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正午のサイレンを合図に

 

岡山を7時過ぎに出発する「特急・南風1号」は、土讃線を走り抜け、窪川からそのまま土佐くろしお鉄道の路線に乗りいれ、11時半過ぎに終点の中村に到着した。

ここでは向かい側のホームに、宿毛行の普通列車が待っている。2分ほどの接続で乗換だ。

 

前回の遍路を終えた平田には20分ほどで到着する。

近くの工場で有ろうか、丁度鳴った正午のサイレンを合図に駅を出て、その先で左折すると見覚えのある国道56号線に出る。

ここから40番札所・観自在寺は、30キロほどの行程だ。

 

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「第三十九番札所延光寺」の石柱を右に見て、この国道の歩道を歩き続けることおよそ1時間、ここまで6キロ余りを歩いてきた。

前方に松田川に架かる宿毛大橋が見えて来た。その橋を渡った左手に「遍路小屋 宿毛33号」があり、ここでしばしの休憩だ。

 

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遍路道は、ここを右に折れ、宿毛の旧市街地を抜けることに成る。

町中には宿毛文化センターと言う立派な建物があり、その中に宿毛歴史館を設け、町の歴史やゆかりの人物を模型や映像・パネルなどで紹介していると言う。

歴史ある町らしく、道筋には土佐藩創生の頃、奉行として活躍した野中兼山や、文化人等に纏わる史跡や「○○邸跡」の碑が多く立ち興味をそそられるが残念ながら立ち寄る余裕がない。

町中には「バカヤローまんじゅう」の看板を掲げたお菓子屋さんが有ったが、これは吉田茂に因んだお菓子で、ここは当地では有名な和菓子の販売店らしい。

 

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難所松尾坂

 

町中を抜け、宿毛の駅の手前で56号線から外れ、進路を山側に向けると、松尾峠越えの道に進む事に成る。

住宅地に続く道に入り込むと、左手に「宿毛貝塚」がある。縄文後期の遺跡で、四国では最大規模の貝塚らしい。

みかん畑の向こうに、時折顔をのぞかせる宿毛湾を見ながら進む道は、舗装されてはいるが、勾配は意外にきつい。

舗装道が尽きると地道に成り、今度は緩やかな下り道に転じ、その先はこんなに登って来たのかと訝る程の下り道が延々と続く。

 

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 30分ほどで、錦の集落に到着した。「3000m 松尾峠 へんろ道」と書かれた看板が、民家の庭先を指している。

ここから先は峠まで3キロ、高低差290メートルの厳しい上り坂が待っている。

途中「土佐の褐牛(あかうし)」の牧場があり、牛たちが長閑に体を寄せ合っていた。

 

 

松尾峠を越える

 

松尾坂は伊予と土佐を結ぶ重要な街道で、麓には番所が設けられ往時には日に200300人も通る旅人を取り締まっていたらしい。 

当時の関守の子孫は、現在も当地に住みついていると言う。

その番所跡を過ぎた辺りからは残りが2キロ程、いよいよ更に厳しい登り道に成る。

鬱蒼と茂る木立の中に切り開かれた旧道は、枯れ落ち葉、岩肌の凹凸、露出した木の根、大きく掘れた穴の繰り返しで、歩き難いことこの上ない。途中には往時の石畳の遺構や、戦時中に切り倒し油を搾るため根までも掘り起こした松並木の掘り跡等が有り、街道の歴史の古さを物語っている。

 

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松尾峠に辿り着いた。

「従是東土佐國」「従是西伊豫國宇和島藩支配地」貞享年間に建てられたと言う、二本の国境の碑が少し離れて建っている。

宿毛の町を出て、5キロ余りの道程を、2時間余り掛けてようやく峠に着いた。

大師堂の残る標高300mの峠には、うす暗い僅かばかりの平坦地に、往時は2軒の茶店が有ったと言う。

昭和四年に宿毛と一本松を結ぶ道路が開通すると、この街道の往来は廃れ、厳しい山道は歩き遍路を悩ます古道として、その名を今に伝えるのみとなる。

 

 

快適な下り道

 

峠を越えると愛媛県の最南端に位置する愛南町に入る。

この峠はここから香川県境の川之江市まで、県内465キロに及ぶ「四国のみち」愛媛県ルートの起点であり、これより「菩提の道場・伊予路」の始まりでもある。

峠を下る愛媛県側の道路は、良く整備されている。高知側の荒廃とした厳しい登り道が何だったのか、嘘のように広々とした開墾道で、勾配も緩く崖側には手摺も整備され、ハイキングコースの遊歩道のような道が延々と下っている。

 

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 30分ほどで山を下り小山農道に合流し、更にその先で県道299号に出て、道なりに旧一本松町を目指す。

今晩の宿までは、まだ1.5キロほど残している。

 

 

民宿・大盛屋

 

旧一本松町の中心部を通る旧国道に面した、民宿「大盛屋」に宿を取った。

ご主人には別に本業があるらしく女将さんが一人で切り盛りする家庭的な小さな民宿で、遍路達の口コミでは評判の良い処である。

 

翌日黒く重そうな雲が低く覆っている空は、何時雨が降り出してもおかしくない程に雲行きが怪しい。

しかし朝のテレビの天気予報は、「夕方までは降らない、明日少しまとまった雨に成るだろう」と告げていた。

 

