JR土讃線に沿って

 

 土讃線大間駅で、これで帰ると言う遍路を見送った。

いつ頃からか定かな記憶はないが、後先になりながら歩いていて、前夜も同宿であった遍路だ。

 

 「区切り打ち」は地域や、曜日、札所の数、宿泊数等を考慮するが、これと言った決まりがあるわけではない。

遍路の体力などの事情で、自由に組み立てればいいわけであるが、やはり帰路の足の確保が重要だ。

バスの便が少ない地域なので、JR最寄り駅が「区切り打ち」の最終場所になることが必然的に多くなる。

一旦打ち切って帰り、何日か後に再びその地に舞い戻り、そこから歩きを再開するのが一般的なようだ。

 

焼坂トンネル

焼坂トンネル

焼坂トンネル

 

焼坂トンネル

焼坂トンネル

焼坂トンネル

 

焼坂トンネル

焼坂トンネル

焼坂トンネル

 

 須崎市内の道の駅近くの民宿に泊まった翌日も良く晴れていた。

天気予報によると午後は雲が広がり、下り坂と告げているが、とてもそんな気配は感じられない。

37番札所・岩本寺まではまだ30キロ余りも残っていて、今日は標高287mの七子峠を越えて行く。

その道は、前半はほぼJR土讃線に沿って延びる国道56号線をのどかにのんびり歩く道だ。

 

 安和の駅を過ぎた辺りで、古くからの遍路道は右に取る。

つづら折りで、標高228mの焼坂峠を越えるのが本来の道であるが、体力のない身は、そのまま国道を進む。

旧道とは、トンネルを出た辺りで、再び合流する。

 

焼坂トンネル

焼坂トンネル

焼坂トンネル

 

焼坂トンネル

焼坂トンネル

焼坂トンネル

 

焼坂トンネル

焼坂トンネル

焼坂トンネル

 

焼坂トンネル

焼坂トンネル

七子峠越え

 

国道脇のミカン畑には、まだ深い緑色の硬そうな身を付けたみかんが鈴なりだ。

時には青い静かな海を眺めながら、叉町の賑わいを感じながら歩くのでこの道は退屈することが無い。

幹線道路の交通量はさすがに多く、車がすごい勢いですぐ脇を通り過ぎていく。

トンネルの中などは、轟音と風圧に飛ばされそうになり恐怖すら感じるが、意外と排ガスの臭はない。

 

 

七子峠越え

 

焼坂トンネルを抜け、四万十源流の里の看板が立つ中土佐町に入り峠を一気に下る。

この辺りには古い遍路道もよく手入れされて、残されている。

先ほどの国道焼坂トンネルも、その上に焼坂峠越えの古い道が残されている。

この先でも国道を外れ古い遍路道に入ることになるが、それは、二つのルートが有る。

 

一つはJR土佐久礼駅の手前で国道を外れ、西に向かう「添蚯蚓(そえみみず)遍路道」だ。

へんろみち保存会が整備をしていて歩きやすいが、峠の手前で400mの山登りが有り結構きついと聞く。

 

七子峠

七子峠

焼坂トンネル

 

七子峠

七子峠

七子峠

 

もう一つはJR土佐久礼の駅を過ぎ、大坂谷川に沿って登る大坂遍路道だ。

距離的にはどちらもほとんど変わらないが、サミットの七子峠は100mほど低くなる。

疲れも蓄積している身には、山越えは少しでも低い方がありがたく、迷わず後者を選択する。

 

いよいよ人家がなくなってきたが、道は相変わらずの、アスファルト舗装された道で歩きやすい。

一帯は少し開けた谷あいで、山が遠のいた分日影が無く、上からの日差しと下からの照り返しで堪らなく暑い。

時折遥か先の、山の高いところを通る国道56号が見える。

 

七子峠越え

七子峠越え

七子峠越え

 

七子峠越え

七子峠越え

七子峠越え

 

