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桃太郎伝説

 

 愛知県の北部、木曽川の流れに面した地に、人口7.5万人ほどの犬山と言う都市がある。

町のシンボルはその岸辺に聳え立つ国宝の犬山城、その下には城下町が広がり「尾張の小京都」などと言われ、市域には「博物館明治村」や「リトルワールド」「日本モンキーパーク」などもある観光都市である。

またここは昔から、我こそはおとぎ話「桃太郎」の伝説の地、と名乗るところでもある。

 

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地名からして犬山である。家来のイヌはきっとこの地の出に違いない。

もともとこの地は犬による狩りが盛んであったらしく、それが地名の興りとなっている。

近くには爺さんが芝刈りに行った(?)桃山や、婆さんが洗濯をした(?)木曽川も流れている。

何せ桃太郎神社まであるのだから、もう疑う余地も無い。

 

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しかし岡山にも昔から桃太郎にまつわる「温羅(うら)」伝説が残されているが、それは岡山だけではなく、瀬戸内海を隔てた香川県にも生きている。

盆栽の生産地として知られる鬼無は、桃太郎が鬼を退治して鬼がいなくなったからこう呼ばれるようになったらしく、その鬼を退治した島が瀬戸内海に浮かぶ女木島で、鬼が逃げ込んだのが男木島だ。

その山の中には鬼が隠れていた洞窟が有ると言う。

 

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 そんなわけで愛知、岡山、香川は、おとぎ話・桃太郎の三大伝説の地と言われているらしいが、何と奈良県の田原本町と言うところも、我こそは本物の桃太郎生誕地・・・と名乗っている。

(この項写真は全て愛知県犬山市)

 


 

温羅(うら)伝説

 

 百済の王子であった温羅(吉備の冠者)は、その昔空を飛んでやってきて、鬼ノ城に住み着き悪事を働くようになった。

これを平定するため大和から派遣された吉備津彦は、大軍を率いて「吉備の中山」に本陣を敷き、その西の片岡山に石楯を築き備えたとされていて、これが「楯築遺跡」(倉敷市矢部)だ。

 

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 こうして争いになりにらみ合った両者は互いに矢を射るが、ことごとく空中で絡み合い下に落ちてしまい、苦戦を強いられていた。

この地が「矢喰宮」(岡山市・高塚)と言われている。

この時吉備津彦が矢を置いた岩が、吉備津神社の石段の下に残る「矢置岩」である。

 

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そこで考えた吉備津彦は、一度に二本の矢を同時に射ることにした。

すると一本はいつものように絡み合い落ちてしまったが、もう一本の矢で見事に温羅の左目を射ぬくことに成功した。

温羅は大量の血を流しそれが川のようになって流れ出た。それが「血吸川」である。

 

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 堪らず温羅は雉となって逃げ、吉備津彦は鷹となって追う。

捕まりそうになった温羅は、今度は鯉に化け「血吸川」に逃げ込んだ。

それを追った吉備津彦は鵜になって鯉を噛んで捕らえることに成功する。その場所が「鯉喰神社」(倉敷市矢部)だ。

 

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 こうして降参した温羅は吉備津彦により首を刎ねられ、さらし首になった(岡山市・首部)。

しかし何時までも大声を上げ続けたので犬にその首を食わせたが、ドクロになっても唸りは止まらなかった。

堪らず「吉備津神社」の地下深くに埋めてしまうのだが、それでも13年間唸り続けたと言う。

 

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 岡山の「桃太郎伝説」は、「温羅伝説」でもある。

岡山駅の後楽園口(東口)前には、サル・キジ・イヌの家来を引き連れた「桃太郎の像」が凛々しく建っている。

運動公園口(西口)には「青年温羅の像」が建っていて、今では両者は背中合わせで決して睨み合ってはいない。

伝説では鬼神として伝えられている温羅であるが、岡山の県民にとっては馴染深いキャラとして愛されている。

 

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岡山県民は今も固く信じている。

当時大陸から伝わった「鉄」文化を欲しがった大和政権が、それを伝えこの地で「鉄」造りをする温羅を悪者に仕立て上げ成敗しその技術を奪ったのだと。それが証拠には毎年の夏祭りでは「うらじゃ」として、鬼のメークを施した踊り連が大勢集結し、市の中心部で熱狂の舞を繰り広げている。(温羅伝説は諸説ある)

