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鎖を掴んで歯長峠越え

 

道標に導かれ工事中の松山道を潜り、疏水沿いの道を歩くと、お寺の前から延びる県道に合流した。

暫く県道を歩き、小さな橋を渡ったところでそれを外れ農道に入り、工事現場に沿った緩やかな登り道を10分ほど歩くと、やがて峠への登り道が現れる。それなりに厳しい登り道では有るが、所々石畳の敷かれたところも有り、歩き難さが無いのが有りがたい。

登り切ると道は林の中を行く緩やかな下り道に転じ、一旦県道に出て暫く行くとその先では再び緩やかに登って行く。

 

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県道を10分ほど歩くと、右手に再び山道の入り口が現れる。

「きついのは最初だけ 峠まで20分」と書かれた道標に覚悟を促され、10段ほどの石段を登ると、そこに休憩所が有り、その先にかなりの勾配の登り口が待ち構えている。

 

 少し休憩を取って後意を決して歩き始めると、鎖が引かれている急坂に出くわした。

その角度たるや、足を前に出すと言うよりは、上にあげると言った感じで、まるで屋根に架けた梯子を登る様な勾配に、たちまち息が上がり、足元も覚束なくなり、鎖を握る手にも自然に力がこもる。 そんな坂道での悪戦苦闘が10分ほど続く。

 

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登り終えると緩やかな上りの傾斜道が林の中に延び、所々樹林の切れ目から宇和の海が遠望できる。

鎖場で大汗をかき火照った身体を、山の冷気が冷ましてくれる気持ちの良いそんな道を10分ほど歩くと待望の峠に到着する。

峠は木立が途切れ、視界の開けた明るいチョッとした広場に成っていた。

白い大きな石がごろごろとした荒れ地の一角に、大きな自然石の造林記念碑が建ち、ブロック造りの送迎庵・見送り大師が、赤い幟旗も鮮やかに建っていた。

 

 

何と言う悪路・・

 

 再び木立の生い茂る山道に分け入ると、道はすぐに下り始めている。

上りが厳しければ、下り道も厳しいのは当然の理りなのか、その勾配は半端ではなくなかなかに厳しい下り道である。

ある所では、立ちふさがる大木に手を回し、そこを廻り込むように降りて行く。

道筋が抉られとても道とは呼べない、深い谷のようなところでは、何処を降りようかと、一瞬足の踏み場を躊躇する。

前日の雨で赤土はぬかるみ、岩に張り付いた緑の苔が足を掬う。

それでも膝をがくがくにしながら1.5キロ程の道程を、30分ほどで降りられるのだから登りに比べれば下りは楽なものだ。

 

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 肱川の支流の水音に誘われて山を降り、三度県道に出て5分ほど下った肱川に行き当たるその手前に「遍路さんの墓」が有った。

真新しい地蔵堂の脇に建つ小さな小屋の中に、墓柱や石仏等が何体か納められている。

恐らく方々に散らばっていたものが集められたのであろう。巡礼の途中で行き倒れた遍路の墓のようで、哀れを誘う。

 

 

のどかな県道

 

歯長橋を渡り左折、県道29号に出れば、第43番札所・明石寺までは6キロほどの道程である。

先ほど越えて来た、歯長峠の控える高森山の麓をゆったりと肘川が流れている。河岸段丘のような地に広がる田は、実りの秋を迎え畔には彼岸花が顔を出している。

庭先にコスモスや秋の草花が咲き乱れ、何処からともなく金木犀が匂って来る、のどかな県道の歩道である。

途中人家の庭先で、大きな鹿を解体しているのに出会った。無残に皮を剥がれて横たわる、赤い巨体が生々しい。

 

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県道縁にある道引大師堂を過ぎると、左手を流れる肱川の左岸にJR予土線が寄り添って来て、周囲に人家が増えて来ると、下宇和の駅はすぐそこだ。遍路道はその駅を過ぎた稲生の辺りで、県道を離れ集落の中に入り込むが、この道は路地のようなところを何度も曲がるのでうっかりしているとも違えそうだ。

 

民家の軒先をかすめるような、狭い道を抜けると広い舗装道が現れる。

残り0.4キロの看板を見て、この山門に続く坂道を歩き始めるが、やっと着いたとの喜びを感じる間もなく、盛りの過ぎた萩の花が残るこの坂は、何とも急でしんどくて悩ましい。

 

やっと到着した門前には広い駐車場の脇に常楽苑と言う売店が有る。直近の札所に比べると充実した施設だ。

お土産やら遍路用品も売られていて、茶店には食事やコーヒー等冷たいもの、甘いものが待っていた。

 

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43番札所・明石寺

 

43番札所・明石寺は、こんな急坂を登った町外れの山際に、静かに佇んでいた。

石段の上のお寺は、こんもりとした木立に覆われている。

源光山の扁額を掲げた立派な仁王門が建ち、それを潜ると更に先に続く石段が本堂に向かっている。

石垣を組んだ一段と高い位置に、赤い屋根をした唐破風造りの本堂や大師堂が立ち並び、荘厳な気が感じられる雰囲気を醸している。

 

