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萬画の国・いしのまき
マンガステーション「石巻駅」には、石ノ森ワールドが広がっている。 壁や階段には巨大アートが描かれ、構内にはキャラクターのコインロッカーや、サイボーグのステンドグラス等々がある。
マンガの「萬」は「よろず」を表すと言う。 風刺、滑稽や笑いを表現した絵は、近頃では、劇画、コミックなどと多様化した。 これらを総称する意味から、よろず画=萬画を提唱する石ノ森章太郎の「萬画宣言-マンガは“萬画”だ!」に因んだものだと言う。 水産商工都市として栄えた町も近年は衰退、活気を失いかけていることから、平成11年、「マンガを生かしたまちづくり」を合言葉に、マンガやマンガの豊かな発想を生かした交流を行いながら新たなまちづくりを目指しているらしい。 近年では、これを目当てに、観光客も増えていると言う。
駅前のからくり時計は、毎正時になるとマンガのキャラクターが出現する。 正に、「萬画の国・いしのまき」の玄関口に相応しい。
駅前大通りを200m程行った石巻街道の角に、サイボーグのモニュメントが立っている。 そこを左に曲がると、マンガロードが始まる。 仮面ライダー、サイボーグ、ロボコンなど、石ノ森キャラクターが商店街のいたるところに点在し、見る者を楽しませてくれる。
そして、その行きつく先で旧北上川に突き当たり、その中瀬に「石ノ森萬画館」は有る。 この小さな島が、ニューヨークの「マンハッタン島」に似ていることから、石ノ森章太郎氏が「マンガッタン」と名付けられたことから、今ではシンボル的な存在に成っているらしい。 残念ながら、この時間にはまだ開館していないので入る事が出来ない。
マリンパル女川
石巻からは、40分ほどで女川駅に到着する。 入線したホームの反対側、駅構内の外れに、赤く塗られたキハ40と言われる車両が留置されている。 駅の風景としては決して珍しい光景では無いが、これは実は珍しい電車である・・・と言うか、電車ではない。 この正体は、何と駅に隣接した温泉の休憩施設だ。 ホームからその車内を窺い見る事は出来ないが、中もお座敷に改装されているらしい。
ホームから改札に向かう階段の、中ほどの二段ほどが青く塗り分けられているので、訝ってキョロキョロしていると、そのすぐ脇に立つ看板が目に留まった。 『階段の青い線まで津波が押し寄せました』と書いてあった。 昭和35年5月23日に南米チリで発生した巨大地震は、丸一昼夜を経て、一万七千キロも隔てた日本の太平洋沿岸地方に大津波となって襲いかかった。 これにより全国では、139人もの犠牲者と260億円もの被害をだす大惨事となった。 ここ女川町では人的な被害は無かったものの、被害額は25億円にも上ったと言う。
駅を出ると隣接し「女川温泉 ゆぽっぽ」があり、その玄関前に「笠貝島」と名付けられた足湯がある。 土地のお年寄りが何人か四方山話をしていたので中を覗くと、「浸かって行け」と席を空け、すすめてくれた。 有難いが、そんなにユックリも出来ないので「時間が無いから・・・」とお断りし、そこを後にする。
駅からは、5分も歩かないうちに港に行き当たる。 冷たい風が少しばかり強く吹いてはいるが、海は穏やかで、遥か沖の小さな島まで見通す事が出来る。 そんな海に沿ってさらに5分程歩くと、半円を中央の道路で割ったような建物の「マリンパル女川」がある。 向かって右側の建物が、海と海洋をテーマにした「知の遊園地」、海と関わってきた女川の今昔を、パネルや展示物で紹介している。 中には、この館の名誉館長・郷土出身の俳優、中村雅俊ゆかりの特別展示コーナーも有る。 一方反対側の建物が、新鮮な魚と味覚をテーマにした「食の遊園地」で、豊かなリアス式海岸沖で採れた魚介類が並び、港町女川ならではの味が楽しめるレストランが併設されている。
