ふれあいパーク みの
本山寺の山門を出て進路を左にとり、門前通りらしい旧道を暫く歩く。
旧道はやがて国道11号線に合流し、ここからはしばらく車の行き交う道の歩道を歩くことに成る。
途中にはコンビニやスーパーもあるので、休憩がてら立ち寄り、ガリガリ君を求め、かじりながらの歩きである。
次の札所までは12q、3時間程の行程であるが、最後に標高382mの弥谷山の中腹にある寺への石段が待っている。
途中、高瀬の辺りで国道を外れ、県道221号線をのんびりと歩く。
旧三野町辺りで県道を外れ、旧道に入りその先で県道48号線を横切る。
暫くすると、道の駅「ふれあいパークみの」に向かう急な坂が現れる。
道は結構な勾配で登っていて、前を行くママチャリ遍路も堪らず自転車を降り、押している。
息を荒げながら、10分ほどで、「ふれあいパークみの」の広い駐車場に到着した。
ここは弥谷寺に向かう登山道の登り口に位置した、天然温泉「大師の湯」や宿泊施設、遊園地「コスモランド」などの総合レジャー施設を兼ね備えた道の駅である。
休憩がてら立ち寄り、併設の食堂で、簡単にカレーライスで昼食を済ませる。
店員さんから「ここからが本格的な階段登りです」と教えられ、覚悟を決めて寺に向かう。
死霊の集う山・弥谷寺
第71番札所・弥谷寺の本堂を目指し、弥谷山に取りかかる。
中世山城跡と言われる「天霧城跡」の看板を横目に、石段を登るとその途中で山門を潜る。
夥しい数の石仏を見ながら山肌に沿って、更に石段をジグザグにうんざりするほど上詰める。
登り口から本堂に至るまでの階段は640余段と言い、それは88ケ寺の中では第一の段数である。
そんな寺は、「死霊の集う山」と言われ、境内は幽暗で神秘的な、独特の雰囲気が漂うと言われている。
最初に目にするのは、銅製の大きな菩薩像だ。
ホッとするのもつかの間、その先にはさらに追い打ちをかけるように百八段の鉄製の「煩悩階段」が待っていた。
上がった先で左に取るとようやく奥の院・大師堂が現れるが、本堂は更に先で坂道や石段を経た200m先の山上だ。
大師堂は大岩にへばり付くように建っている。
そこへは靴を脱いで上がることに成り、畳敷きの堂内に上がると、左手に納経所がある。
須弥壇の後ろが洞窟に成っていて、大師が真言密教を修したところだと言う。
鐘楼、観音堂、護摩堂を過ぎると水場と、右手の岩肌にかなり風化の進んだ磨崖仏が見える。
古い墓や、死者の遺品を収めた穴の並んだ石段を登った先に、ようやく本堂が現れる。
寺のある弥谷山は、古来より霊山として信仰されており、日本三霊場の一つに数えられている。
人々は、山には神や仏が宿ると信じ、その山を霊峰・霊山と呼び信仰の対象、心の拠り所としてきた。
本堂下にある水場の洞窟が、神仏の世界への入口として、深い信仰の対象とされているという。
お寺のもつ雰囲気とは裏腹に、弥谷寺本堂からの眺めは素晴らしい。
視界が良ければ、讃岐・阿波はもとより瀬戸内海を挟んで備前・備後や安芸の国まで一望に見渡せるという。
この日は、薄いフィルターを通したような春の霞がかかっていた。
それでも暖かな陽光を受け、新緑の芽吹いた山並みの中を高松自動車道が走り抜け、周辺の三豊の町並みが見事なまでに見下ろせた。
風流な「俳句茶屋」
弥谷寺の本堂を目指し、弥谷山に取りかかり、石段を登ると、何とも雰囲気のある「俳句茶屋」がある。
明治30年から続く茶店で、今の店主が三代目となり、既に40年以上になるとか。
店内には遍路の納め札や、俳句を書いた短冊が、壁や柱に所狭しと張られている。
これは、二代目の主人が俳句をする風流人であったからだという。
室内ではストーブが焚かれていて、女将さんは「この時期でもここは寒いんよ」と言う。
