旅の思い出 |
超ローカル・岩泉線
これぞローカル線の代表と言っても決して過言ではない程のローカル線だと思う。 なにせ、僅か40Kmに満たない路線に走る列車は一日僅かに三往復。 しかもその時間帯が何とも泣かせるのが岩泉線である。
茂市を朝7時台に発車する列車は、50分ほどかけて終点の岩泉に到着する。 その列車はそのまま折り返して、茂市から山田線に入り、宮古まで行く。 しかし、その次の岩泉行きとなると15時台まで無く、さらにその次となると18時台、これが最終である。
この日、6時半過ぎの列車で宮古を発った。 閉伊川を左に見ながら、20分ほどで茂市に到着する。 いかに太平洋岸が温かいとは言え、さすがにこの辺りまで来ると雪も多く成る。 ホームに入ってきた、気動車の前面には雪が凍りついている。
閉伊川の支流であろうか、列車は川に沿った急坂をいきなり昇り始める。 途中の岩手和井内駅で、「和井内・・・」どこかで聞いた事が有るようなと、ふと気に留まった。
益々深く成る谷、線路に迫る山肌、連続するトンネル、崖っ淵を行く列車、人家もだんだん無くなってきた。 列車は時刻表通り、駅々で停車を繰り返すが、乗り込むお客は皆無と言って良い程、ホームは閑散としている。 駅の周りに人家が少ないのだから、当然と言えば当然であるが、それにしても本当に寂しいところだ。 やがて3000メートル程の押角トンネルで峠を越すと、後は岩泉の市街地に向けて下るのみだ。 岩泉の駅で、列車と接続をするので有ろうか、小さなバスが、列車と競うように国道340号を走っている。
寂しい谷合を上ってきたので、寂れた無人駅を想像していた。 しかし終着駅の駅舎は、思いがけず大きく立派な建屋を構えていた。 駅前も結構な広さがあり、こんな山奥にしては意外である。 先ほど列車と競って国道を走ってきたバスの方が、少し早く着いたようだ。 「龍泉洞」と書いたボディを、バス停に休めていた。
龍泉洞は日本三大鍾乳洞の一つに数えられ、国の天然記念物。 初めてここを訪ねたのは30年余り前、新婚旅行の時である。 洞内にある、コバルトブルーの水を湛えた地底湖の透明度と、神秘なまでの静寂に痛く感動した事を覚えている。
列車の運転士に駅名標示板の前で、写真を撮ってもらった。 「この線も小本(三陸鉄道北リアス線)に繋がっていたら、こんなことは無かったのに・・・」 計画は有ったらしい。 しかし工事の着工がなされないまま計画は頓挫、今では、盲腸線に成り下がってしまった。 「近くに龍泉洞が有っても、電車で来る人はまずいない」 運転士は、こんな話を聞かせてくれた。
帰路、和井内で思い出した。 確か、小学校か中学校の、国語だったか社会で習ったような・・・そんな記憶が甦ってきた。 「和井内貞行と言う人が、ひどく苦心の末、ヒメマスの養殖に成功した」 しかし、あれは十和田湖でのことだったようだが・・・。 こことは、どう言う関係があるのか、無いのか、良くは解らない。
注)岩泉線は、「土砂崩壊」のため、現在はバスによる代行輸送が行われている。
宮古魚菜市場
これに乗り遅れると、次は17時20分まで待つことに成るので、急いで折り返しの列車に乗って、9時過ぎ、再び宮古に戻ってきた。
折角だから、駅から近い宮古魚菜市場に寄って見る。 東シナ海から北上する黒潮と、千島列島東岸を南下してくる親潮がぶつかる宮古沖は、国内きっての好漁場。 この市場には、一年中、四季折々のピチピチした魚が豊富に並べられると言う。
駅前から真っ直ぐに延びる広い道を10分程歩くとそれは有る。 さすがに市民の台所と言われるだけあって、市場は海産物や青果物、果物からお菓子、日用品まで、品々が溢れている。
この時季の風物詩は新巻鮭、この他にも毛ガニ、真鱈、あんこうなどが並ぶ。 市場の中央にはチョッとした広場が有って、近郊農家のおばあちゃん達の手作りの野菜などが並べられ、それを買い求める多くの人々で活気が溢れていた。
