神仏混淆の龍光寺
道際の鳥居から山門下まで、百メートルばかりの細い参道が続いている。
両側には、饅頭やみかんを売る店も有り、小さいながらも鄙びた門前町を形成している。
宇和島の市街地からは北東に10qほど離れた第41番札所・龍光寺に到着した。
山門代わりの鳥居が珍しい札所である。
鳥居(山門)を潜ると狛犬の出迎えが有り、先の急な石段を登ると左に本堂、右に大師堂が有る。
更にその間に延びる石段を登りつめると赤い鳥居の建つ稲荷神社がある。
ここには今でも神仏混淆が残り、地元では「三間のお稲荷さん」の通り名で知られている。
商売繁盛、開運出世を願う人々の信仰が篤いと聞いた。
この先遍路道には食事処も無いと言うので、腹拵えに門前のまんじゅう屋さんに飛び込む。
餡のギッシリ詰まった大ぶりの「福印まんじゅう」が、当座のネルギーになりそうだ
その後、近くの「道の駅・みま」立ち寄り、お昼ごはんを仕入れ、備えも万端に次の札所へ向かう。
その距離凡そ3q、1時間も見ておけば充分だ。
家畜供養の寺・仏木寺
工事中の四国横断自動車道に沿って次の札所に向かう。
県道31号は、コスモス街道として知られたところらしいが沿道にコスモスの花は見当たらない。
やがて、門前でアイスクリンを売るおじさんが、手持無沙汰に座っているのが見えてきた。
道の駅からは、50分足らずで、第42番札所・仏木寺に到着した。
真新しい仁王門を潜って、僅かばかりの石段を上がる。
右手に見える珍しい茅葺の鐘楼は、なかなかに重厚で風格があり、境内にあっては存在感を出している。
そのまま進むと納経所が有り、左手奥の正面に大師堂と本堂が有る。
本堂の脇には、古びた家畜慰霊碑が建っている。
大師と牛に纏わる伝説が寺の縁起に残されている事から、この寺が牛馬の守り仏として信仰を集めて来たものらしいが、最近ではそんな信仰も薄らいでいるようだ。
ここから第43番札所・明石寺までは、およそ8キロの道のりだ。
暫くは県道を歩くが、途中で山道に入り標高400メートル程の厳しい歯長峠越えの道だ。
従って所要時間の目安は4時間と、厳しい行程が待っている。
鎖を掴んで歯長峠越え
道標に導かれ工事中の松山道を潜り、疏水沿いの道を歩くと、お寺の前から延びる県道に合流した。
暫く県道を歩き、小さな橋を渡ったところでそれを外れ農道に入る。
工事現場に沿った緩やかな登り道を10分ほど歩くと、やがて峠への登り道が現れた。
それなりに厳しい登り道では有るが、所々石畳の敷かれた場所も有り、歩き難さが無いのが有りがたい。
登り切ると道は林の中を行く緩やかな下り道に転じ、一旦県道に出て暫く進みその先で再び緩やかに登り始める。
県道を10分ほど歩くと、右手に再び山道の入り口が現れる。
「きついのは最初だけ 峠まで20分」と書かれた道標が立っている。
覚悟を促され10段ほどの石段を登ると、そこに休憩所が有りその先にかなりの勾配の登り口が待ち構えている。
その先は、鎖が引かれている急坂だ。
その角度たるや、足を前に出すと言うよりは、上にあげると言った感じだ。
まるで屋根に架けた梯子を登る勾配に、たちまち息が上がり足元も覚束なく、鎖を握る手にも自然に力がこもる。
そんな坂道での悪戦苦闘が10分ほど続く。
登り終えると緩やかな傾斜道が林の中に延び、所々樹林の切れ目から宇和の海が遠望できる。
鎖場で大汗をかき火照った身体を、山の冷気が冷ましてくれるのが気持ちいい。
そんな道を10分ほど歩くと、待望の歯長峠に到着する。
峠は木立が途切れ、視界の開けた明るいチョッとした広場に成っていた。
白い大きな石がごろごろとした荒れ地の一角に、大きな自然石の造林記念碑が建っている。
傍らにブロック造りの送迎庵・見送り大師が、赤い幟旗も鮮やかに建っていた。
