肥薩線・八代駅

 

「肥薩線」は、熊本の八代と鹿児島の隼人を結ぶ、124.2キロの路線である。

旧国名の肥後の国と薩摩の国を結ぶ路線で有ることから名付けられた。

その歴史は古く、明治42年に山線と言われる人吉〜吉松間が開通し、「鹿児島本線」として華々しく開業する。

既に開通していた区間と合わせ、門司〜八代〜人吉〜鹿児島が、九州内の大動脈として一つに繋がったのである。

 

肥薩線・八代駅

肥薩線・八代駅

肥薩線・八代駅

 

肥薩線・八代駅

肥薩線・八代駅

肥薩線・八代駅

 

肥薩線・八代駅

肥薩線・八代駅

肥薩線・八代駅

 

 当時の陸軍が、軍事戦略上、海沿いの路線は攻撃を受けやすいとして難色を示し、山側に線路が開かれた。

その後、海寄りを行く八代〜川内〜鹿児島のルートが開通すると、そこに「鹿児島本線」の名を譲る事になる。

その結果、八代〜人吉〜隼人間は「肥薩線」と呼ばれるようになった。

 

 今日の「肥薩線」は、鉄道ファンには人気の高い路線である。

八代から人吉の間は、球磨川に沿うので「川線」、そこから吉松の間は、山に入るので「山線」と呼ばれている。

川から山へ多彩に展開する大パノラマがあり、沿線には史跡も豊富な城下町や温泉等多彩で、共に人気だ。

 

肥薩線・八代駅

肥薩線・八代駅

肥薩線・八代駅

 

肥薩線・八代駅

肥薩線・八代駅

肥薩線・八代駅

 

肥薩線・八代駅

肥薩線・八代駅

肥薩線・八代駅

 

 思いがけず冷え込んだ寒い日の朝8時前、「肥薩線」起点駅・八代に向かった。

駅の裏側に日本製紙八代工場が立地していて、遠目では駅から煙突が延び、白い煙を吐き出しているように見える。

鹿児島本線の途中駅でも有り、薩摩おれんじ鉄道との乗換駅でもある。

島式2面のホームに4線を持つ大きな地上の有人駅で、ここには全ての列車が停車する。

 

 

肥薩線 川線を行く

 

「肥薩線」の八代〜人吉間は、日本三大急流の一つ球磨川に導かれて進むので「川線」と呼ばれている。

駅を出て「肥薩おれんじ鉄道」線と並走すると、すぐ右手に球磨川の急流が近づき、暫くの間車窓の友となる。

町並から外れるころ、球磨川を鉄橋で渡る「肥薩おれんじ鉄道」線と別れる。

列車は川を遡るように次第に山間部に入りこむと、勾配も増したのか、スピードが少し落ちたような気がする。

 

肥薩線 川線を行く

肥薩線 川線を行く

肥薩線 川線を行く

 

肥薩線 川線を行く

肥薩線 川線を行く

肥薩線 川線を行く

 

肥薩線 川線を行く

肥薩線 川線を行く

肥薩線 川線を行く

 

沿線途中の、坂本駅には古い味わいのある木造駅舎が残されている。

その先の白石の駅舎と同様、開業は明治41年の「川線」開業当時で、「百年駅」の看板が掛けられている。

白石という地名は、この辺りが石灰岩の地層で、白い石が採れたことによるという。

 

 国内屈指の鍾乳洞・球泉洞までは、駅から徒歩で20分ほどらしい。

その名がそのまま駅名に成った球泉洞では、地元のご婦人方がホームや駅舎の掃除をしていた。

こうして、沿線の施設は地元の人たちに愛され、守られているのであろうか。 

列車が出発すると、一様に頭を下げて見送ってくれる。

 

肥薩線 川線を行く

肥薩線 川線を行く

肥薩線 川線を行く

 

肥薩線 川線を行く

肥薩線 川線を行く

肥薩線 川線を行く

 

肥薩線 川線を行く

肥薩線 川線を行く

肥薩線 川線を行く

 

肥薩線 川線を行く

肥薩線 川線を行く

肥薩線 川線を行く

 

 一勝地は、縁起の良い駅名とされ、記念入場券は受験生や高校球児に人気があるという。

ここを出る辺りから翠緑色の水を湛えて来た球磨川の幅はより狭く、谷はより深く、流れもより早く成る。

シーズンの川では、川下り遊覧やラフティングなどのアウトドアスポーツで賑わうらしい。

車窓に茶畑が目立つように成ると、市街地も近づき、霧に包まれた盆地の町、人吉に到着だ。

 

