓」という店舗が有る。

売られているお菓子は、昭和70年代に父親が考案し、以来夫婦で作り続けて50年という「汽笛まんじゅう」だ。

SLの石炭をモチーフにした外見は黒く、中には白餡の入った揚げ饅頭である。

 

店内には鉄道写真や行先標示板、手造りの蒸気機関車の模型等が多数飾られている。

鉄道好きが高じたというご主人が、時間の許す限り、懐かしいSLの話などを聞かせてくれる。

 

吉松の汽笛まんじゅう

吉松の汽笛まんじゅう

吉松の汽笛まんじゅう

 

吉松の汽笛まんじゅう

吉松の汽笛まんじゅう

吉松の汽笛まんじゅう

 

吉松の汽笛まんじゅう

吉松の汽笛まんじゅう

吉松の汽笛まんじゅう

 

 ここで宿を取りたいところではあるが、今日はこれから人吉に向かい、更に特急で八代まで行く。

夕食にこの駅で、駅弁でもと思っていたが、どこにも見当たらない、人吉辺りで手に入ればと思うのだが・・・。

駅前に宿を取っていてチェックインは午後8時を過ぎるであろうが、もしかしたら夕食もその後かも知れない。

 

辺りは既に真っ暗で、車窓の楽しみは全く期待出来ないが、実は翌日に同じルートをここまで引き返してくる。

明日は人気の観光列車も待っているので、楽しみはそれまでお預けである。

 



 

| ホーム | 国内の旅行 | このページの先頭 |

 

(c)2010 Sudare-M, All Rights Reserved.

 

inserted by FC2 system