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鈴鹿越え


 

 旧東海道の宿場町・関の駅には隣接して、「道の駅・関宿」が有り、地元の新鮮な野菜などが並ぶ直売店や、食事処、情報コナーなどが併設されている。

またレンタサイクルも用意されているので、関から亀山に至る旧東海道を巡るなら、借りるのも手である。

 

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 関からはいよいよかつての難所、加太越えに挑むことに成る。

と言ってもそれは昔の事、今では2両編成のジーゼルカーが25‰の急坂を、エンジン音を少し高めるだけで難なく越えて行く。

関ヶ原から続く鈴鹿山脈は左手に見える錫杖ケ岳(676m)までの辺りらしく、この鈴鹿の峠越えは、昔から東海道を歩く旅人にも、鉄道が開通した後の機関車にも大変な難儀であったようだ。

 

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手元に有る「写真集・汽車(昭和467月 写真評論社)」を見ると、加太からかつてスイッチバックの信号所が有った中在家間を、D51が補機を付け力強く走る姿がとらえられていて、そのドラフトが今にも聞こえてきそうな力強さを感じる。

撮影者の苦労談を読んでみると、当時撮影の絶景ポイントとして知られた信号所付近へは歩いて行くか、加太からたった一台のタクシーを奪いあうか、信号所で無理やり降ろしてもらうしか方法が無かったようだ。

 

 今では一部列車の行き違いに使用されるだけで、かつての信号所機能は廃止され、峠越えを実感することも無く、いとも簡単にこの難所を越えて行く。

 

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 少し平野が開けると草津線との接続駅・柘植に到着する。

ここまで社内で愛嬌を振りまいていた猫が、飼い主のかごに入れられ降りて行った。

草津線はここ柘植と甲賀、貴生川を経て東海道本線の草津とを結ぶ36.7Kmの路線である。

途中の貴生川駅からは、狸の置物で知られる焼き物の里・信楽駅に向かう信楽高原鉄道と、近江八幡駅や彦根駅方面に向かう近江鉄道が出ている。

 

 

伊賀上野

 

柘植から15分ほどで、伊賀鉄道伊賀線の接続駅である有人駅の伊賀上野に到着する。

駅構内も結構な広さであるが、何となくガランとした寂れた印象がぬぐえない。

駅前には広いロータリーがあり建物が取り巻いているが、店らしきものが営業している風はなく静まり返っている。

 

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 三重県の北西部上野盆地にある伊賀市は、丁度大阪と名古屋の中間地点に位置する人口9.6万人ほどの町である。

その市街地の中心は旧上野市で、その最寄り駅である上野市までは伊賀鉄道で7分ほどの距離である。

古くから街道が通り交通の要衝の宿場町として、或は藤堂家の城下町として栄えた歴史を持っている。

 

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JR伊賀上野駅では、1番乗り場に接続する伊賀鉄道の電車が待っている。

伊賀鉄道は上野盆地に位置する伊賀市の中心市街地を通り、伊賀神戸までの間16.6Kmを結ぶ路線で、終点の伊賀神戸では近鉄大阪線と接続している。元々近鉄の支線であったが、今は分離され伊賀市も出資する近鉄の子会社である。

 

ここは俳聖と言われた松尾芭蕉の生誕地として、又忍者の里としても知られている。

駅前などには「芭蕉翁のふるさと」と書かれた立て看板や、芭蕉の句碑や句を書いた看板などがいたるところで目につく。

 


 

忍者列車

 

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 伊賀線の人気は何と言っても平成21年から運行の始まった「忍者列車」だ。

車体前面には松本零士デザインによる忍者が描かれていて、青色、ピンク色、緑色の三編成が走っている。

車内にもいろいろ工夫が凝らされていて、手裏剣柄のカーテンや車内灯があり、忍者が描かれた扉、忍者を描いた吊り下げ広告、石畳模様の床や、中には網棚に忍者が潜む列車もあり、乗客の目を楽しませている。

 

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列車は伊賀上野を出ると遠くに町並みを望みながら田畑の中をのどかに進む。

服部川の橋梁を渡ると市街地が近付き、やがて左手の小高い丘の上に中心市街地に建つ上野城が見えて来ると伊賀市駅に到着だ。

ここまでは七八分の距離である。

到着した駅では、ホームを始め構内の天井や柵など、いたるところに忍者が忍み、目を光らせていて、侵入者を厳しく見張っている。


 

 

上野城跡・上野公園

 

