通り名は小松尾寺・大興寺へ
雲辺寺山を下りきり、前方に広がる町並みを見下ろしながら、広々として緩く下る鋪装道を歩く。
粟井川に沿って下り、谷口の集落を通り過ぎ、途中岩鍋池の袂の休憩所でしばし小休止をする。
すこし高台に成っているのか、目の前の池のせいなのか、吹く風が冷たくて気持ちいい。
休憩を終え町中をのんびりと歩き、最後の切り通し道の坂を登り、下った先に駐車場が広がっている。
雲辺寺からは13q余り、4時間余りかけて第67番札所・大興寺に到着した。
駐車場から少し回り込んで正面に向かい、小さな石橋を渡り重厚な造りの仁王門を潜る。
この仁王像は運慶作と伝えられているらしいが、多くのお寺に存在する鎌倉時代に作られたこう言った像は、殆どが運慶作と伝わっているのだそうだ。
石段の手前右手に、天然記念物のカヤとクスノキの古木が聳えている。
この巨木もお大師様のお手植えと伝えられているが、どこの札所でも古木に成ると当たり前のようにこのような伝説がついて回っている。
大木の先に緩やかに伸びる階段が有り、登りきると正面に本堂が建ち、左に大師堂がある。
この寺は小松尾地区に有り地元では、別名の小松尾寺で通っているらしい。
本堂前に大きな松が有るからだとも、小松尾山と言う山号に因んだものとも言われている。
寺の門前に出て左折、道なりに進み国道377号に出て暫く歩き、その先で右折する。
次の札所までは、およそ9q、2時間余りの行程である。
観音寺に向けて、ひたすら市街地を行く
長閑な町中の道を歩きながら左手を望むと、雲辺寺山が遥か奥に遠ざかっている。
途中大通寺門前の小学校では、下校時と重なり、子供たちと賑やかに挨拶を交わしながらともに歩く。
民宿岡田の“名物おやじ”が、間違えやすいので気を付けるようにと言われた変則的な四差路の交差点を左折すると、ここからは県道6号線のほぼ一本道で、観音寺の市街地を目指すことに成る。
松山自動車道の高架を潜った先で、「名物 やきもち」と書かれた赤い看板のお菓子屋さんを見つけた。
やきもちは、ここらあたりでは名の知れたお菓子らしく、それに引かれ立ち寄って見た。
一つ求めお金を出そうとすると、「歩きのお遍路さんには接待だからお金はいらない」と言う。
「もともと昔は店先で接待をしていたが、出来なくなって、だから立ち寄ってくれたお遍路さんには接待している」
と店番の女性が話してくれた。
石手寺の門前にも「やきもち」があったが、それと比べるとここのものはかなり厚みが有る。
もち米を使ってつきあげた餅生地に漉し餡を包み、両側を焦げ目がつく程度に軽く焼き上げている。
一口かじってみると弾力のある餅の食感に、香ばしい焼き味と胡麻の風味が絡んでくる。
たっぷり入った甘すぎない上品な餡も美味しい。
冷めてもいける「やきもち」は、アツアツの出来立ての美味しさが偲ばれた。
観音寺の市街地に向かう県道6号線は、夕方のラッシュが始まったのか車のノロノロ運転が続いている。
そんな道中で、後ろから一台のタクシーが追いついてきた。
直ぐ横に付くと、突然後部座席の窓が開き、賑やかな女性の呼び声が聞こえてきた。
雲辺寺の下山道で、休憩中に知り合った女性の三人連れである。
メンバーの一人が足を痛めているらしく、歩きながらもこうして所々でタクシーを使うのだと言っていた。
国道11号線を横切り、さらにその先でJR予讃線の踏切を渡り、明治橋と言う小さな橋を渡る。
札所に向かう遍路道は左にとる所を、ここでは今晩の宿の有る右方向に進む。
近くに「大平正芳記念館」があり、当地出身で内閣総理大臣を務めた氏の蔵書や資料を展示している。
これから参拝するこの地にある札所は68と69番である。
当地出身の内閣総理大臣は、68代と69代に当り、何か因縁めいたものを感じずにはいられない。
この日は観音寺市内にある「ワカマツヤ」に宿を取った。
