第一の霊刹・善通寺
甲山寺から凡そ1.5q程離れ、善通寺市の中心部に第75番札所はある。
真言宗善通寺派・五岳山誕生院総本山・善通寺は、四国88か所中第一の霊刹、弘法大師生誕の地に立つ巨刹である。
大師の父・佐伯善通が寄進した地に立つことから寺号を善通寺という。
観光寺らしく寺周辺には、賑やかな門前町も形成されている。
旧金毘羅街道で、何やら昭和の懐かしい香りのするお店に、子供たちが群がっているのを見付けた。
「本家 かたパン」の看板を掲げ、昔ながらのガラスが嵌った木製のケースを店頭に並べている。
そこには「かたぱん」「石ぱん」「角ぱん」と書かれているが、どのケースも中は空で、何も入ってはいない。
店番の女性に聞くと、「売り切れてしまって・・・」と申し訳なさそうに言う。
ここは120年以上も続く老舗の「熊岡菓子店」と言い、地元では古くから馴染まれた有名店らしい。
寺域は広大で、旧金毘羅街道を挟んで、東院と西院とに分かれている。
東院は南に大門を構え、東の赤門、西の中門に囲まれた広大な寺域を擁している。
その中には伽藍と呼ばれている金堂(本堂)、五重塔、常行堂などの諸堂が立ち並んでいる。
本堂は七間四面の大堂で、さすがの風格が感じられる。
聳え立つ塔は、戦災や落雷で焼け、今のものは江戸末期頃に再建されたものらしいが、高さが46mも有る。
これは、全国でも有数の塔で、善通寺のシンボルだ。
一方西院は、お大師が誕生した佐伯家の邸宅跡に有り、「誕生院」とも呼ばれている。
石橋を渡り、仁王門を潜ると絵馬を掲げた回廊がその先の御影堂に続いている。
その奥に産湯井が有り、この地がお大師生誕の地と伝えられているらしい。
この御影堂の地下には、一周約100mの戒壇めぐりが有るという。
さすがに大きなお寺である。
境内には遍路も多いが、観光客もいて、それに混じり散歩や憩いの場としている近所の人の姿も目立つ。
さすがに大師の誕生寺と言われるだけあって、この賑わいようは今までの札所では見られない光景だ。
孤独な歩みを続けてきた歩きの遍路は、いきなりの人混みに出くわし面食らう。
広い境内の諸堂を見て、本堂は、お大師堂は、納経所は、と境内を目で追い捜さなければならない。
どこからお参りすれば良いのかも解らず、戸惑ってしまうほどだ。
善通寺の宿
善通寺市内での宿は、さすがに札所中随一のお寺を擁するだけに選択肢は多い。
駅近くや市内にはビジネスホテルや民宿、遍路向けの宿などが幾つもある。
善通寺には隣接して建つ「いろは会館」と言う宿坊もある。
車の遍路なら少し足を延ばし、温泉のある金刀比羅に泊まると言う手もありそうだ。
この日の宿は寺から10分ほどの「善通寺グランドホテル」で、二食付き7,300円で予約を入れている。
早々と4時過ぎにはチェックインを済ませ、何時ものように洗濯を済ませ、そのあと夕食である。
食事は隣の和風レストランでとることになる。
境内でまつり・金倉寺
善通寺を後に門前の通りを抜け、JR土讃線の踏切を横切り、その先の県道25号を左折、北に向かう。
善通寺市内の道は、碁盤目状に広がっており非常に分かりやすい。
ここからは真っ直ぐに一本道で、次の札所までは4q弱、1時間ほどの行程だ。
道なりに進み、高松自動車道を越えると札所が近づいてきた。
通りすがり、行き違ったおばあちゃんが「暑いのにご苦労さんですなぁ」と労りの声を掛けてくれた。
寺までの距離を尋ねると、耳が良く聞こえないのかそれには答えず、「よう、賑わってますよ・・」と返してきた。
何のことか良く解らなかったが、札所に着いて得心した。
第76番札所・金倉寺に到着した。
広い境内の正面に本堂、右がその客殿・庫裡、左に大師堂が建ち並んでいる。
本堂では特別に、秘仏・訶利帝母尊(こどもと女性の守り神らしい)が御開帳公開されている。
ここは明治時代の中頃、第11師団長・乃木将軍が宿舎として四年間に渡り下宿したことで知られていて、その遺品は今もこの寺に残されている。
本坊客殿の四室で暮らした将軍は、師団本部へは馬で通ったと言われている。
そんな寺の境内は、賑やかな音楽と若い両親に連れられた子供たちの歓声、物売りの誘う声に包まれていた。
空き地を埋めるように、幾つものテントが建ち並び色々な物品を販売している。
露店も出ていて、どうやらフリーマーケットのようだ。
大師堂の床の上では、フルートのミニコンサートも行われている。
聞けばこどもの日に因んで、「こどもまつり」を開催しているとかで、今年が第9回目と言う事らしい。
謎が解けて、道隆寺
どこら辺りからだったか、所々で目指す先に見える、湾曲した巨大な橋のような建造物が気になっていた。
金倉寺を出て、国道11号線を横切った辺りで、その謎の建造物の正体が、ようやく解き明かされた。
「香川県立丸亀競技場」である。
県下では唯一の第一種公認陸上競技場であり、サッカーJ2「カマタマーレ讃岐」のホームグラウンドだ。
遠くから見えていたのはそのメインスタンドを覆う銀色の巨大な屋根だ。
そのかまぼこを並べたような屋根の軒高は29m、最高高さは31mも有るという。
札所に近づいたころ、道を歩いていたら突然人家の窓が開き「お遍路さ〜ん」と呼ぶ声がした。
振り返ると、「お接待したいので、ちょっと待ってください」と言う。
玄関前で待っていると、父子と思われる男性が駆け出してきて、これを・・と小さな焼き物を渡してくれた。
それは高さ数センチほどの小さなお地蔵さんで、一つ一つ手作りし、焼き上げたものらしい。
小刀で鋭く刻まれた表情は柔和で、何ともほのぼのとするお顔である。
くり抜かれた胴の中には、「77番道隆寺 参拝記念にどうぞ」と書かれた紙片が収められていた。
第77番札所・道隆寺の山号は、「桑多山」であり、“くわたさん”と読む。
その名の通り、昔はこの付近一帯が広大な桑園だったというだけに、今も境内はかなり広い。
仁王門を潜ると正面が本堂で、右に大師堂、さらに多宝塔、地蔵堂、観音堂などが建ち並んでいる。
境内の参道には255体の観音像が建ち、ここは「目治し薬師」としても知られたお寺である。
そう言えば、門前の茶店にも目に良いという、「眼蘇茶」なるものが売られていた。
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