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岡山駅が変わりました


 

 駅前に大学の有る西川原を出て、岡山三大河川の一つ旭川を渡る頃、車窓左遥か前方に金烏城とも呼ばれる端正な姿の岡山城を町並みの中に一瞬だけ見つけることが出来る。

その先で新幹線の高架橋が近付き、賑やかにビルが増えれば、岡山駅はすぐそこである。

 

 山陽本線は500Km以上も有る長大な路線であるから、当然全線を通して運行される列車は無い。

関西圏からだと姫路や相生が一つの区切り駅なら、ここ岡山は次の区切り駅と言える。

更に西に向かう場合、多くはここで乗り換えることに成る。

 

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 ここから西へは三原あたりへの区間運転が多くなり、その先は広島を経て岩国辺りまでが多くなる。

以前は岡山からも下関に向かう長距離の普通列車も出ていたようだが、今はそんな長距離を行く列車は無く、この間では快速列車も幾らか運行されているが、関西圏のそれと比べれば見劣り感は否めない。

 

2016年3月、北海道新幹線の開業に合わせJR各社ではダイヤ改正が行われた。

JR西日本岡山支社でもこの日を待って、吉備線には古代吉備の国の桃太郎伝説にあやかって「桃太郎線」に、宇野線はかつて宇高連絡線が栄えた時期が有ったことなどから「宇野みなと線」と言う新しい愛称を導入した。

 

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また同時に外国人客らにもわかりやすいようにと、路線ごとのアルファベットの路線記号導入を機に、イメージカラーでの表示もはじめられ、表示板が見違えるようにカラフルになった。

山陽線の岡山〜福山間は「W」で太陽をイメージした「オレンジ色」、岡山〜三石は「S」でマスカットの「黄緑色」、吉備線は「U」で桃をイメージした「ピンク色」などだ。

 

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 合わせて岡山駅の出入り口を表わす名称も、従来の表口である「東口」は「後楽園口」に、裏口にあたる「西口」は「運動公園口」にそれぞれ改められた。

これは去年の夏頃行った新名称の公募期間中に応募された約2400件の案件の中から検討し決められたものだ。

「東口」は、駅の東エリアに国の特別名勝「岡山後楽園」があることから、また「西口」は西側エリアに県の総合グラウンドがあることから、地元に馴染みのある名称に決定した。

 

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 またこれより先だって、酔っ払いなどが不用意に立ち上がり、列車との接触などと言う事故を防ぐために、ホームに設置されているベンチの向きも変えられている。

従来は線路と並行した向きであったが、改善後は直角方向を向いて座るようになっている。

 


 

点字ブロック発祥の地

 

 今や町中の歩道や横断歩道、駅のホームなどいたるところで見かける点字ブロック。

目の不自由な人たちにとって、当たり前に社会生活を送り、町中を安全に自由に歩き回るには無くてはならないこの点字ブロックは、1967318日に岡山市中区の原尾島付近の交差点に全国で初めて設置された。

それを記念して、318日は「点字ブロックの日」に定められている。

 

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 設置された当初は、「障害者への理解が乏しく、その普及は遅々として進まず、資金集めに奔走する日々が続いた」

「やがて人権意識の向上と共に交通事故から障害者を守ろうと言う声が広まり、点字ブロックの有効性が認められ、徐々に敷設されるようになりました。」(記念碑文より)

 

 今や日本国内に止まらず世界中に普及しているこの点字ブロックは、ここ岡山市で考案されている。

昭和36年ころ、市内に住む自営業の三宅精一さんがある日交差点で、白い杖を持った目の不自由な人が危なげに車の往来する車道を横断する姿を目にしたのがそのきっかけだそうだ。

 

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 コンクリートブロックの表面に突起物を配列させものを作り、当地の旧国道2号線の横断歩道上に230枚敷設した。

これが日本初、世界初の出来事であったと言う。

当初の出足は鈍かったもののその後急速に普及が進み、鉄道関係では昭和45年に旧国鉄が大阪の安孫子町駅のプラットホームに敷設したのがその第一号と言われている。


 

 

旧岡山操車場

 

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 かつて岡山駅の西に、旧国鉄時代の岡山操車場が有った。

ここでは中四国地方の貨物輸送の拠点として、貨物列車の入れ替え・編成が行われていて、その取扱数両は一日当たり5000車両にもおよび、全国でも屈指の操車場としてその使命を果たしてきた。

しかし国鉄の分割民営化によりJR発足後には貨物輸送も近代的なコンテナ輸送が主力となり、その業務は貨物会社の西岡山駅に引き継がれ、結果操車場は廃止された。

 

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 その広大な跡地に市は、市政施行100周年を記念して「チボリ公園」誘致を計画したが、何時しかそれは頓挫した。

岡山市が撤退したチボリ公園は、その後お隣の倉敷市が誘致し1997年に倉敷駅北口前に華々しく開園したが、2009年に僅か11年の歴史でその幕を下ろしている。

 

 その後カヌー公園や3万人収容可能なサッカー場などの計画が次々に浮上するも、何れも実現することがなかったが、2000年ころには僅かにアクションスポーツパークと岡山ドームが建設された。

更に2005年には待望の「北長瀬駅」が新設されたものの残る広大な跡地の開発は遅々として進むことがなかった。

 

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 市は『緑の森に囲まれた空間の中に「健康・医療・福祉」を中心とした都市機能を配し、子供から高齢者まで安全安心に暮らせる居住機能・高齢者の支援機能を導入する』などと計画を練っているようだが、やっとそこには2015年に岡山市立市民病院がオープンしたのみである。

 

 

岡山ドームとフリマ

 

 旧国鉄時代の岡山操車場の広大な空き地に設けられたアクションスポーツパークは、インラインスケートやローラースケートのできる日本でも最大級のスケートパークとして華々しくオープンした。

しかし当初から危惧された通り、もともと競技人口も愛好者もあまり多くないスポーツで、利用は思いのほか伸びず開設から10年で閉鎖されてしまった。

 

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操車場跡地にはアクションスポーツパークから少し遅れて岡山ドームも造られた。

多目的施設として1000人収容のスタンドを持つ人工芝を敷き詰めた施設で、ここでは雨を気にすることもなく、テニスや野球、フットサルなど多彩なスポーツに利用されている。

またこの施設は、岡山市の成人式会場として使われ、各種展示会や物販会、コンサートなどにも活用されている。

 

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なかでも人気は、「咲かそ、岡山!1万人のフリーマーケット」と銘打って、定期的に開催される大規模なフリーマーケットである。出店する店は多彩で、衣類や雑貨、古本やおもちゃ、手作りのお菓子、花、野菜、果ては骨董や古道具類まで、毎回数百店にも及ぶ。その規模は中四国最大とも言われている。

皮肉なことに広大な空き地は格好の駐車スペースとなり、ここでは駐車場の心配もなく、冬の寒さも、夏の暑さも気にせず大勢の人々が集い、買い物をしながら店主とのやり取りも楽しんでいる。

 

 

 

 



 

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