湯の山温泉
関西本線の四日市駅と、近鉄名古屋線の四日市駅は、1.2Kmほど離れたところに位置している。
歩けば15分ほど、タクシーなら5分足らずで指呼の距離である。
近鉄の四日市駅は、湯の山線の乗換駅でもある。
ここからは、長閑な山里の風景を眺めながら、凡そ25分で湯の山温泉の玄関口「湯の山温泉」駅に到着する。
温泉街は少し離れた位置に広がっていて、ここから更にバスかタクシーに10分ほど揺られることになる。
湯の山温泉街は鈴鹿国定公園の中にある御在所岳の東麓に位置している。
周囲を自然豊かな山の緑が取り囲む清閑の地で、その中心を三滝川が瀬音も緩く流れている。
そこを通る抜ける道は狭く、緩やかに登り、曲がりくねっていて、猥雑な町並を今に残している。
一方、渓谷沿いの道縁には比較的大型の旅館やホテル等も犇めいている。
しかし残念なことに、今日では観光客が減少し、温泉街には昔ほどの勢いは無い。
聞けば、後継者難から廃業を余儀なくされた旅館や土産物屋も多いと言う。
久しぶりに訪れた地は、ドライブウェイが出来たことも有り、かなり変貌を遂げていた。
所々に目立つ廃屋の無残な姿、多くの空き地は、この地の衰退を無言の内に伝えているようで、寂しい限りだ。
温泉の歴史は古く、その発見は養老年間(718年)まで遡る。
この地には「鹿の湯伝説」が残されていて、別名「鹿の湯」とも呼ばれている。
谷川の窪みに足を付け、傷を癒していた鹿が「傷を癒してくれるお湯が沸き出ている」と教えてくれたそうだ。
温泉街には、日帰り入浴も出来る旅館が数多くある。
泉質は、アルカリ性ラジウム泉で昔から「美人の湯」と言われている。
そのため女性の人気も高く、関西や中京からの交通アクセスも良く、気軽に行ける行楽地として知られている。
が、残念ながら、昔ほどの勢いは無いらしい。
そんな温泉街の観光名所の一つが、最奥に位置する大石公園だ。
三滝川の渓流と緑に覆われた園の一角に、日本一大きいと言われる御影石が鎮座している。
かの大石内蔵助はこの大石繋がりの石を眺めながら、日々悶々の心の憂さを晴らしたであろうと言われている。
近くには、その昔には僧兵が勢力を誇示していた天台宗のお寺、三岳寺がある。
かつては多くの僧兵を擁し、繁栄した歴史が有るそうで、そんな往時の姿を偲ぶ「僧兵まつり」が知られている。
今ではここに伝わる「折り鶴伝説」により、若い人たちから恋結びの寺として支持を集めているらしい。
鈴鹿セブンマウンテン
関ヶ原から鈴鹿峠に向け南北50q程の間に、1000mを超える山々が10座以上も連なるのが鈴鹿山脈である。
霊仙山、鈴ケ岳、御池岳、藤原岳、竜ケ岳、釈迦ケ岳、国見岳、御在所岳、雨乞岳、鎌ケ岳などなど・・・。
このうちの最高峰は御池岳で1247m、それに次ぐのが御在所岳の1212mである。
その登山口の一つが、関西・中京の奥座敷として人気の観光地であった湯の山温泉である。
温泉からは御在所の山頂に向けてロープウェイも有り、気軽に千メートルを超える山頂を目指すことが出来る。
また歩いての登山では、初心者でも比較的登りやすいルートがあって、気軽に登山を楽しむことが出来た。
かつて昭和40年代、『鈴鹿セブンマウンテン登山大会』と言うキャンペーンが行われたことがあった。
鉄道会社やテレビ局、新聞社、地元の山岳会などが中心と成って、気軽に登山を楽しもうと呼び掛けるものだ。
それは御在所を始め、鎌、竜、藤原、雨乞、入道、釈迦の7座などを舞台に、誰もが自由に参加できる催しであった。
当時、週末ともなると、近鉄名古屋駅は大きな荷を担いだ若者達で溢れ、俄か登山ブームで大いに賑わったものだ。
近鉄電車に乗り途中、三岐鉄道三岐線や近鉄湯の山線に乗換え、思い思いの目的地に向かう人々の群れである。
どれくらいまで、このブームが続いたのか、その終焉の記憶は定かに残ってはいない。
その後何時しかこのブームは冷めてしまったらしい。
しかし今、そんなブームには及びもしないが、細やかながら、俄かな登山ブームが来ているのだそうだ。
