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山上の宗教都市

 

 標高900メートルともいわれる山上の宗教都市・高野山には、年間140万人もの観光客が訪れる。

特に平成272015)年は、開創されて以来1200年を迎える節目の年で、秘仏や塔頭寺院などの特別公開や、様々なイベントも催され、外国人の姿も多く、参拝と観光の人々が入り交り、大いに賑わっている。

 

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現在の高野山は明治の初めに女人禁制が解かれ、その中頃には女性も居住が認められた。

それによりその後一般の人々も移り住むようになり、役場や警察、郵便局や銀行、学校や病院などの施設も整備され、山内をバスが走り、一つの町として今日の姿に発展した。その人口は3500人余りだと言う。

多くの塔頭が甍を連ね、宗教施設や文化財、名所が群れる中、ここには一般の商店やコンビニ、土産物屋、食事処はもちろんのこと、路地を入れば居酒屋やバーまである。

 

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宿坊

 

 高野山には、所謂観光旅館やリゾートホテル・ビジネスホテルなどは一切無い。

宿泊する観光客は、寺が一般向けの宿泊施設として門戸を開いている、「宿坊」と言われるところに泊まることになり、現在山上には117ある寺院のうち、そういった寺が53ケ寺有ると言う。

 

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 歴史ある寺が揃っているだけに、その建造物や所有する文化財、見ごたえのある庭園、長い廊下に沿って作られた格式ある部屋の数々、そこを彩る見事な掛け軸や欄間・襖絵など見どころには事欠かない。

お寺の内部には、およそ外部の喧騒からは想像もできないような異次元ともいえる世界が広がり、宿坊は何とも摩訶不思議な体験のできる世界でもある。

 

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当然お寺であるから朝の勤行や、写経、阿字観と言われる座禅瞑想の体験などが各宿坊では行われる。

しかし参加はあくまでも自由で、希望者だけが自分の意志で参加すればいいのだが、お寺ならではの体験だけに、殆どの泊り客は朝の勤行だけは参加を希望するのだそうだ。

 

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食事は勿論精進料理で地元の山菜高野豆腐や吉野葛や麩などを使い、それぞれの宿坊が工夫を凝らした伝統の料理が提供される。

食事時には、宿坊によっては若い修行僧が接待に当たるとこもあるようだが、アルバイトも多いとのことだ。

とはいえ、さすがにお寺だけあり、その所作はきびきびと無駄がなく清々しいものが有る。

精進料理とは言え、作法は堅苦しいものでもなく、求めれば酒やビールも飲むことが出来るのでありがたい。

 

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北緯3413分の謎

 

804(延暦23)年、4層の船団は遣唐使として唐を目指していた。

その第一船には空海が、第二船には当時既に身分の差が有ったとは言え、最大のライバル最澄が乗り込んでいる。

ところが渡海中嵐に会い、第三船は肥前の国に漂着するものの、第四船は行方不明になってしまうが、そんな中二艘だけが無事唐に着くことが出来たという。

 

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 長安に入った空海は、密教の奥義を学ぶため青龍寺に入った。

一年間の勉学ののちさらに土木や薬学も学び、多くの経典などを収集し、二年余りで帰国し滞在したのが大宰府だと言われている。

その後時の天皇に高野山の下賜を請い、勅許を賜りこの地に伽藍を建立し、自然の中での求道生活を続ける一方で、東寺も賜ったことで俗世間の中での布教活動を始めるのである。

 

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『空海の心は東寺と高野山の間で引き裂かれて、つねに揺れ動いていたのではないか。

その両方を振り子のように往復しながら、六十二年の生涯を終えた人。』それが空海だと言う。

(「百寺巡礼」巻六 五木寛之 2004年9月 講談社)

 

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 空海は香川県の善通寺で生まれたとされている。

唐にわたり修行したのが青龍寺で、帰国後修行の地としたのが高野山である。

偶然のなせる業なのか、はたまた計算されてのことなのかは定かではないが、これらの三か所はすべて同じ緯度上に位置しているという不思議なことが知られている。

それが「北緯3413分の謎」である。

 



 

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