坊さん簪・竹林寺

 

 五台山(131m)の急斜面を上り、牧野植物園の園内に入り込んだ遍路道は漸くにして札所が近づいて来た。

入場券を持たない遍路への配慮であろうか、植物園の入り口脇に遍路用の狭い小さな出口が有る。

遍路はチケットを改められることもなく出口を出て、その前の道路を横切ると自然に境内にと入り込んでいく。

高知市内の五台山公園の一角にある第31番札所・竹林寺は、さすがに観光客が多い。

 

竹林寺

竹林寺

竹林寺

 

竹林寺

竹林寺

竹林寺

 

竹林寺

竹林寺

竹林寺

 

 石段を上がり山門を潜ると参道に出る。

更に歴史を感じる、風格ある広い石段を更に登り詰めると、その先の高台に五重塔が見えてくる。

朱塗りも鮮やかな塔で、昭和55年に再建された姿は、鎌倉時代初期の様式を今に伝えると言う。

 

その左手に大師堂がある。

右手にある文殊堂と呼ばれる本堂は文明年間の建立で、国宝に指定されている建造物だ。

その本堂より少し高いところにある五重塔が、境内では目立っていて印象的だ。

 

竹林寺

竹林寺

竹林寺

 

竹林寺

竹林寺

竹林寺

 

竹林寺

竹林寺

竹林寺

 

有名な「よさこい節」で、『坊さん簪(かんざし)買うを見た・・・』と唄われた坊さん、37歳の純信はここ竹林寺の脇坊・妙高寺の僧で有ったと言われているが、今その脇坊跡には、先ほど通り抜けてきた植物園が出来ている。

純信は6キロ離れたはりまや橋で、17歳の町娘・おうまのために簪を買い求めた。

このことは、ペギー葉山の唄う「南国土佐を後にして」で、坊さんと町娘の悲恋として、全国的に知られるようになったが、本来この寺は「学問・学業の寺」であるらしく、社務所では学業成就や頭の良くなるお守りが売られている。

 

 

おばあちゃんと梨

 

竹林寺を後に、苔むした石畳の急坂を下り6キロ先の第32番・禅師峰寺を目指す。

下田川の堤防道は日影が何も無く暑くて堪らないが、こんな道が延々と1キロ半程も続く事に閉口する。

ようやく堤防路を降り、工事が進む高知南国道路の脇を抜けて、県道247号に出た。

 

新高梨

新高梨

新高梨

 

新高梨

新高梨

新高梨

 

道路わきに「武市半平太 旧宅と墓」の立て看板と、「梨直売」の幟旗を見つける。

丁度小腹も空いていたので、一番安い2個入りで300円の物を購入し、ここで食べていくことにする。

「私は縁者ではないが、あの家に住んでいる」と、梨売りのおばあちゃんが話してくれた。

武市半平太の旧宅は、国の史跡に指定されているが、今では個人の所有に成っているらしい。

「テレビの影響で観光の人がたくさん立ち寄ってくれる」食べながら休んでいると、そんな話を聞かせてくれた。

 

新高梨

新高梨

新高梨

 

新高梨

新高梨

新高梨

 

「重いけど、これ持っていけ」と出がけに、お接待だと言って梨を持たせてくれた。

水分が多くてとても甘い新高梨はおいしくて、ひとつ食べたらお腹が一杯に成るほどだ。

それなのに、さっき買った梨よりも、二周りも三周りも更に大きい立派なものを、一つずつ持って行けという。

 

 礼を言い、再び県道を歩き、その先で、石土トンネルを抜けると目の前に、石土池が広がる。

札所までは後1キロ半程の道程だ。

集落の中で道が解らずまごまごしていると、「その道真っ直ぐ、そっちが近い」と近所のおじさんが教えてくれる。

四国の人は、どこに行っても遍路には親切でとても優しい。

 

 

奇岩怪石の寺・禅師峰寺

 

歩くにつれ、前方に小高い山が近づいてくる。

道脇のビニールハウスの立ち並ぶ道が途切れると、山頂まで340mの山道だ。

高知には、最後が厳しい山登りのお寺が多く、第32番札所・禅師峰寺、通称峰寺もそんなお寺の一つだ。

昔からここは、豊漁と海上交通の安全を祈願するお寺として信仰が篤かったらしい。

またこの高さゆえ、その昔は一時灯台の役目も担っていたと言う。

 