 

 

鬼ノ城

 

 大和朝廷が朝鮮半島の百済軍救援のため出兵した663年の白村江(はくすきのえ)の海戦では大敗を喫した。

その後、唐・新羅の連合軍に攻め入られることを畏れた朝廷は、西日本各地に12か所もの朝鮮式山城を築城した。

このことは「日本書紀」や「続日本紀」などの史書で明らかにされている。

 

しかしこうした文献には出てこないが、当時の東アジア情勢に敏感に反映し築かれた古代山城が存在していた。

ここ「鬼ノ城」は、そんな一つとして今日俄かに注目されている。

 

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1978(昭和53)年初めての発掘調査が行われ、その後も断続的に続けられた調査では、この古代山城の角楼や城門、城の外郭、内部の水門や保水施設跡などが次々と明らかにされた。

標高約400メートル、吉備高原の最南端・鬼城山に築かれた7世紀頃と推定される謎の遺跡で、壮大で堅固な城塞で有ったその全容が次第に知られるようになった。

 

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 山内の遊歩道はよく整備されていて、途中には展望台も造られている。ここからは総社平野が一望だ。

眼下は吉備高原下まで深く入り込んだ瀬戸内海、所謂「吉備の穴海」で、そこには「吉備の津」があった。

この城はそんな地を見下ろす古代交通の要衝に立地していたと言われている。

今では晴れた日なら遠く瀬戸大橋まで見通せる。

 

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そんな山頂の谷を隔てた向山の傾斜地に張り出すように立つ門が西門で、再建されたものとは言え迫力がある。

復元された西門は、固めた土に張り付けた花崗岩の上に立てられている、がそもそもなんでこの場所に、何の目的で?と思える場所に建っている。門の外は切り立った崖で、そこを潜っても登山道があるわけではないのでおそらく、その威容を誇示する目的では・・・と思ってみたりもする。

 

城はこうした土塁で囲われて、鉢巻き状に回らされ、その総延長は2.8キロメートルにも及ぶと言う。

そして外郭の各方角にはこのような門を構えていたと考えられている。

 

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 この天空の城塞のような城跡は1986(昭和61)年国の史跡に指定され、2006(平成18)年には「日本の100名城」の一つに選定されている。

そんな城内で調査は現在も続いていて、広さは約30ヘクタールと言われ山内からは、これまでに食糧庫と推定される建物跡の礎石、水汲み場、土取り場なども見つかっている。

 


 

秘境・岩屋寺

 

 謎の山城「鬼ノ城」は、吉備線の服部が最寄り駅とは言え、ここから「鬼ノ城」に向かうバスなどの公共交通機関は無く、訪れるには歩くか車となる。駅からは途中の2.5q地点にある砂川公園まではほぼ平坦な道で、ここから鬼ノ城ビジターセンターまでが凡そ3.5q、少しずつ登り続ける道に変わる。

 

 ビジターセンターには、ウオーキングセンターが併設されている。

周辺のウオーキング情報を仕入れるのに良いだろう。

ここから「鬼ノ城」の復元された城門までは、数百mの遊歩道を登ることに成る。

 

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 ビジターセンターの前の道を北方に2.5qほど行くと、「岩屋」と言う集落が有る。

平安時代には「鬼ノ城」などと共に山上仏教の中心地として栄えたとされているが、それらはいまだに解明もされず謎に包まれている。そのせいか、観光客向けに整備されているわけでも無く、荒れた印象で訪れる人を見ることは殆どない。

 

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周辺は山深い地で、僅かばかりの民家がひっそりと身を寄せ合うように建っている。

そんな登り口に駐車場が有り、そこから草の生えた道なき道を10分ほど登ると突然立派な石段が見えてくる。

それを上ると石垣の上に立つ寺跡が目の前に現れる。

かつて平安時代には多くの僧坊が有ったとされる「岩屋寺」だ。

今は無住で、荒れるに任せ、手入れもままならぬと言った感じで廃寺となっている。

 

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 廃寺の手前を左手にすこし登ると、「鬼の差し上げ岩」と呼ばれる巨岩群があるらしい。

しかしこの辺りマムシの生息地らしく、ヒンヤリと湿り気を持った夏草が足元を隠すシーズンに登るには余りにも気持ちが悪い。

結局ここで足を止め、そこまで登る勇気は沸いては来なかった。

 



 

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