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尖閣湾揚島遊園

 

尖閣湾は、昭和9年国の名勝に指定された景勝地で、佐渡を代表する観光地である。

湾を見下ろす高台に、レストハウスや展望台、水族資料館が建ち、海中景観が見られる海中透視船・グラスボートも運行されている。

 

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遊歩道の途中には、菊田一夫のヒット作「君の名は」の記念文学碑が有る。

昭和27年のNHKラジオドラマ「君の名は」は、女風呂を空にする程の大ヒットに成った。

翌年そのドラマが映画化され、そのロケ地に選ばれたのがこの園で、それにより尖閣湾は一躍全国的に知られるようになる。ドラマの冒頭で流れる有名な「忘却とは 忘れ去ること成り 忘れ得ずして 忘却を誓う心の悲しさよ」は、声優の来宮良子のナレーションで有る。

 

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 園を抜け、やや小ぶりな白い大埼灯台を見ながら、緑の人工芝の敷かれた遊仙橋を渡ると、その先には荒々しく隆起した岩々を縫うように遊歩道が造られ、導かれるままに展望台へと向かうと、そこには海岸段丘が日本海の荒波に削られて生まれた、素晴らしい眺望が待っていた。

 

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切り立った壁は海から凡そ20m、その粗削りな断崖は自然が造った見事なまでの造形だ。

丁度緑の帽子を被ったような岩塊が、静かな湾に聳え立つその姿は、人を寄せ付けないような威圧感と荒々しさが感じられる。

 

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佐渡の金山

 

 佐渡の山々では、古くは平安時代末期頃から、砂金が取れていたとする記録が残っている。

そんな古い歴史の有る金山が広く知られるようになったのは、関ヶ原の合戦が行われた翌年で、その年にはこの地は天領となり、以後徳川幕府が大規模な開発を進め、それにより幕府の財政を支えてきたのである。

 

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 公開されている宗太夫坑は、坑口の高さ3メートル、幅2メートル程ある江戸時代初期から開坑された大型坑道で、国の史跡に指定されている。

坑道はまるで地下の蟻の巣のようで、その総延長は400キロにも及び、その斜坑は佐渡を取り巻く外海の下まで伸びていると言われている。

 

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 江戸時代、金窄大工達がタガネを上田箸で挟み、鎚で打ち採掘していた構内は、少しひんやりとしている。

坑道の脇には、当時の採掘の様子が実物大の人形で再現・展示されていて、劣悪な環境の下、過重で過酷な気の遠く成る様な作業の様子を窺い知ることが出来る。

 

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 坑内での採掘は多くの人手を要したため、幕府は近隣の農村に人足割り当てをし、安い賃金で多量の人足を確保すると同時に、当時の都市部からは、無宿人を多量に送り込んだと伝えられている。

 


 

近代炭鉱の跡

 


道遊坑は、明治に成って開発された近代的な坑道で、平成元年まで操業が続けられていた。

近代の鉱業遺産としての文化的価値も高く、宗太夫坑が人力により掘り進められたのとは違い、多くの部分で機械化されていて、その対比が興味深く面白い。

 

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 資料館から外れ少し山側に歩くと、異様な容をした小さな山が見えてくる。

「道遊の割戸」と言われるもので、国の史跡に指定されている。

これは佐渡金山発見当初からの主要鉱脈の一つで、山頂は斧で割り裂いたように成っていて、当時の露頭掘りの跡であり、その下には大きな空洞がぽっかりと口をあけている。明治以降に採掘が行われた跡だと言う。

 

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 「道遊の割戸」を降りると、赤い櫓が印象的な高任立杭の前に資料館がある。

機械工場の前に敷かれた幅の狭い線路に、チョコンと乗っかる様な「2トンバッテリートロッコ」が可愛らしい。

これでも時速1213キロの速度で、当時の坑内で活躍していたと言う。ここには充電設備、ターンテーブル等も残されている。

 

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 江戸末期には初めて火薬発破も行われ、明治14年には初めて削岩機が導入されたと言う。

これは画期的的な技術革新で、国内の主要鉱山として、いち早く官営化・近代化が行われた。

 

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金山で採掘された鉱石は製錬され、小判の地金となる延金に鋳造され、更に一枚分の重さに荒切りされたものが打ち延ばされ、形が整えられて仕上がって行く。

その後江戸に送られた金貨や金塊は通貨として使われ、長崎での貿易の輸出品となり幕府の財政を支えてきた。

併設された「佐渡金山展示資料室」では、そんな小判の鋳造工程とそれにまつわる歴史を解説している。

 

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金山奉行所

 

佐渡金山から大佐渡スカイラインを下ると、その登り口付近に「佐渡奉行所」がある。

元々は金山開設のころ建てられた役所であるが、度重なる火事で焼失した。

 

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近年になってその跡地を発掘・調査して、平成12年にお役所部分のみを再建したのが現在の建物である。当時ここは、金銀を生成する工場・勝場(せりば)や、そこで働く役人の住む陣屋の機能と、その役所・裁判所の機能を兼ね備えた機構で有ったようだ。

 跡地には当時の勝場を復元した施設も併設されている。

 

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 この辺りには、当時の物資や石炭を運搬したインクライン、汚泥から鉱物と水を分離するためのシックナー、精錬所跡などの遺構が数多く残されていて、その遺構は、世界遺産に登録申請されているらしい。

 金山ではこれらを巡る有料のガイド付きツアー、「産業遺産散策コース」なども設定されていて、まだまだ興味は尽きない。

 

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