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ひかりは西へ


 

山陽本線は倉敷から西阿知を出て、岡山三大河川の一つ高梁川を渡る。

この辺りは、くだものや花卉の栽培の盛んな地域で、取り分け高級ブドウのマスカットオブアレキサンドリアやニューピオーネは、全国でもトップクラスの収穫量を誇っている。また、スイートピーの生産量も多い。

車窓からそんな露地栽培される南斜面の畑や、温室などを目にしているとやがて「新倉敷駅」に到着する。

 

 「ひかりは西へ」のキャッチコピーに乗って、山陽新幹線が岡山まで開業したのは昭和47年のことである。

当時は東海道新幹線と直通運転をする「ひかり」が運行し、岡山が九州方面や四国、山陰方面への乗り継ぎ駅となった。

 

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 それから遅れること3年、岡山県内に二つ目の新幹線駅が博多までの延伸開業に伴い誕生した。

それがこの「新倉敷駅」である。

倉敷市西部の玉島地区に有る駅で、元々は山陽本線の前身の山陽鉄道が開通した年に、少し遅れて開業した古くからある「玉島駅」が改称されたものだ。

 


駅は玉島地区にあるとはいえ、その中心市街地とは2キロ以上も離れている。

玉島の町中には旧玉島灯台や金刀比羅宮の常夜灯、河井継之助の船宿跡など史跡も多く、当時の繁栄を彷彿させる商家や問屋の建物など多く残されていて、ここでは江戸の情緒、大正ロマン、昭和の香りなど、歴史を感じさせる町並みが楽しめる。

 

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 また毎年2月下旬から3月上旬にかけ倉敷の児島・水島・真備など各地で「雛巡り」のイベントが開かれる。

ここ玉島もその主要な会場となり、商家の店先やイベント広場などにお雛様が飾られる。

レトロな町並みと相まって、雛祭りにも大勢の観光客が訪れている。

 

 

玉島の玉

 

 その玉島は、江戸時代初期までは多くの島が点在する遠浅の海であったそうだ。

ここは1600年代に備中松山藩による大規模な干拓で新田開発され、島のなどを陸続きにして開けた地である。

その用土を掘り起こした時、そこから掘り出された丸い石が代々地元の庄屋に伝承されていて、この「玉島の玉」が地名の由来の一説となったとされている。

 

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玉島には新田開発の折、瀬戸内海の小さな島であった羽黒山に、開発の安全を祈願して羽黒神社が建立された。

町はその門前を中心に開かれ、やがて瀬戸内海航路の要衝としての湊も造られた。

湊は多くの北前船などが出入し、周りには舟宿ができ町中には廻船問屋、仲買問屋、商家が建ち次第に賑わい栄えていった。

 

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レトロな町

 

 「通り町」は町内では最も歴史ある商店街で、まっすぐに230mも続く古びたアーケードに覆われた雰囲気は昭和初期そのものでタイムスリップしたようだ。

通には何代も続く老舗や、かつては映画館やパチンコ店などもあり、一昔前は通りを行き来する人でごった返したと言われているが、しかし残念なことに今では活気ある通りとは言い難い。

 

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そんな通りを抜け、少し左に折れ北に向かうと「溜川」と呼ばれる遊水池が有る。

そこに架かるドラム缶の橋は、105本のドラム缶を浮体として繋げた浮き橋で、町民の生活橋として、また対岸にある駐車場から「通り町」に向かう買い物客などが利用し親しまれている。

 

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町中には江戸時代の建物も多く残されている。

「西爽亭(さいそうてい)」は、旧柚木家の建物で、天明年間建築と言われる藩主の宿泊に供された建物だ。

通りに面して御成門を構えていて、亭内には石組のある名園もあり一般に公開されている。

この建物は、当時の上級武士の生活を窺い知ることが出来る建物として、国の登録有形文化財の指定を受けている。

 

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 仲買町や新町問屋街は玉島港が開かれた折り、仲買人や商人たちが競って店舗を構えたところで、その名残が通りには良く残されていて、古い町並みの保存地区となっている。

穀物問屋、綿廻船問屋、味噌醤油屋、酒屋、紙屋など、白壁・なまこ壁の重厚な造りの商家の多くは平入の瓦葺屋根を持ち、表には桟格子が嵌められ、中には卯建を上げる家もある。

 

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良寛さんの寺

 

 そんな玉島の町の南西方向に、「円通寺」と言う曹洞宗のお寺が有る。

「山陽花の寺・美の国岡山 第17番札所」として知られた、ツツジやサクラの名所でもある。

一般には若くして出家した僧・良寛が長年修行した「良寛さんの寺」として知られたところで、境内には托鉢姿の「良寛の銅像」が立てられている。

 

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寺域一帯は海を望む高台にあり「円通寺公園」として整備されている。

また周囲には詩碑や歌碑なども多く自然の庭園となっていて、そんな中に宿泊施設「国民宿舎 良寛荘」も有る。

公園からは、玉島の港の様子や古い町並み、その先に広がる瀬戸内海の眺望がすばらしい。

 

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 良寛は越後の出雲崎の生まれで、江戸時代後期、歌人としても活躍した僧である。

出家して22歳の時(1779年)、ここ円通寺で生涯の師とも言える第10世・大忍国仙和尚と出合い、修行を始めた。

寺に入って間もなく、母の訃報に接したが修行中と言う事で帰郷は許されず・・・とされている。

 

しかし新潟と群馬の国境、三国峠下(群馬側)の「猿ヶ京の関所」には、良寛のものと思われる、円通寺発行の関所手形が残されていることが知られている。 

 

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『此者 弐人の内僧壱人越後三島郡出雲崎迄罷通候 天明四(1784)年辰六月晦日 備中国玉島円通寺 猿ヶ京御関所後番衆中』

 

このことから、許されて帰ったのではないかとも言われている。

しかし、円通寺では20年間にも及ぶ修行をしているが、その記録は殆ど残されていないと言う。

 

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 寺では昭和24年から毎年桜の花の咲くころに「良寛茶会」を開いている。

元々玉島の町は町人文化で栄えた歴史があり、町民の間でお茶の嗜む風潮が根付いていた。

このため最盛期には町中に400もの茶室があったと言う。

そのことから町には今でも何代も続く老舗のお茶屋や、和菓子・甘党の店なども多く、「玉島スイーツ」として名物となり、中には行列ができる店もある。

 

 

 


 



 

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