コンテンツ

ホーム

サイト紹介

はれのくに

の旅

鉄の旅岡山

遍路歩き旅

海外旅行

統こけし

マイブログ

男山ケーブル

 

八幡市に鎮座する石清水八幡宮は、「やわたのはちまんさん」として広く親しまれている。

この地は京の都から見て裏鬼門に当たり、その鎮護として祀られた社が「石清水八幡宮」だ。

祀られている八幡大神様は、時の源氏に氏神様として篤い崇敬を受けてきた歴史を持っている。

 

 「やわたのはちまんさん」への参詣の足として親しまれているのが、男山ケーブルである。

ケーブルは京阪の八幡市駅に隣接した八幡市駅から男山山上駅との間、400mを結ぶ短い路線で、乗車時間は僅か3分ほどである。

京阪カラーの車両が運行していて、その内部は階段上の座席が下向きに設けられている。

定期便は1時間に二本、それ以外に客がいれば運転する不定期便が二本有るので、15分ごとの運行と言うことに成る。

 

6040101.JPG

6040102.JPG

6040103.JPG

 

6040111.JPG

6040112.JPG

6040113.JPG

 

6040121.JPG

6040122.JPG

6040123.JPG

 

 駅を出るとすぐ、前方左下に視界が広がる。

しかしその景観は、アッと思う間に切り通しに遮られ、その先でカーブしながらトンネルに入る。

そこで上り下りの行き違いが行われ、抜けると長い橋梁が待っていて、そこで再び素晴らしい視界が開ける。

ここからは木津川や宇治川、そこに架る京阪の赤いトラスト橋、京滋バイパスの高架橋などが一望・・・と思う間もなくすぐに正面の山に口を開けたトンネルに入る、とそこが終点の山上駅だ。

 

6040131.JPG

6040132.JPG

6040133.JPG

 

 

石清水八幡宮

 

京阪の八幡市駅前を後に暫く歩くと、そこに表参道入口の一の鳥居を構え、それを潜ると頓宮殿が建っている。

頓宮殿を抜けるとその先に二ノ鳥居が立ち、右手にとれば裏参道へと続き、左手にとれば表参道があり、何れもその先には男山の長い山登り道が延びている。

 

ご本殿にはこれらを登るか、ケーブルで山上に向かうかと言うことになる。

麓の頓宮殿から二ノ鳥居をくぐり、表参道を辿れば途中で裏参道からの道と合流し、さらに先に進めば丁度この三の鳥居を目指すことになり、これが正式な参拝ルートと言うことになるのであろう。

 

6040251.JPG

6040252.JPG

6040253.JPG

 

6040261.JPG

6040262.JPG

6040263.JPG

 

 ケーブルの山上駅は、丁度御本殿の裏手辺りにある。

駅からは、859年の創建以来育まれてきた自然林の中に延びる西ケーブル参道を回り込むことになる。

うっそうと茂る森の中に切り込まれた道を5分ほど歩くと、そこには広場が広がっていて、茶店や駐車場、体育館などに混じり、「エジソンの記念碑」がたてられている。

 

6040201.JPG

6040202.JPG

6040203.JPG

 

6040211.JPG

6040212.JPG

6040213.JPG

 

本殿は更に一段と高い場所にある。

広場の外れにある茶店の脇の石段を登ると三ノ鳥居から続く、両側に燈籠の建つ石畳の参道途中に出る。

参道は、古びて苔むした不揃いの石灯籠に囲まれた厳粛な気の感じられる道だ。

厳かな気持ちで石段を登り、南総門を潜るとそこには御本殿の建つ境内が広がっていた。

正面には左右に赤い回廊を従えた、八幡造りと言われる楼門が聳え、その奥に御本殿が建っている。

それらの建物は、何れも国の重要文化財に指定されていて、ここは日本三大八幡宮の一つに数えられている。

織田信長が奉納したと伝えられる「信長塀」に囲まれた境内の、その東北の角に鬼門封じがある。

 

6040221.JPG

6040222.JPG

6040223.JPG

 

6040231.JPG

6040232.JPG

6040233.JPG

 

 

エジソン通り

 

京阪八幡市駅の横にある観光案内所前から横断歩道を渡ると、道路沿いの植え込みの中に「エジソン通り」と書かれた道路標示があり、そのわきにはエジソンの胸像が建てられている。

