はるばる来たぜ 函館

 

 「はるばる来たぜ 函館〜♪ 逆巻く波を乗り越えて〜♪」

 

 海の上には、どす黒い雲が重そうに、低く垂れ込めていた。

右手に見え始めた函館湾も、殆どが鈍色に静まりかえり穏やかで、僅かに光が当る所だけが明るく光っている。

しかし、遥か前方に見え始めた函館の上空は晴れているようで、帯状に広がる町並みが白く輝き目立っている。

あれが函館山であろうか、懐かしい姿が見えてきた。

 

函館

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木古内から乗った特急・白鳥で凡45分、津軽海峡を見ながら、函館湾に沿って函館に到着した。

青函トンネルの開通で、本州の青森からは特急が頻発していて、乗り換えの手間も無く随分便利になった。

嘗ては、青森で青函連絡船に乗換え、津軽海峡を渡り、北海道の玄関駅・函館に上陸したものだ。

連絡線が着岸すると、乗り換えの各線のホームをめがけ、皆一様に走り出す光景が繰り広げられていた。

 

函館本線は、北海道を貫く大動脈である。

ここから小樽や札幌を経由して旭川に至り、北海道を代表する都市間を結ぶ路線で、その長さは458.4Kmにもなる。

到着した函館駅のホームの端には、そのゼロキロポストが有った。

 

函館

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駅の記憶は殆ど残ってはいない。

広い構内に何本ものホームが有り、行く先の異なる列車が、連絡線からの乗換え客を待っていた様に思ったが・・。

今目の前のヤードは、広いがホームに接しない留置線は殆ど撤去され、何だか殺風景の感がする。

到着したホーム以外に停車中の列車は無く、やけに長いホームにも人影はまばらだ。

 

調べてみると、昭和63年に連絡船が廃止されるのを機に、運行形態も、駅構内も大きく様変わりしたようだ。

目の前の駅舎は、ガラス張りの近代的な建物で、平成15年に5代目として建て替えられたらしい。

恐らくこの1代前の駅舎を見たと思うのだが、どんな駅舎か、写真も残ってはいないので想像だに出来ない。

 

 

摩周丸

 

初めてこの地を訪ねたのは、まだ連絡船が健在であった昭和30年代後半の事である。

名古屋から「急行・宮島」に乗り、東京で乗り継いで、上野から「夜行急行・岩手」に乗った。

そして青森から連絡船に乗ること4時間半、名古屋を出て26時間後、ようやく函館に到着した。

 

摩周丸

摩周丸

摩周丸

 

摩周丸

摩周丸

摩周丸

 

摩周丸

摩周丸

摩周丸

 

摩周丸

摩周丸

摩周丸

 

函館の駅舎を出て港の方に歩いて行くと、その一角にかつて青函連絡船で活躍した摩周丸が係留されている。

船は「函館市青函連絡船記念館摩周丸」として、旧駅構内の第二岸壁に錨をおろし保存されている。

嘗ての海上113Kmの青函航路は、本州と北海道を結ぶ幹線の座を青函トンネルに譲った。

華やかな活躍を見せた船が、引退を余儀なくされ、この地で寂しくそして静かにその余生を過ごしている。

 

当時、青森から乗船したのは「津軽丸」で有ったが、残念ながら帰路に乗った船の名は覚えていない。

もしかしたら、この「摩周丸」で帰ってきたかも、と思うと何とも不思議な感慨が湧いてくる。

 

 

函館の朝市

 

 駅前のビジネスホテルに宿を取った。

その翌日、少し早起きをして、300店ほどの店がひしめき合っている「函館朝市」を訪ねてみる。

JR乗り潰しの旅では、折角の函館でも思うように観光する時間が取れないので、せめて朝市でもと言う事だ。

 

朝市は函館駅の直ぐ前にある。

場所が良いせいか、早朝にも関わらず、沢山の観光客でごった返していた。

客を呼び込む商店主の声に、品定めをする観光客の声が入り雑じり、辺りは活気が溢れている。

 

函館の朝市

函館の朝市

函館の朝市

 

函館の朝市

函館の朝市

函館の朝市

 

函館の朝市

函館の朝市

函館の朝市

 

函館の朝市

函館の朝市

函館の朝市

 

函館の朝市

函館の朝市

函館の朝市

 

 その声は中国・韓国語が多いようだが、聞くところによると、最近では台湾の観光客が特に増えたらしい。

そんな中に欧米人も混じり、日本人観光客も含め、国際色も豊かに賑わっている。

流石にこの時間帯には修学旅行の学生は見られず、優遇する掲示を掲げる「どんぶり横町」は静かであった。

 

