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水攻めの城

 

1か月にも及ぶ攻防の結果、城主・清水宗治が城兵の命と引き換えに自刃、城は落城した。

折しも京の本能寺では信長が明智光秀の謀反に倒れ、ここではそれを隠し毛利方との間で講和が結ばれた。

その後の秀吉による中国大返しにより歴史が大きく動くことになる。

ここ「備中高松城」は、その端緒となった舞台である。

 

 『平野と耕田の底地に位置し、四囲には手頃な山々を控え、加うるに、足守川をはじめとし、大小七つの河川が八方へ奔馳しています。これを集めて平地の一カ所に注げば、あの城を、湖水の底となすのも、さして至難ではありません。』

(吉川英治全集24 新書太閤記(三) 昭和42年 講談社)

 

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「備中高松城」は、水攻めの城として知られている。

こんな地に着目した秀吉の軍師・黒田官兵衛は、水攻めを秀吉に進言した。

当時の城は沼沢地に臨み、それを天然の堀として利用した典型的な平城で有あったようで、よくお城に見るシンボルとも言える石垣は無く、多くは土塁によって固められた「土城」であった。

秀吉軍はこの城を囲むように12日間でおよそ2.6キロメートルの堰堤を築き、近くを流れる足守川を堰き止め、折しも梅雨時で増水した足守川の流れを集め、城を水中に孤立させ兵糧攻めを行った。

 

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 城跡は今、「高松城址公園」として整備されている。

入口近くには土蔵造り風の資料館があり、模型やパンフレットなどが用意されている。

ここにはボランティアガイドが駐在していて、説明を受けることも出来る。

 

公園の広場には一面に芝が張られ、その中央には広大な堀池が有る。

それらを巡るようにつけられた遊歩道を歩いてみてもほとんど起伏のない平坦道で、このお城の特性がよく読み取れる。

本丸跡には清水宗治の首塚があり、近くには自刃の地や胴塚、築堤跡など見所も多い。

 


 

清水宗治と饅頭

 

 「主家の安泰と部下五千の命が助かるなら・・・」と自刃を承諾した宗治は、さながら湖となった城前の堀に舟を漕ぎ出し、秀吉から送られた酒肴で宴を張り、舞を舞い、辞世を残し46歳の生涯を自らの手で閉じて逝った。

 

そんな備中高松城の城主・清水宗治に因んだお菓子を名物とする老舗の小さな和菓子屋「清鏡庵(せいきょうあん)」は、本丸跡の前に店を構えている。

 

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「宗治饅頭」はやや小ぶりで、白あんと小豆あんの二種類有り、何れも「添加物は一切使っていない」と言う。

ほんのりと栗色に焼かれた皮は薄く、甘さを控えた餡がぎっしりと詰まっている。

素材の風味をそのまま生かした饅頭で、その飾らない素朴さは味わいも深く、頂いてみればさっぱりとした甘さがとても美味しい。

 

この店には、漉し餡を透明な薄皮で包んだ「水攻め饅頭」もある。

水に守られ、水に散った城主・清水宗治を偲ぶなら、これほどのものもない。

 

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NHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」が放映された時期は、ここ備中高松にも休日ともなると、今までには考えられないぐらい観光客が押しかけ空前の賑わいを見せたと言う。

買い求めた「宗治饅頭」を、店先を借り頂きながら、お茶を入れてくれた女将さんに、「官兵衛の頃は、賑わったのでは?」と話を向けると、「おかげさまで、すごかったです。・・・あれが続くといいのですが・・・」

 

然し残念なことにどこの所縁の地もそれらは一過性で、放送が終わると途端に水が引いたように静けさを取り戻し、中々賑わいを持続すると言う事は難しいようだ。

件の女将さんもそんなことを言ったようで、話す声音に期待を込めながらも心なしか力が無い。


 


お稲荷さんの参詣道

 