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宿から、第40番に向かうルートは、二通りある。一つは、札掛・豊田を抜ける県道299号を行くルート。

もう一つは国道56号を行くルートで、距離的にはこちらの方が2キロほど短く成る。

出発時女将さんに「どっちがお勧め?」と聞いたら、「うん〜」と首をひねりながら、「どっちも・・・」と言うので、特段の理由も無く県道を行くルートを選択する。

 

 

旧赤坂街道

 

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 新しく出来た国道56号線を横切り、四国ではこれまでに余り見ることも無かったコンビニ・ローソンの新しい店舗に少々驚きながら、県道299号を進む。目指す第40番札所・観自在寺までは、残り11キロ余りの道程だ。

30分ほどで、札掛の集落に到着する。この札掛けの地名は、40番の奥の院、観世音寺の前札所で、篠山権現の一の鳥居があり、権現様にお参り出来ない人びとが、ここで買った札を掛け、篠山神社への参拝に変えたことから起こったとされている。

 

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 県道を行く遍路道は小さな集落を結びながら、所々で旧赤坂街道と呼ばれる多少のアップダウンのある古い遍路道に分け入る。

この旧道は、地元のボランティアにより復活整備されたものらしく、歩きやすく道標も充実していて迷うことも無い。

上大道地区の大宮神社脇に、築間も無いトイレを併設した立派な休憩所が設けられている。

飲料水が引かれ、綺麗に掃き清められ、花の活けられた施設は、地域の皆さんが日々管理されている賜物だ。

 

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どこか懐かしい香りのする、小さな集落を抜けると僧都川に行き当たる。

宿からは7キロ余り、5月中旬には蛍が乱舞すると言うこの川の土手道を暫くは歩く。

土手道から見る街並みにビルや人家が増え、路上に賑わいが見える城辺町を抜けると、門前町らしい雰囲気を残す御荘町に入り、古い商店や旅館が目に付くように成る。

 

 

40番札所・観自在寺

 

 僧都川に架かる橋を渡り、北に向かうと細い参道が山門に向かって延びている。

40番札所・観自在寺のある御荘の町は、愛媛県の最南端に位置し、西は豊後水道に面している。 

鎌倉時代には延暦寺の荘園が置かれていたと言い、門前町の佇まいの残る、歴史ある町のようだ。

 

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道路が突き当りその前の15段ほどの石段を上がり山門を抜けると開放的な境内が広がっている。

正面に本堂、右手に大師堂、左手には宿坊を持つ書院が建っていて、庭も手入れが行き届き、堂々とした中にも落ち着いた雰囲気を醸し出している。

かつて寺は日本四か所の鎮守寺の一つとされ、七堂伽藍を構え、末寺四十八坊を持って栄えていたらしい。

しかし火災により全てを灰燼に帰し、その後銅板葺きの大屋根を持つ本堂等が再建されたと言う。

叉この寺は一番の霊山寺からは一番遠く離れた「裏の関所」と言われ、遍路にとってもようやく折り返し点に来たかと感慨深く感じられる札所でもある。

 

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 境内の一角、植え込みの中にカエルの像と並んで、芭蕉の句碑が建っていいる。

苔むした背丈ほどの自然石で、愛媛県下では、最も古い句碑らしい。

 

春の夜の とねり人ゆかし 堂のすみ

 

 

室手海岸へ

 

ここから次の札所、第41番・龍光寺までは48キロ余りあり、主に国道56号線を歩くことに成るが、その途中には難所として知られる柏坂越えの厳しい山道が控えている。

寺を出て僧都川の土手を歩くと、再び国道に合流、暫くは左手に御荘湾を見ながらオレンジロードを道なりに歩くことに成る。

 

御荘湾を離れると周りは人家もまばらになり、左手に菊川の小さな流れが近づいてくると国道は登り道となる。

見た目は緩やかな坂のようだが、この八百坂と言われるだらだら坂の上りは意外にきつく、峠まで1時間近くを要してしまった。

 

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峠から一旦下った道は、右手に菊川小学校を見る辺りから再び登りとなり、上り切って、緩やかに左に曲がりながら降りて行くと、目の前が開け遠くに宇和の海が見えてくる。

曇り空ながら所々雲の切れ目からは、青空も顔を覗かせているので、海は明るく穏やかにキラキラと輝いて見える。 

室手海岸と言うからてっきり海縁の道かと思ったが、この国道は海面からは遥かに高いところを通っているので、海岸に出るには道を外れ左手にとって急坂を降りることに成る。

海ではヒオウギ貝の養殖が盛んなのか、沿道にはその看板を掲げた店が有り、店の脇には鮮やかな緋色をした貝殻が捨てられていた。

 

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 室手海岸を過ぎると道は次第に下りにと転じ、旧内海町に入る頃には静かな入り江の向こう岸に集落が見え隠れする。

大きくカーブする道を下ると町中に入って行き、その先に今晩の宿「民宿 旭屋」が見えてきた。

地元では名の知れた老舗に活魚料理店としても知られているらしいので、夕食の期待が高まるのだが、安く泊まるお遍路パックではさほど期待は出来ないかも・・・などと思いながら、三時過ぎ早々と宿に到着した。

 



 

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