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待ち構える最後の試練

 

 64番札所・前神寺から次の札所までは45キロ余り、右手に四国山脈を望み、左手の瀬戸内に沿って東に向かう「伊予路・菩提の道場」最後の長丁場が待っている。伊予西条、新居浜、伊予三島など、瀬戸内に展開する工業地帯を、主に国道11号線とその旧道を辿る道で、旅は前回の終着点、中萩の駅前から始まる。

 

乱雑に放置された沢山の自転車は昨秋見たそれと全く変わっていないが、駅前がなんだか別の駅のように違って見える。

何かが違う・・。よくよく見れば、あの隠れ家のような蕎麦屋さんが見当たらない。

小さな店ではあったが、寂しい無人駅の前に、ひっそりと咲いた華のような店が、今は跡形も無く、なくなっていて、無人駅の周りが一際寂しく見える。駅を背に国道11号線を渡り、すぐ先で並行する旧街道に出て左折すると、三角寺までは35キロほどの道程だが、今日はその数キロ手前の伊予三島に宿を取っている。

 

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旧道をのんびりと歩く・・との思惑は外れ、以外にも往来には行き交う車が多い。

さすがに大型が走ることは無いが、国道の信号や混雑を避けて来るものか、はたまた生活道路として何時もの当たり前の光景なのかは知らねど、行き違いにも苦労するような狭い道なのに本当に車が多く、のんびりと歩ける雰囲気には程遠い。

 

 少し暑くなってきて汗ばむほどだ。東川に架かる黒岩橋を予定の時刻通り過ぎる。

暫く歩くと、左右にまっすぐ伸びる余り広くない道路と交差する。かつて別子銅山で産出される鉱石を、新居浜の港まで輸送する任を担った鉄道の廃線跡である。

 

別子銅山鉄道の廃線跡を過ぎ、喜光地本町の商店街を抜ける。アーケードのあるタイル張りの狭い道路の両側に、色々なお店がぎっしりと立ち並び、何となく懐かしい昭和の雰囲気の香るような商店街である。かつて別子銅山の華やか成りし頃は、そのお膝元の企業城下町として栄えた歴史を秘めているのであろうか、時代を感じさせる建物も多い。

 

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 更に30分ほど歩いて、国道11号に合流、ここからは暫く町境の小さな峠を目指して、この国道を行くことに成る。

そろそろ休憩をと思いながらも、日陰で座れるような場所がなかなか見つからない。

結局3時間近くを歩き続け、ようやく峠下で見つけた日陰で昼食をとる。

 

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その昔通りすがりのお大師様は、この付近で遊ぶ子供たちから栗を一粒貰った。

そのお礼に「今より、一年に三回の実を与えん」と言い去ると、この地域の栗の木は、年に三回実を付けるようになったそうだ。

旧土居町の番外霊場・三度栗大師堂に伝わる伝説である。昔はこの付近には栗の木がたくさん植えられていたそうだ。

 

その先で国道11号線を越え、さらにJR予讃線の踏切を横切り、2キロほど歩き再び線路を超えると、どこからともなく線香の良い香りがあたりに漂ってくる。

 

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 町中のこんもりとした木立の中に佇む番外霊場第十二番・延命寺だ。

小さな丸い石橋を渡ると境内が広がり、番外とは言え、参詣の人も多く賑わっている。

道を挟んだ向かいの駐車場脇に、大師お手植えの松として知られる「いざり松」と呼ばれる松が有る。いや有ったらしい。

目通り5m、枝張東西30m、南北20m余りと言われる推定樹齢700800年の松の巨木であったが、昭和43年に松くい虫の被害で枯れてしまったと言う。その巨大な根と幹の一部が、風雨除けの屋根の下に保存されている。

 

大師が巡錫の折、再びこの地を訪れるとこの松の下でいざりの男が苦しんでいた。

大師が紙に「南無阿弥陀仏」と名号を書きその男に飲ませると、不思議なことにその男の足は立ち歩くことが出来た。

それからこの松は「いざり松」と呼ばれるようになり、信仰を集める番外霊場になったという縁起がこのお寺には残されている。

 

 

待ち構える最後の試練

 

伊予三島の駅を過ぎ、次第に進路を南にとると、舗装された道が山に向かって緩く上りとなる。

途中松山道を潜り左に折れ、三島公園や銅山川発電所を見て今来た道を振り返ると、眼下には町並みが広がり中々の眺めである。

 

 道辺の木々の中で遊ぶ小鳥たちのさえずりが耳に心地良く、それらが優しく背中を押してくれる。

気が付けば、いつの間にか思ったよりも高いところに上っていた。丁度ここら辺りの標高が70mほどと言うから、三角寺山の中腹にある札所まではあと約4キロ、標高差280mの急な山登りが待っていることに成る。

 

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木漏れ日の指す山道を歩いていくと左手が突然開け、一面に三島・川之江の町並みと、煙突の聳える臨海工業地帯が広がった。

余りの眺望に暫し足を止め見入ってしまう。こんな地に「ひびき休憩場」が造られていて、畑仕事のおじさんが「休んでいきな」と声を掛けてくれた。

 


 

65番札所・三角寺

 

辿り着いた駐車場の先に、長い石段が延びている。

この石段は、大きな石を組み上げたもので、その一段一段は高く、しかも角度はきつい。

まるで聳え立つ壁のようなさまは、「これが伊予路最後の試練だよ・・・」と挑みかけているようだ。

 

