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備中の小京都

 

「備中高梁」は伯備線の中では主要な駅の一つで、陰陽を連絡する「特急・やくも」や、「寝台特急・サンライズ出雲」の停車駅でもある。岡山から倉敷を経由する普通列車の半数はこの駅止まりとなっている。

 

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ここ高梁は中国山地にその源を発し、吉備高原を悠然と下り、瀬戸内海に流れ込む、県下三大河川の一つ高梁川の中流域に発達した町で、そこは山々に囲まれた小さな盆地で、町の中央を清流がゆっくりと流れている。

昔から山陰と山陽を結ぶ街道や、高瀬舟で瀬戸内とを結ぶ水運など、水陸交通の要地であったため、古くから戦略上の重要拠点として注目されていた。

 

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即ちこの地を押さえる事は、備中国を治め、さらに備前国や山陰の諸国に睨みを利かす上で重要な意味を持っていたのだ。

そのための城が臥牛山に聳える備中松山城である。

ここはそんな城下町であり、藩政時代の面影を色濃く残す町並みが今も残っていて、情緒ある風情から「備中の小京都」とも言われる人気の観光地でもある。

 

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町中には「県庁の星」、「バッテリー」や「男はつらいよ」など、映画やテレビドラマなどのロケ地として使われたところもたくさんあり、そんな場所もゆっくりと見て回りたい町でもある

 


 

山裾の寺院群

 

 伯備線の列車が高倉トンネルを抜けて備中高梁の駅に近づくころ、車窓右手の山裾に、何やら立派なお城のような石垣の上に建つお寺が幾つも見えてくる。

それは「松連寺」、「泰立寺」、「成徳寺」の伽藍で、駅を東口に降りれば、徒歩で300mほどのところにある。

 

 江戸時代に入って武家諸法度により城の新築が禁止され、修理さえままならない時代に移築建立されたのが「東向山・松連寺」で、その石垣続きで隣に建つのが「瑠璃山・薬師如来院泰立寺」である。

 

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 これらは何れも堅固な城壁のような石垣の上に伽藍を構えている。

幾重にも石垣を築き、そこにぐるりと白壁を廻らせた姿は城郭を思わせ、これで壁に狭間でも穿たれていればまるで城壁そのものの姿を見せている。お寺を装ってはいるが、一朝有事の場合その背後の山頂に聳え立つ備中松山城を守る砦の役目を持たせたものであることは一目瞭然だ。

 

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 ここは駅の東側の山裾に当たり、丁度このあたりから北が寺町と言われる地域であり、そこには「成徳寺」から始まって「松連寺」、「泰立寺」、「定林寺」、「道源寺」、「寿覚院」、「巨福寺」などが建ち並び、その先の「頼久寺」まで、まさに山裾に一直線に連なっていて防御線上の砦の様相を呈している。

これらの寺を見ると、この地をことさら重要と考えていた国人の思いが伝わってくるようだ。

 

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「頼久寺」は臨済宗のお寺で、国の名勝に指定されている庭園が良く知られている。

背後の愛宕山を借景とし、石組みで島を置き鶴亀を据え、それを取り巻くように大海原をサツキの大刈込で表現する、豪華で大胆な構図の枯山水の庭で「鶴亀の庭園」と呼ばれている。

 

これは当地の代官となった小堀遠州が、政務を執り行う仮の館となったこの寺の庭に造ったもので、江戸時代初期のものとして、我が国を代表する庭園との評価が高い名園である。

 

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紺屋川筋

 

駅の西口から1キロほど離れた市街地に、高梁川に流れ込む紺屋川が有る。

かつてはお城の外堀の役割を果たしていた川は、今では河畔の桜や柳が美しい町の観光名所の一つとして再備されている。

 

川を挟む通りには、「有終館跡」が有る。

江戸時代に松山藩により開設された学問所で、明治4年に廃校になるまで多くの人材を育ててきた。

そんな一人が後にここの筆頭教授に任じられ、更に藩政改革の立役者となる山田方谷である。

 

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その前には岡山県の文化財に指定されている、「高梁基督教会堂」が建っている。

