長岡まつり

 

毎年8月1日〜3日にかけて、新潟県の長岡で開催されるのが、「長岡まつり」でる。

先の大戦で犠牲になった人々の鎮魂と同時に、戦災で痛手を受けた町の復興を願い、平和を祈念するお祭りだ。

その最大のイベントが、2日と3日の2日間に渡り、信濃川河川敷で繰り広げられる「長岡花火大会」だ。

この花火大会は、日本三大花火大会の一つに数えられている。

 

東海道本線から北陸本線に乗り継ぎ、直江津から快速「くびきの5号」に乗り長岡に向かった。

列車は停まる駅々で、花火目当てで乗り込んでくるお客の数が増え続け、若干遅れ気味の運行である。

長岡が近付くにつれ、いつしか車内は立ち客が増え、まるで通勤列車並みの混雑であった。

 

長岡花火大会

長岡花火大会

長岡花火大会

 

長岡花火大会

長岡花火大会

長岡花火大会

 

長岡花火大会

長岡花火大会

長岡花火大会

 

 2日間で100万人を超える観客を集めると言う花火大会だ。

JRは臨時列車を運行し対応し、バス会社や各旅行会社は、ツアーを企画し客を募って動員する。

その為市内や近隣の宿は、多くを旅行会社などが予め押さえているらしく、予約の出来ない状況であった。

三月ほど前から、ネットを中心に宿を探し始めたが、時既に遅く泊まる宿が中々見付からず、電話作戦に変更する。

それでもようやくこの二か月ほど前に、やっとキャンセルが有ったらしく、十数軒目の電話で確保できた。

 

長岡花火大会

長岡花火大会

長岡花火大会

 

長岡花火大会

長岡の駅に到着し、ドアが開くと解放された人々の波がドッとホームに溢れ出た。
ホームの人の流れは一様で、皆出口に向かって群がり、そのままコンコースから駅前に膨れ上がって行った。
町中に出ると、それが会場に向かう歩道に絞られ、一本の帯のように信濃川に向けて延々と延びている。

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長岡花火大会

長岡花火大会

長岡花火大会

 

 6月1日の朝からは、有料指定席のネット予約が始まったが、なかなかサイトに繋がらない。

悪戦苦闘を繰返し、開始から30分余り経過して、やっと開けた時には既に主要な席は売り切れ状態である。

それでもどうにか、左岸の椅子席(3,000円)を入手し、そんなチケットを握りしめての花火見物である。

 

 

長岡花火大会

 

長岡の駅に到着し、ドアが開くと解放された人々の波がドッとホームに溢れ出た。

ホームの人の流れは一様で、皆出口に向かって群がり、そのままコンコースから駅前に膨れ上がって行った。

町中に出ると、それが会場に向かう歩道に絞られ、一本の帯のように信濃川に向けて延々と延びている。

 

長岡花火大会

長岡花火大会

 

長岡花火大会

長岡花火大会

 

長岡花火大会

長岡花火大会

長岡花火大会

 

充分に余裕を見ていた筈だが、開始の時間が刻々と近づいているのに、中々会場に着くことが出来ない。

会場に向かう歩道は、人混みで歩くのもままならず、押されるようにしてようやく長生橋の袂までやって来た。

夕方とは言え、真夏の火照りはまだ残ったままで、人混みの中は、まるでサウナのように茹だっている。

そんな汗ばんだ身体に、川面を渡る風が涼しくあたり気持ちが良い。

 

長岡花火大会

長岡花火大会

長岡花火大会

 

長岡花火大会

長岡花火大会

長岡花火大会

 

長岡花火大会

長岡花火大会

長岡花火大会

 

長岡花火大会

長岡花火大会

長岡花火大会

 

陽も落ちて天空が濃灰色に染まり、辺りに暗闇が広がり始めたその時、「ドン〜」と最初の花火が打ちあがる。

と同時に、漆黒の闇の中から怒涛のような歓声が川辺に湧き上がり、花火大会が始まった。

この時はまだ、用意したお弁当と飲み物を下げ、人混みに押されながら、長生橋の中ほどを歩いていた。

 

 

信濃川と千曲川

 

信濃川河川敷で開催された「長岡花火大会」を堪能した翌日のこと。

温泉天国の群馬に向かうため、上越線の普通列車に乗り込み、最初の目的地・水上を目指す。

 