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 この寺、単純に「あかしじ」とは呼ばないようだ。

本来は「あげいしじ」、或いは深夜に大石を山に運んだと言う女神の石あげ伝説に因んで「あげしじ」と言う説も有るようだが、「めいせきじ」と呼ぶのが正しいようで、地元では「あげいしさん」と呼び親しんでいる。

 

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卯の町の古い町並み

 

 明石寺を終えると第44番札所・大宝寺までは、70キロ以上もの長丁場が待っている。

これは足摺岬の金剛福寺への87キロ、室戸岬の最御崎寺への85キロに次ぐ長さではあるが、距離以上に山間部の上り下りを繰り返すことから、四国遍路道の中では、最も厳しい区間とも言われている。

今晩の宿は上宇和だと言うと、「5分ほどきつい登りが有るが、近道だから」と常楽苑の女将さんが本堂脇から入る、山越えの裏道を教えてくれた。先行する夫婦遍路の後を追うように山道を登り、そして下ると卯の町の古い町並みが残る一角に降りて来る。

 

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旧宇和島藩の在郷町として栄え、江戸中期から昭和初期頃までの白壁の商家が建ち並ぶ一角は、電線も地中化され、古い時代にタイムスリップしたような感覚に陥る。

高野長英が一時身を潜めたと伝えられている、当時の大庄屋鳥居家の見事な欅造りの屋敷門が残っている。

江戸時代の蘭学者・二宮敬作の住居の跡や、そこを頼って訪れた高野長英が身を隠した家の一部が保存されている。

二宮敬作は、シーボルトとその妻タキの間に生まれたイネを、日本で最初の女医として育てたことでも知られている。

 

 その他にも周囲には、明治の時代に建設された重文の開明学校や、宇和米博物館として公開している古い移築された小学校等の見どころも多い。この小学校には長い廊下が残されていて、その廊下の雑巾がけ体験が出来ると言う。

叉、そのタイムを競う大会も毎年開催されているようだ。卯の町の駅前には、雑巾がけの町の大きなアーチが建っている。

 

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鳥坂峠越え

 

 宿泊した宇和パークホテルをユックリと8時過ぎに発った。

今日は20キロ先の伊予大洲まで歩き、そこからJRで帰途に着く予定だが、その途中7キロほどのところで、最後の難所鳥坂峠越えが待っている。

 

峠下の分かれ道には、1時間半程で到着した。

「トンネル内歩道狭し 峠道5.5キロ 約60分 トンネル道2.1キロ 約25分」

分岐点に建つ道標を見て、距離・時間とも倍以上もかかる峠の道を避け、トンネルを抜ける事を選択することにした。

 

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国道の登りが少しずつきつく成って来た。

その先で、鳥坂トンネル(1117メートル)が口をあけ、入口付近には“反射タスキ”が置かれていて、歩行者に使用を促している。

松尾トンネル抜けの時使ったマスクを残していたので、それを着けてトンネルに入り込む。

覚悟はしていたが確かに歩道の幅が狭い。直ぐ脇を対向してくる車が、こちらに飛び込んでくるのではないか・・と恐怖が襲う。

トンネル内に響く轟音が、その恐怖心を一層掻き立てるので自然に速足に成って、15分ほどで抜けてしまう。

ここを抜ければ後は、伊予大洲に向かって下るのみである。

 

 

伊予大洲の町

 

途中のドライブインで小休止の後しばらくして国道を離れ。金山橋を渡り右折して川沿いの道に入り、更に20分ほど歩いてから、遥か前方の山際に臥龍山荘を望む梁瀬橋を渡り、大洲の中心部へと入り込んできた。

車の往来も多く、久しぶりに屋並みの続く賑やかな道である。

大洲神社を見て、さらに先に進むと小京都と言われる古い町並みや、観光名所である「おはなはん通り」に出る。

 

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 ここ「おはなはん通り」は、昭和41年にNHKで放送されたテレビドラマ“おはなはん”のロケ地として使われた、江戸や明治の屋並みが残るところである。

随分と前に一度訪ねた事が有るがその頃はまだブームが継続していたのか、通りは大そうな人出で賑わっていた。

しかしこの日は平日のせいもあるのか、観光客らしい姿も殆ど無くひっそりとしていた。

通りにある「おはなはん通り休憩所」で、当時のスチール写真などを見ながら小休止をさせてもらう。

 

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 肱川橋からは、左手の小高い山の上に宇和島城を望むことが出来る。

反対側に目を転じると、鵜飼い船なのか、川岸に何艘もの屋形舟が休んでいるのが見える。

橋を渡り国道を外れ左折、とのまち商店街アーチを潜り通りをJR伊予大洲の駅に向かう。

 

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昼食はここまで何のトラブル故障も無く歩いて来たので、少し奮発して“うなぎ定食”で腹ごしらえだ、と言ってもあとはJRに乗って帰るだけではあるが、自分へのご褒美に少しの贅沢を楽しんでみる。

 

 駅で偶然再会した昨夜同宿の男性は、今日ここで区切り打ちを終えこれから東京に帰ると言う。

別れを告げ、伊予大洲銘菓の「月窓餅」と「志ぐれ」をお土産に買い込み、列車に乗り込む。

内子線を経由する「特急・宇和海14号」は、先発した普通列車を内子駅で追い越して行く。

このままこれで松山まで行き、接続している「特急・しおかぜ22号」に乗り継げば今回の旅は終わりだ。

 

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