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極楽往生通行手形の寺

 

 浄瑠璃寺から次の第47番札所・八坂寺までは、0.8キロと近い。

室戸や足摺に代表される土佐路からここまでの伊予路にかけては、比較的札所間の距離が長いところが多いようだが、ここだけはホッと息の抜けそうな距離である。

中学生の登校の群れに交じって県道をしばらく歩き、“衛門三郎の里”と言うお土産屋さんを左に見て進むと、真新しいお大師様の石像が建つ角がある。そこを曲がると参道が真っ直ぐに寺に向かって伸びている。

 

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ここ第四十七番札所・八坂寺は、伽藍を建立するに当たり八か所の坂を切り開き、道をつけたところからこう呼ばれるようになったと伝えられ、住職は八坂家が代々世襲する珍しい寺でもある。

 

 極楽橋と名付けられた小橋を渡ると、桃山風の特徴的な屋根をした山門が建ち、その天井には極彩色の絵が一面に描かれている。

右手に方丈を見て、鐘楼脇の20段ほどの階段を上ると、そこに鮮やかな青い色をした屋根を見せる本堂が構えている。

その地階には、“万躰阿弥陀仏”が収められている。境内の左手にはお大師堂がある。

 

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 その二つの建物に挟まれるように小さなえんま堂が建ち、その両側に“極楽の道”と“地獄の道”と書かれた小さなトンネルが作られている。ここでは、“極楽往生通行手形”なるものを受けることが出来、今までの過ちを閻魔大王の前で悔い改め、これからは日々、“十の戒め”を心がけて生きて行けば“極楽の道”への通行手形となるらしい。

“戒”とは「良い習慣を身に着けること」だという。

 


 

衛門三郎のゆかりの地

 

 池を眺め、遠くに松山の町並みが見通せる遍路道は、松山市の郊外をのどかに歩く。

そんな道すがら、寺から1キロほどのところに、松に囲まれて文殊院徳盛寺と言うお堂が建っている。

ここは遍路の祖と言われるこの地方の長者、衛門三郎の菩提寺であり、かつて屋敷の有ったところだ。

 

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 『荏原庄の衛門三郎は、財宝が蔵に満ちるほどの豪族であったが、無信心で貪欲で、貧しいものを虐げ、召使をこき使う一方で、自らは栄華の夢に酔いしれていた。

 

ある日乞食のような旅僧がその屋敷前に立ち、食事を乞うたところ三郎は追い払ってしまった。

その旅僧はそのあくる日も次の日も訪れた。煩いと怒り狂った三郎は、旅僧の鉄鉢を取り上げ、激しく地面に叩き付けると、それは無残にも8つに割れて四辺に飛び散った。

そんな翌日、8人の子供の長男が突然こと切れた。その翌日には次子がなくなり、その後も不幸は続き8日の間にすべての子供を失ってしまう。さすがに三郎も悲嘆にくれ、己の業の報いを感じ、過日の門付けの旅僧への無礼を詫びようと発心し、館をたたんで旅に出る。そして二十一度目の途でやっと旅の僧と巡り合い、それがお大師と知る。先年の詫びを述べたあとこと切れたのが、あの焼山寺下の“杖杉庵”であった。』

 

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 尾ひれの付いた伝説ではあるが、当時の流行病で死んだ子供を、お大師様が手厚く葬ったとの説もあり、その子たちの墓“衛門八塚”は、近くの田圃の中にあると言う。

 


 三郎ゆかりの札始大師を過ぎ、県道40号線に出て、しばらく歩くと久谷大橋が見えてくる。

本来の歩き遍路道は、この大橋を渡らず手前から左折、土手から河原に降りて、水量が少なく石ころだらけの重信川を渡る。

対岸の河川敷にはゴルフ場があるのでどうするのかと調べてみたら、どうやらそこを突き抜けて土手に上がるようだ。

 

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庭が美しい西林寺

 

 松山自動車道を潜り、住宅地の中の狭い道に入り込むと、丸い石橋の向こうに第48番札所・西林寺の山門が見えてくる。

お寺の少し手前に“杖ノ淵”と呼ばれるお大師様が発見した泉の遺跡があったようだが、残念ながら、見落としてしまった。

 

