瓢箪山の稲荷
「東高野街道」は、右に緩やかに曲り、賑やかな町中に入り込んできた。
ここは「瓢箪山」と呼ばれるところで、この付近に双円墳があり、ひょうたんを埋めたような形に似ていることから、瓢箪山古墳と呼ばれるようになり、それが地名の由来になっていると言う。
人の行きかう交差点の脇に道路改修記念碑が建っていて、周りに石造りのひょうたんが幾つも並べられている。
ここから先はアーケードの有る通りで、人通りも多く活気ある町にはおよそ古街道の雰囲気は感じられない。
この商店街の通はれっきとした国道に指定された道であるが、不思議なことに人専用道路で、車は一切走れない。
近鉄の瓢箪山駅を右に見て、線路を超える。
「おいしいですよ」と呼びかけるお姉さんの素敵な笑顔にひかれ、お菓子屋の店先で、柏餅を頂く。
いつもながら、疲れた身体には甘いあんこが何ともうまい。
因みに創業が寛永七年という菓匠「千鳥屋」の一番の売りは、店名の示す通り「千鳥饅頭」だそうだ。
その先に進むと、日本三大稲荷の一つとされる、「瓢箪山稲荷」の一の鳥居が建っていた。
瓢箪山古墳を背に社殿が祀られていて、辻占内の総本社として知られたところだ。
ここには秀吉が大阪城築城の折り、その鎮護のため金の瓢を埋めさせたとの由緒が伝えられている。
それにしてもどこの稲荷社に詣でても、必ず三大稲荷の一つを謳っているのが面白い。
京都の伏見と愛知の豊川が一二位と言うのは揺るぎは無いと思うが、三位ともなると全国いたるところの稲荷社が名乗っている。
信貴山遠景
東大阪市の埋蔵文化センターの建物を見ながら街道を進む。
縄文時代の「縄手遺跡」があり、現在この地には、縄手小・中学校が建っている。
また市内では最古の「木塚古墳」も確認された場所との説明板があり、古くから人が住み着いたところらしい。
街道はこれから八尾市に入り、左手に信貴山の山並みを間近に眺めながら南進する。
近鉄信貴線はガードで東高野街道を跨いで行くが、その先はすぐに終点の信貴山口駅で、信貴山へはそこからケーブルに乗換えることになる。
何十年か前一度訪ねた折にはこの電車とケーブルを乗り継いだで来たので有ろうが、既に何もかも覚えてはいない。
ここら辺りは市内とは言え、周囲には田畑が広がってすがすがしく、長閑な風景を見せている。
産地なのか、多くの畑には様々な苗木が植えられていて、信貴の山並みと相まって一幅の清涼剤と成っている。
この先で河内の二宮・恩智神社の一の鳥居を左に見て進む。
境内はここから生駒山地の山裾に向け上っているように見える。
街道は、八尾市から柏原市に入って行く。
石神社の所で右に折れ、暫く進むと右手からJRの関西本線や近鉄の大阪線が近付いてきて街道と交差する。
左手に近鉄の安堂駅を見て、線路を越えれば正面に大和川が見えて来る。
大和川治水記念公園
近鉄大阪線とJR関西本線を越え、安堂の交差点で国道170号線から右折して国道25号線に出る。
大和川の橋の袂の道路脇に、道路に沿って一寸した公園風の緑地が有り、ここで一休する。
「大和川治水記念公園」と言うらしく、余り広くはない園地はよく手入れされていて、銅像や石碑などが建てられているが、中でも「西暦1703年代大和川流域の図」と書かれた大きな看板が目を引いている。
説明によると江戸時代、水はけの悪い河内平野を複雑に入り組んで流れる旧大和川は、幾筋にも分かれていて度々氾濫し、流域の人々は降雨のたびの洪水に苦しめられていたと言う。
その付け替え工事に腐心したのが、流域村で庄屋をしていた中甚兵衛と言う、ここに建つ銅像の人物だ。
幕府の命により工事を請け負ったのは姫路藩で、延べ245万人をかけ、僅か8か月と言う短期間での川の付け替え工事を完了させたと言う。
それは、最初の嘆願から竣工までは実に50年を要したと言い、今から300年以上も前の出来事である。
巨大古墳群の町
大和川の堤防をおり、旧道に入り近鉄線を過ぎる。
すると正面に国府八幡神社に守られるように佇む允恭天皇陵のこんもりとした前方後円墳の森が見えて来る。
この辺りには幾つかの古墳が点在し、古くから開けていた地らしい。
それに行き当たったところで左に直角に折れと、余り広くはない旧街道は落ち着いた雰囲気で、静かにのびていた。
街道の右手に見え隠れする森が仲津媛皇后陵だ。三段墳丘の前方後円墳は全国第9位の規模を誇る。
その手前に道明寺が見えて来る。
真言宗の尼寺で、菅原道真公が自ら手で刻んだと言う、十一面観世音菩薩像(国宝)が御本尊だ。
この寺の尼僧が、粳米を挽き粉状にしたのが始まりと言う道明寺粉は、和菓子の材料として知られている。
これで造った餅の中に餡を入れ、塩漬けした桜の葉で包んだ和菓子を桜餅と言い、関西では道明寺と言い、関東では長命寺と言うが同じものであるが歴史はこちらの方が古いらしい。
門前にそんな道明寺でも売る店があれば・・と期待していたが、門前町らしい賑わいは無く見事に外された。
誉田八幡宮
西名阪自動車道を越えると、右手に木々の生い茂った小山が見えて来る。
応神天皇陵と伝わり、5世紀初頭に作られた前方後円墳である。
墳丘415m、幅60〜80pの堀を持つ、その体積では日本一、大きさでは全国第2位を誇る巨大古墳だ。
街道ははや、羽曳野市に入っている。
その先には、欽明天皇の命で応神陵の南側に設けられたという日本最古の八幡宮と言われる「誉田八幡宮」がある。
ここの秋祭りに繰り出される神輿は、国宝に指定されていて、応神陵に渡御する「お渡り」の儀式で使われると言う。
この辺り一帯は古市古墳群と言われる地だけに、墳丘長200メートル以上の大型古墳の数は123基に上るといい、その内の20基が国の史跡に指定されている。また2019年には、26基が世界文化遺産に登録されている。
街道筋から余り遠くないところにも、墓山古墳、日本武尊の白鳥陵、清寧天皇陵などの古墳群がある。
周辺には神社・旧跡なども多く、道路脇にも何か曰く有りそうな古い石の標等が幾つもあり、案内サインも立てられていて充実している。
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