 手すりを頼りに、古めかしい石段を登る。不揃いの石段は結構足に来る。

折しも大型バスで訪れたお年寄りのグループが、「きつい、きつい」と言いながら、途中何度も休み、その度に大きくため息をつきつつ登っている。

 

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石段の上に山門が建ち、それが鐘楼に成っていて、そこには梵鐘が吊るされている。

遍路が通り過ぎるたびに撞き紐を引くので、その度にゴオ〜ンと鐘の音が辺りに響いて、如何にも札所に着いたんだ、と思わせてくれるのが何ともありがたい。

 

65番札所・三角寺は、三角寺山(海抜450m)の中腹にあるお寺である。

登りきると正面に庫裡、左に本堂を構えた境内の周りには、樹木が鬱蒼と茂り緑が多い。

中でも樹齢400年と言われる桜の古木が見事で、今まさに若葉を芽吹き、大きな木陰を作っていた。

 

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 庫裡の横に石柱で囲われた小さな三角の池が有る。

大師が88か所開創の砌、この地に三角の護摩壇を築き、21日間護摩の秘法を修された遺跡と伝えられている。

大師が三角護摩を修されたのは88か所の中ではここだけだといい、そのために慈尊院と称していた寺号を以後三角寺と改めた。

本尊は子安観音で、子に恵まれない夫婦が杓子を密かに持ち出し、夫婦仲睦まじく食事をすれば子宝に恵まれると言う風習が伝えられているらしい。

 


 

菩提から涅槃の道場へ

 

 これで宇和島の観自在寺から始まった「菩提の道場」伊予26ケ寺を打ち終えたことに成り、残るは讃岐路の「涅槃の道場」23ケ寺を残すのみとなった。ここからは一気に山を下り、次の札所・雲辺寺を目指す。

 

所がここで早々とミスを犯してしまった。本来なら三角寺の石段を下りてすぐに右手にとらねばならなかったが、逆方向の車遍路の方向を示す左手に進んだ。そのため、右にとれば次の目標までは下り道の6キロほどだが、左の自動車道を来てしまったので2キロほど余分に歩く羽目になってしまった。

 

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下り道だからと侮っていたが、8キロほどの道程は、意外にもアップダウンの多い道であった。

結局不安を抱え歩き続け、平山の集落の辺りで遍路道に合流し、谷に沿った道を下り、暫くして高知自動車道の下を潜ると、前方に集落と国道192号線が見えて来る。

 

 

番外札所・椿堂

 

そこをさらに下った先に、境内が朱色に染められたように見える番外札所・常福寺、別名・椿堂が建っている。

余り広くは無い境内の右に本堂、前の道を隔てて、大師堂が相対して建っている。

 

 境内に「弘法大師お杖の椿」の石標が建っている。

大師が突き立てた杖で流行り病を封じ込め、その杖から芽吹いたと言う椿が本堂横にある。

元々の木が大火で焼失し、その焼け株の根元から芽が出て大きくなったと言う二代目だそうだ。

 

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境内にある大師像は「おさわり大師」と言われ、自分の悪いところと同じ場所を触れば、たちまちそれを癒してくれると言う像で、そのせいか、足や膝はテカテカに光っていた。遍路の悩みは誰も同じ事らしい。

今晩の宿、徳島県三好市佐野の集落にある民宿・岡田まではまだ6キロ以上も残している。犯したミスがここにきて響いている。

 


 

“名物おやじ”の民宿・岡田

 

一日中歩き続ける遍路の楽しみと言えば、辿り着いた宿での風呂と、柔らかい布団と、夕食のひと時だ。

中でも一つ部屋の大きなテーブルを囲んで、お互い見ず知らずの者同士がワイワイガヤガヤと賑やかに箸を動かす食事は楽しく、思い出多いものがある。

そんな宿の食事の内容もさることながら、こんな時の話題と言えば、やはり道中の難儀話と宿の良し悪しが中心となる。

 

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 ここでは80も半ばが近いと言う“名物おやじ”が、本当にいい味を出している。

夕食が一段落した頃合いを見計らい、手書きの地図を配り、翌日の雲辺寺登山の道案内が始まる。

手作りの資料を手に、まるで紙芝居でもするような流暢な説明は、たちまちその場を一つにしてしまう。

そうしている間にもご飯や、汁物、ビールの世話をして、周りへの気配りも忘れない。

 

 「菅前総理がSPを連れて泊まった折、満室で泊まれなかった秘書を別の民宿に案内したら大そう喜んでいた」などと、面白おかしくエピソードを聞かせてくれる。

「今までにここに泊まった一番の有名人は?」との質問には、「あんたが一番の有名人じゃ他に誰がおろう」と見事に切り替えし爆笑を誘う。

 

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 数年前、長年民宿の世話を焼いて来た奥様が突然亡くなった。

屋台骨を失い一時存続が危ぶまれた時期も有ったらしいが、今では博多から戻られたと言う息子夫婦が継いでいる。

そしてかつての肝っ玉母さんの補佐役は、今“名物おやじ”として主役の舞台に躍り出て宿を取り仕切っている。

部屋数7室、定員も10名、風呂も一人しか入れない狭いもので、決してきれいとは言えない小さな宿だが、ここ「民宿・岡田」は紛れもない名宿である。壁一面に張られたはがきや写真が、その人気を無言のうちに物語っている。

 

翌朝早く“名物おやじ”が、お接待のお握りを持たせ、送り出してくれた。

出発まで玄関先の靴には、脱臭用の活性炭が入れられていた。「民宿・岡田」の細やかな心遣いの一つだ。

 



 

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