 市場の中には、イカやホタテなどの海産物だけではなく、メロンやトウモロコシなどを食べさせる店も有る。

新鮮な海鮮を食べさせる「どんぶり横丁」では、美味しそうなディスプレーが食欲を誘って来る。

ホテルで早々と朝食を済ませてきたことを悔やませた。

 

 

新駅の工事が進む 渡島大野

 

 朝の通勤・通学の乗客を乗せ到着し、折り返し運転される列車は、ここで1両に切り離される。

来る人は多いが、出掛ける人は少ないらしく、日中走る普通列車は、キハ40系1両のワンマン運転だ。

他のホームから発着する華やかな特急に比べ、同じ本線を行くにしては余りにも寂しすぎる感がする。

それでも観光客や、通勤・通学らしい乗客で、座席の半分ほどを埋めて列車は定刻に発車した。

 

渡島大野

渡島大野

渡島大野

 

渡島大野

渡島大野

渡島大野

 

渡島大野

渡島大野

渡島大野

 

 函館を出ると次は、五稜郭である。

有名な五稜郭が見られるかと思ったが、公園までは直線でも2qほど離れているらしい。

訪れるなら函館駅から市電かバスの方が便利だと、乗り合わせた若い女性が親切に教えてくれた。

 

 五稜郭を出て海峡線と分かれると、次が何とも奥ゆかしい名の桔梗駅である。

かつて周辺にキキョウが群生していたことに由来するらしく、所在地の町名も桔梗である。

更に大中山、七飯駅に停まり、函館からは30分ほどで、渡島大野に到着する。

 

渡島大野

渡島大野

渡島大野

 

渡島大野

渡島大野

渡島大野

 

渡島大野の駅周辺は、工事車両が動き回り、至る所で緑を削って、新たなプロジェクトが進行していた。

平成282016)年の、北海道新幹線開業と同時に営業を始める、新駅の新設工事である。

新しい駅舎が建つと、百年以上の歴史を誇る現駅名は廃止され、「新函館北斗駅」に改称される。

新駅は現函館駅からは、20q近くも離れた場所で、連絡用の快速列車の運行が予定されているらしい。

 

渡島大野

渡島大野

渡島大野

 

渡島大野

渡島大野

渡島大野


 

 北海道新幹線の開業は、函館の運命を大きく変えることになる。

青函連絡船時代から連綿と守り続けた、本州連絡、北海道の玄関口の座は完全に奪われてしまう。

 

せめてもの抵抗が、当初計画時に予定された新幹線「新函館駅」の実現であった。

しかしこれには所在地の北杜市が黙ってはいず、「北斗駅」を主張することとなり紛糾した。

結果、紆余曲折が有り、恐らく知事の仲裁が有ったのであろう、「新函館北斗駅」で決着を見る事となった。

 

 

大沼公園

 

 渡島大野を出ると、前方を塞ぐ山への20‰の登りが待っている。

その途中にある仁山駅は、かつては、信号所で、スイッチバックが有った駅である。

今では、昭和初期の開業当初そのままに佇む、山の中の静かな駅舎が良い味を出している。

 

大沼公園

大沼公園

大沼公園

 

大沼公園

大沼公園

大沼公園

 

大沼公園

大沼公園

大沼公園

 

この先で線路は下り、やがて左手の木立の中に小さの沼が見え隠れする。

小沼と呼ばれるもので、これは駒ケ岳の噴火により大沼やジュンサイ沼などと共に形成されたものだ。

周囲は目の前に聳える駒ケ岳とともに、国定公園に指定されている。

ここら辺りまで来れば、大沼越しに駒ケ岳が見えて来る筈だ。

しかし今日の山頂部は、低く垂れ込めた重い雲の中で、その秀峰を見通すことが出来ない。

 

 大沼は1面1線の単式と、1面2線島式ホームを持つ地上駅で、留置線なども有る大きな駅である。

明治361903)年、国鉄の前身の北海道鉄道時代の開業と言うから、百年の歴史を有する駅だ。

 

大沼公園

大沼公園

大沼公園

 

大沼公園

大沼公園

大沼公園

 

大沼公園

大沼公園

大沼公園

 

大沼は初めて北海道を訪れた折、その公園で最初にキャンプを張った懐かしい場所だ。

あの日は大沼越しに、馬がいなないている姿に形容される優美な駒ケ岳が、その全貌を表していた。

 

 そしてここには明治のころから愛され続けている名物の「大沼団子」が有る。

大沼公園駅前に店があったと記憶しているが、ここ大沼から、僅かな待ち時間の間に訪ねることは出来ない。

今では函館本線を走る一部の特急の中で取り扱いが有り、購入することも出来るらしい。

 

