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柳川のお堀巡り

 

柳川は筑後平野の南西部に位置する町で、日本の近代文学を代表する詩人・北原白秋の故郷として知られている。また市内には総延長500キロにも上る掘割があり、“水郷の町”とも呼ばれ、どんこ船で行く“お堀めぐり”が人気を集めている。

 

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 西鉄柳川駅にほど近い、赤い欄干橋のある三柱神社の前に建つ、北原白秋ゆかりの「松月文人館」から乗り込んだどんこ船は、船頭の操る竹竿一本で水面を滑るように進む。

 

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 最初に見えてくるのが黒瓦葺白壁造りの「柳川古文書館」だ。

所々に立つ白秋らの詩碑や、岸辺の木々や草花に視線を送りながら、船頭の名調子に耳を傾ける。

周りの建物も、潜る橋の上を行く自動車も、岸辺に花をつける木々も、何もかも低い視線から見上げるので、何か別のものを見るようで、その新鮮さに感動する。

 

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船一艘がやっとと思うほど狭い堀や、幾つもの小さな角を巧みに曲り、まるで抜け穴のような低く狭い橋の下を側に当てる事も無く吸いこまれるように潜っていく。船頭の腕の見せ所である。

 

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 「ウナギの供養碑」「まちぼうけの碑」などを経て、かんぽの宿の前を過ぎ、右手に見えてくる広大な「お花」の屋敷を巡るように進むと「殿の倉」と呼ばれるナマコ塀が見えてくる。

 ここらあたりの岸辺が観光の中心地らしい。

どこからともなくウナギを焼く香ばし良いにおいが漂ってくると、凡そ70分の舟旅は終わりだ。

 

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白秋と藩主の館

 

 運行業者によって多少の違いは有るようだが、おおむね柳川観光の中心的な場所で下船することに成る。

下船場所の川岸には柳並木が植えられ、周囲には有明海の旬の魚介類や、柳川の川魚を食べさす店が軒を連ねている。そんな中で柳川の名物と言われる“うなぎのせいろむし”はぜひ味わってみたいものだ。

 

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明治18年、この柳川でも一二を争うような酒造業を営む名家に生まれた北原白秋は、多感な時期をこの町で過ごし、自然豊かなこの町で詩心を育んだと言われている。

 そんな白秋の業績を紹介する記念館と共に、生まれ育った生家が残されている。

 

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 その生家からほど近いところに有るのが“御花”である。

江戸時代この柳川を治めた立花家の別邸で、当時の地名花畠から、地元の人々が愛着を込めて“御花”と呼ぶようになった。

 

一際目を見張るのが正面の“西洋館”で、鹿鳴館時代の特徴を表す建物は、明治時代に立花家の迎賓館として建てられ、現在では結婚式場として使われていると言う。

国の名勝に指定されている“松濤園”は観賞式の庭園で、座敷から郷土料理を頂きながら、目の前の園池で群れ遊ぶ沢山の野鴨の姿を見る事が出来る。

 

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周囲はこの他にも立花家400年に渡る歴史で受け継がれてきた収蔵品を見せる“立花家資料館”、宿泊施設、料亭等を備えていて、柳川観光を代表する施設に成っている。

 

 

海の中道

 

 博多から香椎までは10分ほどだ。

香椎線はその香椎を中心に、西戸崎と宇美を結ぶ25.4キロの路線である。

 

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宇美はここから歩いて10分程のところにある“宇美八幡宮”の門前駅で、それにあやかって駅舎の柱は朱色に塗られている。

 駅の出札窓口に、“辛子めんたい風味 めんべい”成るものが置かれていた。

駅員が「美味しいですよっ・・」と言うものだから買ってみたら、これがめんたい味・ピリ辛のパリパリ煎餅で、これならビールも進みそうで意外にも(?)美味しかった。

 

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 沿線は田圃の中に新興住宅地が点在す大都市の近郊と言った感じで、乗客も学生や通勤客が多いようだ。

