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汽笛まんじゅう

 

“吉都線”は、都城と吉松を結ぶ61.6キロの路線である。

かつては“日豊本線”の一部として名を馳せた時代もあったが、今では、“肥薩線”の八代〜吉松を含めて“えびの高原線”の愛称で呼ばれるローカル色豊かな路線である。

 

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 人口17万人余りの都城を出ると、豊かな田園風景が広がる中、路線は緩やかに登って行く。

次第に山が近づいてくるが、厳しい山岳路線と言う程の事もなく、少し開けた高原地帯を2両のジーゼルカーは快調に進む。単調な車窓にあって、東高崎駅前の東霧島神社の赤い鳥居が、車窓に彩りを添える。

 

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高原駅のホームには、“天孫降臨の地 高原町”の看板が建っていた。

天孫降臨の神話が残る高千穂の峰の山頂はここ高原町に属し、そこには“天の逆鉾”が立てられていると言う。

車窓左手には、その霧島の連山がシルエットとなって見える。

 

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 沿線では比較的人口の多い小林駅では、学生たちの乗り降りが多い。

宮崎県では珍しい温泉郷が駅近くに広がる、京町温泉駅を過ぎると、10分ほどで終点の吉松駅だ。

 

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 駅から5分ほど歩いた所に、名物菓子を製造販売する菓子店舗が有る。

売られているお菓子は、昭和70年代に父親が考案した白あん入りの揚げ饅頭で、夫婦で作り続けて50年と言うSLの石炭をモチーフにした“汽笛まんじゅう”だ。

 

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店内には鉄道写真や行先標示板、手造りの蒸気機関車の模型等が飾られ、鉄道好きなご主人が、時間の許す限り懐かしいSLの話などを聞かせてくれる。

 

 

いさぶろう・しんぺい号

 

 “肥薩線”は、熊本の八代と鹿児島の隼人を結ぶ、124.2キロの路線である。

その歴史は古く、明治42年に山線と言われる人吉と吉松間が開通したことにより、既に開通していた区間と合わせ、門司〜八代〜人吉〜鹿児島が九州内の大動脈として一つに繋がって、“鹿児島本線”として華々しく開業する。

 

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 その後、海寄りを行く八代〜川内〜鹿児島のルートが開通すると、そこに“鹿児島本線”の名を譲り、八代〜人吉〜隼人間は“肥薩線”と呼ばれるようになった。

 

八代〜人吉間は日本三大急流の一つ、球磨川に導かれて進むので“川線”と呼ばれている。

また、人吉〜吉松間は厳しい山路を行くので“山線”と呼ばれ、変化に富む沿線は観光列車“いさぶろう・しんぺい”号も投入されていて人気の路線でもある。

 

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 この列車は特急券の要らない普通列車だが、座席は指定席が多いので指定券を購入して乗車するのが好ましい(JR時刻表による)が、僅かながら自由席も有る。

 座席は木製の固定シート(指定席)で、車両の中央部分に天井まで窓を広げた展望スペースが有り、この部分が共用スペース(自由席)と成っている。沿線や駅施設の案内、車内販売などで、女性の客室乗務員が乗務する。

 

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 人吉〜吉松間は“いさぶろう”、吉松からは“しんぺい”と名を変えて、再び人吉に戻って行く。

この間35キロを、駅々で停車時間を取りながら、1時間半も掛けてゆっくりとゆっくりと鉄道の旅を噛みしめるように進んでいる。

 

全線開通から百年、当時の駅舎や施設がまだ現役で活躍する路線は 2007年には経産省の“近代産業遺跡群”に認定され、今俄かに脚光を浴びている。

 

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肥薩線の川線を行く

 

思いがけず冷え込んだ寒い日の朝8時前、“肥薩線0起点”の表示の有る八代駅のホームに、意外な漆色をした列車が入線してきた。「アレッ」と思ったが、どうやらこれが乗車予定の普通列車のようだ。

 

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駅を出て“肥薩おれんじ鉄道”と並走すると、すぐ右手に球磨川の急流が近づき、暫くの間車窓の友となる。

町外れで球磨川を渡る肥薩おれんじ鉄道と別れ、列車は川を遡るように次第に山間部に入りこむと、スピードが少し落ちたような気がする。

 

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沿線の途中、坂本駅には古い駅舎が残され、その先の白石の駅舎と同様、開業は明治41年の“川線”開業時で、“百年駅”と書かれた看板が掛けられている。

 

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 国内屈指の鍾乳洞・球泉洞までは、駅から徒歩で20分ほどらしい。その名がそのまま駅名に成った球泉洞では、地元のご婦人方がホームや駅舎の掃除をしていた。こうして、沿線の施設は地元の人たちに愛され、守られているのであろうか。 列車が出発すると、一様に頭を下げて見送ってくれる。

 

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 一勝地は、縁起の良い駅名とされ、記念入場券は受験生や高校球児に人気があるとか。

