コンテンツ

ホーム

サイト紹介

はれのくに

の旅

旅岡山

遍路歩き旅

海外旅行

伝統こけし

マイブログ

いよいよ足摺が・・

 

 「昔、菅さん(現総理)を足摺まで道案内したと」言う女将が、「近道は解り難いので・・」と途中まで道案内をしてくれる。

いよいよ今日は足摺だ。

6時半過ぎ宿を出て、すぐに県道を外れ、民家の建て込む細い路地を抜け、以布利の港の堤防道を暫く歩く。

「その先の山に分け入る古い遍路道を歩け」と教えてくれた女将さんとはここでお別れだ。

そこから暫く、石ころのゴロゴロとした海岸を歩き、その後教えられた山道に入る。

 

40032.JPG

40033.JPG

40034.JPG

 

40036.JPG

40041.JPG

40042.JPG

 

40061.JPG

40063.JPG

40071.JPG

 

40072.JPG

40073.JPG

40081.JPG

 

途中幾つかの小さな漁港を見るぐらいで変化の乏しい道をひたすら歩き続け、足摺まで残り2キロほどと近づいて来た。

岬に向け、曲がりくねった細い道が続いている。その道をおい隠すように鬱蒼とした樹木が両側に茂り、昼なのに辺りが薄暗い。

やがて鬱蒼とした樹木が途切れ、辺りに真昼の陽光が眩しく光るその先に、広場が有り何台か車が停まっている。

 

40082.JPG

40091.JPG

40092.JPG

 

40093.JPG

40111.JPG

40112.JPG

 

40115.JPG

40117.JPG

40119.JPG

 

 

 

38番札所・金剛福寺

 

白い灯台を模した建造物に“足摺岬”と書かれている。87キロ余りを歩いて、やっと目的地に着いた。

その昔修行中の大師もこの道を歩かれ、ここに着いたときにはさすがにくたびれ果てた事から、この地を“足摺”と名付けられたと言う俗説もある足摺岬だ。

 

40281.JPG

40132.JPG

40133.JPG

 

40280.JPG

40134.JPG

40212.JPG

 

40214.JPG

40221.JPG

 

38番札所・金剛福寺の寺域は、背後に足摺樹海を従え、約三万六千坪の広さを誇ると言われている。

どっしりと構える仁王門は「海の果てにある観音菩薩の浄土・補陀落」で、その東門とされる門である。

境内に入ると先ず目に入るのが、中央に配された池、沢山の大きな石、亜熱帯植物が生い茂る美しい庭だ。

それを囲むように幾つもの堂宇が建っている。古くから中央の皇室や貴族や武家などの信仰を集めて来たお寺の風格が感じられる。

 

本尊は、この地を最果ての聖地とした弘法大師が、自ら刻んだと言われる三面千手観音だ。

他にも境内には和泉式部の黒髪を埋めたと言われる逆修の塔など、貴重な文化財が残っていると言う。

有名な観光地だけに境内は、バスやマイカーで訪れる参拝客で賑わっていた。

 

40232.JPG

40233.JPG

40241.JPG

 

40243.JPG

40244.JPG

40245.JPG

 

 

足摺岬の絶景

 

高知県の南西部、太平洋に突き出た足摺半島の先端が足摺岬である。

岬には、その数約15万本もの椿が自生していると言う。

灯台を巡る一周約2キロの遊歩道には、いたるところに椿のトンネルが出来、2月の半ば過ぎには赤い花で埋め尽くされると言う。

展望台から見る、黒潮打ち寄せる断崖絶壁の高さは80メートル余りもある。ここからは視界が270度と広がり、大自然の眺めは迫力満点で地球が丸く見える。

大正3年に立てられた岬の先に立つ白亜の灯台は、高さが18メートル、光達距離は38キロメートルで、我が国でも最大級の灯台のひとつと言われている。

 

40250.JPG

40251.JPG

40255.JPG

 

40254.JPG

40256.JPG

40272.JPG

 

40261.JPG

40263.JPG

40266.JPG

 

『私は机も本も蒲團も持つてゐるかぎりをたヽき賣って、ふらふらと死場所にえらんだ足摺岬に辿りついてゐた。』

(田宮虎彦全集・足摺岬 昭和27年河出書房より、原文のまま)

 

過去にはこの岬の上から怒涛の中に身を投げる遍路達は、決して少なくは無かったと言う。

ここは海に彼方に極楽浄土があると言う「補陀落信仰」の場、自殺者も海の向こうに観音浄土を求めたので有ろうか。

 

 

ジョン万次郎

 

この岬では、矢張りジョン万次郎の存在を見過ごすことは出来ない。

彼は、土佐の国中浜村で貧しい漁師の家に、次男として生まれた。

14歳のおり、手伝いで漁に出て嵐に会い漁師仲間4人と共に遭難、6日の漂流の後奇跡的に太平洋に浮かぶ無人島・鳥島に漂着、そこで更に143日間も無人島生活を続ける。

たまたま島にウミガメの卵を取りに来た、アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に助けられアメリカに渡る。

彼の秀でた才を認めた船長はその後、彼を養子にし、色々な教育を受けさせた。

 

40121.JPG

40267.JPG

 

漂流から10年、彼はやっとの思いで幕末期の日本に帰国。

士分として取り立てられ、名字帯刀を許され日米和親条約の締結に尽力した。

かの有名な坂本竜馬の世界観は、彼から聞いた話に影響を受けたものだと言われている。

そんなジョン万次郎は、ホイットフィールド船長の故郷、アメリカのフェアーヘブンを望んで、この岬に立っている。

 

 

清水サバ

 

民宿に預けておいた荷物を持って、打ち戻りの道を歩き始める。

再び大岐海岸の砂浜を歩き、国道321号に出て8キロ足らずの道を、久百々まで戻る。

今晩の宿はこの地に有る「民宿・いさりび」だ。

 

40312.JPG

40313.JPG

40314.JPG

 

40324.JPG

40331.JPG

40332.JPG

 

40348.JPG

40349.JPG

40352.JPG

 

40353.JPG

40411.JPG

40413.JPG

 

 夕食に思いがけないものが出た。“サバの刺身”である。

足摺沖は潮の流れが速く、餌も豊富で身のしまったサバが育つと言う。そんな瀬付きのゴマサバで、土佐清水で水揚げされたものを“清水サバ”としてブランド化に取り組んでいるものらしい。

特に秋から冬にかけてが旬で、トロのように脂の乗った刺身を味わえると言う。

 

40415.JPG

40421.JPG

40432.JPG

 

40433.JPG

40434.JPG

40435.JPG

 

高知の宿では何処も当たり前のようにカツオが出されてくるので、今日もそれかと思っていただけにこれは少々意外であった。

脂がのり引き締まった身は、こりこりとした触感が堪らなく、ことの他美味しかった。

「値は高いけど、お客さんが喜んでくれるので」と鉄工業から転身したご主人が話す。「檜の大きな風呂にも入って欲しかったけど、今日はお客さんが少ないので小さい方で申し訳ない・・・」「こだわりの有る宿をやりたかった」との一言に、“土佐のいごっそう”の心意気を見た。

 

50011.JPG

50014.JPG

50021.JPG

 

50031.JPG

50042.JPG

50044.JPG

 



 

| ホーム | 遍路歩き旅 | このページの先頭 |

 

(c)2010 Sudare-M, All Rights Reserved.

 

inserted by FC2 system