旅の思い出 |
鹿島線
鹿島線は、成田線の佐原の一つ先、香取から鹿島サッカースタジアムまでの17.4キロで、殆どの列車は佐原からスタジアム駅の一つ手前の鹿島神宮間で運行され、その所要時間は20分ほどである。 鹿島神宮からは、鹿島臨海鉄道の大洗鹿島線が、鹿島サッカースタジアムまでのJR区間に引き続いて、水戸までの53キロを、1時間10分ほどで結んでいる。
サッカーJ1の鹿島アントラーズの本拠地スタジアムはこの沿線にある。 駅は特殊な駅で、サッカー開催時にしか営業しないが、その折は、東京方面から臨時列車が運行されることも有るらしく、大そう賑わうと言う。
この日早朝の鹿島線は、4両編成のクハ209に乗客はまばら。 出発した電車が利根川を越えると、辺りには広大な水郷地帯と成り、車窓には豊かな田園風景が広がっている。
水郷の町、潮来
急に思いたって潮来で途中下車、掃除中の駅員にあやめ園の場所を訪ねると、「今は何も咲いてませんよ・・」と怪訝な顔をしながら駅前から続く道を教えてくれた。 潮来は水郷の町、船頭が操るサッパ舟に乗っての水郷巡りや、アヤメ園が知られている。
“水雲橋”や“思案橋”を背に、あやめの咲き競う様子は圧巻で有り、そんな様子を映した観光ポスターを、関東のどこかの駅で以前見たが、その映像は今もはっきりと心に焼き付いている。
駅からさほど遠くは無い“前川あやめ園”は、この時期は訪れる人も無くひっそりと静まり返っている。 毎年5月から6月にかけてアヤメ、カキツバタ、花菖蒲など500種100万株が咲き誇り、辺り一面を紫色に染め上げると言う園は、土色の冬枯れ状態で株跡だけが目に付く。 そんな園内に花村菊枝の「潮来花嫁さん記念歌碑」や、橋幸夫の「潮来笠記念歌碑」などが淋しげに建っていた。
潮来の駅で鹿島行きを待っていたら、特急車輛が入って来た。この車両は、鹿島神宮を8時20分に折り返す普通電車で、途中の佐原から終点の東京までは「特急あやめ」として運行されている。
常陸の一宮・鹿島神宮
延方を過ぎ、北浦に架かる長い鉄橋を渡ると終点の高架駅、鹿島神宮だ。 その駅前からは、鹿島神宮に向かう赤茶色のレンガ敷きの坂道が延びている。
坂の途中に「剣聖・塚原卜伝」の像が建っている。卜伝は、戦国時代に活躍した剣豪で、鹿島神宮神官の子としてこの地に生まれ、「無手勝流」などの逸話が、講談に取り上げられその名を知られている。
この坂、見かけよりも随分とキツイ。 息を切らせながら10分ほどで登りきると、門前町を形成する表参道に行き当たる。 そこを左に折れると少し先に大きな鳥居が目に入ってくる。
鹿島神宮は常陸の国の一宮、日本全国に約600社有るとされる鹿島神社の総本社で、県内でも初詣客の多い神社として知られている。昔から境内は、神々のいます場所として崇められてきたため、広大な樹叢が形成されていて、境内全体が県の天然記念物に指定され、また鳥獣特別保護地区にも指定されているだけに、広々とした社域に拝殿などの建物がゆったりと配置されている。
ここには鹿園も有り、神の使いとして30頭余りの日本鹿が飼育されている。 地元を本拠とするサッカー、鹿島アントラーズのチーム名はこの鹿の角(アントラー)に因んでいて、チームのマスコットも鹿をモチーフにした「しかお」と「しかこ」であり、この鹿島神宮は文字通り守り神である。
鹿島臨海鉄道線
鹿島臨海鉄道線は、太平洋の鹿島灘と、霞ヶ浦を構成する湖の一つ北浦に挟まれた水郷地帯に延びているが、鹿島神宮を出て暫くは、沿線からそれらを見通すことは殆どない。この鉄道、積極的に車体広告を展開しているらしく、赤を基調に白いラインの入った電車の両側面には、鉾田市の名産品広告が貼られていた。
途中には“長者ヶ浜潮騒はまなす公園前”と言う、長い名前の駅が有る。 1992年南阿蘇鉄道高森線の“南阿蘇水の生まれる里白水高原駅”に抜かれるまでは、日本一長い駅名として知られた駅である。
大洋を過ぎ、進路が西に変わり、左手前方に北浦が広がると新鉾田。 町を見下ろす高架駅で、沿線の中では比較的大きな駅のようだ。乗降客も多く、水戸の街へ遊びに出掛けるのであろうか、二人三人と連れ立った学生や若者が乗り込んで来る。今まで閑散としていた車内が一辺に賑やかに成った。
大洗は、沿線では比較的大きな太平洋に面した町で、水戸までの区間運転される電車も多く、ベットタウン、近郊エリアと言った感じがする。駅近くには、マリンワールドを初め、マリンタワー、リゾートアウトレットなど海の係わるレジャースポットが点在している。また港からは、苫小牧に向かう大型フェリーも運航されている。 ここから県都・水戸までは15分ほどで到着する。
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