モンローの肖像画・岩本寺
JR窪川駅前を通る道の両側には、以外にも喫茶店や小料理屋風の一杯飲み屋のような店が多い。
道幅はさほど広く無いが、車の通りは結構多く、思いのほか賑やかな町並みである。
そんな道を5分ほど歩き、五差路を右折すると第37番札所・岩本寺の山門に続く門前の通りがあった。
近くを清流・四万十川が流れ、背後に山が迫るその山裾に寺は建っている。
十数段の階段を上がると山門があり、それを潜り境内に入る。
すぐ裏を土佐くろしお鉄道の線路が通っているので、余り境内は広くは無いが、参拝客が事の他多い。
右に本堂と築200年以上経つ大師堂、左に本坊と宿泊も出来る立派な信徒会館を整然と構えている。
珍しい五体の本尊が安置される本堂は、昭和53年に再建されたものだ。
本堂が再建された折、全国から公募した575枚の絵を内陣の格天井に飾り彩った。
花鳥風月から人物像まで多彩で、中には「マリリンモンロー」の肖像画まである。
和菓子とうなぎ
山門を出て門前通りを少し行くと右手に、一軒の老舗のお菓子屋さんが有る。
弘法大師に因む、「三度栗」と言うお饅頭を売る「松鶴堂」である。
『栗を欲しがる子供達のために、大師が栗の実が取り易いように木の高さを低くし、年に三度実が成る栗にした』
岩本寺には七不思議の言い伝えがあり、「三度栗」と言う菓子はそれに因むものだと言う。
残念ながら秋限定の季節菓子で、この春の時期にはない。
店内では三代目の作るお菓子とお茶で、休憩も出来るので立ち寄って見るのも良いだろう。
駅前から続く道路の五叉路の交差点の近くには、うなぎの名店「うなきち」がある。
四万十川で捕れたシラスを、四万十町の地下水でウナギに育て上げるウナギ養殖会社が直営する店だ。
成長したら養殖場から池上げ後、天然地下水で1週間程度泳がせ臭みを抜いて加工し、焼き上げる。
蒲焼きは、焼きとタレ付けを四回繰り返すと言う。
焼き上がりは、肉厚でふっくらと香ばしく、歩き疲れの遍路には滋養強壮としても、もってこいの味である。
足摺を目指して
次の38番札所は足摺岬にあり、距離にして87qほど、歩きなら25時間の長丁場である。
五差路まで戻り、土佐くろしお鉄道のガードを潜り暫く進むと国道56号線が見えて来る。
この先長いお付き合いとなる国道だ。4キロ程歩くと道は上りとなり、標高260メートル程の峰ノ上峠に向かう。
やがて峠を越えると市野瀬集落で、少し下ったところで左に曲がり遍路道に入る。
小さな集落の中を道なりに進むとそこはのどかな小道で、人家の庭先には春の花々が咲き乱れている。
民家が無く成ると、その先前方にゴミ焼却場の建物が見えてくる。
その敷地を水色のフェンスが取り囲み、ここで道が途絶えている。「アレっ、行き止まり?」
よく見ると「トビラを開けてお通り下さい」と書かれた立て看板が有り、その横に小さな扉が設けられている。
施設の中を歩くこの珍しい遍路道を少し行くと、その裏手に回ったところで山道に差し掛かる。
木立の鬱蒼と茂る中を、少し上ったかと思うとすぐに下りに転じ、そこから先は延々と下っている。
市野瀬遍路橋を越えると、落ち葉の重なった滑り易い道となり、その下りの勾配は益々大きくなる。
足元を悩ますここは片坂と呼ばれる急坂だ。
20分ほどで坂を降り、再び国道に戻ると道路脇に今晩の宿、荷稲に有る佐賀温泉の看板が現れた。
そこまでは残り4キロ程の行程、ここからはひたすらアスファルト道を歩くことに成る。
佐賀温泉・こぶしの里
窪川で国道と別れた土佐くろしお鉄道の線路は、再び荷稲(かいな)の辺りで寄り添うように近づいてくる。
今晩の宿はその少し手前、国道に面したところにある2010年7月にオープンした一軒宿だ。
全10室の「佐賀温泉・こぶしの里」は、周りを山と田圃に囲まれ、伊予木川に沿って建っている。
ここも格安な遍路プランで泊まることが出来る宿だ。
この宿の売りは、何と言っても地元、幡多地区の食材に拘った食事と、アルカリ性単純硫黄泉の温泉だ。
温泉は、美肌、消炎や神経痛、リウマチなどに効果が有ると言う少し滑りの有る柔らかなお湯だ。
歩き疲れた身体に優しく纏わりつき、疲れと凝りを癒してくれる効果が期待できそうだ。
サウナ、露天風呂を併設した温泉は、立ち寄りも出来るとあって大勢の入浴客で賑わっていた。
湯上り後の夕食も楽しみの一つだ。
ご飯は地元、窪川で栽培された仁井田米「にこまる」を使っているという。
もちもちとした歯ごたえと、噛むほどに感じるほのかな甘みは絶品で、おかわりが欲しいぐらいだ。
山の中なのに、お造りのサザエの刺身が美味しくて、思わず追加を注文をしてしまった。
スタッフの対応も優しく、美味しい食事と共にビールも進み大満足の夕食であった。
旧道の古いトンネル
翌朝、雨が降っていた。
幸いな事に雨足は弱く、時々は曇る時も有るらしく、夕方には晴れ間も見えるだろうとの予報に一安心だ。
雨具を着け、小雨の中5キロ程歩いて伊与喜に着いた。右奥にJRの伊与喜駅が見える。
その先の分かれ道の手前には、看板が立っていた。
「距離も時間も最短で行きたい方は国道を、古い遍路道を楽しみたい方は熊井集落に」と書かれている。
“最短”の言葉に引かれ、迷わず右の国道に向かい歩き始める。
とその時、後ろの方から「おお〜い、おお〜い」と呼ぶ声が聞こえて来た。
畑仕事の男性が、「そっちは遠い、この道を行け」と声をかけてくれる。
「この先に古いトンネルがあるから、それを抜けた方が早い」と左に入る道を勧めてくれる。
集落の中の細い道を進むとやがて山に行き当たり、その山肌を切り裂くように厳しい勾配の道が付けられている。
覚悟を決めて登り始めた急勾配の道は、5分も上ると平坦な舗装された旧道に出る。
その旧道を暫く歩くと、その先にレンガ造りの古いトンネルが見えてきた。
長さ90メートルの熊井トンネルだ。
明治38年に完成したこのトンネルは、昭和14年まで県道として使用されていたらしい。
入口のレンガは、近くの佐賀港から小学生たちが小遣い稼ぎに一つ二つと運んだものだと言う。
その運び賃は一個一銭であったと説明板に記されている。
トンネルの中に明かりは無く不気味なくらい暗く、足音だけがコツコツと響く。
出口に明かりが見えるのが文字通り一筋の光明だが、一人なら恐ろしくて歩けそうにも無いだろう。
やっとの思いでトンネルを抜けたところで、突然のゴォーと言う音に叉またビックリ。
何かと思うと、目の下を土讃線の特急・南風が駆け抜けて行った。この先がJRの土佐佐賀駅である。
それを抜ければ、海辺の道へと続いていく。
| ホーム | 遍路歩き旅 | このページの先頭 |
(c)2010
Sudare-M, All Rights Reserved.
|