富士山日和・身延線

 

 JR身延線は、静岡県の富士と山梨県の甲府を39駅で結ぶ88.4qの路線で有る。

前身は身延鉄道で、大正2(1913)年に富士と大宮町(現在の富士宮)の間で開通した。

 

当時盛んに行われていた富士川による舟運に変る輸送路としての期待も高く、順次北に向け延伸されている。

身延まで線路が延びるのはその7年後で、身延山への参拝客取り込みの期待がかけられた。

終点の甲府まで開通するのは、更にその8年後である。

 

富士駅

富士駅

富士駅

 

富士駅

富士駅

富士駅

 

 基点の東海道線の富士駅は、同線の開通後当時の加島村により熱心な「加島駅」開業の誘致活動が行われた。

その結果、開通から遅れること20年を経て設けられたのがこの駅である。

しかし駅名は加島ではなく、富士山、富士川が近い事からそれに因み「富士」と名付けられた。

 

路線は富士山の西側の裾野に沿うように進み、途中からは富士川も寄り添ってくる。

山と川の織りなす車窓風景が展開する、風光明美なローカル線と言ったイメージだ。

しかしここはそんな景色とは裏腹な、日本列島を分断する中央構造線、所謂フォッサマグナ断層の中である。

 

富士山日和

富士山日和

富士山日和

 

富士山日和

富士山日和

富士山日和

 

富士山日和

富士山日和

富士山日和

 

富士山日和

富士山日和

富士山日和

 

車窓からは、どこまで行っても雄大な富士の姿が堪能できる。

あるところでは、建て込んだ民家の狭間から、そしてあるところでは工場の屋根越しに姿を現す。

そして視界が開けると、雄大に広がる裾野の流れと、山頂に雪を戴いた優美な富士の全容を望む事も出来る。

今日は掛る雲も少なく、事の他美し富士の姿は、列車の進行に合わせ、右に左にそして後ろにと展開する。

 

富士川

富士川

富士川

 

富士川

富士川

富士川

 

富士宮では広大な裾野に開けた市街地と、その上に立ちはだかる富士山のパノラマに思わず見惚れてしまう。

ここ富士宮は、B-1グランプリの第一、二回で連続優勝した「富士宮やきそば」で有名な町だ。

これがB級グルメブームの始まりといわれている。

焼きそば目当ての観光客は年間100万人程で、この10年間の経済効果は400億〜500億円と試算されている。

 

西富士宮を出た列車は、今来た方向に逆戻りするように大きくカーブしながら急坂を登る。

車窓を楽しませてくれた富士山と別れ、沼久保辺りで進路を北に取ると、今度は富士川が寄り添って来る。

熊本県の球磨川、山形県の最上川と並んで日本三大急流の一つに数えられている川である。

広々とした河川敷の中を悠然と流れる川が、富士に成り代わり車窓の友と成り、退屈を凌がせてくれる。

 

 

久遠寺の門前駅・身延

 

十島を過ぎると路線は山梨県に入る。

カーブとトンネルの連続する富士川に沿って進むこと1時間半足らずで身延に到着する。

駅員の配置された大きな駅で、単式と島式ホームがそれぞれ1面有り、合わせて3線を備えている。

ここは日蓮宗総本山・身延山久遠寺の玄関口で、特急を始め全ての列車が停車する。

桜のシーズンとあって、さすがに乗降客が多く、駅は賑わっていた。

 

久遠寺の門前駅・身延

久遠寺の門前駅・身延

久遠寺の門前駅・身延

 

久遠寺の門前駅・身延

久遠寺の門前駅・身延

久遠寺の門前駅・身延

 

久遠寺の門前駅・身延

久遠寺の門前駅・身延

久遠寺の門前駅・身延

 

久遠寺の門前駅・身延

久遠寺の門前駅・身延

久遠寺の門前駅・身延

 

久遠寺の門前駅・身延

久遠寺の門前駅・身延

久遠寺の門前駅・身延

 

久遠寺の門前駅・身延

久遠寺の門前駅・身延

久遠寺の門前駅・身延

 

 駅前には広々としたロータリーが整備されていて、久遠寺などに行く路線バスや、タクシー乗り場がある。

その駅前から続く凡そ600m程の商店街が、「しょうにん通り商店街」である。

電線を地中化し、和風の景観に統一した町造りによって生まれ変わった、嘗ての駅前商店街だ。

 

 

下部温泉駅

 

 下部温泉駅は下部温泉の玄関駅で、無人駅ながら特急を始め全ての列車が停車する。

元々は下部駅と呼ばれていたが、駅から1qほど先に開けた温泉街に因んで改称された。

しかし、温泉街が離れているせいか、玄関駅というのに駅前には左程の賑わいは見られない。

温泉客はマイカーやバスが多いらしく、列車で訪れる客は少ないので、観光駅なのに無人駅と言う事らしい。

 

下部温泉駅

下部温泉駅

下部温泉駅

 

下部温泉駅

下部温泉駅

下部温泉駅

 

下部温泉駅

下部温泉駅

下部温泉駅

 

ここ下部温泉は、「武田信玄 隠しの湯」として知られている。

その昔信玄が川中島の戦いにおいて、その宿敵上杉謙信から受けた肩の刀傷を癒しに訪れたとの言い伝えがある。

その後、江戸時代には湯治場として大いに栄えていたらしい。

そんな賑わいを演出したのは、身延山久遠寺に参詣が立寄る庶民達であったと伝えられている。

 

 

甲府

 

下部温泉駅を出ると、駅名にも「甲斐」の文字が多く見られるようになる。

富士川とは付いたり離れたりしながら、鰍沢口を過ぎると身延線は、甲府盆地に入り込む。

その先で支流の笛吹川を渡ると、川とは分かれ、甲府盆地の中心、終点の甲府に到着する。

 

武田神社

武田神社

武田神社

 

武田神社

武田神社

武田神社

 

ここで中央線に乗換えるが、3時間程余裕があるので、観光案内所に立ち寄って見る。

市内の案内図を頂きに訪ねると、「通りの桜も綺麗なので、武田神社はいかがですか?」と勧めてくれる。

 

武田神社は、武田信玄公を御祭神としてお祀りする市内を代表する神社である。

駅の北口から真っ直ぐ延びる、武田通りの突き当り、距離にして2qほどの所に位置している。

バスも有るが、折角なので歩いて訪ねることにした。

 

武田神社

武田神社

武田神社

 

武田神社

武田神社

武田神社

 

武田神社

武田神社

武田神社

 

武田神社

武田神社

武田神社

 

武田神社

武田神社

武田神社

 

武田神社

武田神社

武田神社

 

 甲斐の国の守護神として、また勝負事の神様として市民の信仰は篤いという。

境内は、信玄の父信虎公が石和より移した躑躅ケ崎館跡に鎮座していて、国の史跡に指定されている。

ここは武田信虎・信玄・勝頼の三代が60年に渡って居住した地で、当時の堀、石垣、井戸なども残されている。

 

円光院

円光院

円光院

 

円光院

円光院

円光院

 

円光院

円光院

円光院

 

円光院

円光院

円光院

 

 武田神社からは東に1.2qほどの所に円光院という、臨済宗妙心寺派の寺院がある。

躑躅ケ崎台地の東端辺りで、周辺には護国神社や市営霊園が有り、山に囲まれた自然豊かな地である。

境内には信玄公墓所や、公の正室三条夫人の墓がある事が知られている。

 



 

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