 右手遥か奥、吉備高原の低い山並みを眺めながら、岡山平野に広がる田畑の中を進む桃太郎線(吉備線)の車窓右手に、大きな朱塗りの鳥居が見えて来る。

 

伏見、豊川と並ぶ日本三大稲荷の一つとされる、「最上稲荷」の参道口に立つ鳥居である。

鉄筋コンクリート製で、高さは27.5m、柱の直径4.6m、道路をまたぐ柱間は19mと言う巨大なもので総重量が何と2,800トンもあると言う。平成の改修では邪気を振り払うとされる弁柄(ベンガラ)色に塗り込まれたので、赤みを帯びた赤銅のような光沢のある濃い茶色に見える。

 

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そんな鳥居を潜り最上稲荷に向け県道を行くと、それと並走する自転車道が左手に見えてくるが、これは鉄道の廃線跡で有る。

吉備線は明治37年に中国鉄道の路線として開通しているが、その7年後、当時稲荷駅と称していた今の備中高松駅から、「最上稲荷」のある稲荷山までの2.4Kmで中国鉄道の稲荷山線も開業している。

当時の人々は稲荷駅でこの線に乗り換え、「お稲荷さん」の参詣に向かっていたようだ。

 

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 その終着駅は現在麓に広がる大駐車場の辺りで、そこから仁王門に到る参道が続いている。

参道は緩やかに登る600mほどの坂道に成っていて、両側には名物の稲荷饅頭やゆずせんべいなどを売る土産物屋、旅館や食事処など凡そ50軒が犇めき合い軒を連ねている。

そこは昔懐かしい門前町の風情そのもので、参拝後の客を呼び込もうと狭い参道には賑やかな声が行きかっている。

 

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当時は境内からさらに山の上の奥の院に向けて、ケーブルも運行していたようだ。

旧本殿の建つあたりに麓の山下駅が有ったらしい。現在でもその痕跡は僅かながら残されているらしい。

僅か15年ほどの営業運転で「幻の鉄道」と言われているが、近年その当時の貴重な様子を撮影した16ミリフィルムが見つかり話題にもなった。

 

これらの鉄道は残念なことに何れも昭和19年、吉備線の国有化(国鉄)と同時に廃線になっている。

それは太平洋戦争が厳しさを増した時期で、鉄の供出と言う国策によるものであったと伝えられている。

 

 

最上稲荷

 

 「最上稲荷」は備中高松駅の北3キロメートルほどの所に位置する神仏習合の、正式には「最上稲荷山妙教寺」と言う日蓮宗のお寺で、県下では「お稲荷さん」「高松稲荷」などと呼び親しまれている。

縁起によればその開基は、平安時代の初め報恩大師の開創と伝えられている。

 

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元々ここは山岳修行の道場として栄えた地であり、農民にとっては豊作の神、豊かな食物を与えてくれる福神であった。

しかし、現在では、福神=金などと、金儲けの神様として信仰されているようだ。

したがって、会社や自宅に稲荷神を勧請し、神棚や小祠で祀られることも多い。

『最上』とは正一位と言う稲荷の神階で、収穫も利益も技術も学問も芸術も何もかもすべてに最上を目指すものだと言う。

 

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開山1,200年を迎えると言うに寺は、その記念事業とし建立され、昭和54年に完成した大本堂が威容を誇って建っている。

新年の開運大祈願祭が行われる正月三が日の参拝者は60万人を数え、これは県内では最大規模だ。

有名芸能人らを招いて行われる節分の豆まき式でも大勢の参詣者で賑わう。

 

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 境内には「緑の末社」が有り、近頃では離縁・結縁について参拝する人が多いらしい。

それは偶数月に「離別天王」にお参りしまず悪縁を断ち、奇数月に「縁引天王」で良縁成就をお願いするとやがて新しい思いがかなうと言うものだそうで、社務所に請えば正式な参拝方法を教えてくれると言う。

 



 

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