誘われて

写真と文でつづる旅の思い出

 

 

 

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発心の道場(阿波の国・徳島)

 

 

■ ■ 第1番札所・霊山寺〜第23番札所・薬王寺 ■ ■

 

四国八十八カ所 阿波国

 

四国八十八ヵ所は、弘仁六年(815)弘法大師42歳の時に開創されたといわれている。阿波の国から始まり土佐、伊予を経て讃岐の国を巡る「四国遍路」の遍路道は、その道程三百六十余里(約1400Km)にも及ぶ。

 

大師入定後、大師への信仰から、弟子の修行僧がその縁の地を巡拝し、やがてそれが一般庶民の間にも広がり、霊場が定められ、それらを結ぶ道が整備されたようだ。

 

近年ではこうした道を歩いて遍路をする人も増えている。

遍路とは歩くことであり、歩いて巡ることが修行そのものであり目的であるとされる。お遍路となって四国の地を巡り、自身の心が遍路となると四国は「お四国」になる。

それは、心が変わると世界観もが変わるからだそうだ。

 

一度に全ての札所を回るのを「通し打ち」、何度かに分けて回るのを「区切り打ち」と言うらしい。一般的に「通し打ち」は40日前後、余裕を見るならその人の歳の数だけの日数が必要と言われている。歩いて巡る事は本当に大変な道中修行だ。

 

しかし時代の流れからか、今ではバスやマイカーで巡る人が圧倒的に多いそうだ。厚い信仰心をもって巡る人もいれば、単なる観光旅行として訪れる人もいる。それぞれの想いが有り、それぞれのスタイルが有り、それぞれのお四国巡礼が有るようだ。

 

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→ 歩き遍路の旅が うどん腹で大丈夫だろうか 何とも心許ない気が・・霊山寺〜5番)

 

→ 松葉杖の参拝者が 参道の中程で足が急に軽くなり 杖を使わなくても・・6番〜10番)

 

→ 途中で一台の車が ハザードランプを点け 路肩に寄り停止し 窓が開き・・〜11番)

 

→ お大師さんが造られたお四国最大の難所は 遍路泣かせの焼山寺道へんろころがし〜)

 

→ 八十八カ所を20回廻っても 会うこと叶わず ついにこの地で(12〜神山温泉

 

→ 通り掛かった車に地図を見せ 自分の居場所が分からないと訴え立見峠越え〜17番)

 

→ 町の人達の 何気ない心使いや思いやりは もはや素晴らしい阿波踊り会館〜19番)

 

→ いわゆる胸突き八丁と言われる急斜面が続く道も もはや焼山寺の・・鶴林寺道〜21番)

 

→ 夕食時 ここであの夫婦から 思いがけない話を聞くことになり・・太龍寺道〜22番)

 

→ ここら辺りまで来ると 大きなイセエビの踊る看板が目に付く・・由岐峠越え〜23番)

 

→ 貰った干鯖を海に放つと鯖は生き返って勢いよく沖に向か日和佐〜鯖大師〜室戸岬へ

 

 

 

修行の道場(土佐の国・高知)

 

 

■ ■ 第24番札所・最御崎寺〜第39番札所・延光寺 ■ ■

 

四国八十八カ所 土佐国

 

土佐路は、「修行の道場」と言われている。

それは相対的に札所間の距離が長い事も有るが、その昔、波の恐怖にさらされながら、多くは石のごろごろとした海沿いの道を、また足元の不安定な砂浜の道を、ただひたすら歩き続ける道中の厳しさに由来している。

 

加えて山に構える札所も多く、山門に至る遍路道は、厳しい登り道で、これまで歩き続けてきた遍路をさらに悩まし、行く手を阻んでいる。丸々一日、いや二日歩き続けても目指す札所に行き着けない事も、決して珍しくは無い。

 

たった一つの札所を打つのに、余りにも大きな艱難辛苦が待っている。耐えて忍んで、唯ひたすらに前を向いて、一歩、叉一歩と歩くよりいたしかたない。

それより前に進むすべがないのだから・・・。

 

しかし、苦しいことだけでは決して無い。

多くは海岸線を歩くので、その絶景をゆっくりと堪能することが出来る。あの海の広さ、碧さには心が洗われるし、車で通り過ぎてしまえば、決して気付くこともない地良い潮の香りと優しい風は、ひと時の安らぎを与えてくれる。