町のシンボル「石清水八幡宮」にも「エジソン記念碑」が有った通り、ここ八幡の町は、あの発明王として知られるトーマス・エジソンに所縁の町なのだ。

 

6040301.JPG

6040302.JPG

6040303.JPG

 

6040311.JPG

6040312.JPG

6040313.JPG

 

説明によると『エジソンは、八幡の竹をフィラメントに使って、白熱電球の実用化に成功しました』と書かれている。

エジソンは発熱電球の実用化に当り、より長く使えるフィラメントを見つけるべく、あらゆる材料を使い試す日々を続け腐心していたと言う。

 

そんな時、たまたま手元にあった扇に使われていた竹を使ったところ、これがことのほかいい結果を生み、その後関係者の来日で、ここ男山の竹が注目されることとなった。

この竹は、「八幡竹」としてエジソン電灯会社に輸出され、電球発明の翌年から十数年もの長い間、馬蹄形フィラメントとして白熱球に使われ続けていたと言う。ここ八幡の竹が、炭素発熱電球の実用化に大きな役目を務めたことになる。

 


 

安居橋(あんごばし)


 

エジソン通りから男山八幡宮の頓宮殿前を通りあたりの道(東高野街道)は、公園のようによく整備された道だ。

広場には能連法師の「石清水 清き流れの絶えせねば やどる月さえ 隈なかりけり」の歌碑が建っている。

その横を流れる放生川には、安居橋(あんごばし)と呼ばれる橋が架かっている。

古くは江戸時代頃からこの地に架けられていた橋で、度々改修工事が行われてきたらしく、現在のものは巾約4m、長さ21mの木造の太鼓橋として親しまれている。

 

6040611.JPG

6040612.JPG

5571.JPG

 

6040613.JPG

6040621.JPG

5574.JPG

 

6040623.JPG

5576.JPG

6040622.JPG

 

放生川の両側は散策路になっている。

橋のすぐ後ろには白壁の土蔵が建っていて、前面に建つ橋と組み合わせれば、時代劇の撮影に使えるのでは・・などと思わせるほど雰囲気がとても良いところだ。「安居橋の朧月」が八幡八景の一つに数えられていることが肯ける。

 

 

飛行神社

 


 道標に従い歩き始めた「東高野街道」は、道幅も広く舗装され、車や人の往来もあり、凡そ古の街道の風情は余り感じられない。

然しそんな中にあって、所々に立つ石造りの道標や、沿道に建つ平入りの少し古そうな商家、民家が何となく少しだけ街道の面影伝えてくれる、そんな雰囲気の道である。

 

6040411.JPG

6040402.JPG

6040403.JPG

 

 近くで、「飛行神社」と書かれた看板を見つけ、思わず立ち寄って見る。

社頭には凡そ神社には似つかわしくない、大きな飛行機のエンジンのような物体が、ガラスケースの中に納まっている。

それによるとこの神社は、明治24年にゴム動力によるカラス型飛行器を飛ばした、二宮忠八が、大正4年に自宅の庭に造った小さな神社が始まりらしい。

現在の社殿・拝殿などは、飛行原理発見100周年を記念して平成元年に忠八の次男によって建て替えられたものだ。

 

6040401.JPG

6040412.JPG

4931.JPG

 

4932.JPG

6040413.JPG

6040431.JPG

 

 この二宮忠八と言う人物は陸軍の軍人で、軍用としての「飛行器」の実用化に向けた開発を目指した人と言う事だ。

その後忠八は、有人飛行を前提とした「玉虫型飛行器」を考案し、その小型縮小模型を作製するも、飛ばすための動力源までは開発できなかった。

開発のための資金難も有り研究が停滞している間に、ライト兄弟による有人飛行で先を越されてしまったが、今では「ライト兄弟よりも先に飛行原理を発明した人物」としての評価は高まっていると言う。

愛媛県の八幡浜出身の彼が、呼び名がよく似ているからと土地を求め、開発に没頭したのがここ八幡の地であった。

 

 

飛行神社と松花堂庭園

 

 飛行神社を出てその前の道を、1キロ余り歩き神原の交差点を越え、さらに1キロほど行くと町中の住宅地には似つかないこんもりとした「松花堂庭園」の森が見えて来る。

ここは、江戸初期の頃の真言宗の僧であり、風流人でもあった松花堂昭乗所縁の場所である。

この辺りの地名が珍しく、「八幡女郎花」と書かれている。素直に「おみなえし」と読めば良いのであろうか。

 

