民宿「龍山荘」
次の22番札所・平等寺へは、今来た境内を少し戻り、山を下る。
ついさっき登って来た分岐まで戻ると、そこから右にアスファルト道が見える。
暫くは、車で参拝する信者のための、この車道を下る。
寺までは12qほどだが、今日はかなり手前の黒河で宿を取る。
この先日和佐の近辺まで宿が無いので、少し近いがこの地に泊まらざるを得ないのだ。
その距離は4q余りだから、1時間半も見ておけば大丈夫であろう。
細い流れの渓流沿いに続く下りの車道を、時折参拝を終えた車が凄いスピードで駆け下りていく。
途中で休んでいると、夫婦連れと思われる遍路が通りかかった。
作務衣を着て脚絆で足元を固めた風体で、足取りも軽く山を下っているように見える。
「疲れますね」「足が痛くて」等と話すと、「少し前のめりで膝を曲げ弾むように歩くと膝の負担が少ない」と言う。
所謂「猿の歩き」だと教えてくれる。
試して見るが、なかなか上手くはいかない。
多少膝への負担が小さくなったようにも感じるが、気のせいかも知れない。
暫くすると、これも生名で同宿だった甲府から来たと言う一人歩きのご婦人が追いついてきた。
随分足が痛そうに歩いているので、さっき聞いた話を伝授する。
歩き始めて1時間半、前方の山の斜面に白い建物が見えてきた。
今晩の宿、黒河の民宿「龍山荘」で、旧館の奥に鉄筋造りの立派な新館を構えた遍路宿である。
「金子や」で泊まった歩きの遍路は、よほどの健脚でない限り、先へは進まずここに宿を取る。
殆どの客が、既に顔見知りで、夕食時、例の“鬼ごっこ”のご夫婦と同席になった。
ここでご夫婦から、思いがけない話を聞く事になる。
山下りを“鬼ごっこ”しながら、楽しんでいる風に見えた夫婦に、人知れぬ悲しみが秘められていた。
最愛のお子さんを病で亡くされたと、食事をしながら、辛いで有ろう心情を吐露されたのだ。
お子さんの死に立ち会って、今その霊を慰め、自らの心の安寧を求めるため、遍路に出たのだという。
四国八十八ケ所ヘンロ小屋プロジェクト
翌朝、7時半前に宿を発ち、第22番札所・平等寺を目指す。7.5キロほど、2時間も見ておけば良いだろう。
同宿の遍路もほぼ同じ時間に宿を発つので、暫くは同じ道を同じ方向に、ある間隔を取って三々五々歩いている。
暫くは加茂谷川に沿った県道を歩くことになるが、道は殆ど平坦で、車も少なく歩き易い。
途中畑に植えられた鶏頭の花や畦の彼岸花が目を楽しませてくれる。
黒河の集落を抜け、40分ほど歩いて阿瀬比の集落で国道195号を横切る。
暫く行くと「ヘンロ小屋
第二号 阿瀬比」の看板が目に入る。
建築家の歌一洋さんが提唱する「四国八十八ケ所ヘンロ小屋プロジェクト」が設けた施設だ。
地元の方々から土地の提供を受け、資金集め、労力奉仕などの協力のもと建設したものだ。
こうした小屋は、今では34棟が完成していると言う。
その土地の形や、地域の特性を生かした設計に基づき、それぞれの小屋には「ストーリー」が込められている。
遍路が誰に気兼ねもなく自由に使える施設はありがたい。
お接待の精神に基づいて造られているのだが、遍路は本当に大勢の善意に支えられ、守られている事を知らされる。
遍路道は、「平等寺まで4.5Km」の標識あたりで山越えの様相に変わり、深い森の中へと入り込む。
太龍寺から山を下り、黒河で一旦底を見て、これから高低差で言えば、200m余り登る事になる。
山登りとは言え、これまでの幾つかの「遍路ころがし」をやり過ごしてきた身には、厳しさももはや慣れたものだ。
宿を発って1時間半、切り通し道の僅かばかりの薄暗い平坦地に到着した。標高288メートルの大根峠だ。
ガイドブックにはここまで2時間の行程と書かれていたから、少し早く到着した。
ここを越えれば、平等寺へは残り3キロほどで、あとは下るばかりである。
暫くは枯れ笹の敷き詰まった竹林の道を下る。
ササが適度のクッションとなり、膝への負担も少なく歩きやすい快適な下りが続く。
竹を揺らす風の音が、軽やかなリズムとなって足取りの歩調に合わせてくれる。
弘法の霊水・平等寺
やがて山道が終わり、谷が開き平地に出ると、牧場を右に見ながら農道に突き当たる。
西光寺地区に下り、左に曲がり桑野川に沿って進むと1キロほどで平等寺に到着する。
第22札所・平等寺に到着した。
