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赤い鉄塔を目指して

 

「山の上の赤い鉄塔を目指せ」宿の女将に教えられた鉄塔が、遥か前方の小高い山の上に望まれる。

2キロ程で県道44号に合流、右手に高知市街の建物群を見ながら歩く県道は、さすがに行き交う車が多い。

土電後免線の軌道敷を越え、暫く解りにくい住宅地内の道を進むと、標高145mの五台山への登り口が見えてくる。

 

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石畳を敷いた道はかなりの急坂で、暫く歩くとさすがに息が上がる。途中の墓地の前で休憩をとるが、余りにも多い藪蚊の攻撃に閉口、早々に歩き始めるものの、すでにここまで6キロ程歩いているので、さすがにいきなりのこの登りはきつい。

 

息を切らして登っていくと、遍路道は自然に植物学者・牧野富太郎博士を記念する植物園の園内にと入り込む。

「先にお大師さんが道を付けていたので、遍路はただで入れる」と、宿の女将が言っていた意味がこれで解った。

目標にして歩いて来たあの赤い二本の鉄塔がすぐ上に見え、竹林寺の塔もこんもりとした森の中に見通せるようになった。

 

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入場券を持たない遍路への配慮であろうか、植物園の入り口脇に遍路用の狭い小さな出口が有り、チケットを改められることもなく出口を出て、その前の道路を横切ると自然に境内にと入り込んでいく。

高知市内の五台山公園の一角にある31番札所・竹林寺は、さすがに観光客が多い。

 

文殊堂と呼ばれる本堂は文明年間の建立で、国宝に指定されている建造物だ。その本堂より少し高いところにある朱塗りも鮮やかな五重塔が境内では目立っていて印象的だ。昭和55年に再建された塔は、鎌倉時代初期の様式を今に伝えると言う。

 

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全国的に有名な「よさこい節」で、『坊さん簪買うを見た・・・』と唄われた坊さん、37歳の純信は、ここ竹林寺の脇坊・妙高寺の僧で有ったと言われているが、今その脇坊跡には、先ほど通り抜けてきた植物園が出来ている。

純信は6キロ離れたはりまや橋で、17歳の町娘・おうまのために簪を買い求めた。

このことは、ペギー葉山の唄う「南国土佐を後にして」で、坊さんと町娘の悲恋として、全国的に知られるようになったが、本来この寺は「学問・学業の寺」であるらしく、社務所では、学業成就や頭の良くなるお守りが売られている。

 

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おばあちゃんと梨

 

竹林寺を後に、苔むした石畳の急坂を下り6キロ先の32番・禅師峰寺を目指す。

下田川の堤防道は日影が何も無く暑くて堪らないが、こんな道が延々と1キロ半程も続く事に閉口しながらの歩きである。

ようやく堤防路を降り、工事が進む高知南国道路の脇を抜けて、県道247号に出る。

 

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道路わきに「武市半平太 旧宅と墓」の立て看板と、「梨直売」の幟旗を見つける。丁度小腹も空いていたので、一番安い2個入りで300円の物を購入し、ここで食べていくことにする。

「私は縁者ではないが、あの家に住んでいる」と梨売りのおばあちゃんが話してくれた。武市半平太の旧宅は、国の史跡に指定されているが、今では個人の所有に成っているらしい。「テレビの影響で観光の人がたくさん立ち寄ってくれる」食べながら休んでいると、そんな話を聞かせてくれた。

 

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水分の多い新高梨は甘くておいしい。ひとつ食べたら、お腹が一杯に成った。

出がけに「重いけど、これ持っていけ」と、さっき買った梨よりも二周りも三周りも大きい立派な新高梨を一つずつお接待だと言って持たせてくれた。ありがたく頂き、「これ、一つ500円はするだろう」などと話をしながら、石土トンネルを抜ける。

 

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トンネルを抜けると目の前に、石土池が広がる。札所までは後1キロ半程の道程だ。集落の中で道が解らずまごまごしていると、「その道真っ直ぐ、そっちが近い」と近所のおじさんが教えてくれる。

歩くにつれ、前方に小高い山が近づいてきて、道脇のビニールハウスの立ち並ぶ道が途切れると、山頂まで340mの山道が現れる。

高知には、最後が厳しい山登りのお寺が意外に多い。32番札所・禅師峰寺、通称峰寺もそんなお寺の一つだ。

 

