忍者列車
伊賀上野を出ると列車は、遠くに町並みを望みながら田畑の中をのどかに進む。
服部川の橋梁を渡ると市街地が近付き、やがて左手の小高い丘の上、中心市街地に建つ上野城が見えて来る。
ここまでは七八分の乗車時間で、伊賀市駅に到着だ。
駅ではホームや構内の天井、柵等いたるところに忍者が忍み、目を光らせ侵入者を厳しく見張っている。
伊賀鉄道・伊賀線の評判は、何と言ってもこの忍者尽くしの演出である。
中でも人気は、平成21年から運行の始まった「忍者列車」だ。
車体前面には松本零士デザインによる忍者が描かれていて、青色、ピンク色、緑色の三編成が走っている。
車内にもいろいろ工夫が凝らされ、様々な仕掛けで乗客の目を楽しませている。
手裏剣柄のカーテンや車内灯、忍者が描かれた扉や吊り下げ広告、石畳模様の床等がある。
中には手裏剣柄の吊り輪や、網棚に忍者の衣装を着けたマネキン人形が潜む列車もある。
いっそ、運転士も忍者衣装にしてしまえ・・・。
上野城跡・上野公園
上野市駅から地下道で線路を潜り、町中を抜ける国道25号線を横切ると豊かな緑に包まれた上野公園がある。
一帯は町の中心的な区域で、上野城跡があり、広大な緑地は文教地区にもなっている。
上野市役所や西小学校、上野高校などが有り、園の入り口付近には上野公園観光案内所もある。
公園内のメイン施設は再建された「上野城天守」で、他にも「筒井城址」が有る。
又芭蕉所縁の古里らしく「芭蕉翁記念館」や「俳聖殿」もあるが、この辺りは人も少なく閑静な佇まいを見せている。
この公園の特徴的なのは、多くの人々が子供連れで園を訪れる事のようだ。
これらの家族連れのお目当ては、城跡や芭蕉翁ではなく、更にその奥にある「伊賀流忍者博物館」のようだ。
天正年間に筒井氏が三層の天守閣を築いたのが、この上野城の始まりとされている。
その後江戸時代になって、伊予の国から国替えで移ってきたのが藤堂高虎である。
大阪の豊臣家との戦を意識して、お城の整備を始め、五層の天守閣の建設に着手したとされている。
しかし、その志半ばで暴風によりお城は倒壊し、その後は再建されることが無かったと言う。
今の天守閣は昭和10年に、藤堂氏時代の天守台に建てられたものである。
その天守を支える石垣は、高さが30mと言う日本一の高石垣と言われている。
間近から見下ろすと、見事な曲線を描きながら堀に落ち込む石垣は、見事としか言いようがない。
ここはかなりの高台となっていて、上野の市街地を一望に臨むことが出来る。
忍者の里
「忍者」の歴史は、遠くは飛鳥時代にまで遡ると言われている。
多分に時代劇や芝居等で造られたイメージも有り、一般的に馴染み深くなるのは、戦国から江戸にかけてである。
今や「忍者」は日本の子供達のヒーローに留まら無い。
映画やアニメ等の影響で、外国でもそのまま「ニンジャ」として知られ、親しまれる様になった。
そんな時代を裏付けるように、ここにも多くの外国人が押しかけている。
上野公園の一角にある忍者屋敷では、忍者に扮したスタッフが実演を交えながら説明をしてくれる。
案内をしてくれる「くノ一」の、身軽な実演の度に見学者の中から歓声が沸いていた。
そもそもは、火薬の製造技術を敵方に盗まれない為に、様々な策を施したのが始まりらしい。
ここの忍者屋敷には、侵入者に対処するための仕掛が、随所に施されている。
「どんでん返し」「抜け道」「隠れ監視場所」「隠し刀」「隠し戸」などの仕掛けである。
また館内では「忍者ショー」も行われている。
忍者が使ったとされる手裏剣や、鎖鎌などを使用した迫力のあるショーが人気らしい。
又、手裏剣打ちの体験をすることも出来る。
ここ伊賀は周辺の柘植や甲賀と共に「忍者の里」としても知られた町で、この近辺には忍者関連の施設も沢山ある。
伊賀と言えば棟梁である服部半蔵がお馴染みではあるが、実際の人物像は良く解ってはいないらしい。
そのせいかこの施設では有名な個人を紹介するのではなく、「忍者」としてその全体の日常的な活動を紹介している。
そういえば嘗ての人気テレビドラマ、「水戸黄門」で一行を助ける忍者は「柘植の飛猿」と名乗っていた。
この地の近くにある柘植の出身と言う設定だが、勿論これも架空の人物である。
俳聖・芭蕉
伊賀市は忍者の里とし有名だが、俳聖と言われた松尾芭蕉の生誕地としても知られている。
伊賀鉄道の上野市駅前にも芭蕉翁の銅像が広場の中央に立っていて、いかにも芭蕉の古里らしい。
そのほか至る所に「芭蕉翁のふるさと」の立て看板や、芭蕉の句碑や句を書いた看板などが立てられている。
上野公園の一角にも、「芭蕉翁記念館」がある。
この地で生まれた松尾芭蕉は二十歳前頃から仕官をし、俳諧を学び始めたそうだ。
その後10年ほどして江戸に出て、本格的な活動を始め四十前頃から芭蕉と名乗ったらしい。
ここではそんな芭蕉の生い立ちや、俳聖としての業績を学び知ることが出来る。
園内には芭蕉の旅姿をイメージして建てられたと言う「俳聖殿」がある。
芭蕉の生誕300年を記念して建てられたもので、その姿は芭蕉の旅姿をイメージしたものらしい。
茅葺の丸い屋根は旅笠、上層部に架かる木額は顔、初層の庇は衣に蓑を覆った姿だそうだ。
さらに胴部、脚、杖も各々建屋の各部に意味付けられていて、言われて見れば見えなくもないが・・・。
殿内には等身大の伊賀焼芭蕉像が安置されている。
また公園から数百メートルほど離れた国道沿いには、「芭蕉翁生家」も残されていて、内部は公開されている。
当市の一番の売りは、芭蕉よりもやはり「忍者」や「ニンジャ」であるらしい。
観光協会のHPを見ても、外国人の受けもあり、「伊賀流忍術発祥の地」「忍びの国」を大きくアピールしている。
残念ながら「芭蕉」よりも「忍者」の方が知名度も高く、より大きな観光資源となり得るらしい。
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