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憲政の神様

 

庭瀬は憲政の神様と言われた犬養毅の生誕地として知られた町である。

また足守川とその支流を利用した舟運の栄えたところで、水路や堀が縦横に廻らされた水郷の町、湊町として、また「庭瀬往来」から「金毘羅往来」と「鴨方往来」への追分として栄えた歴史を持つ古い町である。

車窓からも、今でもその名残とも言える水路や川の流れを、町並みや田畑の中に垣間見ることが出来る。

 

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駅の北方2キロほどの地には「憲政の神様」と言われた犬養毅(号・木堂)の生家が残され、「犬養木堂記念館」として公開されている。

犬養家は元々代々庄屋や郡奉行など藩の要職を務め、名字帯刀を許された農家で、毅は安政二年に犬養家の次男として生まれている。

この生家は、江戸時代の大庄屋に相応しい姿を留める建造物として昭和53年国の重要文化財に指定されている。

 

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 洋学を学ぶため20歳の時に上京、慶應義塾に入学し福沢諭吉に指導を受けた。

その後新聞記者などを務めたが、政治の道を志し36歳(明治23年)で衆議院議員に初当選し、76歳(昭和6年)の時第29代内閣総理大臣になったが、その翌年事件は起きた。

1932(昭和7)年515日のいわゆる「五・一五事件」である。

 

 総理大臣官邸に、拳銃などで武装した大日本帝国海軍の青年将校たちが乱入したその日は、良く晴れた日曜日で、取り巻き達のほとんどが出払い、留守の間の出来事であったそうだ。

 

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「まあ、靴でも脱いで座れ、話せばわかる」と自身の考えを語り聞かそうとしたが、問答無用とばかりに発射された銃弾に瀕死の怪我を負った。

それでも尚「(鉄砲を撃った)今の若いものをもう一度連れて来い、よく話して聞かせてやる」と気丈にも語ったそうだが、怪我は殊の外重く命を永らえることも無く、現職の総理大臣は凶弾により77年の生涯を閉じたと言う。

 

 

庭瀬往来

 

 庭瀬の駅を出て通りに面した屋並みの一角に目をやると「敷物新聞」と書かれた掲示板が目につく。

かつてい草の生産が盛んな地域らしく「畳」に関する情報紙を発行する新聞社のもので、いかにも庭瀬らしさが感じられて興味深い。

丁度その角を曲がった辺りから「庭瀬往来」が始まる。

 

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18世紀中頃以降、庭瀬へ抜ける「庭瀬往来」は常磐町口門を出て・・・』

(「絵図で歩く岡山城下町 2009年 吉備人出版)

 

 江戸時代岡山藩は、岡山城下から発する6本の街道を整備した。

金毘羅往来、鴨方往来、松山往来、津山往来、牛窓往来、倉敷往来である。

今日の岡山市中心部、表町商店街の南部辺りに有った常磐町口門から、陣屋町であった庭瀬に至る街道は、この地までは「金毘羅往来」と「鴨方往来」が同じ道のため「庭瀬往来」と呼ばれていた。

 

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 街道筋にはかつて街道を照らした常夜灯や、古い石の導なども建ち、町並みの所々には白壁・なまこ壁に木格子や虫籠窓を備えた伝統的な建造物も多く残されている。

付近には旧庭瀬湊跡や庭瀬城跡、撫川城跡などの旧跡もあり、これらを巡るサインも良く整備されている。

犬養毅の生家である木堂記念館を含め、ゆっくり巡っても一日あれば充分なので、ちょっとここで途中下車するのもいいだろう。

 

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大病院と学生の町

 

 県下第一の町・岡山から、第二の町・倉敷に向かう庭瀬や中庄などは、今日では住宅団地や大規模な商業施設などが集積する両市のベッドタウンとして発展を続ける地域である。

 

一昔前なら、ここらあたりの田圃ではい草の栽培が盛んで、夏の頃には青々と風に揺れるい草を車窓からも見られたものだが、今ではこの付近でそれらを目にすることは出来なくなってしまった。

 

い草は、真冬に氷を割った田に苗を植え付け、春先には成長後の穂が倒れにくくするために一旦穂先を刈り込み、その後盛夏、炎天下での刈り込みを行うと言う過酷な労働が知られている。

当時はその労働力を、九州辺りからの集団就職や季節労働として得ていたほど栄えていた。

しかし県の近代化・工業化の波から農作業を嫌い、加えて成長した穂先が赤変する被害の蔓延などで生産農家は急激に衰退し、それにより生産量日本一の座も下りた。

 

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中庄の駅の近くには大きな総合病院が立地し、全国でもまだ数が少ないドクターヘリを備えている。

周りには医療系の大学・短期大学や専門学校が立地し、それらの寮やアパートも多くここは学生の町でもある。

 

駅の南側には車窓からも見える「倉敷マスカットスタジアム」が立地している。

両翼99.5m、中堅122m、外野は自然芝の収容3万人を誇る本格的な野球場だ。

ここでは年に何回かのプロ野球のオープン戦や公式戦が行われ、隣にはサブグラウンドもあることなどから、秋にはプロ野球のミニキャンプなどにも利用されている。

 

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