「ひゅうず」と呼ばれるお菓子を買ってみた。 小麦粉を練った厚めの皮に、黒砂糖とクルミ、ゴマなどを混ぜた、餡と言うかソースと言うか、そんなものを入れ、丁度餃子を大きくしたような形にして茹でている。
齧って見ると皮は、もちもちと歯ごたえがある。 中から液状の蜜が出てくるので、うっかりすると服を汚しかねない。 素朴な田舎の味と言ったところか。 少しばかりのお土産と、お昼ごはんに成りそうなものを買い求め、駅に向かった。
三陸鉄道・北リアス線
三陸鉄道・北リアス線は三陸の海岸線に沿って、久慈までの71Kmを1時間半ほどで結んでいる。 ここら辺りの海岸は、大昔地殻変動で隆起してできたものらしく、幾つもの深い入れ江が入り組んでいるため、海近くに線路を建設する事が出来ず、殆どが高架橋と43ケ所のトンネルで占められている。 そのトンネルの総延長が40Km近いと言うから、全線の半分以上を占めることに成る。
しかしトンネルは多いものの、それを抜けた瞬間に、いきなり広がる太平洋の大パノラマは、雄大で、見応えがある。 その上、絶景ポイントの大沢橋梁や安家川橋梁では、一旦停車するサービスも有り、ゆっくりとこの景色を堪能する事が出来る。
この路線では、冬場の土・日・祝には、「こたつ列車」が運行される。 車内のダルマストーブで「生せんべい」を焼いたり、琥珀の産地久慈をイメージした「こはく汁」などを乗客にふるまうサービスも有るらしい。 この列車は、普段は、お座敷構造に転換し、団体列車として使われる事も有ると言う。 他にも、ワイン列車、スイーツ列車、もちつき列車などのイベント列車を走らせている。
お土産にも面白いものがある。 営業赤字を逆手に取った、赤字を食べつくしてしまえと言う「三陸赤字せんべい」、赤字をカットしょうと「赤字カットわかめ」などがある。 「久慈ありすイラストそのまま煎餅」も、鉄道むすめ「久慈ありす」(イメージキャラ)を直接プリントした何の変哲も無い南部煎餅だが、そのアイデアに思わず手にしてしまう。 赤字の続く鉄道事業を、何とかしようとする営業努力は大したものだ。
旅の終着、八戸へ
久慈からは、八戸線で終点の八戸に向かう。 この路線は、途中の鮫から八戸間には「うみねこレール八戸線」と言う愛称が付けられている。 八戸の通勤・通学圏、いわゆる近郊路線で有る。
駅を出ると、暫くして列車はかなりの勾配を昇り、海から離れた山の中の駅「侍浜」を目指す。 ここで峠を越える。 厳しい地勢はここら辺りまでで、後は、海側の陸中中野に向かって下っていく。 そしてここから先は、ほぼ太平洋に沿って北上する。
車窓から見る限りここら辺りは、白砂青松の静かな海が多い。 時折岩場に弾ける白い波頭を目にすることも有るが、リアス式海岸とは趣を異にし、比較的穏やかな海岸線が続いている。
やがて遥か前方の湾を隔てた陸地に、白い煙りを吹き上げる、八戸臨海工場地帯の何本もの煙突が見えてくると八戸港だ。 その港の入口、お椀を伏せたような、こんもり盛りあがった小高い山の上に神社が見えてくる。 ウミネコの繁殖地として、国の天然記念物に指定されている「蕪島」の赤い鳥居が印象的な「蕪嶋神社」だ。 今では島の前は、埋め立てられ、陸地続きに成っている。
ウミネコの糞なのか、山肌の所々が白く成っているのが見える。 ウミネコは、夏が終わると南に飛び立って行くらしい。 繁殖期には乱舞するウミネコの姿を、この時期に見る事は出来ない。 それでも何羽かの鳥が空をユックリ舞っていた。 この地に残り、冬越しをするウミネコも僅かながらいるらしい。
海を離れ内陸に向かい、市街地を高架で駆け抜けると終点の八戸はすぐである。
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