最後の清流、四万十川

 

前日の雨は、殆ど上がっていた。行く手前方の山際には、綺麗な虹がかかっている。

とは言え晴れているのに時折思い出したようにパラパラと小雨が歩く先々に付いてくる変な天気である。

この日の天気予報によると朝から風も強く、高知県下には強風注意報が出されている。

この風が体感温度を引き下げているのか、外を歩くには思いのほか肌寒い日でもある。

 

宿を出て、広大な公園施設に設けられた「砂丘ふれあい道路」を歩く。

その後海を離れ内陸部の広域農道を歩く事10キロ程で、目の前に大きな堤防が見えて来た。

最後の清流と言われる四万十川で、清らかな川は魚類も豊富であるらしい。

 

四万十川

四万十川

四万十川

 

四万十川

四万十川

 

四万十川

四万十川

四万十川

 

 水環境保全状況が極めて優良で、住民による活動の結果、環境庁選定の「名水百選」に選ばれた川だ。

豊かな水量を誇る流路は196q、落差の少ない四国最長の大河が土佐湾に向けて悠然と流れている。

堤防の下の道路脇に、地場産品直売市「彩市場」が有り、ここでしばし休憩をとる。

 

 前の道路を横切り堤防に上がり、しばらく堤防路を歩いたのち右折し、四万十川大橋を渡る。

長い橋の上を吹き抜ける横風が殊の外強く、時折フワッと身体ごと持って行かれそうになる。

橋からの眺めは絶景なのに、見る余裕もなくひたすら姿勢を低くして、急ぎ足で前に進む。

 

 

伊豆田トンネル越え

 

 橋を渡り終えるとしばらくは、その右岸を歩く。

風に煽られ、ささくれ立ったような川面がキラキラと輝いて見える。

漁師であろうか、小舟が一艘エンジン音を響かせて、河口に向けて出て行った。・

 

伊豆田トンネル

伊豆田トンネル

伊豆田トンネル

 

伊豆田トンネル

伊豆田トンネル

伊豆田トンネル

 

 岸沿いの道は四万十川大橋を渡ると、次第にのどかな山里を見ながら進む道となる。

3キロ程で四万十川から完全に離れると、左の堤防下に「四万十川野鳥自然公園」が見えて来る。

間崎地区には、応仁の乱を逃れた京都のお公家さんが、都を懐かしんで始めたと言われる大文字山が有る。

その先で緩やかに上り始め、やがて峠で、1620メートルの伊豆田トンネルが近づいてくる。

 

伊豆田トンネル

伊豆田トンネル

伊豆田トンネル

 

伊豆田トンネル

伊豆田トンネル

伊豆田トンネル

 

 換気設備が無いのか、トンネルに入ると排ガスの匂いがすさまじく、マスクの出番となった。

急ぎ足で、トンネルを抜けると、右手に真念庵を見ながら下って行く。

どうやら旧遍路道がトンネルの上にあったようだ。

 

その先に、休憩を予定していたドライブインが有ったが、既に廃業している様子だ。

昼食の当てが外れてしまい、ここからは食事のとれる店を探し求めながらの歩きである。

 

 

下の加江海岸から大岐海岸

 

 トンネルを抜け、2時間ほどで峠を下ると市野瀬の集落に出る。

足摺岬の先端にある38番札所へはここから南下をするが、以布利までの間は「打戻り」道である。

その先で足摺半島を一回りするが、その中間にあるのが札所の金剛福寺だ。

 

市野瀬川に沿って下の加江の集落に入り、漁港の手前の橋を渡る。

と再び海で、ここからは左手に絶えず碧い海とこれから向かう遙か先の足摺を見ながら進む道となる。

 

下の加江海岸

下の加江海岸

下の加江海岸

 

下の加江海岸

下の加江海岸

下の加江海岸

 

下の加江海岸

下の加江海岸

下の加江海岸

 

下の加江海岸

下の加江海岸

下の加江海岸

 