1時間余り館内を見学して、再び港を散策していると、湾の向こうの小山が白く霞んだと思う間もなく、強い風と共に、いきなり吹雪いて来た。 堪らず観光桟橋の乗船所に駆け込んだ。 中で休んでいたお年寄りが、「船は、たった今出たところだ」と、金華山行きの船にでも乗ると思ったのか、心配して声をかけて来た。 「いや、そうじゃない。急に雪が・・」と窓の外を指さすと、初めて気がついたのか、立ちあがり、窓から海をながめながら「何時の間に・・」と言った。 「金華山は、少し前までは、紅葉が良かった。行った事は有るか」と聞いて来たので、「女川は初めてだ」と返す。
牡鹿半島の約1キロ先に浮かぶ霊島・金華山までは、海上30分ほどで定期航路が運航している。 しかし、こんなに近いのに定期便は一日一往復しか運航していない。 午後にもう一便有るにはあるが、この便は臨時便で、前日までに予約しないと運行されないと言う。 暫く話し込んでいると雪も止んだので駅に向かう。
すっぽこ汁
女川を11時過ぎの列車に乗り、石巻を経て、気仙沼線の起点駅・前谷地から小牛田に向かう。 左手に展開する万石浦は、相変わらず穏やかに、冬の日差しでキラキラと輝いている。 海から遠ざかり、石巻を過ぎると、列車は、旧北上川に沿うように進路を変える。 車窓に広がる広大な穀倉平野は、薄らと雪化粧をしていた。
女川からは、1時間半程で終点の小牛田に到着する。 『かつては、「小小田(こおだ)」と呼ばれていたものが、藩政時代に入って、隣村・牛飼村の頭文字を入れて、「小牛田(こごた)」と呼ばせるようになった。駅は、この地名の由来を受けて、東北本線開通と同時に開業した』と駅名の由来書きは記している。
駅を出ると小雪が舞っていた。 丁度昼時でもあり、こんな寒い日は、何か温まるものが良いが・・と駅近くを捜していると、「すっぽこ汁」と書かれた幟旗が目に留まった。 興味を引いたので、暖簾を分けて店を訪ねてみる。
「元祖すっぽこ汁定食」とメニューにあったので早速注文してみる。 暫くしてお椀が運ばれてきた。 店の女将さんに「どう言うものか」と訪ねると、こんな謂れを話してくれた。 「一種の精進料理らしい。葬式や法事の本膳の後、裏方を慰労するために造られたらしく、汁ものと言うよりは、具沢山なあんかけ料理で、この地方には明治以前から伝えられている郷土料理だ」と言う。 何種類かの野菜、豆腐、油揚げ、豆麩などに鶏肉を加え、醤油味のあんかけでまとめている。 これが、アツアツで、ボリュームも有り、期待以上に美味しかった。
日本一海岸に近い駅
石巻線の小牛田から気仙沼に向かう。 暫くは、先ほど見てきた雪化粧の穀倉地帯を走る。 15分ほどで前谷地に到着、ここで石巻線と別れ、気仙沼線に入る。 途中で北上川を渡り、その先で3500m余りの横山トンネルを抜けると陸前戸倉に到着する。 丁度ここまでが、1時間ほどで、ここから車窓の風景が、がらりと趣を変える。 今までの内陸風景は影を潜め、車窓右手には三陸の海が広がる。 しかし、路線は複雑に入り組んだ、海岸に律儀にお付き合いする事も無く、多くのトンネルで突っ切って進んで行く。 折角の絶景が、トンネルで何度も遮られてしまうのがいささか残念だ。
大谷海岸は、「日本一海岸に近い駅」として知られて駅である。 ここは、『日本の快水浴場百選』に選ばれた、全国でも有数の海水浴場。 白い砂浜ときれいな海水、浜から100m沖くらいまでが遠浅で、波は低く家族連れも安心して楽しむことができる。 駅から徒歩30秒が自慢の、東北で一番早く海開きが行われる海水浴場らしい。 駅の前、線路の直ぐ脇まで海岸が迫っており、なるほど近い。
