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黄門さまがお出迎え

 

 常磐線の主要駅水戸は、東北本線の郡山に向かう水郡線の起点駅である。

同じく東北本線の小山に向かう水戸線(友部―小山間)の列車の多くが、この駅を発着としている。

また、鹿島臨海鉄道も乗り入れる等、県内の交通結節点として重要な位置を占めている。

 

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駅は橋上駅で北口を出ると、助さん格さんをお伴に旅姿の黄門さまが、静かに駅を行く人々を見守っている。

ここは徳川御三家の一つ、水戸藩35万石の城下町でもある。

岡山の後楽園、金沢の兼六園とともに日本三名園のひとつに数えられる偕楽園は、百種三千本と言われる梅の木の植わった名所として知られている。

 

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梅の名所・偕楽園

 

偕楽園は、水戸家の第九代藩主・斉昭公が「衆と偕(とも)に楽しむ場」として開設した公園で、その広さは約13ヘクタール、そのほとんどは国有地らしい。偕楽園入口でバスを降り、駐車場を抜け、大きな鳥居を潜るとそこは常盤神社の境内で、そこを抜けると東門が有る。

 

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本来は園の北側に有る入口が正面入り口で、そこから入って、鬱蒼とした孟宗竹林や大杉森の「陰」から、梅林に代表される「陽」に至る道こそ園の魅力を味わう事が出来るらしいが、バス停や駐車場の関係で、殆どの来園者は東門から入るそうだ。

 

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広い園内には、様々な梅が植えられている。

中でも「水戸の六銘木」と言われるものは、その花の色や姿、匂い立つ香りが特に秀でていると言う。

梅には好文木(こうぶんぼく)、春告草(はるつげぐさ)、匂草(においぐさ)などの異名が有り、好文亭は藩主・斉昭がこの好文木に因んで自ら命名したものである。

 

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好文亭は、園の中心的な施設で、今で言う宴会場と展望所の機能を併せ持つ優美な木造23階建ての建物で、戦後に復元されたものである。

 

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ここからの眺望をこよなく愛した斉昭は、文人墨客や家臣などを招いて色々な会を催したと言われている。

 また、梅が盛りに成ると、日を決めて、藩士や一般庶民にも無礼講として園を開放した。

ここは、藩士たちが浩然の気を養う場所で有ると同時に、飢饉や軍事などの一朝有事の際、実を梅干しとして備えるための実梅の畑でもあった。

 

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西山の里・常陸太田

 

 水戸からは、東北本線の郡山に向かう水郡線の途中駅上菅谷までは、普通で十数分の距離である。

そこからは、水郡線の支線が分かれていて、更に15分ほど乗るとその終点が常陸太田である。

 支線の本数は少なく、凡そ1時間に1本と言ったところだ。

 

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人口は五万五千人余り、茨城県内では最大面積を誇る自然豊かな郷である。

市内には佐竹氏ゆかりの太田城址や水戸徳川家の墓所も有り、水戸徳川家との縁の深いところでもある。

 

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駅前から国道293号をタクシーで78分走ると、「西山の里・桃源」と言う休憩施設が有り、水戸光圀公隠棲の地として知られる「西山荘」の入り口となっている。

そこは、豊かな自然に包まれた光圀公ゆかりの遺跡である。

 

 

黄門さま隠棲の地

 

「西山荘」は、幕府より隠居を許された光圀公が、約10年間を過ごされたところである。

「大日本史(光圀没後命名された)」の編纂に必要な沢山の書物と、僅かな身の回り品だけを持ち込んだ光圀公は、ここで多くの領民たちと身分の別なく親交を重ねられた。

 

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飲食や物産の販売コーナーを併設した建物を抜けると木橋の架かった池があり、その先に毎年六月に菖蒲祭りの行われる広い菖蒲畑が有る。

その池を取り巻くように、その先に里山の散歩道風な園路が山に向かって延びている。

 

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池の傍に「助さんの住居跡」の看板が建っている。その先には、光圀公が一番好んだとされる「難波梅」が植えられている。光圀公没後三百年を記念して植えられたもので、テレビで何代目かの光圀を演じた、俳優の佐野浅夫が寄贈したものだ。

 

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 西山の湧水を貯める桜ケ池、ハスの花咲く紅蓮池、白蓮の咲く心字池など、山際の地勢を生かし、滝や幾つかの池を配した雑木林に囲まれた仙郷の里に建つ住いは茅葺屋根の建物である。

母屋で有る隠居所は華美な装飾は一切省かれており、御座の間とお次の間を隔てる敷居を省くなど、とても徳川御三家のひとつ、水戸家35万石の元藩主のものとは思えないほどに簡素な造りである。

 

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 お城の使者を迎える表門の簡素な造りに比べると、家臣や領民の出入りする裏門(通用門)は、櫟丸太で組み上げたしっかりとした設えで、こんなところにも臣下や領民を大切にされた、光圀公の心根を垣間見ることが出来る。荘内の水田を自ら耕し、収穫した米十三俵を年貢として、太田奉行所に差し出し、庶民に成った証とされたと伝えられている。

 



 

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