伊豆田トンネルからは11キロ程歩いて大岐海岸に着いた。

きれいな砂浜でその長さは凡そ1キロ半程、目の前に広大な広がりを見せている。

国道を離れ浜に降り小さな木橋を渡り砂浜を歩く。これが遍路道に成っているからである。

この海岸では、金剛杖で身内の戒名を砂浜に書き、波に洗ってもらう「波供養」と言うものが行われているらしい。

 

大岐海岸

大岐海岸

大岐海岸

 

大岐海岸

大岐海岸

大岐海岸

 

大岐海岸

大岐海岸

大岐海岸

 

大岐海岸

大岐海岸

大岐海岸

 

海岸の砂浜を歩いている途中、浜でウミガメと遭遇した。

近づいて見たが全く動かないし、随分と干からびたように見えたから、てっきり死んでいるかと思っていたが、翌日その場所にその姿が無かったので、ちゃんと生きていて海に戻ったようだ。

海岸の砂浜から再び道路に戻ると宿までは、凡そ4キロほどだ。

 

 

おきゃく料理・民宿「旅路」

 

 宿には思ったよりも早く、夕方4時前には入る事が出来た。

以布利の民宿「旅路」は老夫婦が営む、お世辞にもきれいな宿とは言えないが、昔からの小さな遍路宿だ。

歩き疲れた遍路には優しい宿で、自宅に帰ったような安らぎを覚える。

到着早々お接待だからと言って、女将は風呂に入っている間に洗濯をしてくれる。

 

民宿「旅路」

民宿「旅路」

民宿「旅路」

 

民宿「旅路」

民宿「旅路」

民宿「旅路」

 

 今晩の泊り客は3人だと言う。

夕食のテーブルには、高知のおきゃく(宴会)に付きものの、皿鉢料理や刺身皿などが並べられている。

アジの姿鮓、お稲荷、ノリ巻き、たまご巻き、焼き鳥と何とか貝(名前を聞いたが忘れてしまった)、果物等々が大皿に彩りも鮮やかに、そして豪華に盛り付けられている。

 

民宿「旅路」

民宿「旅路」

民宿「旅路」

 

民宿「旅路」

民宿「旅路」

民宿「旅路」

 

「何時も作るわけではない、今日は特別だ」

「この貝は、湯がいてから一つ一つ殻を叩き割って取りだした」と女将さん。

そう言えば入浴時窓の外で、こんこんと何かを叩くような音が延々と聞こえていたが、この貝を割る音だったのだ。

相客とは同席で、豪華な夕食に感動しながら箸が進む。

翌日の朝食のお膳にも、タイの塩焼きが一尾丸ごと乗せられていた。

 

民宿「旅路」

民宿「旅路」

民宿「旅路」

 

民宿「旅路」

民宿「旅路」

民宿「旅路」

 

同宿の男性と共に、翌朝6時半過ぎ宿を出る。

「昔、菅さん(元総理)を足摺まで道案内したと」言う女将が、途中まで連れて行ってくれるという。

「近道は解り難いので・・」と、港まで同行する女将の足取りは、手押し車があるとは言え、年の割に軽やかだ。

 

宿を出てすぐに県道を外れ、民家の建て込む細い路地を抜け、以布利の港の堤防道を暫く歩く。

やがて道が途絶えたところで、「その先の山に分け入る古い遍路道を歩け」と教えてくれる。

ここで親切な女将さんとはお別れだ。

 

民宿「旅路」

民宿「旅路」

民宿「旅路」

 

民宿「旅路」

民宿「旅路」

民宿「旅路」

 

民宿「旅路」

民宿「旅路」

民宿「旅路」

 

そこから暫くは、石ころのゴロゴロとした海岸を歩く。

その後突き当りで、教えられた山道に入ると古道らしい雰囲気の道となった。

思えばこの札所は、前の札所からは87q余り、時間にして25時間程を要する遠路であった。

それも山道を抜け、県道27号に出れば、残りは10qほどで、いよいよ今日は足摺だ。

 



 

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