その中心になるのが、健康志向か、昔取った杵柄か、再び山へと出掛ける定年後の高齢者達らしい。
加えて、カラフルな衣装に身を包み、颯爽と歩く「山ガール」と呼ばれる女性達だと言う。
御在所岳登山
当時、御在所岳を歩いて登る登山者向けには色々なルートが設けられ、登山道も整備されていた。
一番ポピュラーなのが「表登山道」で、温泉街を抜け三岳寺脇から大石橋を経て山頂に至るコースだ。
登り口に近い処には、気軽に泊まれる登山者向けの宿、「近鉄山の家」が有った。
半ドンの日(当時多くの企業・工場は土曜午後は休業)などは、翌日の登山に備える人々で大いに賑わっていた。
ここからは途中、鎌ケ岳を経て、嘗ての鈴鹿越え旧道の一つ、武平峠を越えるルートも有った。
温泉街の外れの名勝・蒼滝を下に見て、緩やかに登る「裏登山道」も人気が有った。
途中には、ロッククライミングのメッカ、クライマーの聖地と言われる「藤内壁」を仰ぎ見ることが出来た。
距離は長いが、木陰も多く勾配もゆるくて歩きやすく、幾つかのルートの中では一番好きな道であった。
ロープウェイの直下には、「中登山道」も有った。
開放的で眺望の開けた道は、距離は短いが、荒れ地や岩場の続く勾配の厳しい登り道である。
健脚向きとされていたが、所々で伊勢湾まで見通せる眺望が素晴らしく、結構人気が有った。
また「表登山道」と同様、比較的健脚向きとされる「一の谷登山道」も整備されていたと記憶している。
山頂からは各峰を目指す尾根道や、滋賀県側に下山するルートも幾つかあった。
これら登山道は今でも残されているが、鈴鹿スカイラインの完成で、随所で寸断され、昔とは随分と変わったらしい。
更に何年か前の集中豪雨では、これらの登山道も被害を受けたと言う。
特に「裏登山道」では土砂崩れが起き、道は荒れてしまい、昔の面影は全くなくなってしまっていると聞いた。
御在所ロープウェイ
『鈴鹿セブンマウンテン登山大会』のキャンペーンは、一定の功を奏したようだ。
賑わいを演出したお陰か、昭和43年には、鈴鹿山脈一帯が鈴鹿国定公園に指定されている。
さらに昭和47年には、公園内を貫く鈴鹿スカイラインも開通し、車で訪れる事も出来るようになった。
温泉が楽しめて、さらに麓から気軽に千メートル級の山に登る事が出来るとあって、多くの観光客が押し掛けていた。
ここには昭和34年に営業を開始したロープウェイが有る。
温泉街の麓駅から赤いゴンドラに乗り込めば、山頂まで気軽に登ることが出来る。
ゴンドラからは高度が上がるほどに眼下に広がる温泉街が一望だ。
その先を見やれば四日市市街地の広がりや、さらに目を凝らせば雲に霞んで伊勢湾が僅かに望まれる。
途中に建つ白く塗られた6号支柱は、標高1,004mの位置にあり、麓からも良く目に付くここのシンボルだ。
運が良ければ眼下の岩場で遊ぶ天然記念物のニホンカモシカの姿を見かけることも有ると言う。
さらに「鷹見岩」「大黒岩」など、花崗岩で出来た山らしく奇岩・巨岩の出迎えを受けると暫くして山頂駅に到着だ。
全長2161m、高低差780mのロープウェイは、僅か12分の空中散歩で一気に山頂まで登る。
山頂駅を出ると一帯は山上公園になっている。
ロープウェイの山頂駅の横手には観光リフト(冬季はスキー用のリフト)がある。
それに乗って8分ほど登ると、三重県と滋賀県の県境にある一等三角点・山頂に向かうことが出来る。
ここからは鈴鹿の山並みが一望で、晴れていれば遠く知多・渥美半島から富士山まで望むことが出来る。
昔はこの付近に、世界的にも珍しかったカモシカ専門の動物園「日本カモシカセンター」が有った。
「御在所ユースホステル」もあったはずであるが、辺りを見回してみるがどこにもその姿は見当たらない。
半世紀以上も前に来て以来の再訪であったが、当然のことながら周りの様子は大きく変っている。
聞けばカモシカセンターは2006年に閉園し、ユースホステルは廃止され、その建物も解体されたと言う。
(昭和40年代のロープウェイと山頂の様子)
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