コンテンツ

ホーム

サイト紹介

はれのくに

の旅

遍路歩き旅

海外旅行

伝統こけし

マイブログ

風の町・蟹田

 

3070101.JPG

3070102.JPG

3070103.JPG

 

 青森から1時間ほどで終着駅の蟹田に到着した。

降り立った蟹田のホームに『蟹田ってのは 風の町だね』と刻まれた碑が建っている。

 

3070104.JPG

3070105.JPG

3070106.JPG

 

津軽出身の作家・太宰治がこの地を旅し、『前日の西風が親友N君の家の戸障子をゆすぶっていた』情景を小説「津軽」に書き残した時の言葉だ。

 その碑の裏を見ると「北緯41° ニューヨーク・ローマ と結ぶ町 かにた」と書かれている。

 

3070107.JPG

3070108.JPG

3070109.jpg

 

 ここは「津軽海峡線」特急の停車駅でもある。が、そんな華々しい印象はどこからも感じられない。

長いホーム以外は、むしろ寂しいローカル駅風の趣だ。

 

3070110.JPG

3070111.JPG

3070112.JPG

 

 駅に、観光案内所が有るわけでも無く、「観光カニスマ駅長 津軽蟹夫」と書かれたパネルと模型が、ポツンと置かれているだけなのがなんだか余計に寂しく感じられる。

 このカニスマ駅長は、4月から5月にかけて水揚げされる特産のトゲクリカニに因むものらしい。

 

3070113.JPG

3070114.JPG

3070115.JPG

 

 駅前は、一寸した広場に成っていて白亜の灯台と、どう言うわけか観音様が建っている。

その奥に「蟹田駅前休憩所」が有り、その左に「ウェル蟹」と言う産地直売施設が建っている。

 木造で面白い造りだと見ていたら、三厩村のスキー場にあったヒュッテを移築したものらしい。

2009年のオープンと言うからまだ新しい。

 

3070116.JPG

3070117.JPG

3070118.JPG

 

この市場はどうやら観光客向けと言うよりも、どちらかと言えば地元利用が多いらしい。

店内には鮮魚や精肉、花やお菓子が売られていて、一角には軽食堂も設けられている。

 旅人には「青森地鶏シャモロックハンバーガー」などがお勧めだ。

 

3070119.JPG

3070120.JPG

3070121.JPG

 

6月も中旬とは言え、奥津軽の梅雨時は寒い日も多いようだ。

この日、日差しは灰色の雲に遮られ、冷たい風がホームを吹き抜けていた。

三厩行の列車を待つ半袖の身には肌寒いほどだ。

 

 


津軽海峡線

 

 「津軽海峡線」とは、正式な名称ではない。

青森から蟹田を経て三厩に至る55.8Kmの路線を「津軽線」と言う。

また、蟹田の先の中小国でJR東日本と北海道の境界を越え、青函トンネルを抜けた北海道の木古内までは「海峡線」だ。そこから先、函館までの江差線や函館本線を含めて、青森から函館に至る路線の愛称として付けられているのが「津軽海峡線」である。

 

3070200.JPG

3070201.JPG

3070202.JPG

 

 青森から蟹田までの間は、本州と北海道を結ぶ幹線で、およそ1時間に1本の特急が行き来している。

しかし「津軽線」を行く普通列車となるとその本数は一日に10本に満たず、それも途中の蟹田までで、その先終点の三厩までとなるとさらに半分ほどに減ってしまう。

 

3070203.JPG

3070204.JPG

3070205.JPG

 

「津軽線」の普通列車、キハ401両のワンマンカーに乗客は数えるほどしかいない。

線路は蟹田を出るとすぐに海を外れ、内陸部を終点の三厩までショートカットしている。

 

3070206.JPG

3070208.JPG

3070209.JPG

 

 一日5往復しか走らないローカル線には違いないが、中小国から分かれ青函トンネルに入る「海峡線」とは、ほぼ併走している。そのルートが丁度建設中の北海道新幹線ともほぼ一致しているため、車窓からは、山深い景色の中に時々新線の建設現場が現れたりして、ローカル線なのに、それらしからぬ風景を見せてくれる。

 

3070210.JPG

3070211.JPG

3070212.JPG

 

