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和気清麻呂ゆかりの地

 

 和気は、和気清麻呂公生誕地・和気氏発祥の地である。

駅に到着する少し前、右手線路際に建つ、記念碑は車窓からも見ることが出来る。

また、駅から4キロ程離れた藤野の地には和気神社があり、清麻呂公や姉の広虫媛などが合祀されている。

 

公を有名にしたのは、皇位継承をめぐる道鏡事件だ。

次の皇位に僧道鏡をとの託宣の真偽を確認するため、公は宇佐八幡宮に赴いた。

国家の命運を左右しかねない重要な責務を負った、孤独で重苦しい旅であったそうだ。

 

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 難渋の末たどり着いた宇佐八幡宮で神前に額ずき一心に祈念の末真の神託を受け、これにより皇統の純粋性は守られたが、道鏡の逆鱗に触れ大隅の国に流罪となる。

その途中刺客に襲われ、雷雨に打たれるなど、公の難儀を守ったのが「三百頭の猪」だった。

 

そんな逸話からここ和気神社は公を祀り、公の災難を救った猪を厄除け・開運の霊猪としての信仰が続いている。

絵馬殿には猪のはく製や置物などが多数展示されている。

また境内の拝殿前と随身門前には、狛犬ならぬ珍しい「狛猪」を安置し末永く崇めている。

 

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光仁天皇の即位により許され名誉が回復されると自ら望んで備前・美作の国造となり、更に桓武天皇の時代に国政に関わり、長岡京の造営や、新しい都・平安京への遷都を建言したことなどが知られている。

公が今尚地元で愛されるのは、中央で昇進し権力を得ても、出身地への心配りを忘れなかったことであろうか。

死後遺言で、私墾田を百町、救田として寄付したと伝えられている。

 

 神社の外苑は芳嵐園と名付けられた公園になっていて、サクラやフジの名所としても知られている。

また神社を取り巻く山には2000本と言われるモミジが生育し、紅葉狩りの名所でもある。

なかでも全国各地から約100種類にも及ぶフジを集めた「和気町藤公園」は日本一の規模を誇っている。

シーズンともなると白やピンク、紫と様々な色で、しだれ、或いは房のように咲くフジの花は美しく、総延長500mのフジ棚に咲き誇る花を見ようと、大勢の花見客で賑わいを見せる。

 

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旧片上鉄道

 

 和気駅を出るとすぐに右手に、金剛川を渡る鉄道の鉄橋跡が見えて来る。

これは19917月に廃止された旧片上鉄道の廃線跡に残された鉄橋で、この路線は瀬戸内海に面した備前市の片上から、内陸部の鉱山の有った柵原とを結ぶ総延長33.8Kmの同和鉱業が経営する私鉄であった。

 

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 明治期以降に開発された柵原鉱山は、東洋一の硫化鉄鉱として高い評価を得て栄え、三石地区の耐火煉瓦や玉野地区の造船業などと共に、工業県としての岡山の発展の原動力となってきた。

その鉱山で産出される鉱石の運搬を担ったのがこの鉄道で、それまでの吉井川を行く高瀬舟による舟運に変る交通として、主役の座を取って代わり貨物のみならず通勤や通学の足としても利用されていた。

 

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当時鉄道には沿線に17の駅が有り、鉱山のあった柵原が終点であった。

その一つ手前の吉ケ原(きちがはら)駅は鉄道が廃止になった後も残され、維持管理が行われ「登録有形文化財」の指定を受け、当時の姿を今に伝えている。

そんな駅舎を中心に鉱山跡地は整備され、「柵原ふれあい鉱山公園」として公開されている。

ここには「鉱山資料館」も併設されていて、昭和30年代の鉱山町の暮らしぶりが再現されている。

 

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 公園には当時使用されていた運送用の貨車や客車車両など、11両が動態保存されている。

なかでも昭和9年に製造された旧国鉄の気動車キハ303は、動態保存されている車両の中では日本で一番古いものである。

そのほかにも昭和2030年代に製造され活躍した客車や貨車などの動く姿をここでは目にすることが出来る。

近年ここから数百メートル先(終点の柵原寄り)に幸福柵原が新しく設けられ、この駅の間では動態保存された当時の車両の展示運行も行われ体験乗車も可能である。

 

 

片鉄ロマン街道

 

 平成3年に廃止になった線路跡は、いま「片鉄ロマン街道」と言う総延長34Kmの自転車道として復活している。

沿道は吉井川とは付かず離れずの関係で、その清流や四季が織りなす山々の装いを楽しみながら進むことが出来る。

コース上にはトンネルや踏み切り、当時使われたプラットホームや駅舎のほか、道端の何でも無いところに信号機、距離標なども残されていて、当時の面影を随所で感じることが出来る。

 

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起点の片上に近い国道374号線の脇には「備前サイクリングターミナル」や、コース途中の吉井川に沿った和気の「和気鵜飼谷交通公園」にはレンタサイクルが用意されている。

また和気鵜飼谷交通公園近くには日帰り入浴のできる「和気鵜飼谷温泉」や、そのほかにもコンテナを利用した「大中山温泉」などもあるので汗を流すのには丁度良い。

 

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備前の最高峰・熊山と謎の遺跡

 

標高508mの熊山は、吉井川の東岸に位置する備前の国の最高峰だ。

麓からは幾筋もの登山遊歩道が整備されている。また道幅はあまり広くはないが道路も整備され、山頂付近には駐車場もあり、気軽に車でも登ることが出来る。

 

その駐車場の近くでは推定樹齢700年と言われる天然杉が登山者を出迎えてくれる。

山頂からの眺めは素晴らしく、備前平野を蛇行する吉井川の流れや、その先できらきらと輝く瀬戸内海、そこに浮かぶ小豆島などの島々や対岸四国の屋島などが一望できる。

 

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古代吉備の国の、東の隅(くま)にあることから「隅山=熊山」と呼ばれるようになった。

ここは山頂近くにある「石積み熊山遺跡」が知られている。

この流紋岩の三段に積まれた石積遺構は、その最下段の一辺は約11メートル、総高は3.4メートルあり、日本のピラミッドだ、墳墓だ、宗教儀式の施設だなどと、謎の建造物として議論を呼んだ時期も有った。

 

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しかし熊山周辺にはその昔から山岳宗教の寺院の存在が知られていたことなどから、今日では奈良時代前期に造立された仏塔の一つである方形壇塔との説が有力のようだ。

わが国では他に類例のない珍しいもので、その頂部の石室からは小壺と円筒状の容器が発見されている。

付近では現在までに33ヵ所にも及ぶ石積遺構が確認されているが、全て築造時期が異なるらしい。

それらが崩れて原型をとどめないものが多い中、この形が確認できる最大の一基が国の重要文化に指定されている。

 

 

 

 



 

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