 丸く反った石橋を渡り、何段かの階段を下りる。普通札所では、境内に行くには何段かの階段を上るところが多いが、ここは道路より低地に立つ珍しい寺で、数段下りその先で山門を潜る。

もともとこの辺り一帯は田圃ばかりのところで、それに合わせてその中にお寺が建っていたそうで、その後新しくできた道路が境内より高く作られたためらしい。

 

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 落ち着いた良いお寺である。境内はさほど広くはないが、綺麗に掃き清められていて清々しい。

緑も密生するほどの暗さはなく、明るい境内の一角ではアヤメが満開を迎えていた。

納経所のある庫裡の前の庭は、手入れもよく行き届き、モミジの若葉が一際映え特に美しい。

 

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「秋風や 高井のていれぎ 三津の鯛」

境内に建つ句碑、ここの刻まれた文字は、珍しい子規本人の直筆によるものだという。

 

 

伊予鉄の線路を越えて

 

西林寺の真新しい休憩所で、男性三人連れの遍路とともに、八坂寺門前で買ったイチゴを食べ、しばし休憩する。

この三人、元々は全員が単独行であったが、意気投合したのかどこからともなく三人連れだって歩いているようだ。

次の札所までは3.2キロほど、1時間足らずの工程だ。遍路道の周りは、すっかり町中の様相を呈してきた。

先ほど「お先に・・」と言って先発し、別れた三人連れが寺の手前で早々と追い越して行った。

 

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交通量の多い国道11号線を越え、住宅地に入ると道が狭くなる。

行き違った自転車の男性が、「狭いけど車が多いから気を付けて」と注意をくれる。

道の先で伊予鉄の線路を超えると、小高い山を背にした第49番札所・浄土寺が見えてくる。

 

 

山裾の浄土寺

 

 第49番札所・浄土寺に着いた。

山門の脇でアイスクリン屋さんが一人、手持無沙汰に客を待っていた。

仁王門を潜り境内に入る。山裾に広がる境内は思いのほか広く、正面には寄棟の屋根を被せたどっしりと構える本堂があり、これは和様と禅宗様を折衷した建築様式で室町時代の建造物であるとか。

 

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丁度団体の参拝客が着いたところらしく、その前で一塊になって、読経の大きな声を上げていた。

その右手の大師堂の前でも、何人かの参拝客が手を合わせていて、松山の市街地に付かくなったせいか、ずいぶんと賑わっている。

境内の一角には、俳句の町らしくゆかりの正岡子規の句碑が建てられている。

 

 「霜月の空也は骨に生きにけり」

 


 

松山市郊外の高台を

 

 赤い鳥居の映える日尾八幡社の前を曲がり、県道40号に入る。

住宅や商店が立ち並ぶ狭い道なのに、行きかう車が多い。時折歩道がなくなることもあるので、対向する大きな車が横を通ると煽られて恐ろしいほどだ。

 

 その県道を右に外れると、道は墓地の間を山に向かい緩やかに上っていく。

500メートルほど歩くと、簡素な作りの山門の前に広がる広場に着いた。ここにもアイスクリン屋さんが暇そうに客を待っていた。

 

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「はたでら」・繁多寺

 

50番札所・繁多寺は、「はたでら」とも呼ばれ親しまれている。

山門前の駐車場にバスが一台停まっている。見れば先ほど浄土寺にいた団体の様だが、ここは札所の距離が近いので、歩きもバスも大して変わらないようだ。

 

 一遍上人が七年間、ここで修行を積まれたというゆかりの寺で、かつては末寺百寺以上、三十六坊を持つ大寺院であった。

淡路山の中腹に建つお寺は、広い境内の正面に本堂、右に大師堂、左に庫裡を持つ程度で、当時の繁栄を窺い知るようなものは何も感じられない簡素な札所である。

ここでも静かな境内に、読経の声だけが大きな塊となって響いていた。

 

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寺は、松山市郊外の高台にある。

ここからは市街地が一望で、ひときわ高い勝山の頂上には、松山城らしい姿も遠望できるが、その前に何か塔のようなものが立ち塞がり、こちらからは、お城が串刺しされているように見え、はなはだ様が悪い。

 



 

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