 

苦しんで、山道に挑んだ先に開ける眺望は、疲れた身体を癒してくれる。土佐路はただひたすら歩く、歩く、歩く、歩く・・・・そんな旅だけではなさそうだ。

 

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 → 華奢な身体はすつかり日に焼け精悍で逞しくも見える はじけるような・(室戸岬目指し

 

 → 車掌に教えられた道ではあるが 裸電球しかない山道を 一人で登った尾崎〜26

 

 → 寒いのに半袖シャツ一枚で 自転車を押して登ってくる 捻り鉢巻きの青年・〜27番)

 

 → どちらの寺も30番 参拝者はどちらなと勝手に 好きな寺へ参ったら宜し(〜30番)

 

 → 重いけどこれ持って行け と出がけにおばあちゃんが立派な(〜33〜種崎の渡し

 

 → 暑さで喉もカラカラ 疲れ果てて塚地峠を越えると そこには紅白の(〜35番)

 

 → 納経所前から延びる石の階は、かつて横綱が足腰を鍛えた事が知られて・〜36番)

 

 → 明治のおじいさんの頃から使っている井戸の水だ 冷たいからと言って・〜七子峠越え

 

 → 覚悟を決め登り始めた急勾配の路は 5分も登ると平坦な舗装路〜37番〜足摺)

 

 → 「私はいま海にいます」 太平洋を眼前に望む海辺のレストランホテル・(足摺目指し

 

 → 夕食のテーブルには 高知のおきゃくに付きものの豪華な皿鉢料理が・・足摺岬目指し

 

 → 境内でまず目に入るのが 中央に配された池 沢山の大きな土佐五色石の・〜38番)

 

 → 周囲から人家が途絶えると県道は少しずつ上り始め 心細いほど・・足摺〜県道21号線

 

 → 土佐と伊予とを結ぶ重要な街道で 麓には番所が設けられていた・・(39〜松尾峠越え

 

 

 

 

菩提の道場(伊予の国・愛媛)

 

 

■ ■ 第40番札所・観自在寺〜第65番札所・三角寺 ■ ■

 

四国八十八カ所 伊予国

 

旧宿毛街道は、標高300メートルの松尾峠で、土佐の国境を超え伊予路に入る。

この峠は、ここから香川県境の川之江市まで、県内465キロに及ぶ「四国のみち」愛媛県ルートの起点であり、これより「菩提の道場・伊予路」の始まりでもある

 

伊予路の最初の札所・第40番・観自在寺は、霊山寺からは一番遠く離れた札所で、「裏の関所」とも言われ、遍路にとってもようやく折り返し点に来たか、と感慨深く感じられるところでもある。

しかし、そんな安堵感も吹っ飛ぶような、久万高原の上り下りや、石鎚山系の懐深く入り込む難路など、厳しい山岳地の遍路道も控えているらしい。

 

「菩提」とは「悟り」の事、「悟り」とは「気付く」事。

厳しい自然の中に身を晒し、自らの判断で進むべき道、歩むべき道を見つけて進む。

時には迷いとの遭遇も有るだろう。しかし少しぐらい迷っても良いと思う。そして迷ったら暫く立ち止まれば良い。時には少し遠回りすれば良い。

 

「悟りとは迷いの道に咲く 一輪の花である」

それで得られるものも有ると言う。

さて、菩提の道場には、どんな迷い道が待ち構えているのであろう。

 

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→ 県境の難所松尾峠には 貞享年間立てられたという 古びた石の・・松尾峠〜40番)

 

→ 地元酒蔵の酒粕で作る酒饅頭で 付け 越えれば文六と・・室手海岸〜宇和島

 

→ 目の前の まるで屋根に掛けた梯子のような急坂を 鎖を掴・・(41番〜歯長峠〜43番)

 

→ 恐怖のトンネルか 雨の難路の峠越か 選択は二つに一つ・・卯の町〜伊予大洲〜内子

 

→ 西の軽井沢とも言う久万高原から 鴇田峠を超えヘソ寺へ・(内子〜筏流しの里〜鴇田峠)

 

