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牟礼から志度へ

 

 230mの五剣山の中腹から山を下り、次の札所のある志度の町を目指す。

土産物屋の並ぶ裏参道を抜け、ケーブルの山上駅を右に見て下る道は、長くてうんざりするような下り坂で、車の行き交う車道をただひたすら歩き続けることに成る。

 

道中振り返ると、背後の屋島は次第に遠ざかり、前方眼下には時折牟礼の町並みが見え隠れする。

そんな山道を40分ほど下ると、二つ池親水公園の噴水が見え、その先に碧い瀬戸内海が見えてきた。

ようやく平坦道に戻った琴電八栗新道駅辺りで、国道11号に出て左折、ここからは琴電志度線と並走して歩く。

左手は、すぐそこに瀬戸内海の志度湾が広がっているが、国道から海を見ることはほとんどない。

 

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ここ志度湾は昔から牡蠣の養殖が盛んな海で、冬のシーズンともなると周辺は牡蠣を食べにくる観光客で大層賑わうところである。

食べ方は豪快で畳半畳は有ろうかと言う大きな火鉢の上に、金網を敷きそこにスコップで掬った殻つきの牡蠣を乗せ焼いて食べる。

軍手をはいて焼けた牡蠣を掴み、反対の手に持ったナイフで殻をこじ開け、好みの調味料をかけて食べると、これが中々に美味しくていくらでもいけてしまう。

店により仕組みに違いはあるが、大方は時間制限があるものの食べ放題で、締めに牡蠣ごはんが付いてくる。

 

 

門前に名物あり

 

 門前通りには虫籠窓のある民家、古い醤油屋などもあり、昔の風情を残しているそんな町並みの隙間から五重塔が見えている。

 

志度寺の門前に赤いテントに「元祖 名菓 竹林糖 三浦でんぼや」と書かれた古い店が有り、気になったので覗いてみる。

竹林糖を売る店で、聞けば今が四代目、100年以上も前から続いていたそうだ。

わけ有って暫く休んでいたが、最近又店を開け、作りはじめたと言う。

 

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 竹林糖は水飴を原料に黒砂糖、白糖を煮詰め、生姜で香り付けし型に入れ固めた、いわゆる板状の生姜糖と言うお菓子の一種である。

その昔、志度寺塔頭で修行した「竹林上人」と言う名僧を偲ぶお茶会の茶菓子として造られたものらしい。

少し割って口の中に入れて溶かすと、砂糖菓子だから甘いのは当たり前だが、ほのかな黒砂糖の味と、生姜の程よい辛みと刺激が口一杯に広がる。これは、遍路の疲れた身体を癒してくれそうな、そんな気のするお菓子である。

 

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 そんな店が点在する琴電・原駅の手前辺りで、左の旧志度街道に入れば途中には、当地の出身・平賀源内の生家や記念館等所縁の場所があり、その先突当りが志度寺である。

寺域に入るとすぐ右手に塔頭・自性院常楽寺が有り、境内に檀家でもある平賀源内のお墓が残されている。

 

 

86番札所・志度寺

 

この86番札所・志度寺の塔は、高さ33m、塔屋の間口4.5m、五層総檜造りで、昭和505月に落慶した。

当地出身で、大坂に出て成功をおさめた篤志家の、私財3億円の寄進によるものだそうだ。

木造の金剛力士像の立つ仁王門は、堂々たる大屋根を構えるもので、江戸時代に高松藩主が寄進したものと伝えられている。

門を潜ると境内は広く、樹木に覆われた中に石畳の参道が、堂宇へと導くように敷かれている。

 

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 入母屋造り本瓦葺の本堂も、江戸時代に高松藩主が寄進したもので、国の重要文化財に指定されている。

その右手には大師堂が控えている。

緑に覆われた境内に人影はなく、聞こえるのは時折木立を揺らす風の音と、鳥の声ぐらいで、表を行きかう車の音も聞こえない。

寺は閑静でひっそりとした佇みを見せている。参道脇には大石が無造作に置かれていて、そんな一つに腰を下ろしていると、吹く風も心地よく、これから迎えるクライマックスへの心の高ぶりを静かに抑えてくれるようだ。


