通潤橋

 

 山間の地、高千穂町から国道218号を熊本に向け西に向かう。

跡取川に沿って進む国道は、津花峠の下をトンネルで抜け、凡そ1時間ほどで熊本県の山都町に入って来た。

この地には「幣立神社」と言う神代時代の伊勢神宮が有り、九州の“ヘソ”と言われる地域だ。

高天原神話発祥の神宮と伝わる古社が鎮座していると言うが、残念ながら見落としてしまった。

 

国道218号でそのまま山都の町中を通り、途中県道180号に入り暫く進むと、「道の駅・通潤橋」がある。

ここは「通潤橋」観光の拠点となる場所で、物産販売所や食事処、観光案内所、資料館などが整備されている。

 

通潤橋

通潤橋

通潤橋

 

通潤橋

通潤橋

通潤橋

 

通潤橋

通潤橋

通潤橋

 

通潤橋

通潤橋

通潤橋

 

歴史的建造物、国の重要文化財である「通潤橋」は、テレビなどでも時々紹介される有名な施設である。

豪快な放水の光景が広く知られていて、それを目当ての観光客も多いらしい。

通常放水はゴールデンウイーク前後と、8月初旬から11月末の土日祝日を中心に観光放水が行われている。

それ以外でも事前の申し込みが有れば、有料で放水に応じていると言う。

 

通潤橋

通潤橋

通潤橋

 

通潤橋

通潤橋

通潤橋

 

通潤橋

通潤橋

通潤橋

 

通潤橋

通潤橋

通潤橋

 

通潤橋

通潤橋

通潤橋

 

 「通潤橋」は、深い谷に囲まれ水利に恵まれなかった白糸台地に、水を送るための施設である。

江戸時代に総庄屋であった布田之助が設計し、近隣農民や、熊本八代の石工集団等の協力により造られた。

1年8か月の歳月をかけて、6q離れた笹原川より水を引き、対岸の台地に水を送る石造りの灌漑用水路である。

 

しかし地勢的に水路橋の位置は、二つの地区より低い場所にある。

その為、送水管の底に溜まる泥や石を抜く目的で、定期的に放水が行われているのである。

 


 

熊本城

 

 山都町から熊本まで足を延ばし、熊本城に立ち寄って見る。

思えばこの熊本やこのお城には何度も足を運んでいるのに、未だにお城の中に入ったことがない。

何時も時間に追われ、駆け足で外側から眺めるだけで帰っていて、今回も高速に乗る前に土産でもと立寄った。

 

熊本城

熊本城

熊本城

 

熊本城

熊本城

熊本城

 

熊本城

熊本城

熊本城

 

熊本城

熊本城

熊本城

 

熊本城

熊本城

熊本城

 

熊本城

熊本城

熊本城

 

戦国武将である加藤清正が7年の歳月を要して築いた、日本三名城の一つとされるのが「熊本城」である。

天守は西南戦争直前に焼失し、1960年に再建されている。

このお城が日本一と称されるのは、その構成要素の一つである石垣の美しさにある。

 

高くなるほど急勾配になる、あの優美な姿を誇る「武者返し」と言われる石垣が知られている。

直方体の石の一つの角を直線的に揃えながら、長辺と短辺を交互に積み重ねていく工法で、「算木積み」と言われる。

これにより石垣は、見た目の美しさもさることながら、強度は格段に増すのだそうだ。

 


 

桜馬場 城彩苑

 

熊本城前にある、観光施設「桜の馬場・城彩苑」に寄ってみた。

城下桜の馬場につくられた観光施設で、熊本の歴史と文化を体感する「湧々座」も施設内に併設されている。

地元熊本のお土産・特産品の販売や、食文化を伝える食事処等23の店舗が軒を連ねている。

 

桜の馬場・城彩苑

桜の馬場・城彩苑

桜の馬場・城彩苑

 

桜の馬場・城彩苑

桜の馬場・城彩苑

桜の馬場・城彩苑

 

桜の馬場・城彩苑

桜の馬場・城彩苑

桜の馬場・城彩苑

 

苑に向かう途中、武将姿の一段と行き違った。

聞けば、「おもてなし武将隊」と言い、ここ城彩苑や熊本城内で演武を披露しているらしい。

これは乱世を駆け抜けた九州各地の武将たちが熊本城に集結し、町を盛り上げようとする集団だ。

加藤清正を初め、黒田官兵衛、細川忠興など錚々たるメンバーが勢ぞろいしている。

 

 丁度城彩苑での演武を終え、熊本城への移動中らしく、次は14時半から天守閣で開演すると言う。

「一緒に記念写真を・・・」とお願いしたが、「移動中はお断りしているので・・・」と断られてしまった。

 



 

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