13段の石段を登り仁王門を潜ると境内で、鐘楼や大師堂、観音堂などが建っている。
更に42段の男厄除け坂の石段を登り詰めると本堂がある。
その石段下左側にあるのが「白水の井戸」で、どんな日照りでも涸れることのない井戸だという。
弘法大師が掘られたとの伝説も有り、飲用に適し万病に霊験があると言う。
門前の駐車場に停められた移動販売車の赤いのぼりに心を奪われて立ち寄ってみる。
のぼりにはアイスクリームと書かれているので、英気を養う。
1キロ余りの農道歩きは日差しも強く、喉も渇いていたので、アイスクリームはありがたい。
次の阿波最後の札所薬王寺までは、およそ21q、6時間余りの行程が待っている。
いきなりのお接待
昨夜、宿の女将が薬王寺までの道中に食事処は無いので、門前の店で買うと良いと教えてくれた。
門前の橋を渡り、右に曲がり町中を暫く行くと小さなマーケットが有る。
北九州から言う一人歩きの男性も飲料水やらパンをしっかりと買い込んで、「お先に」と言って発って行った。
彼とは今晩もまた同宿だ。後を追うように店を出る。
再び遍路道に戻り30分ほど歩いて生谷の集落に差し掛かったとき、前から自転車に乗ったご婦人がやって来た。
ご婦人は、「お接待です」と言って前籠から清涼飲料の缶を取り出し目の前に差出してきた。
突然のことで良く事情が飲み込めずにいると、更に「お接待です、どうぞ」と勧めてくれる。
「アッ、これはどうも・・・・」と、良く冷えた清涼飲料の缶を受け取り、お礼を言って再び歩き始める。
暫く歩くと民家の軒下に自動販売機があり、その前が僅かばかりの日陰になっている。
恐らく、我々が歩いてくるのを見届けてから、この販売機で購入したものであろう。
折角だから冷えたうちに頂こうと、日陰に腰を下ろし、缶タブを開ける。
振り返ると、直ぐ後を歩いていた甲府から来たと言う一人歩きのご婦人にもお接待をしている。
暫くして通りかかったご婦人に「折角だから冷たいうちに頂きましょう」と声をかける。
「そうね、喉も渇いたし・・・」と彼女は傍らに腰を下ろした。
「いや〜、びっくりした」「話には色々聞いていたけど・・・」
「こんなの初めて」「どれぐらいの人達にお接待しているのだろう」「毎日しているのだろうか?」
などと、小さな興奮が冷め遣らず、先ほどのご婦人の事で話が弾む。
見返りを求めない、全くの無償奉仕がお接待とは言え、並みの事では出来ぬ行為である。
単に親切心からと簡単には片付けられない何かを感じる。
今思うと、お礼の「納め札」を渡すのを忘れていて、申し訳ないことをしてしまった。
月夜御水庵
そこから30分ほど歩くと月夜御水庵がある。
大師がこの地に宿をとったとき、加持によって湧いたと言う清水が境内に有る。
その脇に有る杉は、別名逆さ杉と呼ばれる、高さ31メートル、幹周り6メートル余り、樹齢1000年の大杉だ。
その枝が一度下を向いてから上に伸びるという珍しいものらしい。
月夜御水庵を出て、良く手入れされた竹林を見ながら、県道を40分ほど歩くとやがて県道284号に行き当たる。
右に取ると室戸、左に取ると徳島で、道端にJR阿波福井駅へ1.2Kmの標識が有る。
平等寺を出てからは、甲府からと言う一人歩きのご婦人とは、後先になりながらほぼ連れのように歩いてきた。
婦人は今晩の宿を薬王寺に一番近いところに取っていると言う。
しかし足が痛くてとても日和佐までは歩けそうに無いから、少し電車に乗ると弱音の弁をはいている。
「折角ここまで来たのだから、もう少し頑張りましょう」
「そうね、あなたたち、ゆっくり歩いているものね。これなら付いて行かれるかも」
どうやら、我々は傍目から見ると相当のんびりと歩いているように見えるらしい。
そこから暫く一緒に連れ立って歩いて来た。
“JR阿波福井駅”の表示を見て、「私はここから電車に乗るわ」と左に取って行った。
「縁が有ったら薬王寺で会いましょう」と右に曲がり県道を進む。
暫く行き、地道に入ると行き成りの蛇の出迎えに、こんな道を行くのかと鳥肌が立つが案ずる事はなかった。
直ぐ上の広い道に出る巻き道で、坂を登り切ると車が激しく行き交う道路に出会った。国道55号だ。
ここからは暫く国道を道なりに歩く事になる。
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