四国の宿はどこもお遍路に優しく、一泊二食付き7,000円のお遍路パックはありがたい。
JRの観音寺駅から10分ほどの場所にあり、次の札所にも近い地元では料理自慢の宿として知られている。
同一境内に二つ・神恵院、観音寺
少し早起きをして6時半過ぎに宿を発ち、琴弾山(58.6m)の麓を目指す。
宿を出て表の通りを歩きその先で左折し、財田川を渡り、門前通り風の細い道をたどると、目の前に20段ばかりの石段とその上に立つ山門が見えて来る
石段の上には「七宝山 神恵院 観音寺」と書かれた仁王門が建っている。
四国の88か所の中ではただ一か所、68番札所・神恵院と、69番札所・観音寺の二つの札所が、同一境内に隣接する珍しい札所である。
仁王門を潜ってさらにその先の石段を上がった敷地一帯が69番札所で、右に本堂や鐘楼、左に大師堂が有る。
境内で一際目を引くのが大楠で、幹回りは凡そ2メートルと言われる巨木だ。
四方に張り巡らした根で周りの地面が盛り上げるほどに堂々と聳え立っている。
その大師堂の先を曲がり、さらに石の階段を登るとその中腹一帯が68番札所である。
コンクリート造りの本堂とその手前に大師堂が有る。
順番から言えばこちらから先にお参りすることに成る。
高台にあるここからは、書院の前に広がる巍々園(ぎぎえん)と言う庭園が見下ろせる。
琴弾山を借景に、その斜面を利用した本坊書院の庭園で、石組みと植え込みを中心とした枯山水の回遊式庭園だ。
何代か前の住職の手に成るものだそうだ。
歩き遍路の朝は早く、納経所の開くのを既に二人の遍路が待っていた。
この二ヵ所の札所は納経所も共通で、一か所で二つの受印が出来、効率は頗る良くありがたい。
筆を振るう人は一人でも、納経料が二か所分必要となることは言うまでもない。
財田川に沿って
琴弾山を背に、再び来た道を財田川まで引き換えし、東北方向に向かう。
次の70番札所・本山寺までは5q弱、凡そ1時間強の行程である。
ここからはしばらく川沿いの道を歩くことに成る。
車道とは完全に分離された遊歩道のような歩道が有り、車の心配もなく快適な歩きを楽しむことが出来る。
暫く歩いてJR予讃線のガードを潜り、その先で旧道に出たところで左折し財田川に架かる橋を渡る。
行く手には深い森が見え、その一端から一段と高い五重塔が、先端を天に突き刺すような姿を見せている。
門前町らしい少し賑やかな通りに出てきた。
五重塔が聳える本山寺
門前の通りを行くと、第70番札所・本山寺の山門が見えてきた。
目にも鮮やかなブルーに塗り込められ、白線を引いた築地塀が何ともモダンな感じのする山門の塀である。
その門の両側には、大きな草鞋が吊り下げられていた。
境内には五重塔がシンボルのように聳え立っている。
大正時代に再建されたものらしいが、札所の中ではここと善通寺にしかなく、極めて珍しいと言われている。
寺院建築では県内で唯一の国宝と言われる平安初期建立の本堂は、五間四方の堂々たるものだ。
四国の祖谷渓から切り出された材木で、大師が一夜にして建立されたとの伝えが有るそうだ。
広々とした境内には、堂宇が配置され、それらを取り囲む樹木や植栽は、良く手入れされている。
そんな中に二頭の馬の像が有るのは、ご本尊が馬頭観音だからだ。
仁王門は、和洋、唐様、天竺様の三つの様式を取り入れた、全国でも例のない八脚様式の門で、国の重要文化財の指定を受けている。
ここには住職の身代わりになった「たち受けの仏」が残されているという。
その昔長宗我部元親が寺へ進駐、それを拒んだ住職が兵に切り殺されてしまった。
その傷を本尊の阿弥陀如来が身代った・・と言うもので、そのため奇禍に驚いた兵が退却し、兵火を逃れたと伝えられているそうだ。
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