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旧夕張線

 

 札幌から乗った特急を新夕張で降り、ここでキハ401両のワンマンカーに乗り換える。

ここは嘗て夕張線と呼ばれ、夕張地方で産出される石炭輸送で賑わった路線で、古い鉄道地図を見ると、沼ノ沢、清水沢、鹿ノ沢などの沿線各駅から、幾つもの炭鉱鉄道が伸びているのが分かる。

今ではそれらは全て廃線となり、僅か16.1Km残るのみの路線は、現在では石勝線の支線となっている。

 

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 本線と別れ、源を夕張岳に発する夕張川を渡ると、車窓には緑豊かな大地が展開し、切り開かれた畑の中に、有名なメロンのハウスであろうか、所々巨大なビニールハウスが目に付く。

路線は付かず離れずの夕張川と絡み合うように延び、滝の上付近の車窓からは、見事な柱状節理の大岩を見せてくれる。

石炭産業で繁栄した過去の賑わいを感じることも無く列車は、清流と小さな集落のある山里風景を見せながら長閑に進む。

 

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夕張近辺には鹿の字の付く地名が多いと言う。

これは、昔はこの付近に鹿がたくさん住んでいたかららしい。

鹿の肉や内臓は、先住民・アイヌの主要な食糧の一つで、皮は「ウリ」と呼ばれる毛皮のオーバーや、「ユクケリ」と呼ばれる冬用の防寒靴に加工され使われていた。

 

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 やがて町が開け、広い駐車場が広がる「レースイの湯」が右手に見えてくると終着駅、夕張に到着だ。

行き止まり駅の直ぐ横に「ホテルマウントレースイ」の白亜の建物が控えている。

その前には、冷水山(703m)の麓に広がる広大なスキー場も見える。

 

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 実は旧夕張線の終着駅は、開業当初は更に2キロほど先の炭鉱前であった。

炭鉱が閉山されると終着駅は、1キロほど手前の市役所近くに移された。

さらにその後、観光開発でホテルが立地すると更に1キロほど手前の現在地に移されている。

町の移ろいに翻弄される様子を、鉄道駅の位置でも垣間見ることが出来る。

 


 

炭鉱で賑わった町

 

 ここで産出される石炭は、製鉄用コークスの原料炭として、国の基幹産業を支えてきた。

良質で、火力も高く、黒光りのする光沢から、石炭は「黒いダイヤ」と言われ、もてはやされた。

夕張の歴史は、石炭の歩みそのもので、夕張の賑わいは、石炭産業の繁栄によってもたらされていた。

その炭鉱の町のシンボルとも言えるのが夕張炭鉱である。

 

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駅から暫く歩いて行くと、山裾の広い駐車場に建つ古びた煙突が見えて来る。

「夕張炭鉱当時の洗炭設備の遺構で、その奥の少し高い平地になったところには、当時炭鉱住宅がびっしりと並んでいた」と言う。

丁度その向かえ辺りが、当時の夕張線の終着駅らしい。

そんな駅の構内には、忙しく往来する貨車のどれもが黒い石炭を満載して、溢れていた筈だ。

 

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 明治21年に石炭の露頭が発見され、その2年後に夕張炭鉱所が設置され、開発が初まった。

戦前には6万人、昭和35年の最盛期には、20を超える炭鉱と、12万人を超えたと言われる人口を擁した。

そんなことから夕張は、日本の「炭都」と呼ばれ、町には昼夜を問わず、炭鉱景気に沸く人々が溢れ、新たな文化や娯楽施設を生み、繁栄の一途を辿ってきた。

 

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しかし昭和13年、天竜坑でガス・炭塵大爆発が起こり、161人の犠牲を出す大惨事を起こした。

加えて近代化の波は、産業構造を変え、石炭需要は激変、ついに平成元年100年続いた炭鉱の火が消えた。

そしてその炭鉱跡地は、「夕張石炭の歴史村」と言う遊園地などを併設したテーマパークに生まれ変わった。

 

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 しかしその後景気は後退、遊園地など多くの施設は閉鎖され、今ではそのメイン施設である「石炭博物館」が残る程度だ。

かつて人々の歓声に包まれた施設は、錆びつき、朽ちかけ、無残な廃墟と化した姿を晒したままになっている。

 

 

映画の町・夕張

 

 炭鉱跡から緩い坂を下りながら、10分ほど歩くと「ホテル・シューバロ」前から延びる、「本町商店街」が有る。

ここは、炭鉱が繁栄していたころ、炭鉱で働く人々のために造られた商店街である。

当時は、24時間交代で採掘する炭鉱労働者が、仕事を終え繰り出すため、一日中人々の流れは途切れることも無く、眠らない町として活気に満ち溢れていたと言う。その昔には、遊郭も有ったらしい。