うどん、あめゆ、ところてん、くさだんご、大師のだんごなどで、参拝者を茶店としてもてなしているが、ここでは歩き遍路に限り宿泊することも可能らしい。
ところてんで、石段の上り下りの疲れをしばし休める。
帰り際代金を支払うと、「お接待です」と言って10円を割り引いてくれ、二粒の飴玉を添えてくれた。
「霊場開創1200年」に因み、1,200人にこのようなお接待を続けると言っていた。
最短距離の札所
石段を下り、境内からそのまま地続きの山道に分け入と、次の札所まではおよそ4qの道程である。
急な山道を登り、峠を越えその先で竹林の中を緩やかに下っていく道は、足元が柔らかく歩きやすい。
暫く下ると辺りの視界が開け、その先で弥谷寺の本堂前から見下ろした高松自動車道を潜る。
大池の横を抜け国道11号線に出て左折、暫くして県道48号線に入る。
長閑な田畑と住宅地の道を歩いていくと広い辻に出る。
ここを右に行くと73番、左にとると72番で、ルート上では右に行くのが便利とも言われている。
実はこの二つの寺の間は、400mほどしかなく、歩いても5分の距離で、最短距離の札所となっている。
駐車場脇にうどん屋が有り、「歩きお遍路さんのみ 讃岐うどん お接待いたします」との看板を掲げていた。
中を覗くと二人ほどお接待を受けている様子だ。
残念ながら、つい先程昼食を済ませたところで、小腹も空いていない。
前の札所からの山下りを、50分ほどこなしている。
不老松・曼荼羅寺
ここでは札所の順番にあえて拘り、左に進路を取りしばらくして、72番札所・曼荼羅寺に到着した。
山門を潜ると正面に本堂、右に本坊、左手が大師堂と鐘楼が、整然と纏まって配置されている。
境内直ぐ右手に昔は「不老松」と呼ばれる大師お手植えと伝わる古木が有ったらしいが、枯れて今は無く、その場所にしだれ桜が植えられていた。
笠松大師堂には、松の幹に彫られた大師座像安置されている。
観音堂に安置されている聖観音立像は、県重要文化財で、記念切手にも描かれたという。
境内には平安時代の歌人・西行法師がこの寺に通って昼をしていたと言う「昼寝石」や、「笠掛桜」の遺跡もある。
捨身ガ嶽禅定・出釈迦寺
再び辻に戻り、だらだらとした上り坂を数百メートル程登ると、第73番札所・出釈迦寺の石段が見えて来る。
参道から境内にかけては、何もかもが新しくなったような明るい感じの札所である。
干支別守り本尊の前をさらに進み、石段を登るとそこに山門を構えていて、それを潜ると境内だ。
ここからは1時間程かかる、捨身ガ嶽禅定と呼ばれる断崖の行場が有り、鎖で登る難所らしい。
大師が7歳の折、「我が願い成就するならば・・・」と身を投げたところ、崖の下に紫雲が沸き起こり、突然現れた天女(釈迦牟尼仏)の羽衣に抱き留められたと言う伝説の地である。
お大師の故郷・甲山寺
遍路道は既に大師誕生の地・善通寺市に入っていて、ここには先程終えた曼荼羅寺、出釈迦寺を始め、申山寺、善通寺、金倉寺の五ケ寺の札所がある。
次の札所・甲山寺は三つ目の寺で、そこまでは凡そ2.2q、30分ほどの行程である。
畑の麦は黄金色に輝き、風を受けさらさらと揺れている。
こんな田畑を貫く農道のような道は車も来なくて、歩きには快適である。
やがて前方に山と言うより、小さな丘のような緑の塊、標高87mの甲山が見えて来る。
その麓を向こう側に回り込んだところに第74番札所・甲山寺がある。
この寺は大師が幼いころ、愛犬を連れて遊びまわられた場と伝わる地に立っている。
前の札所からの順路を辿ると、丁度裏門から境内に入ることになるので、少し回り込み山門に向かう。
山門を入ると正面に本堂、左に大師堂、右に本坊が有り、その奥に毘沙門天がある。
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