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やっと半分・・・

 

 岡山から「特急・しおかぜ1号」に乗り、途中松山で「特急・宇和海」に乗り換え、伊予大洲の駅に11時少し前に到着した。

ここを起点に第44番札所・大宝寺から、内子の町を通り抜け久万高原などを経て、松山市郊外に連なる各札所を打ちながら第51番札所・石手寺を目指す。

高知県を代表する二つの岬を目指すその道の多くが、比較的平坦な海岸沿いを歩くのに比して、大宝寺道は幾つもの峠を上り下りしながら厳しい山岳道を行くので、遍路道の中でも昔から第一の難所と恐れられている。

 

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大宝寺は、仁淀川の上流域、愛媛県の久万高原にある。

ここはその昔、おくまさんと言うお婆さんが、巡錫中のお大師様を親切にもてなしたことから、そのお礼に当時の貧村を栄える町にしてやろうとおっしゃった・・そんなお大師伝説の残る町でもある。

44番札所は四国八十八か所の内の半分であることから“中札所”とされているが、歩き遍路には総歩行距離の三分の二ほどを歩き終えた位置関係にもある。

 

 

十夜ケ橋

 

大洲の駅を出て、駅前から延びる賑やかな道を5分ほど歩き、国道56号線に行き当たったところで左折し、ここからは車の往来の多い国道を暫く歩くことになる。40分ほど歩いて松山自動車道への取付け道路が分岐する広い交差点に出ると、その前方左角に有名な十夜ケ橋の番外霊場・永徳寺が見えてくる。

 

「行きなやむ 浮世の人を渡さずば 一夜も十夜の橋と思ほゆ」

 

このお大師さんの歌から、「十夜ケ橋」との名が付いたと言われているその橋は、広い国道56号線の道路の一部としてコンクリート橋が架けられているので、車なら橋の存在すら気付かないのではなかろうか。

 

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 今から1,200有余年前、弘法大師が四国を巡錫中、この辺りに差し掛かったところ日が暮れてしまい泊まるところもなく、空腹のまま小川に架かる土橋の下で野宿をした際、一夜が十夜の長さにも感じたといわれる場所に建つ霊場である。

しかしこの地の人々はお大師様を橋の下で休ませたことを恥じてか、今ではこう信じて止まないのだそうだ。

「どの家もお大師様をお泊めしようと奪い合ったので、お大師様はどの家にも気を兼ねられてそっと橋の下で泊まられた」

 

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 橋の袂には、河原に降りる階段が付けられている。そこを降りるとコンクリートを打った広場になっていて、その隅の丁度橋の下に祠があり、弘法大師が横になって眠っている石像が置かれ、そのわきにはピンクの暖かそうな布団が寄進されている。

 

 このように橋の下で眠っておられるお大師さんに配慮して、遍路が橋の上を通るときは杖を突かないとの風習は、この逸話から起こったと伝えられている。しかし今では橋の上は、そんなコツコツという細やかな杖の音どころではなく、手を伸ばすと届きそうな頭上でゴーゴーと行きかう車の騒音が絶え間なく聞こえている。

ここは全国でも珍しい修行としての野宿が認められた場所らしいが、とても安閑と眠っていられる環境にはない。


 

 

内子の町並み

 

 国道を離れ平入りの低い屋並みの続く、新谷の集落を貫く旧街道に入る。車が激しく行きかう国道と違って、人も車も少なく時折猫を見かける古い屋並みと生活感のある通りは歩いていても何故かホッと落ち着くものがある。

神南堂と名付けられた遍路の休憩所を左に見て、再び国道に合流、緩やかな上り道をしばらく歩く。

JR五十崎駅の手前で旧道におり、民家の続く狭い道を行く。

 

やがて人家が途切れると、木々の生い茂る上りの一本道となり、峠越えでも・・といった雰囲気だ。

地図を見ると原ケ峠とあったが、案じるほど大して登ることもなくすぐにアスファルトの下り道となり、しばらく下るとカーブの先に野球場が見えてきた。

 

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 休憩がてらネット裏に腰を下ろそうと近づくと、練習の手を一瞬止め、振り返って「チワッス」と挨拶をくれる。

聞けば内子高校の野球部と言うので、しばらく見学させてもらう。高校生の元気の良い掛声ときびきびとした動き、カキーンと言う金属バットの打撃音で、すっかり疲れも吹っ飛んだ気分になってしまった。

 

坂を下りると右手に大きな池があり、白鳥に混じって黒鳥(と言うのかな?)が泳いでいる。

その先に目を転じると、高架上にJRの内子駅が、その先に内子の小さな町並みが広がっているのが見える。

 

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JRの線路を潜り、内子の町へと入り込んだ。

大正時代に建てられた歌舞伎場である“内子座”は、木造二階建瓦葺の建物でこの町を代表する見所の一つだ。

ふれあい通りにある“商いと暮らしの博物館”は、江戸後期から明治初期の商家を利用した建物内で、大正時代の薬屋を再現展示している。この他にも町内には、かつて木蝋や生糸で栄えた商家や民家なども多く、虫籠窓や連子格子のある建物の情緒のある町並が残っているが、ゆっくりと見て回る余裕がないのが何とも勿体ない。

 

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筏流しの里

 

 内子の町並みを外れ、国道56号線を横切り、小田川に架かる橋を渡り、“道の駅・からり”の前から国道379号線に入る。

しばらくは蛇行する小田川に忠実に沿って、この国道を歩くことになる。道はほぼ平坦で歩きやすくはあるが、単調なアスファルト道の連続で、変化に乏しく些か退屈だ。

 

 長岡山トンネルを抜けると道路わきに、ぽっんと一軒“お遍路無料宿”が建っている。固く雨戸を閉ざしているところを見ると、誰も利用している様子は無い。夕方に開けられっるのか、どこかに連絡すれば開けてもらえるのかは定かには分からない。

 

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 短い和田トンネルを抜け、大瀬の集落を抜ける旧道に入る。

沿道の大瀬小学校は、ノーベル賞作家・大江健三郎の通った母校、その近くには生家もあるそうだ。

その先に曽我五郎十郎首塚、千人塚大師堂、落水大師などがあり、興味を注がれるがもう3時を過ぎている。

山の日暮れは早い、日のあるうちには宿に入りたいのでゆっくりと見ている暇はない。

 

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明治から大正・昭和の初めにかけ、この地の奥山で伐採される良質な木材を、筏師がフジカズラを使って筏を組み、肱川河口の長浜まで運んだと言う。毎日平均30流れを数えたその勇壮な姿は、道路の整備やトラック輸送の発達により、昭和20年代を最後に、姿を消してしまったらしい。

今は緩やかに蛇行する小田川は、そんな昔日の筏流しの面影もなく、穏やかに静かにそして長閑に里山を流れている。

 

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 午前11時少し前に着いた伊予大洲から歩き始めて早6時間、ここまで25キロ以上の道のりを歩いて来た。

明日の久万高原に向かう峠越えの負担を少しでも減らそうとしたものだが、初日にしては少し無理をしたようだ。

しかし、ようやく今晩の宿が近づいてきた。

 



 

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