気仙沼は全国でも有数な水揚げを誇る港町で、とりわけ遠洋マグロ漁業の基地としても知られている。 そんな漁港や魚市場へは、南気仙沼からはさほど遠くはない。 列車は、ここから大川に沿って、市街地を回り込むように進む。 心なしか、車内が少し冷え込んでいる。地面に積もる雪が多く成ったようだ。 不動の沢を過ぎた辺りで、ヘアピンのように大きくカーブして、終点の気仙沼に到着する。
一ノ関を起点とする大船渡線は、ここ気仙沼からは、三陸海岸に沿って、盛りに向かう。 気仙沼では丁度「気仙沼 ホルモンまつり」の開催中でもあったので、どんなものか食べてみたかったが・・ここではユックリする時間も無いので乗り換えを急ぐことにした。
三陸鉄道・南リアス線
盛からは三陸鉄道南リアス線の釜石行きに7分ほどで、連絡する。 ここから釜石の間は36.6Kmあり、45分で結んでいる。 この路線の特徴は、何と言ってもトンネルの多いこと。 大小合わせると19か所、その総延長は22キロ余りで、何と半分以上がトンネルと言う事に成る。 「青春18切符」を持って乗り継ぐと、運賃は半額に割り引くサービスが有り、嬉しい限りだ。
冬の日没は早い。 アイボリーホワイト地に赤と青の帯の入った36型気動車に乗り込む頃には、辺りは暗く成っていた。
盛から三つめに“恋し浜”と言う駅が有る。 元々は“小石浜”と書いていたが、「こいしいはま」と読むことから、鉄道ファンがこの駅で結婚式を挙げるなど、全国的に人気も高まり、知名度も上がってきた。 その人気にあやかろうと、平成21年にこのように改名されたと言う。 今は、ホタテを絵馬に見立てた、恋愛成就を願う「恋し浜絵馬」が駅の壁を覆い尽くしている。
三陸鉄道には営業努力を窺いさせるような、色々の車両が運行されている。 この36型の車両では、車内に「産直コーナー」を設け、手作りの郷土菓子や地元ならではの品々を並べ、主に団体専用車両として運行していると言う。
釜石の町
夕方6時少し前に釜石に到着した。 駅正面には、新日本製鐵釜石製鐵所の巨大な工場が立地している。 その建屋の小さな窓から、僅かばかりの明かりを漏らしているだけの駅前は、思ったよりも暗い。 日本有数の巨大企業の城下町だから、活気が有って、賑やかな町並みを想像していた。 しかし、そこは想像以上に薄暗く、人の通りも少ない、余り活気が感じられない町であった。
駅のすぐ右手に、「駅前橋上市場 サン・フィッシュ釜石」がある。 何か地のものでも・・と思い、予め調べておいたお目当ての店を訪ねてみたが、生憎丁度閉店したところ。 店の中に明かりが灯り、店員らしき姿も見えたので、扉を開けて、訪ねてみたら「もうネタが切れた」と言う。 こんなに早い時間に閉めるとは思ってもいなかった。 もう少ししっかりと営業時間まで調べておくのだったと後悔した。 他に開けている店が一軒あったが、なんだか、高級そうな店構えなので、ここは諦めることにした。
仕方なく今売出し中の「釜石ラーメン」でもと思い、駅に戻り、駅員に評判の店を尋ねてみる。 駅員お気に入りの店は、駅からは少し離れているとのこと。 駅の近くにもラーメン店は有るらしいが、折角なら評判の店で味わってみたい。 急げば、行けなくもないが、気ぜわしいので結局「釜石ラーメン」は諦めることにした。 近くのコンビニで買った、締まりなくつまらない夕食を、駅のベンチで摂ることになってしまった。
この後、山田線で宮古に向かう。 車内に乗客は少なく、途中の駅でも余り乗客の乗り降りは無い。ほとんど貸し切り状態である。 車窓右手には、三陸の海が見えている筈であるが、窓に顔を付けても、自分の顔が映るのみで、何も見えない。 1時間20分余りで、「ようおでんした」と歓迎の横断幕のかかる終着宮古に9時少し前に到着した。 本州最東端の町で列車を降りる人は、数える程しかいなかった。
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