酒殿の周辺には、かつての炭鉱のボタ山も残されているらしいが、車窓からはどれがその山なのかは良く分からない。長者原では篠栗線とクロスする。

博多の町へ出るにはここで乗り換えた方が早いようで、さすがに乗降客が多い。

 

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 その先で、新幹線の高架を潜ると鹿児島本線の香椎に到着する。ここから終点の西戸崎までは“海の中道線”の愛称が付けられている。歴史上に名高い“金印”が発見された志賀の島は、この沿線の先に有る。

列車は海に突き出た砂州の上を行く。

本線を跨ぎ九産大を過ぎ、福岡マラソンの折り返し地点として知られた雁の巣辺りからは両側に海が近づく。

 

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 左手に博多湾の海が広がり、右手にも海が近づいているが防砂板に阻まれ余り見る機会は無い。

しかし両側に海が眺められる区間は、そうそうには無く、何とも贅沢な風景を楽しめる路線である。

 

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かつての花形路線

 

明治の中頃、筑豊炭田で産出される石炭を、若松港まで輸送するために直方から若松まで鉄道が開設された。

その後鉄路は鹿児島本線に接続する原田まで伸延され、66.1キロの筑豊本線となった。

 

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 かつて石炭産業を支えた花形路線も、今その面影は無く、若松と折尾の間は“若松線”、折尾と桂川の間は“福北ゆたか線”、桂川と原田の間は“原田線”と言う愛称で呼ばれている。

このように本線は三つに分断され、当然のようにそこを通して運行される列車は無い。

 

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 この路線に有って一番に変身を遂げたのが、折尾と桂川の間である。

この路線は、博多の北、鹿児島本線の吉塚から桂川に至る篠栗線と合わせて“福北ゆたか線”と呼ばれるように成った。通勤通学用の近郊路線と成り、多くの列車が博多と折尾の間で運行され、一部の列車は折尾から鹿児島本線に入り、黒崎や小倉、門司港まで運行されている。

 

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 電化された“福北ゆたか線”に比べると、桂川と原田の間の“原田線”は取り残され、別のローカル線のような扱いである。非電化区間に運行される列車は、朝夕を中心に8往復のみで日中は殆ど走らない。

 

 

洞海湾と渡し船

 

筑豊本線の内、若松と折尾の間は“若松線”と呼ばれ、列車の殆どがこの区間で運転され、その先の直方まで行くものはほんの一部に過ぎない。

 

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 鹿児島本線と筑豊本線が複雑に交差する折尾を出ると、暫くは金手川に沿って市街地を行く。

やがて沿線に大小の工場群が増え、右手に巨大な八幡製鉄所や、洞海湾の袋状の入江が近づいてくると終着駅の若松である。

 

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 駅の左手には高塔山公園の小高い丘が迫り、目の前には洞海湾を跨ぐ深紅の巨大な吊橋が見える若松は、火野葦平の「花と竜」でも知られた港町で、駅前にはその資料館もある。

 駅を出て右に折れ国道を行と洞海湾に行き当たり、更に湾に沿った遊歩道を10分ほど歩くと渡船場がある。

 

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 古くから戸畑と若松の間の渡し船として運行されていた若戸渡船は、当時東洋一の吊橋と謳われた若戸大橋が完成し、一旦は廃止の計画が有ったようだが、市民の強い運動により存続が決まった。

その後若戸大橋の歩道が廃止された事もあり、戸畑と若松とを結ぶルートとして無くてはならない市民の足となり渡船は残されている。

 

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 渡船乗り場からは、若戸大橋の橋脚の下に有る対岸の戸畑の乗り場が良く見える。

この間は僅かに数百メートル程しか離れていないその狭い湾を、二三十トン程度の小さな渡し船で渡るのだ。

ここでは青々とした海に白波を立てながら若戸大橋を仰ぎ見る、僅か5分ほどのささやかな船旅が楽しめる。

 



 

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