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心配していると相棒が、「意識が無くなって・・・」と言いながら、風呂から上がってきた。食卓の皆が一瞬「えっ」となる。

「寒いから・・」と部屋に戻り、布団に潜り込んでしまった。女将が、何くれとなく世話を焼いてくれた。血圧に異常はなさそうだ。

顔色もそんなに悪くは無い。心配したが、暫くして落ち着きを取り戻した。女将の配慮で、部屋に夕食を運んで貰うと多少の食欲も出て、食べる事ができ、先ずは一安心だ。

 

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翌日の朝食時、昨夜到着が遅くなった一人歩きの女性と一緒になった。

「真っ暗な道で怖かったが、途中でジョギング中の婦人が励ましてくれて嬉しかった」と、昨夜の体験を聞かせてくれる。

足の裏のマメの話をすると「今日で終わるから使ってください」とテーピングテープをくれた。部屋に戻りしっかりと巻き上げてみる。

多少足に痛みはあるものの、何とか歩けそうだ。しかし昨夜の相棒の事もあり、自身のこの足の事も有って、岬の近くまでバスを利用することにした。

 

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バスは早くて快適だ。10キロほどの道のりを、僅か20分ほどで駆け抜けていく。

車窓から“青年大師像”が見えてきたところでバスを降りる。そこからは、5分ほど歩くと大師像の下に着く。

その後海岸の遊歩道に出て、大師が修行したとされる御蔵洞に立ち寄る。19歳の空海は、この洞窟にこもって修行した。

夜が明けて毎日目にするものは「空」と「海」、日が暮れると無限の闇、何も見えない無の世界。そんな日々を過ごすうちに悟りを得、自らを「空海」と名乗ったとされる場所である。

 

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景色に見とれ海岸の遊歩道を歩き続けていたために、肝心の登山口を通り過ぎてしまい、結局スカイラインを登ることになった。

太平洋の眺望は素晴らしくこの景色が気を紛らわし慰めてくれるから、結構キツイ上りの割には、さほど疲れは感じない。

足もテーピングのお陰で、痛みはあるものの歩けない痛さではないから有りがたい。

 

 

懐かしい岬の寺

 

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30分ほど登ると門前の駐車場に到着する。車から降りた人々が狭い車内から開放され、足取りも軽く一団となって急坂を登っていく。

息を切らせながら暫く行くと、左手に24番札所 最御崎寺の山門が見えてくる。別名「東寺」、かつては女人禁制のお寺である。

室戸岬の地に有る桜の咲いた境内は、さすが観光地だけあって遍路や観光客で賑わっている。

 

仁王門を潜ると正面には本堂が右手に多宝塔を抱えて建っている。その左手には大師堂、大勢の参拝客が神妙に手を合わせている。

更に本堂があり、その裏手には宿坊が続いているようだ。

 

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始めてこのお寺を訪れたのは、まだ20代初めの頃田宮虎彦の小説「足摺岬」を読んで、どんなところかこの目で確かめたくなり遥々足摺岬を訪れたことがあった。その折、折角ここまで来たのだからとこの室戸岬にも足を伸ばしたのだ。

 

電車とバスを乗り継いで、登山口でバスを降りる頃には、辺りはすっかり暗く成っていた。車掌さんに教えられた道ではあったが、裸電球しか無い山道を一人で心細く登った記憶は今も忘れない。当時泊まったユースホステルは、宿坊の辺りに残っているのであろうか。

その後車では何度も訪れている場所ではあるが、やはりこの地に立つと懐かしい。

 

 

ここは台風銀座

 

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スカイラインを下り切ると国道に並行して坂本、津呂の集落を抜ける旧道がある。

津呂には土佐の国司、紀貫之の「土佐日記」縁の港が有る。

広い道を歩いていると、いたるところに“昭和9年 海嘯襲来地点”の石碑を見かける。後から広辞苑で“海嘯”を調べて見ると、読みは“かいしょう”とあった。

“満潮の際に遠浅の海岸、特に三角形状に開いた河口部に起こる高い波”で、津波とは異なるようだ。

 

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昭和9921日室戸岬付近に上陸した台風は、911.6hPaの最低気圧を記録し、大阪湾を横切り近畿地方に再上陸、猛烈な勢力を保って駆け抜けた。各地で高潮の被害が発生し死者・行方不明者は3,036人、負傷者は1万5千人近くとなる、未曾有の被害が発生した。

所謂室戸台風だ。この室戸岬周辺の集落にも、大きな高潮が押し寄せ、甚大な被害を齎した。石碑はこのときの高潮の襲来を今に伝えるものらしい。

 

そんな海難を防ぐためか、ここら辺りは随分と高い防波堤で町全体が守られている。更に各家々のブロック塀もやたらと頑強なつくりで、その上随分と高い。いつも強風が吹荒れるところなのであろうか、山の木々は真直ぐ直立しているものは少なく、面白いように曲がっている。ここは“台風銀座”。昔から台風と人間が熾烈な戦いを繰り広げてきた土地なのであろう。

 

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旧道を抜け、再び国道55号に合流する。最御崎寺から25番の津照寺までは7キロ弱、2時間ほどの道のりだ。

昨日とは違って今度は左手に海が広がって見える。1時間ほどで“海の駅 むろと”に到着、ここで休憩、昼食を摂る。

尾崎の女将が“お接待だ”と言って出掛け渡してくれた心づくしのお弁当だ。おにぎりに、バナナ、みかん、乳酸飲料、それに僅かばかりのお菓子が添えられていた。栄養バランスを考えた、女将の心遣いが嬉しい。

