牛鬼伝説・根来寺
第82番札所・根来寺は、五色台の主峰、青峰山(449.3m)の山中に佇んでいる。
堂々たる山門を構え、その先に本堂に向かう参道が延びている。
山門の裏側には大きな草鞋が吊り下げられていて、仁王の力を誇示する魔除けを意味するものらしい。
鬱蒼と茂る木立に覆われた参道は一旦下り、その先で再び登ると言う珍しいものだ。
昔青峰山には人を食べる恐ろしい怪獣牛鬼が住んでいた。
村人は、弓の名人に退治をお願いするも中々現われず、捕らえることが出来なかった。
そこで名人は根来寺の本尊に願掛けをすると、満願の日に牛鬼が現われた。
名人は、見事矢を口の中に射込んで射ち殺し、その角を寺に奉納した。
この地は、昔から霊地と言われるところで、そこに香木で観世音像を刻んで安置した。
この香木の根の香が余りにも高いのでそれが寺名になったと伝えられている。
またこの香りが川に流れて香ることから「香川」の県名が付いたとも言われる由緒ある古刹だ。
白峯寺から根来寺に向かう途中、突然足がつり(こむら返り)どうにも痛くて歩けない。
やむを得ず鬼無からタクシーを呼び、寺に来たものの、今晩の宿までまだ7〜8q程の距離を残している。
この日は無理をせず、このままタクシーで鬼無駅近くの宿まで直行する。
「随分早い到着ね」「うん、足を痛めたので、タクシーで来た」「それならすぐに風呂の支度をするから・・」
出迎えてくれた女将さんとそんな会話をしながら、鬼無の駅前に建つ「百百家旅館」に転げ込んだ。
昔から遍路には知られた旅館らしく、二食付き6,200円で、この日の泊り客は三人だという。
盆栽の町の宿
「百百家旅館」の大広間で、三人揃っての夕食が始まった。
残り一人は白峰寺に向かう県道で、「一緒させてもらっていいですか?」と追いついて、声を掛けてきた青年だ。
「ゆっくりだけど良ければ」と答えると、「自分も足を痛めているので・・」と言う。
見れば左足のテーピングが痛々しく、痛み止めを飲んだ事も有ると言う足を、心なし引きずるように歩いている。
聞けば今夜は同じ宿に泊まると言い、素泊まりで予約をしていたらしく「それなら飯付に変更します」と言って、歩きながら電話をしていた。
今日で三十数日を歩き、後三日ほどで終わらせたいとここまで来た。
長年勤めた会社を辞め、何かを求め歩き始めたが、ここに来ても見つかず、「終わるのが少し怖いです」と言う。
満たされない渇きが、癒された様子は見受けられず、現実への回帰を危惧している様子だ。
この三十代半ばを過ぎたと言う、柔和で人当たりの良い好青年に、何が有ったのかは知らないが残された道程で何かを掴んでくれることを願わずにはいられない。
ここ鬼無は、盆栽の町として知られたところである。
その昔、瀬戸内海沿岸に自生する松を鉢に植えて売り出したのが始まりとされる松盆栽は、全国シェアが80%と言われ、今や海外にも輸出される人気だと言う。
この宿の部屋から周りを見ると、松の苗木が植えられた畑や盆栽を並べた広大な庭が見下ろせる。
盆栽の町鬼無で泊まった翌日、83番札所に向けて残り6qの道のりを歩きだす。
鬼無駅を右に見て旧道を道なりに進み、その先で幾つも角を曲がりながら県道176号に出て左折する。
更に高松自動車道を潜り、国道32号線を越え、市街地の賑わいを見ながらの道中である。
地獄の釜の音・一宮寺
第83番札所・一宮寺は讃岐の国の一宮・田村神社の別当寺で、向かい合ったところに仁王門を構えている。
境内は広く正面に本堂があり、右手前に納経所、その奥が大師堂である。
本堂の前に薬師如来を祀る薬師堂がある。
お堂と言うよりも小さな祠と言った方がぴったりの石造りで、石の扉が付いている。
このお堂は「地獄の釜の煮えたぎる音が聞こえ、悪いことをした人が頭を入れると石の扉が閉まり、抜けなくなる」との言い伝えがあって、昔それを聞いた近所に住む意地の悪いお婆さんが試してみると扉が閉まってしまった。