 伊賀線を上野市で降り地下道でその線路を潜り、町中を突き抜ける国道25号線を横切ると豊かな緑に包まれた上野公園がある。

一体は上野城跡で、広大な緑地は文教地区にもなっていて、上野市役所や西小学校、上野高校などが有り、園の入り口付近には上野公園観光案内所もある。

 

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天正年間に筒井氏が三層の天守閣を築いたのがこの上野城の始まりとされている。

その後江戸時代になって伊予の国から国替えで移ってきた藤堂高虎が、大阪の豊臣家との戦を意識して整備を始め、五層の天守閣の建設に着手したが、その半ば暴風により倒壊し、その後は再建されることが無かったと言う。

 

今の天守閣は昭和10年に、藤堂氏時代の天守台に建てられたものである。

その天守を支える石垣は、高さが30mと言う日本一の高石垣で、間近から見下ろすと見事な曲線を描きながら堀に落ち込む石垣は見事としか言いようがない。ここからは、上野の市街地を一望に臨むことが出来る。

 

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 上野公園内には再建された「上野城天守」や「筒井城址」のほか、芭蕉のゆかりの古里らしく「芭蕉翁記念館」や「俳聖殿」もあるが、こちらに向かう人は少なく、この辺りは閑静な佇まいを見せている。

園を訪れる多くの人が子供連れで、これらの家族連れはさらにその奥にある「伊賀流忍者博物館」を目指し流れていた。

 

 

忍者の里

 

 「忍者」の歴史は、遠くは飛鳥時代にまで遡ると言われるが、一般的に馴染み深くなるのは戦国から江戸時代にかけてである。

多分に時代劇や芝居などで造られたイメージはあるものの、今や「忍者」は日本の子供達のヒーローに留まらず、映画やアニメの影響で外国にも「ニンジャ」として知られ人気を博している。

そんな時代を裏付けるように、ここにも多くの外国人が押しかけていた。

 

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 上野公園の一角にある忍者屋敷では、忍者に扮したスタッフが実演を交えながら説明をしてくれる。

火薬の製造技術を敵方に盗まれないように、ここの忍者屋敷には侵入者に対処するため「どんでん返し」「抜け道」「監視場所」「隠し刀」「隠し戸」などの仕掛が随所に施されていて、案内をしてくれた「くノ一」の身軽な実演に歓声が沸いていた。

 

 また館内では「忍者ショー」も行われている。

忍者が使ったとされる手裏剣や、鎖鎌など使用した迫力のあるショーを見たり、手裏剣打ちの体験をすることも出来る。

 

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ここ伊賀は周辺の柘植や甲賀と共に「忍者の里」としても知られた町で、この近辺には忍者関連の施設も沢山ある。

伊賀と言えば棟梁である服部半蔵がお馴染みではあるが、実際の人物像は良く解ってはいないらしい。

そのせいかこの施設では有名な個人を紹介するのではなく、「忍者」としてその全体の日常的な活動を紹介している。

そういえばかつての人気テレビドラマ「水戸黄門」で一行を助ける忍者は「柘植の飛猿」と名乗っていた。

この柘植の出身と言う設定だが、勿論これも架空の人物である。

 

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俳聖・芭蕉

 

 そんな巨木に覆われ上野公園の一角に、「芭蕉翁記念館」がある。

この地で生まれた松尾芭蕉は二十歳前頃から仕官をし、俳諧を学び始めその後10年ほどして江戸に出て本格的な活動を始め四十前頃から芭蕉と名乗ったらしい。ここではそんな芭蕉の生い立ちや、俳聖としての業績を学び知ることが出来る。

 

 園内には芭蕉の旅姿をイメージして建てられたと言う「俳聖殿」がある。

芭蕉の生誕300年を記念して建てられたもので、その姿は芭蕉の旅姿をイメージしたものらしい。

茅葺の丸い屋根は旅笠、上層部に架かる木額は顔、初層の庇は衣に蓑を覆った姿だそうだ。さらに胴部、脚、杖も各々建屋の各部に意味付けられていて、言われて見れば見えなくもないが・・・。殿内には等身大の伊賀焼芭蕉像が安置されている。

また公園から数百メートルほど離れた国道沿いには、「芭蕉翁生家」も残されていて、内部は公開されている。

 

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伊賀鉄道の上野市駅前にも芭蕉翁の銅像が広場の中央に立っていて、いかにも芭蕉の古里らしくはあるが、それよりも売りはやはり「忍者」や「ニンジャ」であるらしい。

観光協会のHPを見ても、外国人の受けもあってか「俳聖・芭蕉」より、「伊賀流忍術発祥の地」「忍びの国」を大きくアピールしている風で、「忍者」は大きな観光資源となっているようだ。

 



 

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