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国民宿舎・古岩屋荘

 

 夕方17時少し前今晩の宿、国民宿舎・古岩屋荘に到着した。

久万高原町の県立自然公園「古岩屋」内にある公営の宿舎で、天然温泉が自慢の宿である。

44番から45番・岩屋寺の間で数少ない宿の一つとして、ここには素泊まりプランも用意され、比較的価格設定も安く、館内には当然コインランドリーも用意されているので遍路にとっては重宝する宿である。

 

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 翌日の早朝曇り空に突然雷が鳴り響き、大粒の雨がパラパラと降ってきたかと思うと、その何分も経たないうちに何事も無かったかのようにすぐに止んでしまった。前夜からテレビの天気予報が、東日本の大気が不安定になるので、突然の雷や雨・突風に注意するようしきりに呼びかけていた。よもやこの地にまで影響があるのでは・・・と、多少心配ではあるが、朝食を終えるころには雨の気配もなくなり、ところどころ青空も見え始めてきた。

 

 

四国カルストを行く

 

直瀬川の両岸にそそり立つ礫岩峰が見事な景観を見せる古岩屋の一帯は、昔から修験者や遍路・巡拝者の修行の霊場となっていた。

そのため遍路道も俗界を避け、わざわざ急峻な山道に難路を付けているのだという。

そのことから本来なら、大宝寺・岩屋寺を行きかう遍路は、この厳しい難路を行くものとされていた。

ここ古岩屋荘に宿をとった場合でも、その脇から山に入り、八丁坂入り口まで1キロほど戻り、そこから730mの峠を越えるのが正式な遍路道と言うことになるらしい。

 

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 無難な選択をし、古岩屋荘から岩屋寺までは3キロほどの緩く下る県道を歩くことにする。

この道は有名な面河渓や石鎚山に向かう主要道らしく、山の中にしては意外にも時々思い出したように車が通る。

 

 まさに山滴る季節である。

直瀬川のせせらぎや鳥たちのさえずりに耳を傾け、新緑の若葉のむせ返るような匂いに包まれての下り道は、脇を走り抜ける車の騒音など気にはならぬほど快適である。打戻の為宿に荷を預けてきた。背に何も無いのが、何ともありがたい。

 

 

山間の難所・岩屋寺

 

 30分ほど歩くと、直瀬川に架かる赤い橋が見えてきた。

背後に深い森が迫っている、どのあたりまで上るのであろうか、ここからは山寺の気配を窺うことは知れない。

橋を渡るとそこはすでに境内で、広い駐車場があり、バスや自動車でのお参りもここから先は歩くより術がないらしい。

すでに山に向かう急な坂道が見えているが、看板には境内まで「700m、歩きで20分」とある。

 

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茶店の並ぶ細い道が終わると、参道は鬱蒼と茂る木立の中に、坂道や石段が続く本格的な山登りの様相を呈してくる。

道端の手すりが山道上りの厳しさを暗示しているようだ。

“海岸山”の扁額の掛かる山門を潜り、さらに続く石段を上る。その数は260段を超えるという。

聞きしに勝る厳しい上り道だが、参道の途中には、お大師像、石仏群や、お百度参り場などが点在し、深山の霊場の雰囲気を醸しているので、少しの間息を継ぐには格好の場となっている。

 

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 やがて最後の石段を上がると、頭上に覆いかぶさるような巨大な岩山が見えてくる。

その下に、まるで巨岩をくり抜いて、そこに包み込まれるように立つ小さな本堂が現れる。

アッと息をのむような光景に圧倒され、一瞬我を忘れ巨岩を仰ぎ見る。

 

凝灰岩でできた大岩には、金剛界峰、胎蔵界峰などの名前が付けられ、その数は50余りあると言い、その聳え立つ山容は異様で奇怪な感さえする。なるほど、典型的な山岳道場である。山全体が本尊と言われる所以でもある。

 

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三坂峠を下って

 

 山を下り、再び久万高原に戻り国道33号線を三坂峠に向けて歩く。

沿線の田んぼには水が張られ、すでに田植えも終わっている。その田を渡る風はヒンヤリと冷たく、汗ばんだ体には心地良い。

国道は710mの三坂峠に向け上り坂の連続ではあるが、その傾きは緩やかで周りの風景の単調さを除けば歩きやすく快適である。

久万高原からおよそ1時間で、新しい三坂道が分岐する交差点に到着する。

その先の峠下のレストパークで、今歩いて来た久万高原の町並みを見下ろしながら昼食をとる。

 

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 国道を右に外れ旧道に入ると、ここから名うての三坂峠の下り道が始まる。

かつては久万街道と呼ばれ、松山と高知を結ぶ主要な街道として多くの旅人で賑わった道ではあるが、明治25年に国道33号線が開通するとその座を国道に譲り、今では松山方面への下り道(高知に向けては上り道)だけが、遍路が利用する旧道として残されている。

 