ここを出る辺りから翠緑色の水を湛えて来た球磨川の幅はより狭く、谷はより深く、流れもより早く成る。

シーズンの川では、川下りの遊覧やラフティングなどのアウトドアスポーツが賑わうと言う。

 

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車窓に茶畑が目立つように成ると、市街地も近づき、霧に包まれた盆地の町人吉に到着だ。

到着した列車は車内清掃の後、1008分発吉松行きの“いさぶろう号”として再び入線する。

夜間熊本のセンターに留置されていた列車は、こうして八代〜人吉間を普通列車として運転されてきたのだ。

 

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人吉の町

 

 山間の小さな盆地の町人吉は、町を流れる球磨川沿いに温泉が点在、叉町中に数々の蔵も残され、その風情ある街並みから“九州の小京都”とも称されている。

 

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駅前広場に“からくり時計”が建っている。

その前を通り、駅から続く道を真っ直ぐに進むと、球磨川に架かる人吉橋に行き当たる。

 

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その川の少し手前、右に折れた辺りに“青井阿蘇神社”が有る。

赤い禊橋を渡り、赤い鳥居を潜りながら階段を登り、鶏が放し飼いされた境内に入ると、大きく立派な茅葺屋根を持った楼門が聳え、それを潜ると正面にも茅葺屋根の拝殿が控えていて、これらは、慶長年間に造営されたものらしく国宝に指定されている。

 

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地元では「青井さん」と呼ばれ親しまれている神社で、その歴史も古く、桃山風の建築様式を今に伝える本殿など5棟の建造物が国宝に指定されている。

 

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 駅に戻る道すがら、“いきなり団子”の幟旗を見付け、お菓子屋さんに飛び込んでみる。

“いきなり団子”は、輪切りにしたサツマイモの上に小豆餡を乗せ、小麦粉を練った生地で包み蒸かしたもので、熊本県の代表的な郷土菓子である。

 

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 雪だるまを押しつぶしたような形をしている。

アツアツを頬張ると、先ずサツマイモの素朴な食感がして、もうひと口かぶるとサツマイモと餡が相性も良く口の中一杯に広がり、懐かしい“おふくろ”の味と言った感じである。

 

 

山を登るループ線

 

人吉を出ると列車はいきなり25パーミルの山登りに挑みだす。

幾つものトンネルを重ね、高度を稼ぎ、やがて500メートル余りの横平トンネルを抜けると標高294メートルの大畑(おこば)駅に到着する。駅の周りには人家の無い無人駅である。

 

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 明治42年に開業した駅には、当時から残る石造りの給水塔やアサガオ型の噴水等が残されている。

古い駅舎の壁には、無数の名刺が貼られている。この駅に名刺を残すと出世するらしい。

 

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いよいよハイライトの始まりだ。

大畑をバックで発車した列車は、少し走ったのち一旦転向線で停車、今度は前進ですぐ上の線に入り、そのまま半径300メートルの円を描きながらユックリと山を登る。

 

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 丁度円を一回りした辺り、大畑の手前の横平トンネルの上部に当たる部分で列車は一旦停車する。

目の下に、先ほど停車した駅とスイッチバック線が遥かに小さく見える。

ここからは更に厳しい2530パーミルの急坂で、標高537メートル、最高地点に位置する矢岳駅を目指す。

 

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 矢岳は“肥薩線”では、最も標高の高い地点に有る駅である。

ここには駅に隣接して“SL展示館”があり、“肥薩線”で最後まで活躍したD51が保存展示されていて、館内では地元の特産品も販売されている。

 

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スイッチバック

 

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矢岳駅を後に、ここから列車は下りにかかり、“肥薩線”で最長2,096メートルの矢岳第一トンネルに向かう。

かつて最大の難所と言われたこのトンネル工事では多くの犠牲者を出した。

開通に当たり、人吉側には当時の逓信大臣・山県伊三郎の「天険若夷」(厳しい難所を切り開いた)と、吉松側には鉄道院総裁・後藤新平の「引重致遠」(重い物を遠くに引いて行く)の扁額が掲げられた。

 その二人の功労者の名前は、この路線を走る観光列車に引き継がれている。

 

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トンネルを抜けた辺りでは日本三大車窓の一つと言われる絶景区間が続く。

目の前に韓国岳や甑岳など霧島連山が連なり、遥か桜島も見える事が有るとか。

糸を引いたような川内川と、京町温泉郷の街並みが米粒のように見える。

 

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 やがてジオラマのような真幸(まさき)の駅が眼下に見えると、二つ目のスイッチバックが始まる。

列車は転向線で一旦停車した後、今度はユックリとバックで下の線に入り、ホームに滑り込んで行く。

 

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 この沿線で唯一宮崎県に位置する駅の周辺にも人家は無く、無人駅である。

真の幸せと書く駅名が、縁起が良いとして、ホームには鳴らすと幸せになると言われる“幸せの鐘”が有る。

また、駅舎には幸せを願う絵馬が一杯掛けられている。

 

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