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はまなすベイライン大湊線

 

 大湊線は野辺地と大湊を結ぶ58.4Kmの路線で、「はまなすベイライン大湊線」と言う素敵な愛称も付けられている。列車は下北半島の付け根から、ほぼ陸奥湾に沿って北上する。

 

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 大きくカーブしながら青い森鉄道線と離れると、市街地が広がる中、次の北野辺地に到着する。

賑やかな町並みはこの辺りまでで、次の有戸を過ぎると左手に陸奥湾が見えてくる。

右手の山並みは遥かに離れた丘陵地帯だ。この辺りの駅間は長く、集落も僅かばかりである。

車窓には人気のない海岸と牧場や広大な農地が広がっていて、荒涼とした寂しい風景が続いている。

 

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この地は、陸奥湾から吹き付ける西風の強いところらしく、線路は鉄道防風(雪)林に囲まれた中を伸びている。しかし、厳しい潮風に痛めつけられているからか、所々で赤茶けた無残な姿をさらけ出している林も目立ち、その厳しさを窺い知ることが出来る。

 

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 車窓からは広大な大地に立つ、風力発電の大きな風車を何基も目にする。

とにかくここは、風の強いところらしい。

 

 吹越駅のある横浜町は、菜の花の栽培で知られた町。

昔から菜種油を取るために栽培されていて、その作付面積は、東京ドーム25個分にも及ぶと言う。

 

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沿線で少し活気のある町並みを見せる陸奥横浜では、列車の行き違いがある。

その昔は「陸の孤島・下北」と言う有り難くないニックネームを付けられた地域に有って、この駅だけは人と積み出される魚の荷で賑わっていたと言う。その名残か、線路を抜かれた構内がやたらと広い。

 

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 市街地が開けてくると下北の駅が近づいてくる。

ここは、下北半島観光の拠点駅で、「イタコ」で知られる恐山へは15キロ、マグロで知られる大間へは47キロほどであり、駅前からはバスの便がある。廃止された大畑線はこの駅から分岐していた。

 

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てつぺんの終着駅

 

 下北を出た列車が、田名部川の小さな橋梁を渡り、大きく西に進路を変えると前方に、白い半円の巨大なドームが見えて来る。

 「しもきた克雪ドーム」と名付けられた施設で、雪深い当地の冬季の活動を活性するために造られたものらしく、人工芝が敷き詰められた内部は、テニスコートなら8面、野球やサッカーのグラウンドとしても使える広さを誇っている。

 

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 市街地に入り、少し南に下がり進むと終着駅だ。

『大湊要塞を中心とするこの辺りは、軍の機密保持の都合上から、日本の地図から除外された空白の部分といえた』と、小説「飢餓海峡」で水上勉が書いた大湊には、嘗ての軍港、また大湊海軍航空隊に代わって、今は海上自衛隊大湊地方総監部が置かれている。

 

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 JR東日本最北駅の地位を下北に譲り、「てっぺんの駅」を名乗っている終着の大湊。

野辺地からは、1時間ほどの距離だ。

「よく来たにし」と迎えられ、列車を降り改札を出ると、どこからともなく良い匂いが漂ってくる。

どうやらその源は、この駅の中にあるらしい。駅員に聞くと「ヒバの匂いです」と言う。

駅舎の天井にヒバ材が使われているのだ。

 

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 ヒバ(ヒノキアスナロ)は、ヒノキ科の針葉樹で、抗菌・防虫・殺菌に効果があり、その香りはリラックス効果があるとされる。湿気にも強いことから建築材としても優れていて、中尊寺の金色堂にも使われていると言う。

 

 

大湊の町歩き

 

 駅前には広々としたロータリーが有り、その中央には、モダンなモニュメントも建っていて、それを囲むようにバス停が有り、タクシーも停まっている。

 

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駅の左手には真新しいビジネスホテルホテルも建っている。

そんな駅前が、思い描いていた「陸の孤島」と言われた下北の終着駅、寂しいイメージとは随分と違うことに驚くのである。

 

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 大湊は湧水が豊富な町である。

足を延ばせば、町のシンボルツリーの一本杉や、自衛隊の基地、大正5年に建てられた旧海軍士官の社交場・北洋館、旧海軍の水源確保のために造られた水源地公園などの見所に混じり、湧水場所も町中に点在していると言う。

折り返し列車までの1時間余りでは、これらを巡ることは叶わないが、駅周辺を少し歩いてみる。

 

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 駅前の通りを行きかう車は結構多い。

そんな道路に沿って、古めかしい旅館の姿が見える。また多くの商店も並んでいるが、その多くがシャッターを閉めたままに成っている。

 

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近くの路地には何軒もの閉店した小さな飲み屋さんが、看板を上げたままドアを固く閉ざし残っている。

ここには、「小さな町ながら10軒以上もの旅館があり、飲み屋さんも多かった。昔は自衛隊さんや漁師さんで繁盛した・・・」そんな歴史も有るらしいが、今はその勢いは失せているように見える。

 

 

斗南藩の悲劇

 

 駅前の通りを右に進み、駅を回り込むように15分ほど歩き、その裏手に出てみる。

途中行く先に見え隠れする山は、下北のシンボルと言われる釜臥山(970m)であろうか。

山頂のこぶが特徴的な山姿である。

 

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漁協のある大湊港の脇に名産のホタテを売る店が有り、その前をさらに進むと、いい匂いを放つ濃いピンクの花に囲まれて碑が建っている。碑には「斗南藩士 上陸の地」と書かれている。

 

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 ここは明治2年、新政府から斗南藩としての再興を許され、新しい藩庁の置かれた田名部の地に、新潟港から海路、蒸気船で移住してきた旧会津藩士とその家族あわせて1,800名が上陸し第一歩を記した地である。

 

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 見も知らぬ新天地に活路を求め移住はしたものの、ここは風雪の厳しい火山灰土の不毛の地、開墾は難渋を極め、飢えと寒さと貧困で病死者まで出る有り様、とその歴史は悲惨な様子を伝えている。

 

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 碑は「ヒバの原木」に刻まれ、むつ市の花「ハマナス」の放つ甘い香りと、会津若松市の「アカマツ」に囲まれ、会津鶴ヶ城の石垣の石を飯盛山に思いを馳せて組み立て、望郷の思いを込めて会津若松市を望む方向に向けて建てられている。

 




 

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