 赤土の湿った道は歩きにくい。木の根が剥き出しになった道もあれば、石ころだらけの荒れ地もあり、深くえぐれた道もある。

中には浮いた岩や、苔で滑りやすくなったところもある。

 

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ところどころで切り石や丸石を丁寧に敷き詰めた石畳の道も残り、往時の街道の様子が彷彿される。

そんな地道をよくよく眺めてみると、心なしか轍の跡が残っているようにも見えるところがある。

往時は難所とうたわれたこの峠道を、遍路や旅人に交じり、馬を連れた馬子や、荷を積んだ大八車も通ったのであろう。

高知への最大の難所と言われる峠越えは、その往復には一昼夜を要したと言われている。

 

「三坂越えすりゃ雪ふりかかり、戻りゃつま子が泣きかかる」

「むごいもんぞや久万山馬子はヨー 三坂夜出て夜もどるヨー」 (三坂馬子唄)

 


道は際限なく下っていく。

なにせ8.7キロほどの道のりの下りは、標高700mを超えるところから、100m以下の場所に位置する第46番札所・浄瑠璃寺まで一気に下っていくから、その下り道の厳しさは半端ではない。

 

 

旧遍路宿・坂本屋

 

 下り始めて1時間ほど、ここらあたりまで来ると、時折前方の木立の切れ目から先ほどまでは見られなかった青い空もちらほらと見え始めているので、そろそろ山道も終わりになるのでは・・と期待を抱かせる気配ではある。

しかし下り道は、尽きることは無いぞと言わんばかりにまだまだ続いている。

 

 峠から2キロ半ほど歩き、ようやく山道が途切れ、集落の近づきを予感させるアスファルト道を桜の集落に向け下っていくと、途中でいわくのありそうな建物に出くわした。

少し古めかしいが立派な二階建ての建物で、表に“坂本屋”と書かれた風格のある木板が掛けられ、しめ縄も飾られている。

 

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説明書きによると明治から大正にかけて賑わった旧遍路宿で、平成に入ってNPO法人などが中心になり修復されたもののようだ。

建物としても価値の有るものらしく、その昔にはかの正岡子規もここを旅して句を残しているという。

日曜日には自主運営の有志により、お接待も行われているらしいが、生憎とこの日は雨戸がきつく締められていた。

こうして古いものを遍路の接待所として活用しながら保存にも努めているということらしい。

 

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 坂本屋から浄瑠璃寺までは、残り6.5キロ、典型的な山里の風景の中をまだまだ道は下って行く。

途中弘法大師伝説の残る網掛大師を経て、久谷集落の出口橋を渡るあたりで、ようやく道は平坦になり、細い旧道を寺に向かって進むことになる。

商店街らしきところに小さなお店が有ったので、アイスクリームを買い求め、休憩がてら店先で後少しのエネルギーを充電していると、寺が近いせいか、どこからともなく現れた自転車の遍路が、「お先でーす」と言って軽やかに追い越していく。

 

 

浄瑠璃寺

 

 街道を進むとやがて左手に丸石を乱積みした石垣の上から、鮮やかな緑の木々が生い茂っている小さな森が見えてくる。

第四十六番札所・浄瑠璃寺である。

この寺の山号は医王山と言うが、これは四国四州の各一国に一ケ寺だけ置かれた山号らしい。

 

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その森の切れ目に、門前の通りからいきなり境内へ続く20段余りの石段が伸びている。

それを上がると大きな木立の緑に包まれた落ち着いた雰囲気の境内が広がっていた。

正面には緑に囲まれるように本堂があり、右手に大師堂、左手に納経所や、佛足石などと言うものもある。

境内の中央には “伊吹ビャクシン”と言う巨木が聳え立っている。この樹齢およそ千年の巨木は、日本には珍しい木で、数も少なく天然記念物に指定されていると言う。

 

 

長珍屋

 

この日、お寺の前に建つ“長珍屋”と言う一風変わった名の宿に泊まった。

昔からの遍路宿らしく、新築された玄関ホールには“御宿 長珍屋”と書かれた、名も消えかかった古い看板が飾られている。

増改築して間の無い綺麗なところで、遍路の間では良く知られた宿だ。

新館は遍路宿としては少々高くはなるが、全室バストイレ付の部屋で、個室もありビジネスホテルなみだ。

 

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随分と広い駐車場も備えていて、大型バスで訪れる遍路も収容できるらしい。

館内には男女別の大浴場があり、広々とした洗面所や、コインランドリーの台数も多くて充実している。

また、遍路用品やお土産物を扱う売店も備えている。

 

仏壇を備えた大きな食堂には、今日は団体が入っているらしく、沢山の食事が用意され遍路を待っている。

見も知らない多くの遍路達が一堂に会して摂る夕食風景は壮観で、この日も多くの遍路と、一期一会の遍路談義に花が咲き、賑やかな夕食の時が過ぎて行った。


 



 

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