再び木立の生い茂る山道に分け入ると、道はすぐに下り始めている。
上りが厳しければ、下り道も厳しいのは当然の理り、その勾配は半端ではなくなかなかにタフな下り道だ。
ある所では、立ちふさがる大木に手を回し、そこを廻り込むように降りて行く。
道筋が抉られとても道とは呼べない、深い谷のようなところでは、何処を降りようかと、一瞬足の踏み場を躊躇する。
前日の雨で赤土はぬかるみ、岩に張り付いた緑の苔が足を掬う。
それでも膝をがくがくにしながら1.5キロ程の道程を、30分ほどで降りられるのだから下りは楽なものだ。
肱川の支流の水音に誘われて山を降り、三度県道に出て5分ほど下った肱川に行き当たる。
その手前に「遍路さんの墓」が有った。
真新しい地蔵堂の脇に建つ小さな小屋の中に、墓柱や石仏等が何体か納められている。
恐らく方々に散らばっていたものが集められたのであろう。
歯長橋を渡り左折、県道29号に出れば、第43番札所・明石寺までは6キロほどの道程である。
先ほど越えて来た、歯長峠の控える高森山の麓をゆったりと肘川が流れている。
河岸段丘のような地に広がる田は、実りの秋を迎え畔には彼岸花が顔を出している。
庭先にコスモスや秋の草花が咲き乱れ、何処からともなく金木犀が匂って来る、のどかな県道の歩道である。
途中人家の庭先で、大きな鹿を解体しているのに出会った。無残に皮を剥がれて横たわる、赤い巨体が生々しい。
県道縁にある道引大師堂を過ぎると、左手を流れる肱川の左岸にJR予土線が寄り添って来る。
周囲に人家が増えて来ると、下宇和の駅はすぐそこだ。
遍路道はその駅を過ぎた稲生の辺りで、県道を離れ集落の中に入り込む。
道は町中の路地のようなところを、何度も曲がるのでうっかりしていると間違えそうだ。
民家の軒先をかすめるような、狭い道を抜けると広い舗装道が現れる。
残り0.4キロの看板を見て、この山門に続く坂道を歩き始める。
盛りの過ぎた萩の花が残るこの坂は、やっと着いたとの喜びを感じる間もない急坂で、何ともしんどい。
石上げ伝説の寺・明石寺
第43番札所・明石寺は、こんな急坂を登った町外れの山際に、静かに佇んでいた。
石段の上のお寺は、こんもりとした木立に覆われている。
源光山の扁額を掲げた立派な仁王門が建ち、それを潜ると更に先に続く石段が本堂に向かっている。
石垣を組んだ一段と高い位置に、赤い屋根をした唐破風造りの本堂や大師堂が立ち並んでいる。
荘厳な気が感じられ、厳かな雰囲気を醸し出している。
この寺は、単純に「あかしじ」とは呼ばないようだ。
本来は「あげいしじ」、或いは深夜に大石を山に運んだ女神の石あげ伝説に因んで「あげしじ」と言う説も有る。
正しくは「めいせきじ」と呼ぶのだが、地元では「あげいしさん」と呼び親しんでいる。
明石寺を終えると次の第44番札所・大宝寺までは、70キロ以上もの長丁場が待っている。
これは足摺岬の金剛福寺への87キロ、室戸岬の最御崎寺への85キロに次ぐ長さである。
しかしその距離以上に山間部の上り下りを繰り返す事から、四国遍路道の中では、最も厳しい区間とも言われている。
門前には広い駐車場の脇に、「常楽苑」と言う売店が有る。
お土産やら遍路用品も売られていて、茶店には食事やコーヒー等冷たいもの、甘いものが待っていた。
今晩の宿は上宇和だと言うと、女将さんが本堂脇から入る、山越えの裏道を教えてくれた。
「5分ほどきつい登りが有るが、近道だから」と言う道だ。
先行する夫婦遍路の後を追うようにその道に入り、暫く行くと卯の町の古い町並みが残る一角に降りて来た。
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