→ 直瀬川の両岸に屹立する 礫岩峰が見事な景観を見せ(44〜四国カルスト自然公園

 

→ 頭上に覆い被さる巨岩をくりぬいて そこに包み込まれる・・(45〜三坂峠〜46

 

→ 遍路の祖 衛門三郎ゆかりの地から 松山市郊外の遍路道を長閑に・・(47番〜50

 

→ 石手川に架かる橋を渡ると、正面に緑鮮やかな(第51松山市内 道後温泉 松山城

 

→ お遍路さ〜ん休んでいきませんか、と学生さんが声を掛ける・・(52〜花へんろの里

 

→ 山が海まで迫り 押し出されるように 国道は海の上に・・北条瓦の町菊間〜55

 

→ 山門を潜った先に 手摺の付いた急な石段が 鬱蒼とした森に・・(56番〜五郎兵衛坂

 

→ お大師さんの手を握り 願いは一つだけに お大師様は忙しい・・(59番〜小町温泉

 

→ 少しでも身に危険を感じたら 直ぐに引き返すように・・大頭〜石鎚登山道〜60番)

 

→ 肉屋が営宿の夕食は ボリューム満点で食べ応えがあり・・白滝奥の院〜第64番)

 

→ 伊予最後の札所へは 50キロ近い道程を残す最後の・・湯之谷温泉〜62〜番外椿堂

 

 

 

 

 

涅槃の道場(讃岐の国・香川)

 

 

■ ■ 第66番札所・雲辺寺〜第88番札所・大窪寺 ■ ■

 

四国八十八カ所

 

讃岐の国・香川県は、南部に千メートル程度の讃岐山脈が東西に延び、北部は瀬戸内海に望んでいて、面積が全国で一番狭い県でもある。瀬戸内式気候で、年間を通じて気温は温暖、極めて少雨だ。そのため讃岐路では、いたるところで大小の溜池を目にしながら歩くことに成る。

 

讃岐路の札所は、その間の距離が比較的短くて、一日に何か所もの札所を打つことも可能で、これは歩きにとってはありがたい。

この地の札所が、三豊・丸亀・高松の主要な平野に代表される、讃岐平野と呼ばれる狭い範囲に集中して配置されているからである。

 

しかし一方では、讃岐特有の地勢である火山性の出塊群と言われる、台地状、円鋳状のお椀を伏せたような、又お握りを置いたような小山が沢山あり、そんな中、札所はその山麓や中腹に構えていることが往々にある。

 

そのために最後の最後で、苦しい山道や石段上りが待ち構えていて、苦しめられるということもある。

しかし、苦しい登りを終えれば、必ず楽な下り坂というご褒美も頂けるので、それはそれで良くしたものでもある。

 

最初の寺66番札所は、行政上は徳島県に位置している。

これを打ち、雲辺寺山を下れば、遍路道はいよいよ讃岐路に入り、満願に向けた「涅槃の道場」の始まりである。

 

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→ 少し前までは 巡拝路の中では随一の悪路難路として椿堂〜66〜雲辺寺下り

 

→ 四国88カ所の中では唯一ここだけと言う 同一境内に二つの(67番〜観音寺〜70番)

 

→ 岩肌には摩崖仏 死霊の集う山と言われる境内は幽暗でふれあいパークみの〜74番)

 

→ さすがに寺域は広大で 旧金比羅街道を挟んで 東院と西院とにわかれ(75番〜77番)

 

→ 配流され 深い怒り嘆き恨みを残し 当地で崩御した上皇の怨霊が丸亀市街〜79番)

 

→ 三度の遍路転がし もう一息あと少し 登山道の木々に(80番〜遍路ころがし〜81番)

 

→ 薬師如来を祀る薬師堂は 地獄の釜の煮えたぎる聞こえる (82番〜高松市街〜84番)

 

→ 「その日は調子 すごく悪くて・・それでもここに座って」五剣山〜86番〜長尾の門前

 

→ 「高野山に持っていかはったらどうですか その後お床にでも」(87〜88結願所)

 

→ 遍路の間では 夕食に結願を祝う赤飯が供されるという評判の大窪寺門前〜1番)

 

 

 

 

八十八カ所 各札所御本尊 御納経

 

 

 

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結願成就の道(京・羅城門〜高野山・奥の院)

 

 

 

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