 

大沼から 砂原回り

 

 大沼で長万部行きの列車を一旦降り、未乗車区間である砂原回りの森行普通列車に乗り換える。

函館本線は、ここ大沼から途中の森までの間は、二つのルートに分かれて運行されている。

駒ヶ岳を右に見て、山間部を抜けるのが本線(駒ヶ岳回り)で、全ての特急はここを駆け抜ける。

 

一方海側を行くのが嘗て砂原線と呼ばれた支線(砂原回り)で、普通列車のみの運行である。

今では日に5往復の普通列車だけの、超ローカル線で、勿論運行する列車は、キハ40系の1両ワンマン運転だ。

わざわざ便利の悪い支線に乗る物好きは少ないらしく、乗り込んだ乗客は僅かに数名で有った。

 

砂原回り

砂原回り

砂原回り

 

砂原回り

砂原回り

砂原回り

 

砂原回り

砂原回り

砂原回り

 

 砂原回りは暫くは、駒ヶ岳の南麓をすすむ。

池田園に停まり、流山温泉に停車を重ね進むが、肝心の名峰は殆どその姿を見せてはくれない。

流山温泉は駅から徒歩3分程の所にある、JR北海道直営の温泉で、鉄道関連の展示施設も併設しているらしい。

駅前に少し民家の見える銚子口を過ぎると、鹿部で駅の標高が90mを越え、この先から内浦湾が近づいてくる。

 

 とは言え、車窓から海は時々しか見えなくて、多くは緑濃い山の中をのんびりと走っていく。

この辺りの内浦湾の沿岸一帯は有名な昆布の産地で、生産された昆布は殆どが大阪方面に出荷されていたと言う。

 

砂原回り

砂原回り

砂原回り

 

砂原回り

砂原回り

砂原回り

 

砂原回り

砂原回り

砂原回り

 

渡島沼尻には古い木造駅舎が残されている。

次の渡島砂原の駅舎は、鹿部と同じ赤いトタン屋根で、相対式ホーム2面2線を有する比較的大きな駅である。

 

掛澗ではホームを繫ぐ跨線橋の向こうに、小さな小屋のような駅舎が見えた。

尾白内の駅舎は、古い貨車を再利用したものであり、道内にはこんな駅舎がたくさんある。

東森には、赤い三角屋根が地面まで伸びたユニークな形状の駅舎があり、駅舎も多彩で見ていて飽くことがない。

 

砂原回り

砂原回り

砂原回り

 

砂原回り

砂原回り

砂原回り

 

 砂原を過ぎると海が見えるが、この辺りにかけては、廃線跡と思われる施設も稀に見ることがあった。

砂原線の前身の鹿島海岸鉄道時代の物かと思うが、定かなことは解らない。

その海がより近くなると終点の森で、本線への乗り換えとなる。

森駅には、先ほど大沼で降りた、長万部行きの普通列車が先着して待っている。

 

 

全国区の駅弁 森のイカめし

 

 函館からは凡50q、森駅は函館本線の道南地域では主要な駅で、ここには特急列車も停車する。

島式1面2線、単式1面1線を持つ地上駅で、ここには駅員もいる。

みどりの窓口も有り、ここでは、キオスクもまだ営業を続けていて、観光客らしき姿も僅かながら認められる。

 

森のイカめし

森のイカめし

森のイカめし

 

森のイカめし

森のイカめし

森のイカめし

 

森のイカめし

森のイカめし

森のイカめし

 

森駅に来たからには、名物駅弁「いかめし」は外せない。


「いかめし」は先の大戦中、米不足の代用食として考案されたもので、ここ森駅の名物駅弁として知られている。

しかし今では、駅弁として売られるよりも、全国のデパートなどの駅弁大会での販売の方が遥かに多いらしい。

今やその人気は全国区で、駅弁と言うよりは、北海道の名物グルメと言った方が相応しいのかも知れない。

 

森のイカめし

森のイカめし

森のイカめし

 

森のイカめし

森のイカめし

森のイカめし

 

森のイカめし

森のイカめし

森のイカめし

 

 ここからは、大沼で降りた普通列車に再び乗り込み、終点の長万部を目指す。

一旦降りた列車に他線を経由後、再び乗れるなんて・・・何だかミステリードラマのアリバイ工作に使えそうである。

 

キオスクで買い込んだ名物駅弁を抱え、海側のボックス席を独り占めし、昼食タイムである。

折角なので、ビールも欲しかったが、飲んだらきっと眠ってしまうので、自重した。

ここからは内浦湾に沿って、海を右手に見ながら進む。この絶景を逃す手は無いから・・・。

 



 

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