 豊かな米処、越後平野に位置する長岡を出て、列車は次の宮内で上越線に入る。

寄り添ってくるのは、日本一長い信濃川で、暫くはこれと併走する。

この信濃川、長いだけではなく水系全体の流域面積は、ほぼ新潟県の面積と同じである。

それは利根川・石狩川に次いで、全国でも3番目に広く、日本を代表する大河の一つでもある。

 

長岡花火大会

長岡花火大会

長岡花火大会

 

長岡花火大会

長岡花火大会

長岡花火大会

 

 河川法で言う「一級河川・信濃川」は、秩父山地に源を発し、全長が367qの川である。

しかしこの呼び方は、新潟県内だけのもので、長野県に入ると千曲川と名を変え呼ばれている。

実際の長さでは信濃川が153qなのに対し、千曲川の部分は214qとこちらの方がはるかに長い。

従って千曲川と呼んでも良さそうに思うのだが、何故か正式な名は、信濃川となっている。 

 

上越線

上越線

上越線

 

上越線

上越線

上越線

 

上越線

只見線

上越線

 

 鉄道が開通する以前は、豊富な水量に恵まれたこの川では、船運が発達した。

上流の山の幸を下流に運び、下流の海の幸を上流に運ぶ、当然年貢米もこれで運ばれた。

この船賃は、当時の藩や県の貴重な財源となっていたようだが、船運は昭和30年代の半ばには消滅した。

 

 沿線は長閑である。

牛の角突きや錦鯉の養殖で知られた小千谷、飯山線の分岐駅・越後川口等に停車する。

ここら辺りで信濃川は、車窓から離れ、代わりに支流の魚野川が左手に着かず離れず見えてくる。

上越新幹線がトンネルに隠れるあたりが魚沼盆地で、あの有名なコシヒカリの米どころである。

 

 

只見線の思い出

 


その先の小出は、只見線の分岐駅だ。

ここと福島県の会津若松を結ぶ路線が只見線で、山間の過疎地を行くローカル線である。

沿線は只見川に沿った秘境の趣ある線として、特に秋のモミジのころや雪深い厳冬のころの人気も高い。

 

 何年か前、会津若松駅前のビジネスホテルに宿を取り、6時前の始発列車に乗ったことが有った。

当時は、会津若松と小出を結ぶ便は一日三本しかなく、始発を逃すと次は13時過ぎ、その次は17時過ぎとなる。

終着駅までは4時間以上を要していた。

 

只見線

只見線

只見線

 

只見線

只見線

只見線

 

只見線

只見線

只見線

 

 只見線は現在、会津川口と大白川間が、平成23年の豪雨災害で甚大な被害を受け、未だに不通のままだ。

部分的には急ぎ復旧がされたところもあるようだが、全線復旧となると見込みは立っていないようだ。

バス代行はあるものの、線路が流され、何か所もの橋梁を失ったローカル線は、今廃線の危機に直面している。

 

小出駅の只見線のホームには、停留する列車も、人気もなくひっそりと静まり返っている。

線路にも心なしか、雑草が多く生い茂っているように見受けられ、一抹の寂しさを感じずにはいられない。

 


 

上越線の沿線

 

 小出を出ると車窓には上越国境の山々が近づいてくる。

六日町から石打、越後湯沢にかけては、その山々にスキー場のゲレンデを車窓から目にすることが出来る。

駅のホームに立つ近隣の名所案内でも、多くのスキー場が紹介されている。

そんな車窓を眺めていると、列車はやがて上越新幹線との接続駅・越後湯沢に到着する。

 

上越線

上越線

上越線

 

上越線

上越線

上越線

 

上越線

上越線

上越線

 

上越線

上越線

上越線

 

新幹線の越後湯沢から枝分かれしたその終着に、冬季のみの営業を行う「ガーラ湯沢」と言う臨時駅がある。

元々新幹線が車両基地に出入りするための施設で、基地の周辺にスキー場が開設されたことに合わせ開業した。

新幹線の支線では無く、正式には上越線の支線になっていて、その営業キロ数は1.8qである。

 

上越線の支線ではあるが、その実態は新幹線で、上越新幹線と一体的な運行が行われている。

従って所定の運賃が必要で、「青春18きっぷ」では乗れなくて、この路線にはまだ乗ったことがない。

時刻表には特急料金100円が必要と書かれていて、これは山陽新幹線の博多から延びる博多南線と同じ扱いである。

 



 

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