 

人吉の町

 

 山間の小さな盆地の町人吉は、その風情ある街並みから「九州の小京都」とも称されている。

町を流れる球磨川沿いに温泉が点在、城下町の面影を彼方此方に留め、蔵や神社、史跡なども点在している。

 

駅前は広いロータリーになっていて、バスやタクシーの乗り場として整備されている。

そこには地元の民謡「球磨の六調子」に合わせ、からくり人形が踊るからくり時計も立てられている。

駅からは真っ直ぐな広い道が延びていて、その先には球磨川が流れている。

 

人吉

人吉

人吉

 

人吉

人吉

人吉

 

人吉

人吉

人吉

 

 地元の郷土玩具「きじ馬」は、当地に落ち延びた平家集落の人達が、都の生活を偲んで作りだしたものだ。

また今や世界ブランドになったと言われる「球磨焼酎」の蔵元は、当地を中心に27も有るそうだ。

 

駅周辺にも美肌の湯を売り物にした温泉旅館が立地し、立ち寄り湯の出来るところもある。

町中には昭和初期に開業した「新温泉」という木造の湯屋が有り、当時の姿のまま今も営業を続けている。

鍛冶屋町通りは、人吉を代表する観光通りらしいが、残念ながら訪れるだけの時間的な余裕がない。

 

人吉

人吉

人吉

 

人吉

人吉

人吉

 

人吉

人吉

人吉

 

 駅前の通りには、熊本県の代表的な郷土菓子「いきなり団子」の幟旗を掲げるお菓子屋さんもある。

輪切りにしたサツマイモの上に小豆餡を乗せ、小麦粉を練った生地で包み蒸かしたものである。

アツアツを頬張るとサツマイモの素朴な食感で、サツマイモと餡が相性も良く、何だか懐かしい味がする。

雪だるまを押しつぶしたような形もユニークで、“おふくろ”の味と言った感の素朴のお菓子である。

 

 

青井阿蘇神社

 

 駅から続く通りに架かる人吉橋のその少し手前、右に折れた辺りに「青井阿蘇神社」が鎮座している。

神社の創建は古く、今から1200年余り前の大同元年で、阿蘇神社の御分霊が祀られたことにより始まる。

古来より開拓の神様として篤い信仰を受け、地元では「青井さん」と呼び親しまれている神社である。

 

青井阿蘇神社

青井阿蘇神社

青井阿蘇神社

 

青井阿蘇神社

青井阿蘇神社

青井阿蘇神社

 

青井阿蘇神社

青井阿蘇神社

青井阿蘇神社

 

青井阿蘇神社

青井阿蘇神社

青井阿蘇神社

 

青井阿蘇神社

青井阿蘇神社

青井阿蘇神社

 

青井阿蘇神社

青井阿蘇神社

青井阿蘇神社

 

青井阿蘇神社

青井阿蘇神社

青井阿蘇神社

 

青井阿蘇神社

青井阿蘇神社

青井阿蘇神社

 

赤い禊橋を渡り、赤い鳥居を潜りながら石段を登ると、大きく立派な茅葺屋根を持った楼門が現われる。

高さ12m、禅宗様式と桃山様式が華麗に調和した建造物と言われている。

それを潜ると境内には鶏が放し飼いされていて、その正面に急勾配の茅葺屋根を持った拝殿が控えている。

内部は、拝殿と神楽殿、神供所の三部屋に仕切られているらしく、こう言った造りは大変珍しいそうだ。

これらは、慶長年間に造営されたものらしく、本殿など5棟の建造物が国宝に指定されている。

 

 

いさぶろう・しんぺい号

 

 八代のホームで人吉行きの列車を待っていると、意外な漆色をした列車が入線してきた。

どうやらこれが乗車予定の普通列車のようだが、どこから見ても観光列車「いさぶろう・しんぺい号」である。

この列車は、特急券の要らない観光用の普通列車で、夜間は熊本のセンターに留置されている。

そこから人吉へ空車で回送するのも無駄らしく、八代〜人吉間では通常の普通列車として運転されていた。

 

いさぶろう・しんぺい号

いさぶろう・しんぺい号

いさぶろう・しんぺい号

 

いさぶろう・しんぺい号

いさぶろう・しんぺい号

いさぶろう・しんぺい号

 

いさぶろう・しんぺい号

いさぶろう・しんぺい号

いさぶろう・しんぺい号

 

いさぶろう・しんぺい号

いさぶろう・しんぺい号

いさぶろう・しんぺい号

 



 

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