炭鉱最盛の昭和30年代、映画は市民の娯楽の中心で、市内には17館もの映画館が有ったと言う。

 

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炭鉱の閉山後、町は急速に寂れてしまう。

そんな町を活性させようと始まったのが「本町キネマ街道」である。

「手書きの看板」を商店街の店舗などにかかげ、『映画の町』の伝統を、甦らそうとする試みである。

その看板は、今では数も少なくなってしまった本物の「映画の看板屋」が描いたものらしい。

 

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国内外で上映された映画の看板を、手書きで復活させ、商店街の家々の壁に掲げている。

その数何と90枚にも上ると言う。

「シェーン」「史上最大の作戦」「猿の惑星」「用心棒」どれを見ても懐かしく、当時のことが甦ってくる。

寅さんも、アランドロンもいる。

この夕張の町にも明るい「太陽がいっぱい」に成ることを願わずにはいられない。

 

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 本町からバスに乗り、「幸福の黄色いハンカチ想いで広場」を訪ねてみる。

「黄色いハンカチロケ地前」でバスを降り、すぐ右折、坂道を登りJRの線路を越え、その先で左折する。

ここからロケ地に向かう坂道が、登りながら長く伸びていて、歩いて10分ほどの道程だ。

 

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 ここは映画「幸福の黄色いハンカチ」のラストシーンのロケが行われた炭鉱住宅がそのまま保存された施設だ。

何処かの炭鉱住宅を、移築復元したものらしく、内部を改築し、「幸福を希う(こいねがう)やかた」として開放している。

 

内部には映画で使われた小道具や、写真・パネルなどが展示されている。

中でも一際目を引くのが品川ナンバーを付けた、真っ赤なマツダのファミリアで、映画で実際に使われたものらしい。

また、その部屋には訪れた人々が記念に書いた、黄色い紙の夥しいメッセージが壁一面に張られている。

 

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 夕張は昔から映画とは深い係わりのある町で、このほかに「北の零年」などのロケも行われている。

毎年冬には、「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」が、夕張市再生の象徴として開かれていると言う。

 

 

夕張の観光

 

 夕張駅に隣接し「夕張観光案内センター」が有る。

ここは、夕張の観光案内やイベント情報、宿泊情報などを知ることが出来る総合案内所だ。

また、おみやげ品や夕張の関連グッツなどの販売をしているので、列車を降りたらすぐに立ち寄って見るのも良いだろう。

 

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 駅の直ぐ前にある施設が「夕張屋台村」、通称「バリー屋台」である。

炭鉱住宅の廃材などを再利用して作られ、2009年9月にオープンした施設で、ラーメン・ジンギスカン・カレー・すし・そばなど、洋風居酒屋が7店舗も終結している。

 

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 「石炭博物館」近くにある「花畑牧場・夕張直営ショップ」も人気のスポットらしい。

タレントが社長を務める牧場の製品が話題を呼び、一躍北海道名物として知られることとなった。

特に「生キャラメル」は今や全国区の人気だとか。ログハウス風の直営店ではカフェも併設されている。

 

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鹿ノ谷駅前から国道を外れ、幌加別川に架かる花園橋を渡ると山の方に緩く上る道が見えて来る。

ゆっくりと5分ほどかけて上ると、木立の中に「夕張鹿鳴館」の建物が見えてくる。

炭鉱が好景気に沸く時期、役員や来賓、幹部社員や政治家などの接待に使われた施設で、ごく限られた上流階級だけが知る、「幻の施設」と称された場所だ。

 

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ここは大正2年に旧北海道炭鉱会社が建設した、北海道では珍しい本格的和風建築だ。

内部には、当時の様子そのままの装飾や調度品、昭和天皇が北海道国体の折宿泊された部屋も残されている。

現在では、フレンチレストラン「ミレディ」や、宿泊施設、展示ギャラリーなどからなり、庭園の木々、草花の織り成す四季折々の風景に囲まれた施設は、「近代化産業遺産」に指定されている。

 

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炭鉱が閉鎖された夕張の町は、スキーリゾートや、炭鉱テーマパークなどの観光や、映画のまちとして転換を図り、一時は全国的にも注目を集めていた。しかしそんな中、巨額な負債隠しなどの杜撰で不適切な会計処理が発覚し、2007年に夕張市の財政は破たんした。

 