6040421.JPG

6040432.JPG

 

4939.JPG

6040433.JPG

6040423.JPG

 

 車塚古墳と書かれた石柱の奥に、威風堂々とした古めかしい門が建っている。

松花堂庭園の表門とされる建物で、200有余年前に造られたものだ。

塀に沿って進むと、「昭乗広場」と言うタイル張りの広場があり、ここでは毎週土曜日の午前中に「ふれあい市」が開かれている。

 


 

洞ヶ峠

 

 男山吉井の山根街道との分岐で、右に直角に曲がると道は住宅が犇めくように立ち並ぶ団地の中を登り始める。

500メートル程の短い坂を登り、府道の高架下を潜ると周りの景色が一変した。福禄谷と言われるところで、両側は良く手入れされた竹林が続く道となる。

京都で竹林と言えば嵯峨野を思い描きがちだが、ここ八幡も良く知られていて、そのことが納得できるような道だ。

中には観光農園なのか、タケノコ狩りの看板を掲げる竹林もちらほらと見受けられる。

 

 坂を登りつめたところに建つのが「達磨堂円福禅寺」である。

重要文化財に指定されている達磨大師坐像が有名な、臨済宗の修行道場として知られた寺だ。

この日は、法要でも行われているのか、門前には屋台が並び、善男善女が群れていた。

 

6040501.JPG

6040502.JPG

6040503.JPG

 

6040504.JPG

6040505.JPG

4947.JPG

 

 丁度この辺りが歴史で名高い洞ヶ峠で、京都府八幡市と大阪府枚方市の府境にあたるところだ。

本能寺の変で信長が倒れ、光秀軍と秀吉軍が山崎で激戦を繰り広げている折、双方から加勢を依頼されていた筒井順慶は、この地まで兵をすすめながら、大局を見極めていたとされる峠だ。

このことから日和見することを、洞ヶ峠を決め込むと言う語源にもなった。しかしこれは史実に反していて、当時順慶は、本当のところは峠には出陣せず、双方に配慮していずれにも加担せず中立を保ってじっとしていたと言うのが真相らしい。

 

6040506.JPG

4949.JPG

4950.JPG

 


 

門前町のうまいもの


 

 門前にうまいものが有り、旧街道沿いにもうまいものが有った。

石清水八幡宮・頓宮殿の門前に名物の「走井餅」の茶店が有る。刀身を模したと言われる形は、今ならさしずめ太った餃子の形に似ているともいえる。絹のように例えられる柔らかい餅生地で漉し餡を包んだ、程よい甘さの和菓子である。

滋賀県の大津にも名物・走井餅が有るので、そこのものと同じものかと店員に尋ねると、「大津の本家が廃業したのでそれを引き継いだ」とのことだった。「走井餅」は大津で150年、八幡で100年もの長きに渡って愛され続けているという。

 

5559.JPG

5560.JPG

6040601.JPG

 

6040602.JPG

5589.JPG

6040603.JPG

 

安居橋から高野街道を少し歩いた道沿いに、「志゛ばん宗(じばんそう)」と言う一風変わった店名の和菓子屋さんがある。

この老舗には、米をひき臼で粉にして蒸し上げた生ういろうで、300年余り前から続くと言う名物「ういろう」が有る。

ガラス戸をあけ店に入り、空のガラスケースを見て愕然としてしまった。「生ものなので、その日に売ってしまうので・・・」、問うまでも無く既に売り切れである。「お電話いただければ、幾つでも残しておくので・・・」と、申し訳なさそうに店主が言う。

 

6040631.JPG

6040632.JPG

6040633.JPG

 

街道筋のうまいものと言えば、もう一つ忘れてはならない物が有る。洞ヶ峠の、茶店の名物・大牡丹餅である。

ここのものは昔から、「田舎ぼたもち」として知られていて、兎に角でかいことで有名らしい。

勿論美味しくないはずは無く、何としても・・・と楽しみにしながらの洞ヶ峠を越えてきたのだが、結局道筋でその茶店見つけられず、残ながら食べ損ねてしまった。後で確認したら、店はすぐ近くの道一本隔てた国道沿いにあった。

 



 

| ホーム | 遍路歩き旅 | このページの先頭 |

 

(c)2010 Sudare-M, All Rights Reserved.

 

inserted by FC2 system