そこでお婆さんは涙を流し謝り、過去を悔い、心を改めることを約束すると、扉が開いて頭が抜けたと言う。
到着したばかりの団体が、先達からこんな説明を聞き、この前に一人ずつ跪き、恐る恐る頭を入れている。
誰か扉が閉まるのではと心配して見ていたが、皆善人ばかりのようだ。
頭を抜いて笑顔を見せながら、「うん、聞こえた、聞こえた」と語り合っていた。
誰一人扉が閉まることも無く、ゴボゴボト言う音が聞こえたらしい。
昔この釜の音を某テレビ局が取材に来て収録をして帰ったが、後で聞いてみると音は何も入っていなかったと言う。
そんな逸話の残る不思議な祠でもある。
高松市街地を行く
次の札所までは13.6q、高松市の中心市街地を抜けて行く。
県道172号を歩き高松自動車道を越えた辺りで、国道11号に入る。
行く手には緑も濃い名勝栗林公園の借景である紫雲山が見え始めている。
右手遥か前方にはこの町のシンボル屋島の姿が、薄黒い屋形の山影が町並みの隙間から見え隠れしている。
途中の瓦町は賑わいの中心地で、さすがここら辺りまで来ると人も車も多く、デパート、スーパーや色々な食事処、商店が軒を連ねている。
丁度昼時と言う事も有るが、うどん屋の賑わいには特に目を見張るものがある。
どこも多くの客で込み合っていて、さすが「うどん県」を自負するだけのことはある。
我々も道筋にあった、うどん店に飛び込み、昼食をとることにした。
その昔、屋島に登る足と言えば「屋島ケーブル」で、そのケーブルの玄関口が、琴電屋島駅である。
昭和の初期、ケーブルと共に屋島観光を支えた駅であるが、今では無人となっている。
駅舎は昭和4年に建てられたもので、軒の出が浅い緩い勾配のスレート屋根、出入りの無い平面的な外壁、切り込まれた縦長の窓、モダンな印象は完全なシンメトリーだ。
ここは名駅舎の誉れも高く、平成21年には経産省から、近代化産業遺産に認定されている。
屋島ケーブルも今はその姿を見ることは出来ない。
昭和の初めに開業をし、その歴史と共に歩み、唯一の登山手段として活躍をしていたが、ドライブウェイが開通すると客足が途絶え、営業不振から終に平成16年に廃止された。
今ではJRと琴電の屋島駅前から出るシャトルバスが、山上までその代行を務めている。
そんな屋島を登る登山道は、石畳や舗装された階段等、全体がよく整備された歩きやすい道で、途中には大師ゆかりの「加持水」や「不喰梨」の旧跡もあり、地元の人々の散歩道ともなっている。
町のシンボルの札所・屋島寺
第84番札所・屋島寺は、市のシンボルとも言える屋島の山上に建っている。
その屋島は高松市の東北に位置する、海に突き出た文字通り屋根のような形をした島である。
屋島は江戸時代に埋め立てられ陸続きとなったが、今では間を相引川が流れ、唯一陸地と引き離されていて、島であった昔のその面影を留めている。
島は標高293mの南北二つの峰にわかれていて、その間は細い尾根で結ばれている。
山頂付近は平らで開け、屋島寺はその南嶺にある。
島全体が観光地で、ドライブウェイの登り口には四国民家博物館や屋島神社が、山頂には水族館等がある。
また、周りには源平合戦を偲ぶ数々の史跡も有り、国の史跡・天然記念物に指定されている。
屋島寺の境内は広く開放的で、堂々とした伽藍配置を見せている。
山門を潜ると四天王を安置する中の門があり、それを潜ると正面に朱塗りの柱も鮮やかな本堂が建ち、その右に大師堂や千躰堂、三躰堂が並び、左手には立派な宝物館が建っていて、世に名高い源平合戦所縁の品などを展示している。
山門横から本坊の前を通り、土産物屋さんが軒を連ねる一角を抜けると、眺望地「獅子の霊巌」に出る。
ここは眼下に高松の市街地が広がり、五色台や瀬戸内海に浮かぶ瀬戸大橋などが見渡せ、絶景である。
ここには名物「かわら投げ」と言うものがある。
源平合戦で勝った源氏の兵士が陣笠を投げて勝鬨を上げたことに因んでいるらしい。
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