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瓢箪山の稲荷

 

 「東高野街道」は、右に緩やかに曲り、賑やかな町中に入り込んできた。

人の行きかう交差点の脇に道路改修記念碑が建っていて、周りに石造りのひょうたんが幾つも並べられている。

ここから先はアーケードの有る通りで、人通りも多く活気ある町にはおよそ古街道の雰囲気は感じられない。

ここは「瓢箪山」と呼ばれるところで、この付近に双円墳があり、ひょうたんを埋めたような形に似ていることから、瓢箪山古墳と呼ばれるようになり、それが地名の由来になっていると言う。

 

この商店街の通はれっきとした国道に指定された道であるが、不思議なことに人専用道路で、車は一切走れない。

そんな商店街を抜ければ国道170号線には再び車が戻ってくる。

 

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 近鉄の瓢箪山駅を右に見て、線路を超える。

「おいしいですよ」と呼びかけるお姉さんの素敵な笑顔にひかれ、お菓子屋さんの店先で、柏餅を頂く。

いつもながら、疲れた身体には甘いあんこが何ともうまい。因みにこの店の一番の売りは、店名の示す通り「千鳥饅頭」だそうだ。

 

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 その先に進むと、日本三大稲荷の一つとされる、「瓢箪山稲荷」の一の鳥居が建っていた。

瓢箪山古墳を背に社殿が祀られていて、辻占内の総本社として知られたところだ。

ここには秀吉が大阪城築城の折り、その鎮護のため金の瓢を埋めさせたとの由緒が伝えられている。

それにしてもどこの稲荷社に詣でても必ず三大稲荷の一つを謳っているのが面白い。京都の伏見と愛知の豊川辺りが一二で揺るぎは無いとは思うのだが、三位ともなると・・・・。

 

 

大和川治水記念公園

 

東大阪市の埋蔵文化センターの建物を見ながら街道を進む。

現在この地には、縄手小・中学校が建っているが、縄文時代の「縄手遺跡」があり、また市内では最古の「木塚古墳」も確認された場所との説明板が建てられている。

 

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 街道はこれから八尾市に入り、左手に信貴山を眺めながら南進すると、河内の二宮・恩智神社を見て、柏原市に入って行く。

石神社の所で右に折れ、暫く進むと右手からJRの関西本線や近鉄の大阪線が近付いてきて街道と交差する。

左手に近鉄の安堂駅を見て、線路を越えれば正面に大和川が見えて来る。

 

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 安堂の交差点を超える。

ここで大和川を渡るが、橋の袂の道路脇に一寸した公園風の緑地が有るので、早々に一休みだ。

「大和川治水記念公園」と言うらしく、余り広くはない園はよく整備されていて、銅像や石碑などが建てられている。

 

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説明によると江戸時代、水はけの悪い河内平野を複雑に入り組んで流れる旧大和川は、幾筋にも分かれていて度々氾濫し、流域の人々は降雨のたびの洪水に苦しめられていたと言う。

その付け替え工事に腐心したのが、流域村で庄屋をしていた中甚兵衛と言う、ここに建つ銅像の人物だ。

幕府の命により工事を請け負ったのは姫路藩で、延べ245万人をかけ、僅か8か月と言う短期間での付け替え工事であったという。

それは、最初の嘆願から竣工までは実に50年を要したと言い、今から300年以上も前の出来事である。

 

 

巨大古墳群の町

 

 大和川の堤防をおり、旧道に入り近鉄線を過ぎると、正面に国府八幡神社に守られるように佇む允恭天皇陵のこんもりとした前方後円墳の森が見えて来る。

それに行き当たると街道は、ここで左に直角に折れる。

とその通りは余り広くはないが、旧街道らしい落ち着いた趣のある道で、周囲には古墳が点在し、その時代に思いをはせる・・・そんな雰囲気が感じられる道が伸びている。

 

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 右手に見え隠れするのが仲津媛皇后陵で、その手前に道明寺が見えて来る。

真言宗の尼寺らしく、和菓子の材料として知られる道明寺粉は、この寺の尼僧が粳米を挽き粉状にしたのが始まりとか。

門前にそんな道明寺(さくらもち)でも売る店が無いものかと期待していたが、見事に外された。

 

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 西名阪自動車道を越えると、右手に木々の生い茂った小山が見えて来る。

応神天皇陵と伝わり、5世紀初頭に作られた前方後円墳である。

墳丘415メートル、幅6080センチメートルの堀を持つ、その体積では日本一、大きさでは全国第二位を誇る巨大古墳である。

さらにその先には、欽明天皇の命で応神陵の前に設けられたという日本最古の八幡宮と言われる「誉田八幡宮」がある。

ここの秋祭りに繰り出される神輿は、国宝に指定されているという。

 



 

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