遍路道をやっとの思いで登り切ると、石段と仁王門が現れる。

その石段を登り、門を抜けるとそこには何とも不思議な形をした岩が林立している。

その脇に松本大師堂で出会った堂守のおじさんが言っていた不動明王の石像が有る。

普通お不動さんは大きな火焔を背負っているが、この像にはそれが無い。

それは背後の自然の奇岩怪石を火炎に見立て、スケールの大きな役割を担わせているからだと言う。

 

禅師峰寺明

禅師峰寺

禅師峰寺

 

禅師峰寺

禅師峰寺

禅師峰寺

 

禅師峰寺

禅師峰寺

禅師峰寺

 

禅師峰寺

禅師峰寺

禅師峰寺

 

門を潜り、石段を登りつめると、余り広く無い広場の向こうに本堂が有る。

その本堂の周りを、不思議な形をした岩が取り巻いている。

灰色と黒色を重ね合わせ、思い切り捻じ曲げたような造形で、何とも幽寂な雰囲気を醸し出している。

 

お参りを済ませ振り返ると、そこには素晴らしい眺望が待っていた。

眼下には無数のビニールハウス、その先には真っ青な太平洋がきらきらと輝いて広がっている。

そしてその右手には、これから向かう桂浜が大きく海に突き出ている。

さらにその遥か向こうには、足摺に続く山並みが、薄いシルエットと成って連なって見える。

晴れていれば室戸の岬まで見通すことが出来るらしい。

 

 

種崎の渡し

 

32番から33番に向かうには、二つのルートが有る。

一つは距離が長く成るが新しい道で、景色の良い浦戸湾に架かる浦戸大橋を渡るルートだ。

もう一つは、旧街道で種崎から渡し船を使うルートだ。

この道には、竜馬が一時潜伏し、身を隠したと言う中城家などの史跡も多いと言う。

 

種崎の渡し

種崎の渡し

種崎の渡し

 

種崎の渡し

種崎の渡し

種崎の渡し

 

種崎の渡し

種崎の渡し

種崎の渡し

 

禅師峰寺からは、約6キロ、1時間半程で種崎の渡し場に到着した。

ここの渡し船は県営の無料渡船で、1時間に1本運行されている。

生憎到着する10分ほど前に第十一便が出てしまったので、次までは50分程待たなければならない。

待合室には、二人の先客がいた。

 

種崎の渡し

種崎の渡し

種崎の渡し

 

種崎の渡し

種崎の渡し

種崎の渡し

 

種崎の渡し

種崎の渡し

種崎の渡し

 

足が痛くて歩けないので、竹林寺からはタクシーで来たと言う一人歩きの遍路だ。

その遍路を乗せて来たタクシーの運転手が、その先に見える浦戸大橋を見ながら嘆いている。

「橋が大渋滞で、どうにも商売に成らん」と。大橋を見ると車は停まったままで、ほとんど流れていなかった。

聞けばその先の桂浜の駐車場が満杯で入れず、それを待つ車の列が延々と大橋の上まで延びているのだとか。

 

 

門前の評判宿

 

 渡船を下りる折、船員に宿の位置を訪ねると、「まっすぐ行けば直ぐ解る」と言われ、歩き始めた。

長浜の待合所を出ると、道は一本道で、左の新川川に沿って進む。

歩き始めて凡そ20分、第33番札所・雪蹊寺の森が見えてきた。

今晩は、その真ん前にある、遍路の間で評価も高く、評判の宿に予約を入れてある。

 

待合室には先客がいた。

待合室には先客がいた。

待合室には先客がいた。

 

待合室には先客がいた。

待合室には先客がいた。

待合室には先客がいた。

 

門前にある宿の女将は、到着するや否や、まず洗濯ものの心配をしてくれる。

洗濯・乾燥はお接待だからと、部屋には大きな籠を用意し、「下着でも何でもほりこんで」と言う。

洗濯の心配はしなくて良いから、早々に浴衣に着替え風呂に入るように勧めてくれる。

 

ここの女将は、食事中もずーっと付ききりで遍路の話し相手と食事の世話をしてくれる。

道中の食事は野菜が不足するからと、食卓には野菜たっぷりの土佐酢を使ったかつおのたたきを用意したと言う。

また元気が出るようにと、粘り気のある食べ物を見繕っているとも語っていた。

そんな料理を頂きながら、遍路仲間は疲れも忘れ、夜遅くまで話も弾み、ビールも進む。

評判の良さが納得できる宿であった。

 



 

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