 

奇岩怪石に囲まれた寺

 

遍路道をやっとの思いで登り切ると、石段と仁王門が現れる。その石段を登り、門を抜けるとそこには何とも不思議な形をした岩が林立している。その脇に松本大師堂で出会った堂守のおじさんが言っていた不動明王の石像が有る。

普通お不動さんは大きな火焔を背負っているが、この像にはそれが無い。それは背後の自然の奇岩怪石を火炎に見立て、スケールの大きな役割を担わせているからだと言う。

 

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門を潜り、石段を登りつめると、余り広く無い広場の向こうに本堂が有る。

その本堂の周りを、灰色と黒色を重ね合わせ、思い切り捻じ曲げたような、不思議な形をした岩が取り巻いていて、何とも幽寂な雰囲気を醸し出している。

 

お参りを済ませ振り返ると、そこには素晴らしい眺望が待っていた。

眼下には無数のビニールハウス、その先には真っ青な太平洋がきらきらと輝いて広がっている。そしてその右手には、これから向かう桂浜が大きく海に突き出ている。さらにその遥か向こうには、足摺に続く山並みが、薄いシルエットと成って連なって見える。晴れていれば室戸の岬まで見通すことが出来るらしい。

 

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昔からここは、豊漁と海上交通の安全を祈願するお寺として信仰が篤かったらしい。またこの高さゆえ、その昔は一時灯台の役目も担っていたと言う。高台にあるだけに、汗をかいた身体を、気持ちの良い海風が撫ぜていく。

 

 

種崎の渡し

 

32番から33番に向かうには、二つのルートが有る。

一つは距離が長く成るが新しい道で、景色の良い浦戸湾に架かる浦戸大橋を渡るルートだ。

もう一つは、旧街道で種崎から渡し船を使うルートで、この道には、竜馬が一時潜伏し、身を隠したと言う中城家などの史跡も多い。

 

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禅師峰寺からは、約6キロ、1時間半程で種崎の渡し場に到着した。

ここの渡し船は県営の無料渡船で、1時間に1本運行されている。生憎到着する10分ほど前に第十一便が出てしまったので、次までは50分程待たなければならない。

 

待合室には先客がいた。足が痛くて歩けないので、竹林寺からはタクシーで来たと言う一人歩きの遍路だ。

その遍路を乗せて来たタクシーの運転手が、その先に見える浦戸大橋を見ながら嘆いている。

「橋が大渋滞で、どうにも商売に成らん」聞けば、その先の桂浜の駐車場が満杯で入れず、それを待つ車の列が延々と大橋の上まで延びているのだとか。大橋を見上げると、車は停まったままで、ほとんど流れていなかった。

 

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風を切って海の上を走る渡し船は快適だ。対岸の長浜の城下町には僅か5分足らずで着いてしまう。

降り際に船長に宿の所在を聞くと、「降りて真っ直ぐ、15分程だ」と教えてくれた。

今晩の宿は、遍路には評判の宿である。

 

 

雪蹊寺と門前の評判宿

 

33番札所・雪蹊寺は、臨済宗妙心寺派のお寺である。これは八十八カ所の霊場の内二ケ寺しかないと言う珍しいものだ。

石段を上がると左手に手水場、右手に鐘楼、正面の奥まったところに本堂と大師堂が建っている。

本堂は平成に改修された新しいもので、大師堂も明治末期の建立、鐘楼は昭和の改築など、比較的新しい建物が多い。

 

 鎌倉時代を代表する仏師・運慶とその長男・湛慶が滞在し、本尊の薬師如来像やその脇侍、毘沙門天造などを彫像し安置したとされ、それらの持仏は重要文化財に指定されている。

 

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雪蹊寺の門前にある宿の女将は、到着すると早速洗濯ものの心配をしてくれる。洗濯・乾燥はお接待だから全て任せてくれと籠を用意してくれるのがありがたい。

食事中もずーっと付ききりで話し相手と食事の世話をしてくれる。遍路の食事は野菜が不足するからと、野菜たっぷりの土佐酢を使ったかつおのたたきが用意され、元気が出るようにと、粘り気のある食べ物が食卓を飾る。

そんな料理を挟んで、遍路仲間の話が弾む。評判の良さが納得できる宿である。

 

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