 周りに山が迫り人家もまばらな地に、突然大きな工事現場が現れる。津軽二股駅である。

ここは「海峡線」の津軽今別駅とは目と鼻の先で、直線距離にしても数百メートルと離れていない。

丁度この辺りに本州最後の新幹線駅・奥津軽駅(仮称)が出来るのだ。

 

3070213.JPG

3070214.JPG

3070215.JPG

 

 駅周辺の豊かな緑が削られて、赤土の剥き出しになった大地の上には、巨大なコンクリートの塊、駅舎と高架がその姿を現しつつある。

 


 

最果ての終着駅

 

 深い山の中を走ってきた列車が再び海岸に出て、右手に海が見えてきた。

久しぶりに車窓から三厩湾の海が見えた。なんだか懐かしい人に巡り合えたようだ。しかし、そんな感慨に浸っている間もなく、列車は再び山に向き、暫く行くとその先が「津軽線」の終着駅・三厩だ。

 

3070301.JPG

3070302.JPG

3070303.JPG

 

 以前は「みうまや」と読んでいたが、平成3年、「みんまや」と読みを改められた。

ここは義経伝説の地で、奥州平泉で自刃したとされる義経主従がそこを脱出、蝦夷地に逃れる出発地となった所と伝えられている。 三頭の竜馬を得て、その駒をつないだとされる厩石が残されていて、それがこの地の名前の起こりとされている。

 

3070304.JPG

3070305.JPG

3070306.JPG

 

 一面二線式のホームの先は絞られて一線となり、そのまま機庫へと続いている。

ここはその先に続く線路の無い、本州の果て津軽半島最北端の終着駅である。

 

3070307.JPG

3070308.JPG

3070309.JPG

 

 こじんまりと、かわいらしく、小さな駅である。

改札の上には、一日5往復の列車の時刻が、随分と大きな字で書かれ、掲げられていた。

冬の寒さが厳しいとこらしく、待合室の真ん中には、石油ストーブが据えられている。

 駅舎を出ると何もない広場には、竜飛崎に向かう町営バスが一台静かに待っていた。


 

 

本州の袋小路

 

 駅前広場を出たバスは、駅の左手から始まる「竜泊ライン」には背を向けて、三厩の町中を終点の竜飛崎に向けて走り出した。

 バスは時折海沿いの広い道を外れ、思い出したように集落の中の狭い道を、民家の軒先を擦るように走り抜けて行く。旧道沿いには、古くからの板張りの粗末な家屋に混じって、所々でカラフルな色をした新しい家も混じっているが、余り商店らしきものは見かけない。

 

3070401.JPG

3070402.JPG

3070403.JPG

 

 かつて岬までの道のりはたいそう厳しいものであったらしい。

バス道は海岸ぎりぎりで、時には波しぶきを被ることも有った。

しかもそのバスが通うのも途中の宇鉄までで、その先は歩くより仕方なく、岩山をよじ登ったり、海中の洞穴を潜り抜けたりと言うありさまであったと言う。

 

3070404.JPG

3070405.JPG

3070406.JPG

 

『この本州の路のきわまるところの岩石や水も、ただ、おそろしいばかりで、私をそれから目をそらして、ただ自分の足元ばかりみてあるいた』と、竜飛に向け歩いた太宰治は、そこに行きつくとこの地を『ここは本州の袋小路だ』と表現した。

 

3070407.JPG

3070408.JPG

3070409.JPG

 

 大正から昭和の初めにかけて、発破と手掘りにより、途中には13もの岩をくりぬいた洞門を通し、現在の国道339号の基礎が築かれた。当時道路作りの中心にあった地元漁協のあわび潜水器事業の収益で賄ったことから、完成すると「あわび道路」と呼び親しまれたと言う。


 

3070410.JPG

3070411.JPG

3070412.JPG

 

 「青函トンネルの工事の折は、町は賑わった」「漁師も漁をするより稼げるからと、皆揃って飯場にいった」「狭い道を大きなトラックが何台も行き来した」らしい。

そんな道路を今は、観光のバスやマイカーが行き交っている。

 

3070413.JPG

3070414.JPG

3070415.JPG

 




 

| ホーム | 国内の旅行 | このページの先頭 |

 

(c)2010 Sudare-M, All Rights Reserved.

 

inserted by FC2 system