久しぶりに見る民家の母屋と納屋の間に、丁度良い具合に日影が出来ていた。

立ち止まると、そこには涼しい風が吹き抜けていたので、そこを借り、しばし休むことにする。

休んでいると、その家のおばあちゃんが「あれ、あれ・・」と言って姿を現した。

納屋の前に水道栓が有ったので、水を貰って良いかと尋ねると、その水は暑くなっていると言い残し奥に消えた。

 

暫くすると、「明治のお爺さんの頃から使っている井戸の水だ、冷たいから・・」と言って、グラスに並々と井戸水を入れて持ってきてくれた。美味しかった。本当においしかった。一息で飲みほしてしまった。

実はペットボトルに水を満たしたかったのだが、それも言い出せず、礼を言って腰を上げ、峠を目指す。

 

七子峠越え

七子峠越え

七子峠越え

 

七子峠越え

七子峠越え

七子峠越え

 

七子峠越え

七子峠越え

七子峠越え

 

「昔は細い道だったが、広い道が出来た・・」とおばあちゃんが言っていた。

そのアスファルト道が、工事中の四国横断自動車道の先で途切れると、いよいよ峠への登り道が始まる。

峠までは2キロの道程で、ここからなら200m程登ることに成る。

 

残り1キロの標識を越えた辺りで、登りは益々厳しい道に成り、頭上からは国道を行き交う車の音が聞こえてくる。

木々の切れ目からは、青い空とかすかに白いガードレールが見えると、残すはそこに至る階段道だけだ。

 

七子峠越え

七子峠越え

七子峠越え

 

七子峠越え

七子峠越え

七子峠越え

 

七子峠越え

七子峠越え

七子峠越え

 

七子峠越え

七子峠越え

七子峠越え

 

息を切らせ階段を登りどうにか峠まで這い上がり、峠の「ななこ茶店」に辿り着く。

お店を営む夫婦の好意で、持参していた弁当をここで食べさせてもらう。

あれほどばてていても、食欲だけは衰えていない。

 

ここまで来れば岩本寺までは残り14キロほど、ここからは下りの平坦道が続く筈だ。

影野で再びJRの土讃線と接すると、ほぼ併走し、六反地、仁井田を経て窪川の町へと入り込む。

窪川の駅を見て、その先の五叉路を教えられたとおりに右に折れれば、今晩の宿はもう近い。

 

 

文人も愛した美馬旅館

 

宿はこの岩本寺の門前通りに有る堂々たる和風の木造で、食事処を併設する料理旅館だ。

文人墨客や財界人も利用する高知を代表する名旅館として、旅行雑誌にも紹介されている老舗でもある。

明治24年創業の旅館で、本館の建物は昭和12年に建てられたものだという。

 

玄関先には、昭和16年に訪れた林芙美子の書が掛けられている。

有名旅館ながら、札所近くに位置するからか、遍路には少し安く特別料金で提供してくれるのが嬉しい。

 

美馬旅館

美馬旅館

美馬旅館

 

美馬旅館

美馬旅館

美馬旅館

 

美馬旅館

美馬旅館

美馬旅館

 

 二階の広々とした二間続きの14畳もある和室に案内された。

普段は宴会にでも使われるのであろうか、このような客室が他にも二部屋あるらしい。

新しくは無いが手入れの良く行き届いた、落ち着きのある部屋だ。

料理旅館らしく坪庭を囲む様に建物が建っているので、部屋の前廊下からは、見下す事も出来る。

 

美馬旅館

美馬旅館

美馬旅館

 

美馬旅館

美馬旅館

美馬旅館

 

それほど広くは無いがヒノキ造りの堂々としたお風呂は、木の香が疲れをいやしてくれる。

他に入浴のお客もいないので、貸し切りでユックリと湯に浸かる事が出来た。

 

入浴の後は楽しみな夕食を併設のお食事処で頂く。

料理旅館と言うだけに、量はさほど多くは無いが、食膳には洗練された料理の数々が並ぶ。

遍路向きの格安料金の割には、食事は充分に満足出来るもので有った。

 



 

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