新島襄などの来高で、当地でも俄かにキリスト教の活動熱が高まったその結果、信者の要望により明治22年に建てられたのがこの教会堂で、今では県下最古として史跡の指定を受けている。

切妻屋根の木造平屋建て、寄棟屋根を持つ当地では初めての擬洋風建築で、その屋根の上の特徴的な鐘楼は、昭和28年になって付け加えられたものだと言う。

 

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通りやその周辺には、平入りの白壁造り、二階には虫籠窓や格子窓を構えた江戸から昭和初期に建てられた町屋などが有り、年代によりその造りが違うなども見どころの一つになっている。

通りから入り込む、細い路地道なども風情があって良いものだ。

 

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 頼久寺近くの石火矢町は、藩政時代の武家屋敷が今も残る通りで、電柱のない町並みは懐かしい日本の原風景を見るようで、県のふるさと村の指定を受けている。

余り広くもない路地の両側には、白壁の長屋門や黒瓦を乗せた土塀が続き、当時の格式ある門構えを今に伝えている。

そんな屋敷の一つ「旧折井家」は公開されている。

 

 

備中松山城


 

 備中高梁は、備中国を治めさらに備前国や山陰の諸国に睨みを利かす上で重要な意味を持っていた。

そんな背景もあり、その町の北端に聳え立つ山の頂には、古くは砦、中世では山城が築かれ、その後関ヶ原の合戦を経て毛利氏が撤退した後、お城は小堀遠州や水谷勝宗によりほぼ今の姿になった。

これが市民から「おしろやま」の愛称で呼び親しまれている標高480mの臥牛山と、その頂付近に建つ備中松山城である。

 

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 ふいご峠(8合目)の休憩所からは、鬱蒼とした木立の中に700メートルほどの登城坂が延びている。

巨大な岸壁が切立つ山中に延びる坂道は、勾配も結構きつく、地道や石ころ道、不揃いの石段などの連続で、それがいかにも難攻不落の山城らしい。

それでも登城道には、ユーモラスな心得の立て看板や、音声案内などがよく整備されているので迷うことも無く、山道はは中々に厳しいが楽しみながら登ることが出来る。

時折開ける視界からは、高梁の町並みが一望で、その絶景はしばし疲れを癒してくれるには十分だ。

 

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 標高430メートルを登りつめると、お城はその山上の僅かばかりの平地に、堅固な要塞をかたち作っている。

天然の巨大な岩盤を巧みに取り入れ、その上に人工石を組み上げた石垣群は、ほぼ築城当時の姿を留めているらしく、その景観は見事と言うほかない。

 

ここには明治の廃城令を潜り抜け、取り壊しを免れた天守が現存している。

天守を持つ山城としては国内で最も高いところにあり、岩村城(岐阜県岩村町)、高取城(奈良県高取町)と共に日本三大山城の一つに数えられている。

 

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 青空を背景に、黒い瓦屋根、白い漆喰塗壁、黒い腰板張りのこじんまりとした二層二階建て天守が、緑の中に佇む姿はそのコントラストがとても美しく、可愛らしくさえある。

そんな天守は、日本各地に現存する12の天守の中では最も小さいものだと言う。

 

 城郭は中世の遺構を備えた近世城郭で、日本における山城の典型とも言われ、城跡は国の史跡になっている。

また江戸時代に建造された「天守」や「二重櫓」、「三の平櫓東土塀」などは国の重要文化財に指定されている。

 

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2016年放映されたNHKの大河ドラマ「真田丸」では、番組冒頭の字幕の背景に、備中松山城が採用された。

主人公の真田家とゆかりのある城ではないが、厳しい山上に建つ山城の雰囲気が、山深い信州の真田の城のイメージに重なるからとの理由のようだ。

 

映像はドローンで撮影されていたが、一見すると備中松山城らしくは見えない。

大手門跡あたりの城壁の白壁はCGで汚され、天守台に向かう石段にはこれもCGで滝が表現されていた。

おそらく後半部分の映像はどこかほかの場所だろうが、放映が始まると随分と話題になったことは記憶に新しい。

 

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