このように観光施設は有るものの、今では入り込む観光客は決して多いとは言えない。

観光都市化を目論んだ夢も、十分に成果を上げているとは言い難く、人口1万人余り、高齢化率が全国でトップと言う町の再建は、中々容易ではなさそうだ。

 

 

人跡未踏の地

 

石勝線は南千歳から新得の間の132.4Kmの路線で、道央と道東を結ぶ幹線である。

札幌から乗車した特急が、南千歳を出て石勝線に入ると「エゾシカなど野生動物が沢山いる区間を走行しますので止むを得ず急ブレーキを使う事があります」と、如何にも北海道らしい車内放送が有る。

 

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かつて道東へのルートであった、滝川から入る根室本線と比べると、新線は、距離も時間も大幅に短縮出来、現在では優等列車はすべてここを行くことになる。

 ただ原生林を切り開いたと言う事も有り、新夕張から新得の凡そ90キロほどの間に駅はたったの二つしかない。

一つは占冠だ。過去にマイナス35.8度を記録したことも有ると言う厳寒の地で、林業と酪農が盛んな町である。

もう一つは、駅付近がリゾート開発されたトマムである。

 

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 その代わり、将来の駅を想定した信号所が十数か所も有ると言う。

しかし、沿線人口は極めて少なく、この先人口増も見込めないため、駅の開業予定は無らしい。

そんなわけで、この間では普通列車も走らない。

 

 

国境の絶景

 

 石勝線は上落合信号所で根室本線と合流し、国境のトンネルを抜け新得に向かう。

列車は直角を曲がるような大きなカーブで進路を南寄りにとり、その先でヘアピンのようなカーブで北に向き直る。

その先で幾つかのトンネルや信号所をやり過ごし、もう一度大きく南に進路を変えると、終点の新得に到着する。

 

以前この区間は、25パーミルと言う厳しい勾配区間で、狩勝信号所にはスイッチバックが有った。

狩勝トンネルを抜けるとその先には、日本三大車窓の一つと言われた十勝平野の大パノラマ、絶景が広がった。

かつてこの地には、新内と言う駅もあつた。

 

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 「石狩十勝の国境を越えて、五分を要する大トンネルを抜けると、

右の方一望幾百里、真に譬(たと)ふるに辞(ことば)なき大景である」

 

当時の蒸気機関車は、954mの狩勝トンネルを抜けるのに5分も要していた。

こんな様子を、この地を旅した石川啄木は、こんな風に書き残している。

 

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しかし、こんな絶景も列車の高速化の波には抗しがたく、長い新トンネルで、厳しい勾配を避けた現在のルートに付け替えられた。

昭和41年のことだそうだ。

それでもこの間の車窓は、雄大な山々、緑濃い森や原野、切り開かれた広大な畑、遥か下の十勝平野の町並みが、めまぐるしく移り変わり、スケールのでかい北海道らしい景色が展開し、見るものを飽きさせない。

 

 

帯広の豚丼

 

 新得から帯広は、特急なら30分ほど、普通列車でも1時間も有れば到着する。

ここには発祥が昭和8年と言われている十勝地方の郷土料理「豚丼」がある。

昨今のB級グルメブームも有り、町中では数多くのお店が、その味を競っているようだ。

 

また、帯広は有名なスィーツ王国で、500円で好きな店5店のスィーツが味わえる「スィーツめぐり券」も有り、甘党にとっては見逃せないところでもある。


 

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豚丼の店の一つ、駅前のエスタ帯広西館にある「豚丼のぶたはげ」に立ち寄ってみる。

昭和9年創業と言うこの店は、この地では老舗の専門店、人気店でもあるようだ。

肉は4枚を「基本」に、6枚の「特盛」、3枚の「ハーフ」を、好みで選ぶことが出来る。

乗車する特急の時間を告げ、「大丈夫だ」と言うので、「特盛」を注文する。

値段が少し高いのでは・・と思えなくもないが、駅売りならこんなところかも知れない。

 

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 出来立てのアツアツを抱え、1605分発の特急「とかち8号」に乗り込んだ。

発車も待ちきれず蓋を開けると、網焼きの香ばしい匂いが広がり、食欲をそそる。

 

帯広の肉は、網焼きとフライパン焼きが有るようで、この店は網焼きに甘辛いたれをたっぷりと潜らせている。

新得のそれと比べると幾らか薄味のようだ。

分厚い肉は柔らかくてジューシーで、味わいが有り、何枚でも食べられそうだ。

缶ビールを買ってこなかったことが悔やまれる。


 

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