 

 

津照寺、通称津寺

 

なんの変哲も無い国道を更に40分ほど歩くと、左手前方に小型の漁船が何艘も係留された室津港が見えてくる。

土佐山之内藩の家老、野中兼山が苦労をして改修した港らしい。港を開くにあたり、兼山の部下、普請奉行の一木権兵衛は人柱になったと言うそんな悲しい話を秘め、エメラルド色の水を静かに湛えている。

 

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そんな港の先広い道路を隔てた反対側に何軒かのお店が連なり小さな門前町が見える。どうやら25番札所・津照寺に着いたようだ。

土地の人から“津寺”と親しまれているこの寺は、最御崎寺が女人禁制で有ったため、一般の在家の人との交渉はこの寺が勤めていたらしい。

山門を入るとすぐ右の平地に大師堂と納経所がある。その前に120段余りの石段がそびえ、本堂はその先にある。

足が痛いので、ゆっくりゆっくり石段を登ると、その先の僅かばかり開けた平地の奥に、小さな本堂があった。

 

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お参りを済ませ振り返ると、木立の間から眼下に広がる室戸の町並みと青い海が広がっていた。

心地良い風が、そっと頬をなぜていく。茂りすぎて若干視界は悪いが素晴らしい眺めで、疲れが癒される。

これはきっと、痛い足を我慢してここまで登ってきたご褒美だ。

 

 

野根まんじゅう

 

20代初めの頃、足摺から室戸を見ての帰り道、甲浦でバスを降りた。少しあった乗り換え時間を利用して、町を歩いていて、とあるお土産屋さんを見つけた。ユースホステルの食事以外、グルメどころか、ろくすっぽ昼食も食べていない貧乏旅行の身には、店先に並べられた饅頭が空腹を刺激した。

 

散々迷った挙句、思い切って中に入り一番小さな包を一つ買い求めた。その店先でしゃがみ込んで貪るように食べていると、暫くしてお店の人がお茶を持ってきてくれた。五つ六つ入っていた包だったと思うが、あっと言う間に胃袋に落ちた。

お茶を出してくれた事が嬉しくて、食べ終わると再び店に入り、少し大きな箱を一つお土産に購入した。

 

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「これは天皇陛下(昭和)に献上された有名なお饅頭だ」と言って、明治と大正生まれの信心深い両親にお土産を渡すと「勿体無い」、「有りがたい」と封も切らず、先ず仏壇にお供えし、すぐには食べようとしなかった。

こんな懐かしい思い出の有る“野根まんじゅう”は、それ以後、四国に来る機会がある度に、必ず買い求めるお土産の定番になった。

 

 

宿坊・金剛頂寺

 

26番札所・金剛頂寺までは4キロほどの長閑な町中を行く。

左手に見える海岸は元海岸、ウミガメが上陸して産卵する海岸として知られている。

小さな元川を渡って右折すると、山に向う自動車道があり、少しずつ登っている。そこを歩き途中、大きく右に曲がる自動車道とはわかれ、直進する遍路道の看板が出てきた。自動車道なら40分、遍路道なら15分とある。

 

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厳しいことは覚悟の上で、やはり遍路道を選択し、人家の間の道に入り込むと、登るほどにその幅は狭くなる。

やがて地道の山登り道となり、次第に厳しさが増してくる。歩き始めて1時間半、遍路道が途絶え、厄除けの石段を登ると山門があり、その先に広い境内がある。

 

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今日はここの宿坊で泊る。ここは、「料理が素晴らしい」と聞いていたので、今晩は期待できそうだ。宿坊では、「今日は大きな団体が入って・・・」と忙しく振舞う住職婦人が出迎えてくれる。「本館は団体が使うから・・・」と言いながら案内された部屋は、長い廊下を歩き、階段を上り下りしながらたどり着いた広い信徒会館の一番奥にあった。

 

もったいないような随分と広い部屋である。宿坊にしては珍しく、テレビが有ったが、これが面白いことに、今時珍しい文化財級のチャンネルの旧式だが、それでも何とかいくつかの番組が受信できているから素晴らしい。

そんなテレビの音を聞きながら、一休みの暇もなく、痛めた足の手当をするのである。

 

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6時から楽しみな夕食が始まった。広い食堂には、6人ほど座れる円卓が幾つも置かれ、その上にはすでに料理も並んでいる。席は決められていないから、それぞれが好きなところに座ることになる。

 

中央の中華料理屋のような回転卓には豪華な刺身の盛り合わせ、季節のお寿司、漬物などの他にもてんぷら、茶碗蒸し、酢の物などが所狭しと並べられている。知らない者同士が、遍路談義に花を咲かせながら、料理を突き合うのは楽しい。

あっちこっちで声高な話し声が聞こえ、時折大きな笑い声が起き、まるで宴会をしているようだ。

 

お接待のお母さんたちもてんてこ舞い、凡そお寺の宿坊とは思えない雰囲気だ。「ちゃんと、ビールの本数記録しているのだろうか・・?」誰かが心配すると「ここはお寺だから、全て会計時に自己申告、誤魔化すのは居ないよ」と言う。

どのグループも今夜はことのほかアルコールが進むようだ。

 



 

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