 


 

篤志家の道標

 

 海辺の町志度を後に、県の中央部に向かう平坦な道を7キロほど歩いて長尾の町に向かう。

道中には「京都中井氏の道標」や「秋田清水九兵衛の道標」のサインと共に古い道標が路傍に残されている。

昔はこうして地方の篤志家が遍路となって巡礼すると同時に、施主になって石標を立てていたようだ。

歩き始めておよそ2時間、古い趣のある町並みが残る長尾の町に到着した。

 

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長尾寺と静御前

 

87番札所・長尾寺は聖徳太子の開創と伝えられる古刹である。

町中の通を折れたすぐのところに仁王門が建ち、その前に背丈ほどの石塔が二基建っている。

傍らに立つ説明書きによると、これは経憧(きょうどう)と言い、鎌倉中期頃に経文を埋納する施設として、或は供養の標識として建てられたものらしい。

凝灰岩製で、奉納された時期は異なるが、何れも弘安の銘があると言うのもので、もしかしたら元寇の役で戦死した兵士の供養として建てられたものなのか、そんな想像が膨らんでくる。

 

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 ずいぶんと広く開放感のある境内である。

鐘の吊るされた仁王門を潜ると、石畳を敷いた道が真っ直ぐ本堂に向かい伸びている。

その正面に本堂が建ち、それを挟み込むように、右に大師堂、左に護摩堂や常行堂が直線状に並んでいる。

本堂の前は広々とした公園の広場のような空き地で、そこには何本かの松や楠が植えられているだけである。

どうやらこの広場は、毎年正月に行われる行事「大会陽力餅」(餅まきと大鏡餅の運搬競争)のためのもので、普段は訪れる人々の駐車場となっているようだ。

 

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そんな一角に地蔵尊像が有り、その片隅に静御前の剃髪塚がひっそりと佇んでいる。

吉野で源義経と別れた静は京へ戻ったが、捕えられ鎌倉に送られた。

その後鎌倉を逃れた静は、義経が奥州衣川で討ち死にした後、母磯禅尼の生まれ故郷に近いこの地に身を寄せ、この寺の住職の得度を受け剃髪したと伝えられている。

その髪を埋めたのがこの塚で、寺にはゆかりの品が残され、本堂には位牌も祀られていると言う。

静はこの地で亡くなったとされ、寺の近くには住んでいた庵や墓まであると伝えられている。

 

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 いよいよ明日最後の札所を打つこの日は、民宿「ながお路」に宿を取っている。

長尾寺の境内を出てすぐ右手、門前通りにある昔からの遍路宿である。

 

 

補陀落

 

長尾寺も志度寺も山号は同じ「補陀落山」である。

この「補陀落」とは伝説によると、インドのはるか南方にあるとされる八角形をした山のことで、観音信仰が広まるとそこが霊地としてその名称が広がったとされている。

 

 日本では中世に、熊野や日光を中心に補陀落信仰が広まったらしい。

特に熊野では補陀落を目指す「補陀落渡海」が盛んに行われ、世界遺産・那智熊野にある補陀落山寺には、二十数件を数える記録が残されている。

 

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この「補陀落渡海」と言うのは、中世において南方にあるとされる浄土・補陀落を目指し、渡海船に乗り海に乗り出す捨身行の一つである。行者の乗った渡海船を別の船が曳航し、沖で綱を切り送り出し見送る。

行者は船上に作られた出入りの叶わぬ箱に身をひそめ、ひたすら南方の浄土を目指すが、それは海流に翻弄され、大海を彷徨うだけで、死への旅立ちを意味する物に他ならない。

 

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 この「補陀落渡海」は熊野が良く知られているが、そのほかにも足摺や室戸の海からと言う記録もあるらしいから、瀬戸内海に面した志度寺で行われたのであればそれは肯けるが、海から遠く離れた長尾寺ではどうであったのか・・・興味深い所ではある。

しかし、「補陀落」と言う名称が観音信仰の霊地として広まると、それを「山号」や「寺号」に用いる寺院が増えたらしいので、案外そんなところに落ち着くのかも知れない。                       (この項写真:世界遺産「那智・補陀落山寺」)


 



 

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